今回はケイシー・マクイストンのレズビアンSF『明日のあなたも愛してる』(林啓恵訳 二見文庫)をご紹介します! レズビアンでSFもの? 想像もつかない・・・・・・というあなたに、ぜひ『明日のあなたも愛してる』の世界を知って欲しいです。
『明日のあなたも愛してる』を読む前に・・・
ハッピーエンド絶対保証。小説『明日のあなたも愛してる』を紹介する前に、ちょっと予備知識をいれておきましょう。
本題に入る前に
女の子、特にセクシュアルマイノリティの女の子が、不幸になる小説が多すぎる! と、私は思うのです。映画も小説もマンガも、女の子と女の子の恋の模様を「禁断」と言ったり、レズビアンの恋物語を「普遍的な恋愛」と言い換えたり。
そんな現状にウンザリしているあなたにオススメをさせてください。純度の高いレズビアン恋愛小説『明日のあなたも愛してる』です。
しかもSFのギミックを駆使したラブコメディで、本編は文庫650ページを超える超大作。いったいどんなことが起こるのでしょうか。
『明日のあなたも愛してる』の作家、ケイシー・マクイストン
『明日のあなたも愛してる』の原題『ONE LAST STOP』は、ニューヨーク在住のケイシー・マクイストンという著者が書きました。マクイストンはノンバイナリーであることも公表しています。
ケイシー・マクイストンの名前を、「レズビアン小説」とは違うジャンルで聞いたことがあるかもしれません。
マクイストン第1作目の『赤と白とロイヤルブルー』は、アメリカ大統領の息子と英国の王子が恋に落ちたら・・・・・・という切ないロイヤル・ロマンスを描いた斬新な設定で、「2019年 goodreads ベスト・ロマンス賞第1位」を獲得。日本でも翻訳され、映画化が決定しています。
『赤と白とロイヤルブルー』はBLでしたが、第2作目の『明日のあなたも愛してる』ではこれでもか! と明るいレズビアンSFを書いています。
『明日のあなたも愛してる』はUSAトゥデイ紙2021年ベスト・ラブコメ選出や2021年のティーン・ヴォーグ誌の年刊ベスト本11作に入作しました。〈ニューヨークタイムズ〉ブックレビューや〈タイム〉紙も、ストリーテーリングやSFとクィアを合わせた作品として絶賛。
『赤と白とロイヤルブルー』の人気を超える勢いで、アメリカで読まれています。
やはり明るいレズビアンの物語は、アメリカでも日本でも必要とされているんですね。
『明日のあなたも愛してる』は、ゲイを墓から掘り起こす物語
ケイシー・マクイストンは、『明日のあなたも愛してる』の謝辞でこんなことを書いています。
わたしがこの物語を気に入っているのは、どんなにその見込みが薄かろうと、この世界にお前の居場所はないと言われようと、家族と自分自身を見つけようとする者たちの物語だからです。さらには、フィクションの世界で死ぬ役をあてがわれがちなゲイを墓から掘り返す物語だからです。
――『明日のあなたも愛してる』p.668~669
私はマクイストンのこの文章を読んで、ハッピーエンドを保証するとも取れそうな、とても厚い信頼を寄せることができました。また『明日のあなたも愛してる』という作品が、セクシュアルマイノリティが不幸にも命を落とすことはない、と伝えているように思うのです。
放浪癖がある主人公とブッチが地下鉄で出会うとき
『明日のあなたも愛してる』の内容に入っていきましょう!
