INTERVIEW
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親なら誰でも子どものアライ。もっとカジュアルに考えていい【前編】

知らない世界に飛び込むのが上手な人。宮原由紀さんの話を聞きながら、そんな言葉が浮かんだ。インド、ブライダル、伝統芸能。全く興味がなかった世界に勢い良く飛び込み、「すごく面白い」と言えるまで深く潜り込んでしまう。そんな宮原さんがいま取り組んでいるのは、子どもの性教育だ。タブー視され続けてきた分野に飛び込み、初めて見えてきた景色とは?

2020/12/15/Tue
Photo : Tomoki Suzuki Text : Sui Toya
宮原 由紀 / Yuki Miyahara

1981年、兵庫県生まれ。子どもの頃から好奇心が強く、大学時代はバックパックを背負ってインドを歩いた。大手3社で10年以上メディア制作や広告営業に携わり、独立。2019年4月、仲間5人とともに性教育の専門サイト「命育(めいいく)」を立ち上げる。1女2男の母であり、性教育の悩みは自分ごと。性に興味をもちはじめる子どもを持つ、保護者に向けて性教育のノウハウを分かりやすく、ポジティブに発信している。

USERS LOVED LOVE IT! 53
INDEX
01 ある意見
02 小6の春に生まれ変わる
03 知らない世界を知りたい
04 想像できないほうを選ぶ
05 子育て中、30代半ばの女性
==================(後編)========================
06 新しい扉
07 子どものアイデンティティ
08 性に関するさまざまな悩み
09 ピンクの鍵盤ハーモニカ
10 子どもがLGBT当事者じゃなくてもアライを名乗っていい

