これを書いている今、胸オペからちょうど1ヶ月が経った。I字切開の手術痕の治りは順調で、ケロイドになる気配も特にない。このまま目立たなくなることを祈りつつ、3回目となる胸オペ体験記では実際の手術の様子とその後の入院生活、退院後のバンコク滞在について記していこうと思う。
※本記事はあくまで「ぼく」個人の体験記である。すべての人がここに書かれている通りの状態になるとは限らないし、また手術そのものの仕上がり等を保証するものではない。あくまで一例であるということを留意の上で、読み進めてほしい。
胸オペ後、襲い来る吐き気
胸オペ体験記①で書いた通り、ぼくは2021年の2月に虫垂炎を経験しているため、全身麻酔での手術はこれで2回目となる。だからわかっていたっちゃわかっていたことなんだけど、手術直後の調子がとにかく悪かった。
気づいたら胸オペは終わっていた
手術前、待機室でしばらく待っていると、やがて看護師さんがやってきて「これからあなたの受ける手術はなんですか?」とたずねてきた。最終確認ってことなんだと思う。「乳房縮小術です」と答えると、そのまま数名にベッドごと手術室へと運ばれた。
麻酔を吸うための呼吸器を当てられているあいだ、看護師さんたちはタイ語で普通に談笑していた。その雰囲気に良い意味で緊張感が感じられなかったこともあったのか、すぐに気を失った気がする。そして気づいたときには何もかもが終わっていた・・・・・・と書きたいところなんだけど。
ぼくは覚醒が遅かったみたいで、はっきり意識を取り戻した瞬間があいまいなのだ。なんとなくざわざわした手術室で一瞬だけ目を覚ましたと思うんだけど、たぶんまたすぐ意識を失って、次に気づいたときにはもう待機室にいた。
病院の日本語通訳スタッフさんが来てくれて、「チカゼさんのお見送りに行きたかったのにだれも私に手術の時間を教えてくれなかった!」と憤慨しているのを聞いていた記憶がある。
そしてそのあと、どうもぼくは突然、麻酔の副作用で嘔吐してしまったらしい。これは翌日お見舞いに来てくださったNOISEの担当さんから聞いた話で、ぼく自身あんまり覚えていない。呼吸器で喉が傷ついている状態で吐いてしまったものだから、その後しばらくは術部の痛みよりもむしろ喉の痛みに苦しめられるハメとなった。
また、そのせいで摘出した乳腺と脂肪を見ることが叶わなかった・・・・・・ちょっと楽しみにしてたのに。
一晩中、吐き気にうなされる
待機室から病室に戻ると、待っていてくれていたNOISEの担当さんが「おかえりなさ〜い」と声をかけてくれた。と思う。なにせ完全に覚醒していなかったから、このあたりのことも薄ぼんやりとしか記憶に残っていない。
通訳スタッフさんと担当さんがベッドのリクライニングを調整してくれたり、スマホを枕元に置いてくれたり、充電器を近くにセットしてくれたり、ナースコールを手が届きやすいようにベッドフレームに引っ掛けてくれたりなどなど、身の回りの物たちを整えてくれた。
それにお礼を言おうとしたけど、喉が痛すぎてうまく声にならない。そのうちまた意識が遠のいて、気がついたら深夜1時を回っており、担当さんも通訳スタッフさんも帰宅されていた。
あとから担当さんに聞いたんだけど、このときのぼくはまさに顔面蒼白って感じだったようだ。術前にあらかじめ執刀医へ以前虫垂炎の手術を受けた際に吐き気がひどかったことを伝えていたのだけど、「そういう体質の人はいます。胸オペは虫垂炎よりも手術の時間が長いから、必然的に麻酔の量も多くなるので、副作用はもっとひどく出るかもしれない」と言われていたので、まあ覚悟はしてた。してたとて慣れてるわけでもないし、慣れるものでもない。
そんなわけでぼくは一晩中、ゲロゲロのたうち回ることとなった。突然吐き気が込み上げたとき、とっさに体を起こして床に嘔吐しちゃったんだけど、今思うと術後に上半身を起こすのはあまりよくない行動だった気がする。何事もなかったから良かったけど、術後に吐き気を感じた時点で「枕元に洗面器を置いてもらっていいですか」と看護師さんに言っておくべきだった。
尿道カテーテルは回避できたものの
