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Writer/Jitian

LGBTQ当事者にとって「諦める」こととは? Xジェンダー当事者出演NHK『虹クロ』から考える

2024年7月2日、NHKのEテレで放送された番組『虹クロ』に、Xジェンダー当事者の大学生が匿名で出演し、自分のセクシュアリティを他者に理解してもらうことについてゲストたちとトークしました。LGBTQや性の多様性に普段からアンテナを張っていない人たちにとって、Xジェンダーの概念は理解がなかなか難しいのではないか? と思いながら、私はXジェンダー(ノンバイナリー)当事者の一人として視聴しました。

Xジェンダー当事者として感じる「諦め」

タレントの投げかけた言葉に共感した一方で、10代に「諦め」を勧めることは酷ではないか? とも感じました。

Xジェンダーを理解してもらうことなどできるのか?

LGBTQ当事者だと自認する10代が匿名で出演し、オープンなLGBTQ当事者のタレント(メンター)たちとトークする、月1回放送のNHK Eテレ番組『虹クロ』。Xジェンダー当事者である大学生が出演した2024年7月2日放送分のテーマは「男性でも女性でもないことを理解してもらえないモヤモヤ どうする?」でした。

Xジェンダーは、大きなくくりで言えばトランスジェンダーの「傘」のなかに入ります。しかし「性別違和(性別不合/性同一性障害)」として世間への理解が浸透しつつある狭義のトランスジェンダーとは、また様相が異なります。

特に、私自身もそうですが、どのジェンダーアイデンティティにも帰属意識を感じない「無性」という感覚は、シスジェンダーの人々にとっては理解しづらいのではないか? と常々思っています。

Xジェンダーを理解してもらえないことに悩む当事者を前に、この答えのない問題に対してタレントたちがどのように語るのか? と、興味深く視聴しました。

タレントの語った「諦める」「観念する」とは

タレントの出した意見のなかで、印象に残った答えがありました。セクシュアリティを理解してもらうことを諦める、というものです。

生まれたときに割り当てられた性別は男性で、現在は「性別はない」と公言しているタレント・井手上獏さん。人間は、セクシュアリティにかかわらず、究極を言えば他人のことは分からないもの。井手上さんは他者から理解してもらうことを、いつからか諦めるようになったと言います。

これに対し、ゲイであることを公表している日本文学者のロバート・キャンベルさんは「観念する」ことを「そこからすごく自分が成長したり、(それまでの自分の考えを)超えたり、人を許す気持ちになったりする場合もある」として評価しています。

LGBTQ当事者の若者に「諦めろ」と言うことは酷?

井手上さんとキャンベルさんの発言を聞いて、性別違和を抱えながら30代を迎えた私としては、共感できるところもありました。

一方、今回の相談者は10代・・・・・・。10代に「諦めろ」と言うと悲観的にとらえられてしまうのでは? とも感じました。

実際、井手上さんの発言を聞いた相談者は「私は自分らしく生きたいし、・・・・・・もっと深い関係性になりたいと思うような子には、やっぱり自分の素を受け入れてほしいと思ったりもするので、(諦めるというのは)ちょっと難しい」と返答しています。私も、この大学生の気持ちは大切だし、否定できないと思います。

一方で、キャンベルさんの発言については「自分と違う人がいる」と分かってくれない人を自分も否定していると思う、と冷静に自分自身を顧みていました。

たしかに、自分のセクシュアリティを分かってもらいたい! と思うと同時に、どうしたらお互いが近づけられるのか? と歩み寄ることも必要ですよね。

LGBTQ当事者にとっての「観念」を考える

キャンベルさんは「積極的な諦め」という表現を使いました。

そもそも「諦める」「観念する」とは

「諦める」という意味を、今回はその語源から考察してみましょう。

「諦める」の語源は、仏教で使われている言葉「明(あき)らむ」である、という説があります。

この「明らむ」の意味は「事実を明らかに見る」こと、すなわち「現実を直視し、それをありのままに受け入れる」「物事の理(ことわり)をはっきりした上で、その理に合わないことを捨てる」という意味です。

一方、私の手持ちの国語辞典である『新明解国語辞典 第八版』(三省堂、2020年)で「諦める」を引くと「望んでいることが実現出来ないと判断して、それ以上努力することをやめる」とあります。「明らむ」よりも悲観的に感じられる説明だな、と感じました。

井手上さんやキャンベルさんが「明らむ」をどのほど念頭に置いて発言されていたかは分かりません。ですが、二人の言っていた「諦める」の真意は、「明らむ」に近いのではないか? と私は感じます。

制服に見る、LGBTQ当事者の「明らむ」

私自身、自分のセクシュアリティや仕事の関係で、数々のLGBTQ当事者とお会いしてきました。そのなかで出会ったトランスジェンダー男性たちが学生時代、制服に対してどのように折り合いをつけていたのかを聞くと、実に千差万別。お話を聞くたびに興味深いと感じます。

