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生き方に「いい」も「悪い」もない。誰もが心の声に従って生きられる社会を目指して【前編】

「これからのことは模索中」と、迷いながらゆっくりと言葉を紡いでくれた三代菜々美さん。道半ばにあるがゆえの揺らぎが垣間見える一方で、「この人ならきっと夢を叶えられる」と確信させる、明るさと芯の強さを持つ人だ。自らをアセクシュアルと称するが、セクシュアリティの枠にはあまりこだわっていない。あるのはただ「すべての人が勝手にジャッジされることなく、ありのままで生きられる社会を叶えたい」という強い思いだけ。

2021/08/28/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koharu Dosaka
三代 菜々美 / Nanami Mishiro

1998年、福岡県生まれ。幼い頃から本音を抑圧しながら生きてきたが、大学時代に経験した海外ボランティアを機に「自分らしく生きていい」と思えるように。性別や年齢、学歴といったラベルではなく、その人の本質と向き合いたいという気持ちが強く、一般的な「彼氏彼女の関係」に興味が持てないことから、現在はアセクシュアルを自認している。

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INDEX
01 夢に向かう道の途中で
02 いつでも笑顔の明るい子
03 剣道漬けの子ども時代
04 大好きだった剣道との決別
05 ないがしろにしてきた「心の声」
==================(後編)========================
06 人生の転機
07 私は私のままでいい
08 直面した社会の現実
09 私は「アセクシュアル」?
10 生きてるだけで花丸!

01夢に向かう道の途中で

「人生の第2章」の幕開け

2021年。生まれ育った福岡県を大学卒業と同時に離れ、上京してひとり暮らしを始めた。

現在はアルバイトなどで生計を立てるかたわら、高校生の “選択格差” という課題の解決を目指す一般社団法人ハッシャダイソーシャルで、進路に悩む高校生のメンターを務めている。

「地方の高校生には、周りの大人がどんな仕事をしているかをあんまり知らず、進路の選択肢が限られてしまってる子が少なくないんです」

「ハッシャダイソーシャルは、そんな高校生たちに『いろんな選択肢があるよ』と伝えるため、地域や企業と連携して講演などをおこなう団体です」

団体の存在を知ったのは大学生の頃。メンバーのひとりのブログを偶然読み、活動の理念やその人自身の生き方に感銘を受けた。

「この人すごいなって感じて、すぐに『よかったら話聞かせてください!』ってメッセージを送りました」

「詳しい話を聞いたら、残念ながら新卒採用はやってなくて。でも『私にできることがあれば連絡をください』とアピールして、メンターのお仕事をいただけました」

ここで正職員を目指すのか、別の会社に就職するのか、はたまた全く異なる働き方をするのか。

生き方や自分のあり方は模索中だが、どんな道を選んでも、抱く思いは変わらない。

決意表明

「子どもの頃からずっと、自分の道を自分で選べずに生きてきました。親や友だちに迷惑をかけるのが嫌で、心の声を押さえつけてて・・・・・・」

「ありのままで生きられるようになったのは、ほんの最近です」

自分らしさを表現できるようになってからも、誰もが生きたいように生きるのが “許されていない” 社会への疑問を抱き続けている。

「性別や学歴でジャッジされたり、『女の子らしくいろ』と押し付けられたりすることには、ものすごい違和感があります。そんな社会を、身近なところから変えていきたいなって」

