セクシュアルマイノリティの存在は、少しずつ社会に認知されてきました。それと同時に、発達障害についてもまだまだ誤解はありますが、認知され始めてきています。しかし、発達障害でセクシュアルマイノリティである、といった人については未だ想定すらされていない、というのが事実です。その実態をお伝えします。
重複するマイノリティ
初めましての方もそうでない方もこんにちは。NOISEライターの雁屋優です。
私は、性自認を模索中のアセクシュアルでノンセクシュアルです。ですが、それ以外にも、マイノリティの属性を持っています。それが、アルビノ(先天性白皮症)と発達障害の一つASD(アスペルガー症候群)です。つまり、セクシュアルマイノリティであり、発達障害であり、ユニークフェイス/見た目問題当事者であるのです。
複数のマイノリティ
アルビノとASDについて解説します。アルビノは、遺伝疾患で色素が薄い、またはなく生まれてくるために、弱視を伴うことが多い疾患です。日焼けに弱いため、それに対する対策も必要です。症状には個人差があります。
色素が薄いため、髪の毛や眉毛、睫毛も色が薄くなり、その特徴的な見た目のために採用などで差別を受けたり、弱視のために就労できる職種が限られたりしています。見た目で差別されることもありますし、弱視で差別されることもあります。弱視でできないことがある以外にも、社会に様々な制限をかけられているのです。
次に、ASD(アスペルガー症候群)について説明します。とはいえ、こちらは一般的な説明ではなく、私の場合の説明になります。アルビノも症状に個人差がありますが、発達障害は個人差が激しいのです。
例えば、私は人気のないところで静かに、もしくは音楽を聴きながら、作業している方が作業が捗りますが、発達障害の人の中には人気があるほうがいいという人もいますし、ヘッドホンで雑音を排除しないと集中できないという人もいます。発達障害の人にはこうすればいい、とは一概に言えないのです。なので、個別の対応や配慮が必要ですし、発達障害を持っている側も自分の特性の理解を深める必要があります。
想定されていない私
複数のマイノリティの属性を持つことを、ダブルマイノリティと言うそうです。私はつい最近になってこのことを知りました。マイノリティの属性を持っていると、様々な支援の場に助けてもらうことが多いです。アルビノやセクシュアルマイノリティだと、セルフヘルプグループなどの集まり、発達障害はそれに加えて心療内科や精神科ですね。
同じくマイノリティの属性を持っているからこそ、共通の悩みなどもあり、理解しあえたり、有益な情報をもらえたりする場ですが、時々「あれっ?」と思うことがあります。それは重複するマイノリティは理解されにくい、ということです。
例えば、セクシュアルマイノリティについて話している場では、発達障害についての理解がないということがあります。そこの場にいる人達は、セクシュアルマイノリティについては知りたいと思っているし、知識を得るべく勉強もしているけれど、発達障害については興味もあまりなく、勉強もしていないということが起こりうるのです。
心療内科とLGBT
外出が困難になり、外出先での吐き気やめまいなどの症状に悩まされ、私は近隣の心療内科に駆けこみました。本当にギリギリのところだったと思います。
LGBTは想定されていない?
今でも、どうしてもっと早く病院へ行かなかったのだろう、と自分を責める夜があります。
しかし、そんなギリギリの状態で受診した心療内科も、私を完全に救ってくれたかと言えばそうではありませんでした。心療内科というところは、自分の不調について、特に精神的な面について事細かに話す必要があります。まとまった話ができていたとは思えない当時ですが、どうしても忘れられない主治医との会話があります。
「性欲はありますか」
この質問でした。私は生まれてから、現実の人間に性欲など抱いたことがありませんでした。その時には、アセクシュアルやノンセクシュアルというものを知っていたので、そういうものだと説明しました。しかし、返ってきた言葉は無理解なものでした。
「まだそういう人に出会っていないだけかもしれませんしね」
この言葉を聞いた瞬間、私はこの主治医に対して心を閉ざしました。そういう人に出会っていないんじゃない。そういうセクシュアリティなのだということが “ここ” では理解されない。そのことを痛感しました。
性欲があるかを聞くのは、心療内科としては普通だと思います。なぜなら、うつの症状の一つとして、性欲がなくなるというものがあるからです。しかし、そこで元々性欲がないというのを、「出会っていないだけ」とセクシュアリティを否定するような発言をするのは間違っています。
この主治医の発言から、私は「心療内科ではLGBTやセクシュアルマイノリティは、理解してもらえないんだ」と半ば諦めてしまいました。後に、セクシュアルマイノリティというものを理解してくれる主治医に出会えなければ、私の心療内科への信頼はなくなっていたに違いありません。
質問用紙と私