主人公、オーガスト・ランドリー
『明日のあなたも愛してる』の主人公、オーガスト・ランドリーは、ニューヨークに引っ越してきたばかり。オーガストは食堂で、ルームメイト募集のあるチラシを目にします。そこには現代のニューヨーク的なただし書き「クィアとトランスに偏見がなく、火と犬を怖がらない人」とありました。
オーガストはニューヨークに来る前、ニューオリンズ郊外に住んでいました。なんとなく、自分の居場所じゃないなあ、という感覚にオーガストは陥りやすく、居住地や大学を転々としてすごしていました。
一癖も二癖もあるルームメイト候補ともなんとか仲良くなりました。オーガストの新しいルームメイトの歓迎会は〈パンケーキ・ビリーのパンケーキ店〉で開かれました。そのとき、〈パンケーキ・ビリー〉でアルバイトを募集中ということをオーガストは偶然に知り、その店で職も得たのです。
ニューヨークでの新しい生活で、不安と期待がない交ぜになったオーガスト。彼女の「冒険」は、多民族多様性であるニューヨークと同じ様に、さまざまな色を発しながら始まるのです。
オーガストは、パンケーキ・ビリーでアルバイトを始めて1週間目のある朝、目覚ましのコーヒーを持ちながら、歩いていました。
乗り慣れない地下鉄の路線のことばかり考えていると、凍結した舗道で転んでしまいます。
タイツの膝は破れ、オーガストのバックパックの中身が舗道にばら撒かれ、手に持ったコーヒーの中身は胸に・・・・・・。しかも放り出されたスマホは、通行人によって側溝に蹴り入れられる始末。
大学に向かっているところでしたが、さすがに講義をさぼって、家に戻ろうと逡巡します。しかしオーガストは気丈なところがあり、そのまま地下鉄に乗り込みます。
そこでブッチ(男性的なレズビアン)と出会うのです。
謎のブッチ、または地下鉄の天使
膝を擦りむき、胸元にはコーヒーのシミ。泣きそうになって席に座っているオーガストは、目の前にある長い脚と疲れたジーンズに目を奪われます。初めは男性だと思いましたが、ブッチの女性でした。
ブッチ――なかなか日本では聞き慣れない単語ですね。Butchと綴ります。
『明日のあなたも愛してる』の作中に、「男性的なレズビアン」と注釈が添えられています。
スカートよりパンツ、ロングヘアよりショートカット。ふわふわした服装よりも、ごつめな感じをイメージしてください。
さて、実際にオーガスタが出会ったブッチはどんな雰囲気だったのでしょうか?
ショートカットの黒髪をうしろに流し、黒いライダーズジャケットを着ています。ハイトップの赤いコンバースを履いていて、とってもカッコいいのです。
そんなブッチが、コーヒーで胸元が汚れているオーガストにスカーフを差し出します。しかし、ちょっと我の強いオーガストはなかなか受け取れません。
「ほら」地下鉄の天使は言う。「持ってって。このままだと隣の席に置かれて、地下鉄の生態系のなかに吸収されちゃうよ」。
彼女の瞳が明るく、茶目っ気とぬくもりがあって、深い深いぬくもりのある茶色をしているので、彼女から言われたら、四の五の言わずに従いたくなる。
――『明日のあなたも愛してる』p.37
恋ってこうやって落ちるのだ・・・・・・と実感せざるをえない描写ですよね。凍った舗道で転び、ボロボロになっていたオーガストは、スカーフを差し出してくれた優しい地下鉄の天使に心を奪われそうになります。
しかし、地下鉄がトンネルに入って、蛍光灯が明滅した、ほんの1,2秒後。胸元のコーヒーのシミを気遣ってくれた地下鉄の天使・ブッチはいなくなってしまったのです。
地下鉄のレズビアン・ゴースト?
地下鉄のレズビアンの正体に迫る!
彼女の名前はジェーン・スー
オーガストにとって、地下鉄Q系統は大学に行くための使い慣れつつある路線。そして居合わせるブッチを、オーガストは「サブウェイガール」呼びます。サブウェイガールは、オーガストのことを「コーヒーガール」と呼び、互いは親しく言葉を交わすようになります。
ふたりが急接近したのは、パンケーキ・ビリーで「サブウェイガール」、ジェーン・スーがバイトをしていたと知ってからのことでした。
パンケーキ・ビリーで出てくるスー・スペシャルという料理。実は「サブウェイガール」ことジェーン・スーが考案したのです。ジェーンは昔パンケーキ・ビリーで働いてきたことがあったらしく、ふたりは共通の職場の話題で盛り上がります。
オーガストはお店に遊びに来て、とジェーンを誘いますが、来ません。ジェーンをバーに誘っても、オーガストと一緒に地下鉄から降りようとしません。オーガストがジェーンと会えるのは地下鉄Q系統だけです。
オーガストは自分に気がないのだと落ち込みます。
ジェーンは幽霊? それとも・・・?