夢は、自分で自分の道を選んで生きる人を増やすこと。

そして、ジェンダーやセクシュアリティ、年齢、学歴、容姿、社会的地位などすべてのラベリングを取り払って、みんながありのままで応援される社会をつくること。

「実現のために何ができるのか、手段を模索してるところです。場を作るのか、きっかけを作るのか、どこかに足を運んで目の前の人と向き合うのか」

「いろんな経験を積みながら、しっくりくる形を見つけたいですね」

今は自らの心の声にひたすら向き合い、さまざまなことに挑戦する時期だと考えている。

少しくらい傷ついてもいい。信じる道を、貪欲に突き進んでいきたい。

02いつでも笑顔の明るい子

「笑顔が消えるのが怖い」

物心ついたときから明るく、人を笑わせるのが好きな子どもだった。

「家では特にはっちゃけてて、みかんの赤いネットを頭からかぶってふざけたりしてました(笑)」

「一度ツボに入ると笑いが止まらなくなって、親にはよく『うるさい』って怒られてたな(苦笑)」

「みんなを笑顔にしたいし、自分も笑っていたい」と願う気持ちは、今も昔も変わらない。

その裏に「笑顔が消えるのが怖い」という恐れがあったと気づいたのは、つい最近のことだ。

「振り返れば、人を楽しませることや『面白くて明るくて元気な子』ってキャラクターでいることを、自分に押し付けてたのかもしれません」

そのせいか、うまく言語化できないモヤモヤとした苦しさが小さい頃から常にあった。

今になってようやく「明るい子でいなきゃいけない、笑っていない私は私ではないというプレッシャーが自分を縛り付けていたのかも」と分析できるようになりつつある。

母の愛を一身に受けて育つ

両親は小学校2年生のときに離婚。
以降はずっと、母と2人で暮らしてきた。

「母は愛情深い人ですね。もう、私に対する愛の塊です(笑)。すごく優しいけど、私のことを思うがゆえに厳しくもあるし、心配性で」

「早く帰ってきなさい」といった言いつけを守れないとキツく叱られ、時には手が出ることもあった。

子どもの頃は「叱られるのが怖い」とばかり思っていたが、今は母の想いが理解できる。

「大人になってようやく、あの厳しさは『一人娘をちゃんと育て上げないと』って不安の裏返しだったと気づきました」

ひとりで子どもを一人前に育てるのは、想像を絶する大変さだったはず。

そんな中でも、母は自分にたくさんの習い事や部活をさせ、塾にも通わせてくれた。

「自立して一人暮らしを始めてから、母がどれだけ頑張ってくれてたのか身に染みてわかるようになりました」

「毎日ご飯を食べさせてくれて、生活のためにたくさん仕事をしてくれて、本当に感謝してます」

他界した祖父も、自分のことをいつも気にかけ、大切にしてくれていた。

「祖父はずっと私のことを応援してくれてて、私も祖父のことが大好きでした。今も、形見の時計を身に着けてます」

「母と天国の祖父がいつも見守ってくれてるから、いろんなことを頑張れるんです」

03剣道漬けの子ども時代

12年間続けた剣道

小学校1年生の頃に剣道を始め、高校卒業まで12年間続ける。
きっかけは、教育熱心な母の勧めだった。

「母は、女の子が生まれたら絶対に剣道をさせると決めてたそうです。剣道を通して『清く正しく美しく』な女の子になってほしい、みたいな気持ちがあったらしくて」

平日のうち4日間は学校の後に道場に行き、2時間みっちりと剣道の稽古を受ける。土日は試合があることが多かった。

もともと争いごとを好まない性格で、相手を打ち負かしたい気持ちやライバル心はあまりない。

それでも、頑張った分だけ結果がついてきたり、勝ってメダルをもらえたりするのは嬉しく、純粋に剣道を楽しんでいた。

「書道も習ってたので、スケジュールは常にパンパンでした」

「友だちと遊ぶ時間なんてなかったし、遊んじゃいけないとすら思ってたな。それでも、剣道も道場の仲間たちも大好きだったので苦ではなかったですね」

当時の仲間たちとは今でも仲がいい。青春をささげて得た、大切な宝物だ。

剣道が与えてくれた「強さ」と「明るさ」

剣道一色の幼少期は、人格形成にも大きく影響したと感じている。

人の目を見て話す、挨拶はしっかりする、という基本的なマナーが身についたほか、簡単には折れない心がつくられた。

「特別メンタルが強いわけではないけど、気力だけはありますね。困難な状況を楽しんで、ポジティブに変える力があると思ってます」

