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Writer/Moe

ノンバイナリー代名詞「they」はただのトレンドじゃない。実は知られざる歴史があった

近年辞書にもその定義が追加され、ノンバイナリーの人物に対する代名詞「they」。著名人がSNSプロフィールで使用するなど、認知度が高まったのは英語圏でも最近のことで、批判や戸惑いの声も多い。しかし、この「they」の用法には、長い歴史があることをご存じだろうか。実は、何世紀も前から、従来の性別にとらわれない代名詞は議論されてきていたのだ。

市民権を得たノンバイナリー代名詞「they」

辞書にも追加されたノンバイナリー代名詞「they」

2019年、アメリカで最も歴史のある辞書のひとつを出版するメリアム=ウェブスター社は、同社のオンライン・ディクショナリー上に代名詞「they」の新しい定義を加えた。「used to refer to a single person whose gender identity is nonbinary(ジェンダーアイデンティティがノンバイナリーである1人の人物を言及する時に使用する)」というものだ。

さらに、2019年の「Word of the year(今年の単語)」として「they」を選出し、コメントを出した。

「近年、変わりゆくtheyの用法が研究のテーマとされ、解説されることが増加した。theyの(オンライン・ディクショナリー上での)検索件数は、前年度に比べて313%増えた。<中略>この単語の(ノンバイナリー代名詞としての)用法が、英語という言語の中で確立されたことは疑いのないことであり、それがこの9月にメリアム=ウェブスター.com ディクショナリーに追加された理由だ」

確かに、ここ2、3年で自分の性自認を表明する代名詞(he/she/they)について、目にする機会が急激増えている。SNSなどで著名人が「自分の代名詞はthey」だと表明したりと、注目は高まっている。

ノンバイナリー代名詞「they」は、普段の会話ではどのように使われるのだろうか。例えばノンバイナリーの友人について他の人に話す時、こんな会話になるようだ。

・They are my friend Moe. I met them at the school. They like coffee.
・この人(They)は私の友人モエです。わたしはこの人(them)に学校で出会いました。この人(they)はコーヒーが好きです。

この英文を書きながら、私は少しまごついた。Wordソフトも動揺したかのように、青い線で文法エラーを指摘してきた。従来の英語の体系が頭にあれば、違和感を持つのは仕方がない。英語の「they」は「彼ら」のような複数の人物を指すものと習ったし、一人の友人について話すなら、動詞の後に「s」を付けるとインプットされていたからだ。

ノンバイナリー代名詞「they」に対する批判

従来の用法とは異なる戸惑いが、英語圏の人々の中でも起きているようだ。一人の人物に対して「they」を用いることは、複数人の「彼ら」を意味する場合と混同しやすく、文法を不要に複雑にしているとの批判もある。

文法的な批判に対して、メリアム=ウェブスター社は「you」という代名詞も複数・単数両方の意味で使用され、何世紀にも渡り問題なく受け入れられてきたことを引き合いに説明している。

例えば、「You are」という時、英語では一人の相手「あなた」を指すこともあれば多数の相手を指すこともある。そのくせ、自分一人を指すのに「I am」、複数の自分たちを指すときに「We are」と言葉を分ける。「イングリッシュ・スピーカーたちは、英語にはすでに理不尽な部分があるということを、滅多に疑問視しない」と指摘し、「近い将来Theyの単数としての用法が、目立って疑問視されなくなるだろう」とした。

歴史ある辞書がノンバイナリーの代名詞を正式に認めた。これはアメリカをはじめとする英語圏社会で、多様なジェンダーアイデンティティへの関心や認知度の高まりを表すものだ。今後、メディアや教育の現場でも呼称の見直しが求められていきそうだ。「ややこしいことが増えた」と頭を抱える人もいるだろうか。ソーシャルメディア時代の一過性のトレンドの様に見なす人もいるかもしれない。