床に吐いちゃったあと、ナースコールで看護師さんを呼ぶと、すぐにサッとぼくの汚れた口元や襟元をタオルで拭いてくれた。「吐き気止めをください」とお願いしたくて、でも「吐き気」って英語でなんていうのかわかんなくって、苦し紛れに “Could you have a medicine to stop ヴェッ?” って言ったらすんなり通じてしまった。これには不覚にもちょっと笑った(看護師さんは真顔で淡々と点滴から吐き気止めの薬を打ってくれた。きっと英語の下手くそな外国人に慣れているんだろう)。
それから、術前に執刀医から「心配なことはありますか?」と聞かれた際に「虫垂炎のときは尿道カテーテルが不快すぎて眠れなかった」と伝えたからなのか、カテーテルは通されなかった。「じゃあ自力でトイレに行けるのかな?」と呑気に考えていたんだけど、いざ尿意を催してナースコールを押すと、来てくれた看護師さんに「まだ立っちゃダメ。これにしてください」とおまるを差し出されて暗い気持ちになった。
銀色の底の浅いたらいみたいなおまるを寝た状態のままでおしりの下に設置され、そこに用を足す方式だったのだ。そのあいだ看護師さんはもちろん部屋を出てってくれるし、終わったらナースコールを呼んで処理してもらうんだけど、羞恥心は半端なかった。とはいえ不快感のあるカテーテルよりは、ぼく的にはよっぽどマシだったけど。
※あくまでぼくにカテーテルを採用されなかったというだけであり、すべての人が事前に申し出たからといってカテーテルを挿入されないわけではない。
ドレーンが外れぬまま退院へ
一晩中吐き気に苦しめられたものの、それも翌日の昼には落ち着いた。
昼からほぼ通常通りに
朝7時以降くらいから歩行を許可され、自力でのトイレが叶った。吐き気も次第に落ち着き、その日の昼にはけっこう元気になっていた。昼過ぎくらいに担当さんがお見舞いに来てくれたんだけど、座ってふつうにお話しできるくらいには回復していたように思う。
ただ、喉を痛めてしまったせいでいかんせん食欲が湧かない。ヤンヒー病院は病院食を和食・洋食・タイ料理から選ぶことができて、せっかくならってことでタイ料理にしていたのに、ほとんど食べられなくて悔しかった。
この病院で出されるパクチーや肉団子、生姜の乗っかった「ジョーク」と呼ばれるおかゆが美味しいってSNSで見かけて楽しみにしていたし、実際めちゃ美味しかったのに・・・・・・。
おかゆ以外の固形物(副菜やデザート)は特に喉に引っかかるため嚥下するのがむずかしく、ほぼ毎回残してしまっていた。担当さんが差し入れてくれた屋台のパイナップルが甘さ控えめでみずみずしくて、唯一それが食べやすかった。冷蔵庫でキンキンに冷やしていたのも、傷めた喉に気持ちよかった気がする。胸オペやSRSの予定がある人は、付き添いの人などにぜひパイナップルを頼んでみて。
痛みを感じる間もなく薬をくれる手厚さ
術後印象に残っているのは、看護師さんたちのケアの手厚さだ。ぼくを担当してくれる方は昼・夜あわせて2、3人だったと思うんだけど、みなさん簡単な英語のみを使って会話をしてくれたので、いちいちiPhoneでGoogle翻訳を起動せずとも意思疎通がスムーズにできたのはありがたかった。
あとは、薬を持ってきてくれるタイミングが毎回絶妙だったこと。そのおかげで、ぼくはほとんど術部の痛みを感じずに済んだ。各患者の薬の時間をきっちりを測っているんだろうけど、それってなかなかの手間だろう。看護師さんたちのケアにより、手術の翌日だというのにずいぶん快適に過ごせたし、ゆっくり眠って回復に努めることができた。
ドレーンを持ったまま退院へ
その日の夕方に執刀医が回診に来てくれたんだけど、そこで初めて固定バンドを解かれて術後の胸部と対面した。寝ている状態から頭を上げて見ただけだったので、あんまりわかんなかったけど、先生は「事前に見せてくれた写真(診察の際に理想の胸部の写真をいくつか提示していた)と同じになったよ!」と親指を立ててくれた。
昨晩のたうち回っているときは一瞬だけ「こんな高いお金を払ってこんな遠い国まで来て、なんでこんなに苦しんでんだろ・・・・・・」とナーバスになったけど、先生の親指を見た瞬間にそんな気持ちは宇宙の彼方へ飛んでいった。
