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Writer/Moe

LGBTQ当事者でなくても、私が自己の性表現を見直すのが大事だと思う理由

海外で生活をしたときに、初めて性の多様性を身近に感じるようになった私。自分らしさや性表現を追求し、自由に主張するLGBTQの人々と出会ううちに、自分のセクシュアリティについて見直すようになった。そこには、LGBTQである・ないに関わらず、人生の楽しみ方の大切なヒントがあった。

海外で感じた、多様な性表現

性表現=見た目や言動などで表現する自分のセクシュアリティ。海外暮らしをきっかけに色々な人達に出会い、この性表現も多様なものがあるということをはじめて知った。

はじめてクィアな人に出会う

5年前、私は英国北部のスコットランドに留学していた。ある夜、住んでいた街のカフェで演奏会のようなものがあると聞いて出かけていった。そこで私は、バイオリン弾きの「ジャック」という人に出会う。

キラキラと光る茶色い瞳、短く刈り込まれた髪。白い厚手の大きなニットセーターに、黒いピッタリとしたジーンズ。全体的なシルエットは、ふくよかな印象。声のトーンは高く、女性にも聞こえるが、アイコンタクトや話し方からして、なんとなく女性と呼ぶのも違うように思えた。

ジャックと会話したのは5分足らずで、どんな人かを判断するには短かったが、とても活き活きして魅力的な人だったので印象に残っている。「この人、女性かな、男性かな?」と、今までの自分の性別の常識では切り分けられないような人物、言わばクィアな人にはじめて出会った経験だった。

自由の街で、性表現について知る

女性・男性というカテゴリーにとらわれない人々にさらに日常的に出会い、多様なセクシュアリティを感じるようになったのは、昨年まで住んでいたベルリンだった。ベルリンはみんながアグレッシブなまでに自由を追求する街だ。

アーティストやDJが世界中から集い、音楽パーティが盛んなこの街では、個性あふれる髪型や服装で人々が街を闊歩している。周りの注目を集めたいというより、好きな恰好・振る舞いで自分を表現することが大切にされているようだった。

ベルリンは1979年から歴史を持つ、ヨーロッパ最大級のLGBTQパレード「ベルリン・プライド」でも知られる街。ゲイの人や、同性カップル、元女の子だった男の子、など知り合いができ、映画やドラマの中だけだったLGBTQへのイメージは崩れた。

当たり前だけど、みんな多様なスタイル、しゃべり方、趣味や主義を持ち、好きなタイプも違えばデートの仕方、リレーションシップの持ち方も違うのだと知った。そして、ベルリンの人々はそれを存分に表現していた。性表現もそれ以外も、この人はこれが好きなんだ、とすぐに分かるほどに。

「あなたはShe/He/They?」。三人称も性表現

性表現は服装やボディ・イメージなど外見的なことに関してだけではなく、自分自身をどのような名前や代名詞で呼ぶかということも含んでいるということも知る。

ある日、ベルリンでライター同士のミートアップに参加した時のこと。ファシリテーターが、参加者が自己紹介をする際に「良かったら、自分のPronoun(she/he/その他)についても教えて」と言った。

英語でPronoun(代名詞)を指定することは、自分自身をどの性別で認識しているか、周りにどう認識させたいかを示すことになる。参加者たちは、それぞれ自分の名前を言った後に、「私はShe/her(女性)」、「私はHe/him(男性)」とか、「言葉にしたくない」、とか、それぞれの答え方をしていた。私の番になって、「She/her」であると自己紹介した。

自分がこんな風に口に出して表現したのははじめてで、なんだか妙な感じがした。この妙な感覚は、大事な気づきをもたらしてくれた。

LGBTQの存在を知って、自分自身を振り返る

性自認を口に出してみて

性自認(自分の性をどうみなすか)について、「She/her」と初めて口に出した時の変な感じの理由は、自分が敢えて口に出す必要があるとは、考えても見なかったというものだ。よく考えればこれは、生まれついた身体の性別と性自認に齟齬が無い、シスジェンダーの人間の思い込みだ。

ベルリンのような場所に住んで、人々が多種多様に存在することを知っていたのに、その多様な世界の中に自分もいるという感覚が薄かったようで自分でも少し驚いた。シスジェンダーが当たり前ではないこの世界、LGBTQの人だけに「あなたは何なのか言って」と要求するのは、フェアじゃないよな。そう気づくきっかけになった。

LGBTQだけじゃない。微かに変化する性自認

もう一つ、自分が「She/her」だと言った時、100%しっくりこない、という気持ちもあった。英語が母国語ではないという理由もあるかもしれないけれど、LGBTQではない私も「私は、生まれついた身体が女だからこの性を生きているけど、絶対的に自分が女(She)とは思っていないな」という感覚に気づいたのだ。

