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Writer/雁屋優

Aro/Aceを知ろう③ アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)の多様性とは

これまでの2回(Aro/Aceを知ろうAro/Aceを知ろう)の記事では、恋愛感情を抱かない恋愛指向であるアロマンティック(Aro)、他人に性的に惹かれない性的指向であるアセクシュアル(Ace)について解説してきました。そして、最終回となる今回では、Aro/Aceの多様性について、考えていきます。この記事が、いろいろなAro/Aceの人々がいることに思いを馳せるきっかけとなるよう、願っています。

ドラマ『恋せぬふたり』が示したアロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)の多様性

NHKで放送されたドラマ『恋せぬふたり』ではアロマンティック/アセクシュアルの二人、そしてその周囲の人々を描いていました。このドラマは、アロマンティック/アセクシュアルの多様性を示そうとしていたと私は考えています。

アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)への一般的なイメージ

アロマンティック/アセクシュアルについての、あなたのイメージはどのようなものでしょうか。恋愛感情を抱かない、他人に性的に惹かれないという言葉から、一人でいることを好み、恋人を望まないだけでなく、友人や家族との交流にも消極的――そんなイメージを抱かれることもあります。

これは、いわゆる、アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)のステレオタイプです。私自身は、そういう意味では、“典型的な” アロマンティック/アセクシュアルです。私は、一人で過ごすことを好み、友人との交流もオンラインで不定期に行うくらいが程よく、人に会うとすぐに疲弊します。家族との交流も望んでいませんし、家族を新しく作りたいとも思いません。

でもこれは、単に私の特性であり、Aro(アロ)/Ace(エース)を自認する人の特性というわけではありません。

ドラマ『恋せぬふたり』で描かれたもの

NHKドラマ『恋せぬふたり』は、アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)のステレオタイプを壊そうと、さまざまな工夫をしていたように感じられました。根幹の設定である、アロマンティック/アセクシュアルの二人が「家族(仮)」になる展開だけでなく、当事者コミュニティの様子を描くことでAro/Aceの多様性に想像を広げさせてくれました。

Aro/Aceでない人々が『恋せぬふたり』を観たときに、「Aro/Aceであるから、パートナーも家族もいらない」と決めつけてはいけないことに気づきやすい構造になっていました。

でも、パートナーや家族が欲しいという話は、アロマンティック/アセクシュアルの当事者である私にとっても、知識としては知っていても、実感のない話です。

Aro/Ace当事者の私でさえそうなら、アロマンティック/アセクシュアルを初めて知った人はもっと混乱している可能性があります。そのため、今回の連載の最終回に多様性の話を書くことにしました。

『恋せぬふたり』に見るアロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)の多様性

『恋せぬふたり』のなかで示された、Aro(アロ)/Ace(エース)の多様性は、多岐に渡ります。「家族(仮)」を始めた主人公達は、「家族(仮)」への周囲の反応と向き合いながら、家族になること、そして、周囲の人とどのように関わっていくか、どういう状態が自分にとって幸せかを考えることになります。

誰かと家族になることを望む/望まないに始まり、子どもが欲しい/欲しくない、そして家族の形をどうしていくかなど、主人公達が考えることは多くありました。

それだけでなく、当事者コミュニティを訪れた主人公・咲子は、ロマンティック・アセクシュアル(恋愛感情はあるが、性的な惹かれはない)を自認する当事者と出会います。Aro/Aceの周辺の恋愛指向、性的指向も実に多様なのだとわかるシーンです。

アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)の人々それぞれが望む関係性

『恋せぬふたり』の主人公達が「家族(仮)」を営んでいるように、他人と何らかの関係性を望むアロマンティック/アセクシュアルの人々もいます。

パートナーは欲しい?

恋愛感情に基づかない家族を営みたいと考える人は、Aro(アロ)/Ace(エース)を自認する人だけではないのかもしれません。友情結婚や契約結婚という言葉が聞かれるようになった今、検索してみると、友情結婚専門のマッチングアプリや結婚相談所を見つけることができます。

結婚やパートナーシップが必ずしも恋愛感情に基づくものでなくてもいいという価値観が浸透し始めているからこそ、そのようなマッチングアプリや結婚相談所が生まれているといえます。

パートナーにしたい相手が同性の場合、日本では結婚が認められていないので、同性婚法制化を求める動きに積極的に賛同していく人もいるようです。

家族や子どもを望む?