パンケーキ・ビリーは1976年創業。お店の壁には何百枚もの写真が貼ってあり、その中には有名俳優やセレブリティがお店に訪れた記念の写真も飾られています。
ある日、「パンケーキ・ビリーのパンケーキ店のグランドオープニング」とメモ書きされている、1976年6月7日の写真をオーガストは見つけます。
そこにはジェーン・スーが写っていました。いまとほとんど変わらない見た目に、巻き上げた袖の下には錨のタトゥー。そして中国の文字が並んでいます。
ときは2010年代を過ぎています。ジェーンは、なぜ1976年からほとんど変わらない姿でいるのでしょうか? ジェーンは幽霊なのか? オーガストはジェーンの本当の姿を探します。
LGBTの歴史と共にあったジェーン
ジェーンの本当の姿を探すことは、読者の皆さんにお任せして、ネタバレを控えつつ、ラストはどうなるの? という問いにお答えします。大丈夫です。安心して読んでください。レズビアンSF小説でハッピーエンドを保証します。
『明日のあなたも愛してる』では、ジェーンが過ごした1970年代のアメリカ、LGBTの歴史も丁寧に記載されています。当時、LGBT当事者がどんなに差別的な扱いを受けてきたか・・・・・・。そのような時代でも、幸せを探そうとしたジェーンをはじめとするLGBTの人々。
LGBTの歴史、ときには死者が出るほどの大きな事件や出来事の重みも知ることができる、素晴らしい小説です。ぜひみなさんもお手にとってみてはいかがでしょうか。
『明日のあなたも愛してる』を彩る楽曲たち
『明日のあなたも愛してる』の中で、音楽は重要な役割を果たしています。
地下鉄がパーティ会場に!
『明日のあなたも愛してる』を日本語訳された林啓恵さんは、訳者あとがきにて「音楽に興味がある方はSpotifyを起動してください。登場人物ごとのプレイリストを挙げてくださっている方がいます」(p.678)と、書いています。
音楽が聞こえてきそうな場面は例えば―― 前半に書かれている、ジェーンがRun-D.M.C(80年代の初期から活動していたニューヨーク出身のヒップホップ・グループ)の『イッツ・トリッキー』をカセットプレイヤーにセットして、ヘッドホンを抜くと地下鉄線内がパーティ会場になります。
その場で他の乗客とマッシュアップをしながら、ジェーンとオーガストは踊るのです。その場面のなんてロマンティックなこと! ぜひ読んで確かめてください。
音楽は想いを伝える
『明日のあなたも愛してる』は言葉だけではなく、音楽もまた想いを伝えると教えてくれます。オーガストは1台のラジオをジェーンに渡します。ジェーンは音楽が大好きなので、ラジオのDJにリクエストをします。音楽はジェーン、ジェーンのキャラクターや物語の進行に、大事な役割を果たします。
そして作品終盤、ラジオへのリクエスト曲はオーガストとジェーンのあいだで綴られたラブレターのようになっていきます。この時代の想いを伝える方法は、LINEのメッセージではなく、ラジオのリクエスト。
この手間暇が情熱的だなと思います。小説は普段読まないけれど、音楽については任せて! というレズビアンのみんなにもぜひ読んでみて欲しい、『明日のあなたも愛してる』です。
■ 今回ご紹介した本
『明日のあなたも愛してる』
ケイシー・マクイストン著 林啓恵訳
二見書房