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Writer/Moe

性的マイノリティでは無い私が、ノンバイナリーの主人公を描いた海外ドラマ『Feel Good』に強く共感する理由

私は画面にクギ付けになった。ステージにさっそうと立ち、いたずら好きの妖精みたいな笑顔でジョークを飛ばし観客をわかせる、「彼」とも「彼女」ともつかない魅力をもつ人物に。大きな青い目がカメラ目線になり、射抜くように画面越しの私を、いや、正確には劇中の恋の相手を見た——。

ノンバイナリーの主人公の恋愛と人生を描くテレビドラマ『Feel Good』

イギリスのテレビドラマシリーズ『Feel Good』は、コメディアンである主人公メイが、ノンバイナリーとしての生き方やさまざまな苦悩を抱えつつ奮闘するラブコメディだ。キャストの魅力に加え、「自分らしく生きること」の大切さを描くストーリーが共感を呼び世界中で人気を集めた。

人気コメディアン、メイ・マーティンの半自伝的ドラマ『Feel Good』

主演のメイ・マーティンは、イギリスを拠点に活動している、カナダ出身のコメディアンだ。自らの性別を特定せず、ノンバイナリーであると公言している。マーティンは、2020年3月にイギリスのテレビ局「Channel 4」にて放送開始された同テレビドラマシリーズで共同脚本を務め、自らの人生を振り返る半自伝的な内容をつづった。

ノンバイナリーの主人公メイの恋愛を軸に、セクシュアリティの悩み、薬物依存、心の病などのテーマを赤裸々かつ真摯に取り上げつつ、あくまでもコメディタッチに描くドラマ『Feel Good』は反響を呼び、全2シーズン12話のエピソードは同年Netflixで世界中に配信された。そして、マーティンは翌年の英国アカデミー賞のコメディ主演俳優部門にノミネートされるなど、時の人となった。

ノンバイナリーという生き方

「私は男の子ではない。女の子ですらない。両方の失敗版みたいな感じ」

このセリフは、どちらの性別にも属さないメイが、ストレートの女性ジョージと恋に落ち、相手好みの男性に近付こうと苦悩するなか語ったもの。既存の分類に属さないことで生まれる不安を抱えながらも、自分は自分であろうとする姿に心を打たれ、思わず応援したくなる。

海外のLGBTQメディアの記事を読んでいたら、「自分は男の子でも女の子でも無い。メイ・マーティンがそれでいいんだと分からせてくれた」という感想を見つけた。ノンバイナリーの若者の書いたものだった。

さらには「私はメイ・マーティンです」というフレーズが、ノンバイナリーであることを説明する代名詞のように使われる、なんていう記事もあった。『Feel Good』は、メイという人物を丁寧に、魅力的に描くことで、ノンバイナリーという生き方を鮮烈に社会に印象付けたようだ。

性別を越えたテーマが共感を呼んだ

このドラマのメインストーリーとして描かれるのは、ジェンダーやセクシュアリティを問わず共感できる、恋愛の悩みだ。

パートナーの望む人物像を勝手に想定し、それに近付こうとあがくこと。
今のままの自分では、十分に魅力的じゃない気がして落ち込むこと。
相手の反応が自分の期待と違って、怒ったり不安になったりすること・・・・・・。

それは、育ってきた環境の異なる人間同士が向き合い、ありのままを受け入れようとする、シンプルな愛のテーマだ。だからこそドラマ『Feel Good』は、多くの人々の心を掴んだのだろう。

セクシュアリティは移り変わる、という考え方

私は、メイ・マーティンという人物についてもっと知りたくなった。スピーチやインタビューを観あさる中で、印象的だったのは「自分のセクシュアリティは移り変わってきた」と語っていたことだ。これはどういうことなんだろう。

メイ・マーティンが語る、移り変わるセクシュアリティ

マーティンは、ティーンの頃から自分を女性とみなすか、男性とみなすか、その時々で変わってきたという。マーティンはこの移り変わりを「スペクトラム」という興味深い言葉を使って説明している。

スペクトラムとは、切れ目なく連続して続いている、いわば色のグラデーションのような状態のこと。グラデーションの両端はかなり違う色だけれど、その間に境界線はなく、色がかすかに変化しながら連続している。

「セクシュアリティも、一種のスペクトラムだと思う」

このコメントを、性自認や性表現は移ろい変わっていくもの、と私は解釈した。言われてみれば、自分の性別をどのように思うのか、そこに明確な線引きなど存在しないのかもしれない。

人間の営みという大きな分布図の中で、個々人は思い思いの位置に散らばっている。生きていく中で自分に対する考えが変わるなんてこと、誰にでも覚えがあるはすだ。それが性自認の話に及んだところで、多様化のこの世界、誰にジャッジできるというのだろうか。