01ある意見

欠けていた視点

2019年4月、保護者向けの性教育の専門サイト「命育(めいいく)」を立ち上げた。

「3人目を出産後、Web制作技術を学ぶスクールに通ったんです」

まだ首が座っていない、生後1ヶ月の息子を連れてのことだった。

「そこで出会った仲間と一緒に、ウェブサイトを立ち上げようという話になり、柱となるテーマを探していたときに行き着いたのが『性教育』でした」

メンバー全員が子どもを育てる母親であり、性教育に悩んできた同志。

自分たちにとっても、子どもの性に関する悩みを、ポジティブに相談し合える場が必要だった。

コンテンツを蓄え、満を持してサイトをリリース。

しかし、リリース直後、ある視点が欠けていたことに気づかされる。

「体や心の発達について説明した記事に、『思春期になると異性に興味を持つ』って書いたんです」

「色々な本や資料にもそう書いてありましたし、その頃は何の疑いも持っていませんでした」

ところが、記事監修をお願いしている医師を通して「『同性も』って書いてくれるだけで、安心する保護者がいるんじゃないか」と意見が届く。

「性教育について、さんざん調べてサイトを作ったけど、多様なセクシュアリティに対応する視点が欠けていたなと反省しました」

すべての読者に寄り添うサイトへ

「意見をくださった方は、やっと性教育の専門サイトができると思って、リリース前から期待してくださっていたんだと思います」

「先鋭的なサイトだと思って見に来たら、そこには『男の子は女の子を、女の子は男の子を好きになる』という視点しかなかった・・・・・・」

「さぞかし、ショックを受けただろうと思います」

それをきっかけに、情報を発信する側として、どのような視点が必要か改めて考えた。

1年間かけてサイトを耕し、現在、リニューアルの準備を進めている。

「いまは成長別に、男の子向け、女の子向けのコンテンツを配信していますが、リニューアルを機に、多様なセクシュアリティの入口を設ける予定です」

02小6の春に生まれ変わる

優等生はやめた

東京で生まれ、兵庫県で育った。
兄弟は、3歳違いの兄が1人。

「アルバムを見ると、私が兄をいじめている写真が多いんです。私のものは私のもの、兄のものも私のもの、っていう横暴な妹でした(笑)」

「兄はすごく優しい人で、一度も怒られたことはなかったですね」

小学校では、クラスメイトに頼られるお姉ちゃん的存在だった。
人前に出ても緊張せず、皆をまとめて先導するのが得意な優等生。

しかし、そう見られることに、実はプレッシャーを感じていた。

「1人でいる子がいたら声をかけて、興味がない話も聞いてあげて、いつも周りに気をつかってました」

「友だちと遊んだ後は気疲れして、ぐったりしてましたね」

小6の春、父の仕事の都合で転校が決まる。

「小6で転校なんて、普通は嫌がるじゃないですか。でも私は、転校の日をすごく楽しみにしてたんです」

「これを機に、優等生はやめようと思いました」

由紀ちゃんはそういう性格

転校後、人と接するのが楽になったことを覚えている。

友だちが集まって盛り上がっていても、話に興味がなければ無理に付き合わない。

「皆で一緒にトイレ行こう」と言われたときは、「1人で待っておくわ」と言って断った。

あまりにさっぱりしすぎていたため、友だちから「私のこと嫌いなの?」と聞かれたこともある。

「自分では浮いてないと思ってたけど、多分、浮いてたんでしょうね(笑)」

「一歩間違えれば、いじめられる対象だったと思います」

「『由紀ちゃんはそういう性格だから』って、懲りずに付き合ってくれる友だちがたくさんいたのが幸いでした」

03知らない世界を知りたい

多国籍家族

小学生のとき、両親から「おじいちゃんは日本人じゃないんだよ」と聞かされた。

ピリッとした空気に、兄と2人で体を硬くする。子どもながらに「この話を外でしてはいけないんだな」と察した。

「うちの親族は、多国籍なんです」

「祖父は韓国人。親戚に国際結婚も多く、お正月には色々な国籍の親戚が集まります」

「子どもの頃からその多様さが気に入ってましたが、他の家とは違うって、なんとなく感じてましたね」

憧れの人はスナフキン

親族の影響もあり、多様な文化や思想が交ざり合うことに対して、子どもの頃から肯定的な気持ちがあった。

生き方に憧れ、お手本にしたいと思った最初の人は、スナフキンだ。

穏やかで好奇心が強く、旅の孤独を愛する、ムーミンシリーズのキャラクター。

「以前、『ママは子どものとき何になりたかったの?』って娘に聞かれて、スナフキンって言ったら笑われました(笑)」

「色々なものを見たい、知らない世界を知りたいっていう気持ちが強かったんですよね」

高校生になると、知らない世界に飛び込みたいという気持ちがより強まる。

「地元のボランティア団体を自分で調べて、よく参加してました」

「夏休みは、イギリスで暮らす伯母の家で、ホームステイをさせてもらいましたね」

「現地の語学スクールに通って、色々な国の人と一緒に勉強するのは、刺激的な時間でした」

大学は自分のお金で

中学生の頃からずっと、「大学に行ってもいいけど、自分のお金で行くんだよ」と言われていた。

それは、兄も同じ。

入学費や授業料を自分で払って大学に通う兄の姿を見て、自分もそうするのだと、早くから決めていた。

「学費を出せないくらい、お金がない家ではなかったと思うんです。理由を聞いたことはないけど、両親の教育方針ですね」

大学生時代は、朝6時から9時頃までコンビニでアルバイトをしてから学校に向かった。

授業が終わった後も、夜中まで仕事をする。

「周りの友だちが遊んでいるのを見て、羨ましく思うことはありました。でも、自分の環境に対して、理不尽だと感じたことはなかったです」

04想像できないほうを選ぶ

私に似合う国

授業料を自分で払うため、大学選びはかなり真剣に行った。

「オープンキャンパスに何度も通い、どんな雰囲気か、どんな学生がいるか、自分の目で確かめました」