パートナーだけではなく、家族や子どもを望む/望まないという話もあります。アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)なのに、妊娠や出産をするのかと驚く方もいるかもしれませんが、今は体外受精をはじめとした生殖補助医療もあり、子どもを授かるのに性行為は必須ではありません。

家族や子どもを望むことと、Aro/Aceであることは、矛盾しないのです。

関係性は、カスタマイズできる

もちろん、上に挙げたような関係性を望まない人々もいます。私もその一人です。ただ、関係性はゼロか百か、ではなく、いろいろな選択肢があることも知っておいてほしいと思います。

例えば、私は同居人はいりませんが、友人の近所に住んで時折一緒にごはんを食べたり、本の貸し借りをしたりしたいと考えています。シェアハウスではなく、ニアハウスという関係性です。結婚もパートナーも家族も子どももいりませんが、自分が緊急入院したときに来てくれる人を自分で決めておきたいとは思っています。

これらを結婚とか親子といった、従来の関係性に当てはめるのは困難です。しかし、従来の関係性をヒントに、自分に必要な部分だけ使うカスタマイズを行ってみる価値はあるのかもしれません。

複数のパートナーを持つライフスタイルの一つ、ポリアモリーを実践することもできます。関係性は、当人達で作っていけるのです。

特定状況下での “惹かれ” など、アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)も多様

Aro(アロ)/Ace(エース)の周辺には、特殊な状況下でのみ、他者に惹かれる人々がいます。

相手を知って好ましく思ってから惹かれるデミロマンティック

相手のことをよく知らないのに、一目惚れするシーンは、創作の中にも現実にも溢れています。電車で毎朝見かけるあの人に恋愛感情を抱き、声をかけて仲良くなる、魅力的な芸能人に恋愛感情を抱く、などが思いつきます。デミロマンティックを自認する人々は、このようなシーンで恋愛感情を抱くことはありません。

デミロマンティックとは、相手を知って人として好ましく思った上で恋愛感情を抱く恋愛指向です。一目惚れやよく知らない芸能人を好きになることがないので、恋愛感情が起こりにくいといえます。

弱い恋愛感情を抱くグレイロマンティック

アロマンティックのように恋愛感情を抱かないわけではないけれど、ロマンティックと言い切れるほど強い恋愛感情を抱くわけではない、という人もいます。そのような人達は自分のことをグレイロマンティックと呼ぶことがあります。アロマンティックかロマンティックか、だけではなく、中間ももちろん存在しているのです。

グレイロマンティックとあえて名乗らない人もいます。自分をどう定義するかはその人の自由です。ただ、ロマンティックとアロマンティックだけで恋愛指向を語れるわけではないことを、知っていてほしいのです。

惹かれるも惹かれないも、人それぞれ

人は、相手の何に惹かれるのでしょうか。知性かもしれませんし、性格かもしれません。その人の作る料理かもしれません。その人の顔のパーツかもしれません。どこに、どんな風に惹かれるか、あるいは惹かれないかは、人それぞれです。

惹かれ方は星の数ほどあり、今まさにその一部につけられた名前が認知され始めています。先ほど紹介したデミロマンティックもその一つです。それらを全部覚える必要はありません。

惹かれ方は人の数だけあると知ってください。そして、どの惹かれ方が正しいわけでもないし、他者に惹かれないこともまた在り方の一つだと思います。

ステレオタイプではなく、相手を見よう

『Aro/Aceを知ろう』3回の連載を通して、他人をラベリングし、決めつけることの危うさをわかってもらえたと思います。

自分にも他人にも、ステレオタイプを押しつけない

自戒もこめて書きます。

私自身にも、「アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)ならば、こうだろう」というステレオタイプがありましたし、多分今も少し残っています。Aro(アロ)/Ace(エース)であるならば、パートナーも家族も望まないだろうと、本気で思っていました。

そんな私にとって、NHKドラマ『恋せぬふたり』の「家族(仮)」という在り方は、凝り固まった考えを壊してくれた大切なものです。普段から、「LGBTならば、こうだろう」というような価値観の押しつけに抗っていた私の中にもステレオタイプはあったのです。

アロマンティック/アセクシュアルであっても、パートナーも家族も、子どもも、名前のつけられない関係性も、望んで叶えることができる。そう知った上で、私は、一人と一人のまま、友人達と生きていきたいと思います。

他人にステレオタイプを押しつけるべきでないのは言うまでもありませんが、自分にも押しつけなくていいのです。

人生は、自分で作る

『恋せぬふたり』の最終回における主人公達の決断は、人生を考える上で大きなヒントになります。恋愛指向や性的指向だけでなく、人生そのものをどうしたいかを考え、主人公達の出した結論は、観ていて胸にくるものがありました。

『恋せぬふたり』は、フィクションであって、フィクションではないのです。あなたの人生はあなたが形作っていくのだ、と力強いメッセージをもらいました。

在り方も、惹かれ方も、生活も、人それぞれです。一度きりの人生を、自分のために生きてください。

■参考文献
・『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて――誰にも性的魅力を感じない私たちについて』ジュリー・ソンドラ・デッカー著、上田勢子訳、明石書店、2019年

 

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