いつかはセクシュアリティラベルが無くなればいい

最近のインタビューで、マーティンはこんな風に語っていた。「私は、ただ私だと感じる。ノンバイナリーであるとさえ感じない。私はただ朝起きて、コーヒーを飲み、仕事へ行く」。マーティンにとって、セクシュアリティはアイデンティティの小さな一部分に過ぎないのだ。ノンバイナリーだってひとつのラベルであるとし、セクシュアリティを特定するあらゆるラベルが、いつかは必要無くなればいいと語る。

私は、マーティンがこういった発言をするに至った背景に思いをはせる。「あなたは男、女どっちなの?」という問いや、変わり者を見るような視線を、マーティンは若いころから、うんざりするほど受けてきたのではないだろうか。自分の恋愛経験さえジョークの題材にするマーティンだが、時には観客からからかわれたり、ひどいことを叫ばれたりしたこともあるという。

自分の本質を見てもらう前に、特定のラベルによって判断されるのは、きっと本人は悔しいし、なにより残念なことだと思う。

それでもセクシュアリティラベルが必要な時も

「ラベルなんて最終的に必要ない」というコメントは、メイ・マーティンが15年以上前に同性婚が法制化されたカナダの出身だからこそ、とも私は思う。

日本は、今年11月から東京都でパートナーシップ制度が導入されることが決定したものの、法律では同性婚が認められていない。この国ではまだまだ「LGBTQ」「クィア」あるいは「ノンバイナリー」など、色とりどりのラベルを使って、多様なセクシュアリティについてもっと認識を高め議論されるべきだと私は考える。

そうでなければ、人はみんなが自分と同じような価値観に違いないと決めつけて、それ以外のものにフタをしてしまいがちだから。

性的マイノリティでない私が、なぜノンバイナリーに共感するのか

私は生まれつきの体の性と自己認識の相違がない、いわゆる「シスジェンダー」の女性で、性的マイノリティの立場にはいない。それでも、性別による決めつけに疑問を持ってきたから、ノンバイナリーの人の話に共感する。

誰だって、押し付けられるのは嫌なはず

私は自分が女性である、ということを普段強く意識しない。しかし、社会の中で「女性」と分類され、自分のものではない特定の役割や振る舞いを期待されていると感じたことは、何度かある。

それは、制服でスカートしか着られないことへの反発心に始まり、社会人になってお茶出しをさせられたり、服装について思わぬ批判を受けてイヤな気持ちになったりと、ささいなものだ。しかし、それは日々避けて通れない、周りからの視線との小さな闘いでもある。

多様性がうたわれる現在でも、女性・男性の分類ごとに「こんな風にふるまうべき、装うべき」という無言の社会の圧力はあると思う。「人は見かけによらない」とはよくいうが、やっぱり人は見た目で判断する。

それはきっと、見た目というものが多くの人にとって、最初に入ってくる有用な情報だから。私は、見た目で判断され傷ついた時のことを思い出す。そして、それでも反論せず周りに合わせて振る舞った、情けない自分のことも思い出す。

性的マイノリティの人が経験しうる苦悩からすれば、取るに足らないことかもしれない。それでも、自分では無いものを自分であるかのように押し付けられた感覚は、自分のセクシュアリティと社会から受ける扱いにギャップを感じる人々の立場を想像するのに、役立つと思っている。

自分が感じたことから、想像力を広げてみる

私を含め、いわゆる普通のシスジェンダー、ヘテロセクシュアルの人々は、性的マイノリティの議論で自分たちが意見を言えることはあまり無いのでは、としり込みしがちだ。でも、まずは自分の経験や感じたことに引き合わせ、想像力を広げてみるのがいいのかもしれない。

それに、生きていく中で、自分のセクシュアリティだって変わらないとは言い切れない。ごくまれだが、ものすごく惹かれる人物がどうやら同性だった、という経験が私もある。セクシュアリティが境界無く移ろうものだという考え方にのっとれば、この先の人生、自分がパートナーに選ぶ人が同性であったり、トランスジェンダーやバイセクシュアルであったりする可能性もある。だとしたら、LGBTQやノンバイナリーの話は自分ごとになる。

愛する人と暮らしていくために、何か社会から制限をかけられていたらどうするか、と考えたら、性的マイノリティへ想像力を広げることは難しいことではない。

誰もが「私は、ただ私だ」と言える社会へ

改めて、私がドラマ『Feel Good』のメイ・マーティンという人物になぜこんなにも興味を惹かれたかを考える。それは、メイが全力で自分らしく生きようとしているからだと思う。どんなに不安に駆られても、どんなに孤独を感じても。

自分らしさのためにプライドを貫く人は、カッコよくて、美しい。セクシュアリティやジェンダーに関わらず徹底的に自分らしく、オリジナルであることは簡単なことではない。それは、さまざまなラベルや先入観や批判が渦巻く社会の中に生きていて、きっと誰もが感じること。

そんな中、自分らしく生きることに妥協せず、困難に立ち向かう人々に、私は尊敬と称賛の熱い視線を向けずにはいられない。

『Feel Good』
制作総指揮/監督 アライ・パンキウ(シーズン1)、ルーク・スネリン(シーズン2)
脚本 メイ・マーティン、ジョー・ハンプトン

 

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