02 女なのか、男なのか
03 性別という概念を持っていない
04 自分のセクシュアリティを他人に押し付けたくない
05 セクシュアリティは、単なる特徴のひとつ
==================(後編)========================
06 手話との出会い
07 ハンディのある人とない人の間に横たわるもの
08 対等な関係を結びたい
09 セクシュアルマイノリティ=弱者、ではない
10 マイノリティとマジョリティの間で ”通訳” として
01Xジェンダーという言葉が腑に落ちた
”赤いもの” が気持ち悪い
3年ほど前、何がきっかけだったかは忘れたが「Xジェンダー」という言葉を知った。
「これだ! と思って、気持ちがすごくすっきりしました」
それまでずっと、心の中にもやもやしたものを抱えていた。
もやもやが生まれたのは、小学生の頃。
「ある日、ふと足元を見たときにうわばきのつま先の赤い部分が『気持ち悪いな』と思ったんです」
幼稚園まではとくに意識したことはなかった。
でも、小学校に上がり、気がつくとランドセルをはじめ、自分の身の回りが ”赤いもの” であふれていた。
「赤いものより、男の子たちが持っている ”青いもの” のほうがいい、というわけでもなかったんです」
「ただただ、赤いものが気持ち悪いという感覚。うまく説明できないのですが」
ほかの女の子たちは別に何とも思っていなのに、自分はなぜ「気持ち悪い」と感じるのだろう。
「子どもなので、それ以上に深く考えることはなかったけれど、その頃からずっと『なんか違うなあ』という思いがありました」
男になってみようとしたけれど
中学生になり、「性同一性障害」という言葉を知った。
「たまたまつけていたテレビで、性同一性障害を取り上げた番組をやっていたんです」
体の性と心の性が違う人がいる、という話にピンときた。
自分は、女の子の体をしているけれど心は男の子なのかもしれない。
「そう思って、髪の毛を刈り上げにしてみたり、角刈りのようにしたこともあります」
「制服があったので学校へはスカートをはいて行きましたけど、私服はすべてメンズものにして」
一人称も「僕」にした。
ただ、だからといって「男になりたい」というわけでもなかった。
メンズの服は、単純にかっこいいから着ていただけ。
「制服のスカートも、中学時代はデザインが好きじゃなかったからイヤイヤはいていましたけど、高校の制服はかわいかったからスカートをはくことに何の抵抗もなかったんです」
「女性の服装であるスカート」ではなく、ひとつのオシャレとして受け容れられた。
女の子っぽいものは気持ち悪い。
かといって、男の子になりたいわけでもない。
「じゃあ自分はいったい何なんだろう? って」
考えても、わからない。
わからないまま『ま、いいか』とやり過ごしていたところ、Xジェンダーという言葉に出会った。
「それがストンと腑に落ちたんです」
02女なのか、男なのか
”かわいい彼女” になれない
「自分はXジェンダーである」と考えると、心の中のモヤモヤが晴れ、頭の中にいくつもあった「?」がひとつずつ消えていった。
小学6年生くらいから、自分のことを「私」と言いたくなくて「僕」という一人称を使い始めたものの、「なんか違う」。
思春期を迎え、街を歩いているとカップルに目が留まるようになったが、自分は「あのどちらにもなれない」と思っていた。
「かわいい彼女になれないし、かといってかっこいい彼氏にもなれそうにないな、って(笑)」
実際に中学、高校と1回ずつ男の子とつきあったことがあるが、いずれのときも「かわいい彼女」にはなれなかった。
相手からとくに「女らしくしてほしい」と言われたわけではない。
でも、自分で勝手に「この人の理想の彼女像にはあてはまらないなあ」と思い、二人でいてもぎこちない雰囲気になってしまう。
「それに、相手は自分のことを『俺』と言って、こちらは『僕』と言っていたんです。それって、男女のカップルの会話じゃないですよね(笑)」
「そこで一人称を無理やり『私』に変えて会話をしていたのですが、言い慣れないから何か居心地が悪くて・・・・・・」
つきあいが長く続くはずはなかった。
「悩んでいたわけではないのですが、女になれないし男にもなれない自分って何? という問いに対する答えが『Xジェンダー』だとわかりました」
「女の体で生まれてきたけれど、本当は女でも男でもない、FTXなんだと」
ようやく気持ちが落ち着いた。