そしてちょっと残念なことに、ドレーンが外れぬままの退院となってしまった。こういうことも、よくあるらしい。退院後は観光に行きたいと思っていたのでかなりがっかりしたんだけど、でもまあ致し方ない。ちなみにゾウに乗る算段を立てていたが、「ドレーンが外れたとしてもやめておけ、そもそも候補に入れるんじゃない」とそれを聞いたみんなに叱られてしまった(苦笑)。
ノンバイナリーの胸オペ・SRS療養に最適な街・シーロム
てっきり病院に4泊するものだと思い込んでいたが、これはヤンヒースタッフさんの伝達ミスだったらしく、翌日に退院となった。おいおいホテル代高くつくじゃん・・・・・・と思ったものの、もうすでに元気だし、何より本来入院は3泊らしいので、特に問題なく次の日の昼にタクシーでホテルへと移動した。
麻酔の影響による異様な眠気
退院後はとにかく毎日、異様なほど眠くて眠くて仕方がなかった。日付が変わる前にベッドに入っても、起床するのは決まって10時過ぎだ。それも薬を飲むために朝食を摂る必要があったから目覚ましをかけていただけで、放っておいたらそのまま夕方まで寝ていた気がする。
朝食を摂って薬を飲むと、タイマーをセットしてもう一度ベッドに入る。そして昼過ぎにまた起きて、ランチを求め街をうろつく。宿に戻るともう一度眠り、ちょっとだけ原稿に向かって、それからシャワーを済ませてマッサージ屋でむくんだ脚を揉みほぐしてもらう。帰りに近所のセブンイレブンで水やらなんやらを買い込み、夕食を摂って眠る。
ホテルでの療養生活は、尋常じゃない抗いがたい眠気のせいでほぼ毎日この繰り返しだった。それ以外では、ときおり吐き気を催すことはあったものの、体調は基本的に万全だった。しかしながら足を伸ばして観光に出かけたとき、たとえば電車内なんかで眠りこけてしまうのが怖くて、結局宿を取ったシーロムエリアから出ることなく帰国してしまった。
1週間後の再診の際に眠気や吐き気について執刀医にたずねてみたのだけど、これもやっぱり麻酔の影響らしい。ぼくのように長く副作用を引きずるのは少数派だが、そういう人もまれにいると先生は言っていた。要は体質的に麻酔が苦手なんだろう。
駅直結「シーロムコンプレックス」やシーロムスクエアフードセンターが便利
観光は断念したものの、街歩きは楽しんだ。ぼくが滞在していたシーロムエリアと呼ばれる地域。滞在先は、食事や買い物がしやすく、駅近でコスパの良いホテルをアテンドさんが紹介してくれた。宿泊したのは、BTSサラディーン駅/地下鉄シーロム駅から徒歩5分とかからないThe Tarntawan Hotel Surawong Bangkokというホテルで、療養生活にはもってこいだった。胸オペ体験記②で書いた通り手術を受けるまでにかなりのすったもんだがあったせいで予約はギリギリになったんだけど、それでも1泊2 ,000円台だったのでだいぶ安い。
ホテルのフロントスタッフも清掃員さんもみんな感じがよく、対応も丁寧かつ迅速だった。部屋は広くて清潔で、掃除もベッドメイキングも行き届いている。ヤンヒー病院からはタクシーで約30分ほど、高速に乗っても250バーツかからないくらいなので、わりとおすすめ。
そしてとにかく、アクセスがいい。BTSサラディーン駅直結の「シーロムコンプレックス」と呼ばれるイオンみたいな大きいショッピングモールには、スーパーも薬局も無印良品も入っている。飲食店も豊富で、一風堂やTHE ALLEY、クリスピー・クリーム・ドーナツなんかもあった。
また、ホテルから駅反対方面へ3分ほど歩いたところにでっかいフードセンターがあって、そこにも通い詰めた。もういろんな屋台が立ち並んでいて、探索するだけでワクワクしてしまう。
ぼくはあらゆるカオマンガイ(通常の蒸し鶏バージョン、フライドチキンバージョン、焼き鳥バージョン、焼き飯バージョンなどなど)、そしてイエローカレーやガパオライス、クイティアオ(タイラーメン)を制覇した。ぜんぶだいたい日本円で160円ほどなのに量はたっぷり入っているから、コスパも良い。
シーロム駅を過ぎたあたりにも屋台街はあったし、食事はとにかく楽しんだ。ただぼくは喉の痛みと若干残る吐き気のせいで、毎日もりもり3食を楽しみ尽くすことはできなかった・・・・・・。あと、朝は空腹で出かけると容赦ない日光により貧血及び酸欠で倒れる気がしたので、シーロムコンプレックス内のスーパーで調達したコーンフレークを食べていた。