でも実は、性別を限定しない代名詞に関して、既に何世紀にも渡り人々は議論していたようなのだ。

ジェンダーニュートラルな呼称にまつわる、歴史あれこれ

ジェンダーを限定しない単数「they」のはじまり

一人の人物を指すときに「they」を使うことは何も新しいことではない、と主張する記事は多い。古くはシェイクスピアの「ハムレット」や、ジェーン・オースティンの「プライドと偏見」などなど、名高い文学作品の中でも一人の人物を指して「they」が使われていたことが分かっている。

「they」は、古くからジェンダーを限定しない代名詞の代表格だったようだ。1600年代の医療文献には、「男性・女性という2つのジェンダー基準のどちらにも当てはまらない個人」を指すために使われていた。しかしその後、文法的に正しくないとの批判を受けて「単数のthey」は一度影を潜めたのだそうだ。

18世紀から続くジェンダーニュートラル呼称の発明の数々

米・イリノイ大学の言語学者で、代名詞とアイデンティティについての歴史を研究してきたデニス・バロン教授は、「she」や「he」など性別を明確に限定しない、ジェンダーニュートラルな呼称については、少なくとも18世紀ごろから様々に考案されてきたと指摘する。その数は1780年代から数えても、200から250個にも及ぶという。

例えば、「That one」を短くした、「Thon」という言葉。性別が判明していない人物「sheまたはhe」について供述するために、チャールズ・コンバースという弁護士によって19世紀に考案された。

1912年には、エラ・フラッグ・ヤングという教師がシカゴの公立学校の教育委員会で、ジェンダーニュートラルな代名詞として「his’er」を提案する。しかし、委員会は「不必要にややこしい」として却下した。1920年代から1940年代にかけては、新しい代名詞として「hir」がカリフォルニア州の新聞、ザ・サクラメント・ビー紙に登場した。

こうした、1900年代の代名詞の発明の数々は、ある人物に対して性別を選ばないのではなく、分からない場合にどう呼ぶかという便宜的に作り出されたものや、どちらかと言えば当時の社会で女性の存在感を増すためのものだったかもしれない。

バロン教授はそれでも、「いつの時代にも、『この代名詞は、私じゃない』と思う人がいたはずだ。記録が残っていないだけで、きっと当時の人も(ジェンダーニュートラルな代名詞について)議論をしていただろう」と指摘する。

何世紀ものジェンダーニュートラル呼称論争の終結?

結局、時代はめぐって「they」が最も受け入れられやすい、ジェンダーニュートラルな代名詞として落ち着いたようだ。他のどの呼称よりも、英語の言語体系の一部として深く馴染でいる「they」は、違和感を解決し、英語に欠けていた部分のギャップを埋めるのに最適な唯一の単語だ、とバロン教授はコメントしている。

・・・・・・確かに、発音が難しそうな「his’er」などではなくて良かった。と密かに私は胸を撫でおろした。

それにしても、200以上もの言葉を新たに生み出すほど、代名詞をめぐる議論が続いていたということには感心せずにはいられない。代名詞というものが、アイデンティティに関わるもので、どれだけ重要視されてきたかを考えさせる事実でもある。

ノンバイナリー代名詞は、時代へのクリエイティブな挑戦だ

英語圏以外のノンバイナリー代名詞

好奇心から、私は「他の言語圏ではどうなっているか?」と気になり少し調べてみた。主にヨーロッパでの事例だが、やはりそれぞれの言語でノンバイナリー代名詞が考案されているようだ。

・スペイン語… Él(男性)/Ella(女性)/ Elle(ノンバイナリー)
・ドイツ語… er(男性)/sie(女性)/ze(ノンバイナリー)
・スウェーデン語… han(男性)/hon(女性)/hen(ノンバイナリー)

英語のtheyと同様、これらのノンバイナリー代名詞をめぐっては文法的に正しくないとか、響きに違和感があるとか、ちらほらと批判が集まっているようだ。社会に定着するにはまだ時間がかかるのかもしれない。