私自身も中学時代に実行しており、今まで聞いてきたなかでも最も多い対処法は、スカートの中に体操着の短パンや、ジャージをはくこと。私の通っていた公立中学校では、シスジェンダーと思われるほかの女子生徒もスカートの下に短パンをはくことは珍しくなかったので、悪目立ちしない対処法でした。

また、あるトランスジェンダー男性は、セーラー服着用は避けられなかったので、セーラー服を着ながらも、いかにカッコよくいられるか? と考えていたそう。実際には、袖をまくって、運動で鍛えたたくましい腕を見せるなどしていたとのこと。

女子用の制服を着用しなければならないという現実を受け入れつつも、できる範囲で対応策を考える、柔軟な姿勢。これらがまさに「明らむ」を体現している例なのではないでしょうか。

執着の行く先は、自己中

井手上さんは、「諦める」ことについて、次のようにも発言していました。

“例えば、自分は女子力が高いと思っていないけど、(友達に)「女子力が高い」と言われてしまった。それが嫌で「いや、そうじゃない」と(相手に)反抗するかしないかでいうと、反抗しないことによって諦めることになるじゃないですか。(中略)私、そういう経験(反抗しないこと)は大事だと思うんですよ。・・・・・・いざ自分が自分らしく生きてやろうと思ったときに、自由が行き過ぎて自己中になったりするんですよ。”

この発言を聞いて、前回である2024年6月4日放送の『虹クロ』の内容を思い出しました。

このときの相談者だったトランスジェンダー男性の高校生は、一部の先生にカミングアウトして個別対応をしてもらっています。一方で、カミングアウトしていない先生から個別対応についてとがめられたら、どう対応すべきか? とモヤモヤする思いも抱えていました。

もし、こういったトランスジェンダー当事者が「周囲は私のセクシュアリティを理解することや、私が個別対応を受けることは当たり前!」と思い込むようになったら、それが「自己中」なのかな、と思ったのです。他者が自分に対してどう思うか? という視点が欠けているからです。

トランスジェンダー当事者が学校からの特別対応に感じるモヤモヤについては、以前のNOISE記事「止まないトランスヘイト。性の多様性への理解が広まるなかで」でも書いています。

LGBTQ当事者の「自分らしさ」と「諦め」のバランス

悲観的にならずに、でも過度に期待もしない、「諦め」のよいバランスを取りたいです。

私自身も諦めていた、Xジェンダーを理解してもらいたい気持ち

今回の番組テーマは「男性でも女性でもないことを理解してもらえないモヤモヤ どうする?」でした。

この記事を執筆するにあたって、私自身がこのテーマを知って「マジョリティにXジェンダーを理解してもらうことなど無理なのでは?」と感じたことこそ、まさに「諦め」であった、と気づかされました。

ただ、私の気持ちはあくまで悲観的ではないつもりです。

シスジェンダーを含めて、何かしらのジェンダーカテゴリに帰属意識を持っている人が圧倒的多数であることが現実。しかし、私のように何にも帰属意識のない人が、少ないけれども存在する。

そういう人を表す「Xジェンダー」や「ノンバイナリー」という概念も、少しずつだがメディアで報道されるようになってきている。現時点では、概念が存在するだけで十分では? というのが私の率直な気持ちなのです。

大人の「諦め」と、10代の「諦め」

大人である私は、Xジェンダーに対する社会の理解に対して “積極的に” 諦めることができてきます。しかし、ほかのXジェンダー当事者、特に10代・20代の若者については、私と同じように諦めるべきだ、とは思いません。

私は現在フリーランスとして生計を立てていて、主に自宅で机に向かって一人で仕事をしています。NOISEの記事を書くときのように、性の多様性について自らの意思で考えるとき以外、仕事上で、セクシュアリティに関してモヤモすることは、ほぼありません。

一方、学生は他者とのかかわりが密な時期で、安心して過ごせる時間のほうが少ないかもしれません。また、性別をもとに区別を受ける機会に何かと直面します。先ほど挙げた制服以外にも、トイレ、更衣室、保健体育などの授業、部活、行事・・・・・・数えればキリがありません。

日常のあらゆる場面で傷ついている学生に対して「諦めて、現実を受け入れなさい」と言うのはあまりに冷酷だ、と私は感じます。少なくとも、学生時代の私がそのように言われたら「アンタには私の気持ちなんて分からないだろうね」と心をシャットアウトするでしょう。

自分の環境を選択できる大人と、まだ心身が成長段階で、主体的に環境を選ぶことが難しい子どもは、やはり受ける影響も違うはず。「諦めることが大事だ」と自分自身には言い聞かせながらも、子どもの気持ちには寄り添える大人でありたいものです。

 

■参考情報
男性でも女性でもないことを理解してもらえないモヤモヤ どうする?(NHK)
「諦める」の語源は「明らむ=明らかにする」。仏教では「諦める」ことで前に進む。(幻冬舎plus)
こころの散歩:諦めるは明らめる(せせらぎ)

 

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