心療内科がセクシュアルマイノリティを想定していない、と思われる要素は他にもありました。それが、初診時に記入することになる質問用紙です。「最近疲れやすいですか」などの質問に混じって、「最近性欲はありますか」という質問がありました。この質問は明らかに、元々性欲があったけれど、最近になって心の調子を崩して性欲がなくなっている人を想定しています。そうではなくて、と思いました。私は元々、性欲がないのです。元々性欲がなくて、何かわからないけど体と心の調子を崩して、そして今も性欲がないのです。
質問用紙の想定とはだいぶ異なる状況でした。想定されている状況と私の状況は異なるのだろうなと思いながら、私は「性欲がない」に丸をつけました。
発達障害の本にも私はいない
抑うつ状態で心療内科に駆けこみ、ASD(アスペルガー症候群)の可能性を指摘された私は、検査を受け、ASD(アスペルガー症候群)の診断をもらいました。初診から半年経つのを待って、障害者手帳の申請もしました。その頃から、発達障害に関する本やサイトを読み始めました。
発達障害の本に感じる息苦しさ
最初の頃は自分よりひどい症状の人を見つけては、「自分はこの人よりまし」「私は〇〇もできるしまだ大丈夫」などと、比較対象を見つけては優越感に浸り、特性と向き合うことなど全然できていませんでした。それでいて、本人としては特性と向き合っているつもりになっていたのだから、愚かな話です。
それでも、特性ゆえの人間関係のうまくいかなさで休職、退職を経て、私は本気で特性と向き合うようになっていきました。自分自身の中にある発達障害への偏見は、障害者手帳を見せてバスに乗る度に少しずつですが、小さくなっていきました。しかし、自分の中の偏見が小さくなっても、なぜか発達障害の本を読むことがしんどかったのです。
何度も出てくる “彼氏” の字
その理由は、図書館で借りてきたある本を、何度も投げ出しそうになりながら読んだことでわかりました。ある本とは『アスピーガールの心と体を守る性のルール』(デビ・ブラウン著、村山光子 吉野智子訳、東洋館出版社)です。この本はアスピーガール、つまりASD(アスペルガー症候群)の女性達に、大事な性の知識やルールを教えてくれる本です。
著者自身もASD(アスペルガー症候群)の女性で、性や恋愛に疎いASD(アスペルガー症候群)の女性に対して非常にわかりやすく、丁寧に書いています。性について知らなければ身を守ることもできませんから、それ自体は大切なことだと思います。性について知らないことの多いASD(アスペルガー症候群)の女性には必要な知識で、必要な本です。そのこと自体は認めます。
ですが、この本には大きな問題があると私は考えています。この本に出てくるのは、「彼氏の定義」「男性とのお付き合いのしかた」など、異性愛を前提とした話だけです。付き合う相手もレイプしてくる相手も、皆男性の前提で書かれています。これはとても危険なことです。同性にレイプされることだってありえますし、同性と付き合うことだってありえます。この本ではそれが想定されていません。この本を真に受けてしまったら、同性に対して全く警戒心を抱かないということだってありえるのです。
それに、私のように、恋愛を「しない」という選択をする人もいます。そういう人に、いずれ彼氏ができるものというようなメッセージを送るのは酷です。その人達は既に世間の「異性愛であるべき」「性愛感情は誰もがもっているもの」というメッセージを受け続けて疲弊していることが多いからです。
恋愛をしないという選択をするまでに、どれほど疲弊したか他人には計り知れません。そんな状況で、自身の発達障害の特性に向き合おうとして、異性愛を当然としたり、性愛感情は皆がもつ、という文章に出会ったらどれほどつらいことでしょう。私はつらかったです。ここでも、私は想定すらされていないのか、と。
マイノリティが交錯したその先に
心療内科や発達障害の本は、少し極端な例だったかもしれません。しかし、あるマイノリティを理解する人が、別のマイノリティを理解するとは限らない、ということがよくわかっていただけたと思います。
あらゆるマイノリティを想定する努力をする
先ほど例に出した本については、出版年から少し時間が経っていることも、セクシュアルマイノリティが想定されていない原因として考えられます。特に、発達障害についての情報は現状錯綜していて、過渡期にあると言えます。数年前の知識は、今だと古いということも起こりえます。
でもそれが、複数のマイノリティ属性を持つ人を置き去りにしていい理由にはなりません。全てを網羅するというのは難しいですし、そうやっても数年後には古い価値観になっている可能性は否定できません。価値観は移り変わっていくものだからです。それでも、複数のマイノリティ属性を持つ人を想定する努力は、やめてはいけないものです。
重複する人の居場所
現状、マイノリティが重複する人、いわゆるダブルマイノリティの人々の居場所は少ないです。私のようなアルビノでASD(アスペルガー症候群)でセクシュアルマイノリティであるという人間は、どこへ行けばいいのでしょうか。私はその問いに対する答えを持っていません。こんな風に書いている私も、あるマイノリティに対して無知であるかもしれません。勿論、勉強は続けていきますが。
私は完璧な答えを出せません。しかし、私が発信することで、ダブルマイノリティの存在が伝わっていくことには意味があると考えています。