よくも悪くも ”自由な” 環境に恵まれて
男性と女性の間をさまよいながらも、自分のセクシュアリティに関してこれまでとくに悩むことなく過ごせたことは「ラッキーだった」と思う。
「もともと深く考える性格ではないということもありますけど、何より環境に恵まれていたんだと思います」
「環境は自分で選べるとも限らないので、私は運がよかったんです」
小さい頃から親に「女の子らしさ」を強要されたこともなかった。
中学時代、メンズの服を着て、角刈りにした髪の毛をワックスで固めて出かけて行く姿を見ても、両親は「男みたいだね」と言う程度。
「娘が自分のことを『僕』と言うことに対しても、『俺』じゃなきゃいい、くらいな感じでしたし」
「父親も母親も、それぞれ自分の好きなこと、やりたいことに夢中で、いい意味で子どもにあまり関心がなかったんじゃないでしょうか(笑)」
父親は美術の教師で、プライベートでも美術に夢中。
母親はパート勤めをするいわゆる「普通の主婦」だったが、マンガとゲームが大好きだった。
「妹が1人いるのですが性格がまったく違って、顔を合わせると喧嘩になるので、昔からあまり関わらないようにしているんです」
「それが幸いして(笑)、妹から何か言われることもありません」
友だちも、自分がどんな格好をしようが何をしようが「はるひらしい」と言ってくれていた。
「それは、受け入れてくれたというより、よくも悪くも放っておいてくれたということでしょうか(笑)」
家族や友人たちとの間にあって深い悩みを抱えているセクシュアルマイノリティの人たちが少なくないことを考えると、自分は「運がよかった」のだと、つくづく思う。
03性別という概念を持っていない
ピカチュウと同じように
Xジェンダーについて調べてみると、「男でも女でもある」「男でも女でもない」「中性」「無性」「よくわからない」など、そのあり方は人によってさまざまだと知った。
自分は、「無性」なのだと思う。
男でも女でも、どっちでもない。第三の性、ともまた違う。
「私の中では、性別という概念がすっぽり抜けているんです」
「女ではないから、女性の象徴とも言える胸はいずれ切除したい。でも、かといって男性の体になりたいとも思わない」
この感覚を人に説明するのはとてもむずかしい。
説明したとしても、なかなか理解はしてもらえないだろう。
「たとえば、ピカチュウを見てまず最初に『オスかな? メスかな?』とは思いませんよね? ピカチュウはピカチュウ」
「私のこともそんな感じで見てもらえたら‥‥‥」
性指向は、パンセクシュアル
性別の概念がないというのは、自分以外の人に対してもだ。
「過去に2回つきあった人、そして今のパートナーもたまたま男性ですけど、女性のことを恋愛対象として『いいな』と思ったこともありますし」
とにかく、誰かと接する際にも相手が「男性か、女性か」ということは、はなから考えない。
「思い返してみると、高校生の頃から『私は、相手の性別に関係なく好きになる』と公言していました」
大学ではディベートの授業があり、ある日のテーマは「男女間の友情は成り立つか」だった。
迷わず「成り立つ組」に手を挙げた。
「そして、さらに私は『恋愛も友情も性別は関係ないから、異性同性問わず恋愛も友情も成り立つと思う』って、言ったんです」
ところが、その意見には、成り立つ組のほかの子たちにも共感してもらえなかった。
「『いや、その感覚はちょっとわからない』と言われて、え、そうなの? って(笑)」
このとき、自分は異色の存在だということを知った。
ただ、そのことについてクラスメートたちから何か言われることもなかった。
このことを考えても、自分は「運がよかった」のだと思う。
04自分のセクシュアリティを他人に押し付けたくない
相手にプレッシャーを与えたくないから
私は、FTXでパンセクシュアル。
そう公言しはじめたのは、「自分はきっとそうだ」と思った時点からだ。
「公言といっても、まだうまく説明できないのでツイッターなどで『そうかも』とつぶやく程度なんですけど」
フェイスブックの基本データの性別の欄も、「X」とした。
「自分がFTXであることに対して、周りの人に何かを思ってほしいわけではないので、面と向かってカミングアウトしたことはありません。
自分のセクシュアリティについて他人にどうこう言われたくない、というのともちょっと違う。
「なんというか‥‥‥カミングアウトしたその人に、プレッシャーを与えたり何かを考えさせてしまうような気がして」