でも、自分たちとってより適切と感じられる呼称を作り出すというのは、なんとクリエイティブなことだろう。今までの歴史の中でも、あらゆる時代の変化に対して新しい言葉が作られ、時には廃れて、その時代ごとに話し言葉・書き言葉が変わってきたのだろう。

ちなみに、日本での生活や日本語において、ノンバイナリーな呼称についてどのように考え、実践していけるかについては、NOISE記事『ノンバイナリーな代名詞「They」は日本語でなんという?』に分かりやすくまとめてあるので、是非読んでみて欲しい。

ジェンダーニュートラルな呼び方は、本人にも周りにもプラスになる

ここでは、ジェンダーニュートラルな呼び方について、自称する本人にも呼ぶ側の周囲の意識にもプラスになるということについて、少し考えたい。「she/he/they」などの代名詞を自分で選ぶことに関して、私が良いなと思うのは「自分自身をどう見なすか」ということに重きを置いているところだ。

これは、例えば「自分はヘテロセクシュアル」「自分はバイセクシュアルだ」などと表明するのとは違いがある。これらが性的指向で、自分と他者の関係性を表すものであるのに対して、「私はshe/he/they」と言うのは、自分の性別をどう捉えるかという、性自認を表すもので、視点が内側というか、自分だけにフォーカスされている。

そして、「they」という代名詞は、「she」にも「he」にもしっくりこなかった人が、どちらでもない自分自身に対して色々な説明を付け加えなくても、そのままそれをアイデンティティとして受け入れられる、今の自分をぱっとひと言で表せる選択肢としてもメリットがあると思う。

呼ばれる本人だけではない。「they」という代名詞は周りの意識にもポジティブな作用があるようだ。スウェーデンで行われたある実験では、ノンバイナリーなスウェーデン語の代名詞「hen」を使って絵の中の人物を説明してみることによって、実験の参加者たちがLGBTQの人々を身近に意識するようになり、ポジティブな感情の増幅が見られたという。

人間、たくさんの他の人間に囲まれ、言葉を交わしながら生きていく、社会的な生き物だ。言葉を選んで発していくことで社会を変える力も当然、大きいはずだ。

ノンバイナリー代名詞をただのトレンドにしないために

今回私が言語の歴史のことを調べたのは、私自身「he/she/they」などの代名詞で性自認を公に表明する最近の傾向や、「they」のノンバイナリー代名詞としての新しい用法に対して「ちょっとついて行けない、これってずっと続くのか?」という、戸惑いの気持ちがあったからだ。

でも、フタを開けてみれば想像を超えた歴史があったことに驚き、そしてちょっと感動した。何世紀も前から、「she」にも「he」にも当てはまらない人々をどの言葉で捉えようかと議論があったこと。そして、新しい言葉を考案しては、批判されたり却下されたりしつつも途絶えることのなかった、先人たちの絶え間ないトライ・アンド・エラーに。

ここ数年になって「they」がアメリカの辞書に加えられ、多くの人に使用されることになったのは、その過程に過ぎない。ベストな言葉が「they」だけである必要はないし、また時代とともに他の言葉に変わるのかもしれない。

SNSのプロフィールにおどる言葉じりを追いかけて、惑わされているだけでは、きっと時代に取り残されてしまうだろう。ラベルやステレオタイプの隙間を見つめていかなくては。(自戒の念を込めて。)

◆参考情報
Merriam-Webster’s Words of the Year 2019
Singular ‘They’ | Merriam-Webster
Where Gender-Neutral Pronouns Come From – The Atlantic
Tracing the history of gender-neutral pronouns | College of Liberal Arts & Sciences at Illinois
He, she, or … ? Gender-neutral pronouns reduce biases – study | Language | The Guardian
Trans+ » Queer Refugees Germany
Gender neutral language in Spanish – Nonbinary Wiki

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