というのも、年齢や環境によって私の身体は変わり、身体への感じ方が変わり、住んでいる場所や職場、関わっているコミュニティによって装いや振る舞いも変わった。以前のNOISE記事『性的マイノリティでは無い私が、ノンバイナリーの主人公を描いた海外ドラマ「Feel Good」に強く共感する理由』で、自分を女性とみなすか、男性をみなすかは、人生の中で移り変わることがあるということについて触れた。

性自認のグラデーションの中に自分を位置づけると、ある時期はとても女性(フェミニン)寄りだったが、その位置は常に一定では無かった。現在はもう少し男性と女性の中間寄り、ニュートラルな位置になっていると感じる。その感覚の変化は、周りの人との接し方やパートナーシップの考え方にも影響してきている。

LGBTQであるかそうでないかに関わらず、性自認や性表現について考えることは、自分についての理解を深めるきっかけになると思った。

性表現は世界に積極的に関わる方法

セクシュアリティは人との関わりを作る大きな要素

セクシュアリティは人の根源的な一面であり、センシティブな部分でもある。セクシュアリティを表現するということは、その大切な部分を、自分の関心のある人々にどう表明し、どう受け止めて欲しいかを積極的に形作っていくことでもある。そんな性表現について考えてみることは、LGBTQであってもなくても、損は無いと思うのだ。

自分が思いもよらなかったような印象を、人に持たれている時ってあるものだ。特に、相手が性的対象となりうる人で、その印象がセクシュアリティに関わる場合は、それが余計気になるのではないだろうか。自分にとって嬉しい印象を持たれていた場合は良いけれど、時には相手のひと言に、ネガティブな気分になる時もある。

ある日、私は異性に1対1の酒の席で「Innocent(イノセント)だね」と言われてとても引っかかったことがあった。彼は親しみを込めたつもりだったようだが、イノセント、つまり英語で「うぶな、世間知らずの」と言った意味の言葉を自分に当てられたことに、私はそこはかとない不快感を覚えたのだ。会話内容にも、そんな要素は無かったのに、同年代の人間に、「うぶな」なんて言葉をかけるだろうか?

少なくとも私は自分に対してそんな印象を持っていなかったし、そこに「女性は男性より弱いもの」というステレオタイプを勝手に感じ取ってしまい、気分が悪くなった。

性表現の印象も受け身じゃなくていい、と気づいた

「イノセント発言」にはしばらくモヤモヤしていたが、ある時私は思いのままに自分を表現する、ベルリンのLGBTQの人達を思い出した。「自分はこうなんだ!」と思える服装なり、振る舞いなりをして、自分が欲しくない批判を受ければ「それは私じゃない!」と反発するような人々を。

これは、LGBTQでなくとも大切なことだと気づいた。むしろ、今までマジョリティとされてきたシスジェンダー、異性愛者の間でも「女性/男性はこういう格好で、こういうものでしょ」という勝手な決めつけが沢山隠れていて、それをもっと言葉にして表現したり、嫌だと思ったら反論したりする必要があるのかもしれない。

この世に生まれて来たからには、自分の思う通りの自分で世界に存在していたいじゃないか。そのために性表現を通じて、積極的に「私はこういう人間で、こういう風には思われたくない」と、周りに示していくのは決して悪くないと思う。

自分のセクシュアリティを見直してみて、良かった

ここまで述べたのは、たまたま海外に行ったことをきっかけに性の多様性を実感した私が、出会った先で学んだ個人的で主観的な体験であり、決して海外は良くて、日本は遅れているという批判ではない。

LGBTQの人々の中でも、大多数に向けた性表現をすることを好まない人もいるかもしれないし、他人が自分にどんな印象を持とうが関心が無い、と思う人もいるだろう(イノセント、と言われて嬉しい人もいるのかも)。

とにもかくにも、私はLGBTQの人々の性表現への姿勢を見て、自分のセクシュアリティについて見直してみて良かったと思ったことは、他の人にも知って欲しい。自分の好き嫌いや、他人に言われたりされたくないこと、自分のなかで譲れないものなど、自分という人間について知り、もっと表現ができるようになるきっかけにもなったからだ。

私は、日本では性表現の多様さや、自由な性表現をする人々をまだ身近に感じていない。LGBTERとNOISEの記事を通して、こんなに色々な人達がいて、困難を乗り越えたり、人生を楽しんだりしているのだと知った。きっと、これからもっとそんな人々に出会うかもしれない。

これからも、セクシュアリティに関わらず、なるべく色んな素敵な人達と、ラベルや偏見を取り払って人間同士の付き合いをできたらいいな、と思っている。その方が人生はきっと楽しい。

 

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