「だから、SNS上の私のつぶやきや投稿などからじわじわと(笑)、『なるほど、そうなのね』とか『ふうん、そういう人もいるんだなあ』という具合に知ってもらえたらいいなあと」
誰に、どう接してもらってもいい
家族にも、自分のセクシュアリティについてあらためて伝えたことはなく、今後もそのつもりはない。
でも、フェイスブックの自分のページは両親も見ているので、何となくは知っているのではないか。
「両親にとって私が娘であることに変わりはないので、彼らがもし『はるひはXではない、女性だ』と言ったら、それに抵抗する気はありません」
「以前、母から『将来、ウエディングドレスは絶対に着させる!』と言われたので、それだけは何とか阻止しようと考えていますけど(笑)」
娘がそんなふうに考えていることを、母親はたぶん知らない。
そんな彼女を、どうすれば傷つけたり落ち込ませずにその事態を回避できるか、目下考え中だ。
ちなみに、友人たちについても、彼らが自分のことをこれまでどおり「女性」と見たり、扱ったりしても構わないと思っている。
「彼らとはこれまでずっと、女性としてつきあってきたわけですから」
「女子会やるから、来ない? と誘われたら、きっと行きますね。心のどこかで、女子ではないけどねって思いつつ」
誰に、どう接してもらってもいい。
「自分のセクシュアリティを、他の人に押し付けたくないんです」
05セクシュアリティは、単なる特徴のひとつ
来世は、男か女、どちらかに生まれたい
自分から性別を切り離すことができた今、精神的にはすごく楽だ。
ただ、社会のシステムとしてはまだ「男性」「女性」の別を問われるシーンが多い。
たとえばアンケートなどの性別欄も、男か女、どちらかにチェックしないといけないケースがほとんどだ。
「そういうとき、モヤッとします(笑)。内容によってはチェックせずに提出しますけど」
「男と女だけでなく『その他』という文字があると、『お、進んでるな!』と思います」
社会生活の中での煩わしさを考えると、男か女、どちらかになれたらいいな、という思いはある。
「言葉は悪いですけど、そのほうが楽だなあと」
たとえば、トランスジェンダーでも「女性の体で生まれてきたけど、本当は男性なんだ」という話なら、人はまだ理解しやすいのだと思う。
ところが、自分の場合は男でも女でもない。
「そう説明すると、『男でも女でもないって、何、それ?』という空気がどうしても漂うんです」
うまく説明できないのが、もどかしい。
また、将来、自分が子どもを産んだとしたら。
「普通は、『お母さん』という名称のポジションにつきますよね。でも私の場合、男でも女でもないから、お父さんでもお母さんでもないんです」
今のところ、この社会には『お父さんでもお母さんでもない』という名のポジションはない。
母親=「女性の役割」であることに違和感があるのだ。
「そういうことを考えると、次に生まれてくるときは男か女、どちらかがいいなあと思います」
セクシュアリティのありようは人間の数だけある
ただ、自分がXジェンダーだと自認してから新たに広がった世界がある。
SNSへのつぶやきなどがきっかけで、LGBTに関する情報が以前よりも多く得られるようになった。
「『LGBTER』というサイトの存在も、ツイッターのリツイートで知りました」
自分は異色の存在。
実際のところ、これまで同じセクシュアリティの人と出会うことがなかった。
「でも、LGBTERの記事を読んで、Xジェンダーやパンセクシュアルの人が他にもこんなにいるんだ!と驚きました」
さらに、同じセクシュアリティでも生きてきた過程、環境などによって、感じ方や考え方が違うのだ、ということも知った。
「当たり前のことなのですが、同じ枠組みの中にいても人それぞれで、セクシュアリティのありようは、人間の数だけあるんだなあと実感したんです」
だから、自分とは異なるセクシュアリティの人たちのストーリーも、とても興味深く読んだ。
それによって、あらためて思ったことがある。
セクシュアリティで区別されることはあれど、みな同じ人間。
セクシュアリティなどは、単なる特徴のひとつなのだ。
<<<後編 2018/03/03/Sat>>>
INDEX
06 手話との出会い
07 ハンディのある人とない人の間に横たわるもの
08 対等な関係を結びたい
09 セクシュアルマイノリティ=弱者、ではない
10 マイノリティとマジョリティの間で ”通訳” として