ノンバイナリーの胸オペ・SRS後のむくみ対策に! マッサージ店が豊富
シーロムエリアは、とにかくマッサージ店が多い。NOISEの担当さんに「タイのマッサージ店は安いのでおすすめですよ」と言われていたけど、あくまでリラクゼーション目的で行くつもりだった。しかし術後の影響で脚がゾウのようにむくんでしまい、その解消のために毎晩のように脚マッサージへと通いつめていた。ゾウに乗りたい願望が叶えられなかったゆえの己の怨念のせいかと思った・・・・・・。
最初は自分でマッサージしようとYouTubeでやり方を調べたりしたんだけど、術後にかがんだり力を使ったりする怖かったので、マッサージ店には本当に助けられた。基本的にどの店も夜遅くまでやっているが、ぼくのおすすめはUrban Thai Massage Spaってところ。店内は清潔だし、たまに日本語のできるスタッフもいる。クレジットカードが使えるし、深夜1時まで営業してるし、マッサージ自体も申し分ない。力加減も都度大丈夫か聞いてくれるし、値段も1,200円しないくらいだ。
● Urban Thai Massage Spa
https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g293916-d13162922-Reviews-Urban_Thai_Massage_Spa-Bangkok.html
胸オペ直後のため脚のみしか施術を受けられなかったけど、そうじゃなかったら全身やってもらいたかった。タイガーバームっていう、アジア圏で流通している筋肉疲労に効果のあるバームで揉みほぐしてもらえるので、効果てきめんだった。術後ってすごくむくみやすくなるらしいから、タイでの胸オペやSRS等を考えているノンバイナリーやその他クィアの方々はぜひ行ってみてほしい。
ノンバイナリーのぼくにとっての胸オペ療養生活でのお役立ちグッズ
最後に術後のホテル療養生活で役に立ったグッズを紹介して、今回は締めよう。
おっきなポリ袋と、ノンバイナリー・カム済Twitterアカウント
いちばんあってよかったと思ったのは、いわゆるゴミ出し用のおっきなポリ袋だ。実を言うとぼくは持参してなくて、NOISEの担当さんが「よかったら」とくれたもの。退院後、再診までのあいだぼくはシャワーを許可されなかったので、これを頭からかぶって髪を洗っていた。
それから、ノンバイナリーをカムアウトしているTwitterアカウント。今回改めて、このSNSのある時代に胸オペができることへのありがたみを思い知った。パートナーである夫とはマメに連絡を取り合っていたし、親しい友人にはカムアウト済みだけど、それでもやっぱりふらっと気軽にお店に立ち寄る感覚でだれかと話をできる場がインターネット上にあるのは、ぼくの精神衛生上とてもよかった気がする。
このアカウントで実況中継的に胸オペのことを呟いていたんだけど、ふだん仲良くしてくれているライター仲間や読者さんから「頑張って!」「気をつけてね!」と声をかけ続けてもらえていたのは、ものすごく励みになった。また、ぼくのアカウントは仕事用でもあるため、将来胸オペを検討しているノンバイナリーやFTXの方々への情報提供にもなれたんじゃないか。
次回、再診の様子と帰国後の生活を語るよ!
療養中のホテルでバンドを巻き直す際、初めて真正面から鏡越しに術後の胸部を見た。どういう感情になるのか実のところまったく予想できてなかったんだけど、「嬉しい」とかっていうよりも、安堵の気持ちが先に込み上げた。
ぺたんこになった胸、一見して性別不詳なこの身体にこそ、ぼくの本来あるべき姿なのだと改めて確信した。そして同時に、「(ぼくの感じる)女性の身体」にずっとずっと閉じ込められてきたこれまでの30年間に思いを馳せた。かなりの息苦しさを長い年月、我慢してたんだなあとしみじみ思うなどした。
次回は再診の様子や帰国後の生活、手術痕のケアなどについて語っていく。また、新たな身体にまつわる予想もしていなかった問題にも直面したので、楽しみに待っていてくれると嬉しい。