進学した先は、教員の4割が外国籍。留学生や帰国子女も広く受け入れている大学だった。

「私に合うと思ってその大学に決めたんですが、予想通り、周りは我の強い子ばかり(笑)」

「小6で転校したときと同じくらい、価値観が変化した4年間でした」

大学1年生のとき、親友と2人でインドを旅した。

「皆が生きるために頑張っていて、ちょっとでも気を抜くと、潰されそうになる国です(笑)。そのエネルギッシュさが好きだし、私にすごく合っていると感じました」

一度行くとやみつきになり、その後2回インドを旅した。
バックパックを背負い、1日中、喧騒に満ちた街中を歩き回る。

どれだけ準備しても、インドでは、いつも想像を超える体験が待っていた。

「私があまりにインドの良さを語るから、夫が『一度インドに行ってみたい』って言い出して、実は新婚旅行もインドだったんです(笑)」

ブライダルから伝統芸能の世界へ

大学卒業後は、リクルートに入社。

「書類選考を重視しない4〜5社に絞って就職活動し、最初に内定をいただいたのがリクルートでした」

旅が好きだったため、入社時の面接では旅行専門誌「じゃらん」への配属を希望。

しかし、実際に配属されたのは、結婚情報誌「ゼクシィ」の部署だった。

「ブライダル業界には全く興味がありませんでした。でも、知れば知るほど、面白いと感じるようになりましたね」

「営業として4年間働くうちに、バンケットやチャペルの写真を見ただけでどの結婚式場かわかるくらい、ブライダル通になりました」

営業の仕事は人と接する機会が多く、やりがいもあったが、本当にやりたかったのはメディアの仕事。

上司との面談のたびに、編集部に異動したいと希望を伝え続けていた。

社内転属のために動いていたが、あるとき、知り合いから紹介を受けて、他社の面接を受ける。

「当時、伝統芸能ファンの裾野を広げるための部署が新設されたばかりの会社でした」

「その部署で、ウェブサイトを立ち上げるから、営業とメディア制作を両方できる人が欲しいって言われたんです」

「伝統芸能のことは何も知らなかったけど、仕事内容に魅力を感じて、転職を決めました」

05子育て中、30代半ばの女性

万年、初心者

初めて踏み入れた世界は、それは厳しいものだった。

「とにかく失礼がないように、気を張って仕事をしてましたね」

チームメンバーのうち、数人は自分のような初心者。

「伝統芸能に関わる仕事できるなら何でも嬉しい」というメンバーから、時間をかけて、楽しみ方をレクチャーされる。

「毎月1回以上は、劇場で演目を観る機会をもらえました」

「ようやく伝統芸能を好きになり始めたのは、10回目あたり。知れば知るほど奥が深くて、惹かれていきました」

その会社には7年勤めたが、自称、そしてチームメンバーからも「万年初心者」と呼ばれていた。

しかし、そんな人員も、チームには必要だったと思っている。

「初めて伝統芸能を観た人って、予備知識なく演目を見ても『よくわからなかった』っていうのが本音だと思うんです」

「そういう人たちが、どんなコンテンツを求めているか、万年初心者の私だからこそわかることがある、と思ってました」

思うように働けない

28歳のときに結婚。
子どもを2人出産し、産休・育休を2回取得した。

「その会社は制度が整っていましたし、周囲の理解もあったので、子育てしながら仕事をするのに不便はなかったんです」

「ただ、子どものお迎えのために時短で帰らなきゃいけないので、どれほど仕事の密度を高めても、評価につながらなくて・・・・・・」

帰宅後、泣き叫ぶ子どもにご飯をあげながら、電話対応をする。

それほど大変な思いをしても、デスクに座っていなければ、評価はされないだろうと感じた。

「あと何年か待てば、会社の体制が変わっていくと思う」
「それまで辛抱してほしい」

上司にそう言われたものの、思うように働けない歯痒さに耐え切れなかった。

子どもがいる女性はマイノリティ

2社での勤務を経て、それなりにキャリアを積んできたという自負はあった。

子育てをしながらでも、自分らしく働ける会社に転職しよう。
そう思い、転職活動を開始。

しかし、そこで初めて、自分は社会の中でマイノリティなのだと気づかされる。

「小さい子どもが2人いる30代半ばの女性は、転職市場では求められていないんです」

「これまで積んできたキャリアは何だったんだろう・・・・・・って、虚しくなるくらい、書類選考で落とされました」

産休・育休の取得経験を、職務履歴書に書く必要はない。それは知っていたが、いつ産休・育休を取ったか、全て書いて提出した。

子育とキャリアの両立を受け入れてくれる会社かどうか、それを書くことで測っていたからだ。

「第一志望にしていた会社があって、書類選考は通過したんです」

「メディアを運営している会社で、これまで培ってきたスキルを活かして、絶対に貢献できると思ってました」

ところが、意気揚々と向かった面接で「うちの会社でライフ・ワーク・バランスを求めないでくださいね」と言われる。

「それでもOKなら次の選考に進みませんか?」と勧められたが、辞退した。

「ショックでしたね」

「私はいま、超マイノリティなんだな、って鬱々とした気持ちになりました」

転職活動をするまでは、働き始めれば何とかなると思っていた。
しかし、現実には、スタート位置に立つことすらままならない。

「いままで産休・育休を取っても働けていたのは、会社が女性のキャリアを認めて守ってくれていたからなんだ、って痛感しました」

「社会全体で見ると、子育て中の女性の地位は、依然として低いままなんです」

 

<<<後編 2020/12/18/Sat>>>

INDEX
06 新しい扉
07 子どものアイデンティティ
08 性に関するさまざまな悩み
09 ピンクの鍵盤ハーモニカ
10 子どもがLGBT当事者じゃなくてもアライを名乗っていい

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