「あと、声の大きさは本当に自慢です。昔からよく『三代ちゃんは笑い声がでかいから、どこにおってもすぐわかる!』って言われてました(笑)」

学校ではいわゆる “クラスの中心” というタイプではなかったが、持ち前の明るい性格で、気の許せる友だちと和気あいあい過ごしていた。

「昔から、自分のことをわかってくれる子はみんないい子だって思っちゃう。こんなにうるさいし変な奴なのに、仲良くしてくれるなんて本当ありがたいなって」

「周りの人たちのことがみんな大好きです」

04大好きだった剣道との決別

抱き始めた違和感

中学に上がっても、変わらず剣道漬けの日々。

小学生の頃よりも試合の結果が重視されるようになり、「みんなで楽しく」ではなく「勝ち負けにこだわる」世界になる。

大好きだった剣道を、純粋に楽しめなくなったのはこの頃だ。

「争いごとが嫌いなので、勝ち負けが何より大事って空気が苦痛でした」

「剣道部の女子が私ひとりだったので、男子に混じって練習せないかんのも、団体戦に出られずに個人戦だけになったのも苦痛で」

中学では剣道部の活動と道場での稽古を両立するため、小学生の頃以上に慌ただしい日々を送るように。

とにかく時間がなく、剣道以外のことが何もできないのもつらかった。

「友だちと全然遊べないのも、周りがオシャレに目覚めるなか自分だけ芋っぽいのも、すごく嫌だと思うようになって。小学校のときは楽しい気持ちの方が強かったので、気にならなかったんですけど」

「やめたい」と言えない

勉強を頑張りたい、生徒会活動をしたい、学校行事に取り組みたい。

打ち込みたいことはたくさんあったが、剣道のせいで時間が取れず、没頭できない。いつしか剣道が邪魔だ、やめたいと思うようになっていく。

「せめて部活だけでもやめたかったんですけど『みんなに迷惑がかかる』『周りがやめてほしくなさそう』と思うと、どうしても言い出せなくて」

勉強や生徒会活動に本気で取り組むことは、未来にとって大切な選択のはず。

だが、自分のことよりも人間関係や周りの都合を優先してしまい、進みたい道を選ぶことができなかった。

「いつも他人軸で人生を決めていて、自分の意志を表に出せずにいました。モヤモヤする気持ちはあったけど、仕方ないよなって蓋をしてた感じです」

高校では「絶対に剣道部には入らない」と決意していたが、剣道部で素敵な先輩に出会う。

「この人たちと一緒に部活したい!」という感情を抱き、入部を決めてしまったが、やはり幼い頃のように剣道を楽しむことはできなかった。

「結局、途中でやめて周りに迷惑をかけるのが嫌で、高校卒業までズルズルと続けてしまいました。12年間お世話になった剣道だけど、もう未練はありません」

05ないがしろにしてきた「心の声」

自分より他人を優先する性格

昔から、その場の空気を敏感に察知しすぎてしまうところがある。

誰かの怒りや悲しみをチクチク、ズキズキと肌で感じてしまう。
その場がどんよりしていることに耐えられず、明るく振る舞ってなんとか空気を変えようとしては、心を消耗させていた。

「誰かがのけ者にされているのを見るのが、子どもの頃からすごく苦手で。輪から外れている人がいるときは、輪ではなく外れている方に行ってしまいます」

「同情からではなく、その状況を見ているのが耐えられなくて・・・・・・。誰かのためというよりは自分のためです」

対人感受性が高く、常に感情のアンテナが外に向いている気質の子。

誰とでも穏やかな関係を築けるが、相手の気持ちを尊重しすぎるあまり、意志や希望を言葉にして他人に伝えることも、行動に移すことも苦手だった。

「高校時代までは、自分でやりたいことを決めてやるなんてほとんどありませんでした」

「今の『思い通りに生きたい!』って価値観は、長年抑え込んでいた欲求の反動なのかもしれません」

「自分」がわからない

自己肯定感も高い方ではなく、長所は「笑顔を褒められる」「素敵な友だちがいる」といった、外部要因に基づいた部分にしか見つけられなかった。

今振り返れば、自分のことをあまりにも知らなかったのだと思う。

「アンテナが常に周りの人に向いていたぶん、自分をいたわったり、内面と向き合ったりする機会が圧倒的に不足してました。そのせいで息苦しくても、なんで苦しいのか、どう苦しいのかを言語化することもできなくて」

自分より他人を優先してしまったり、「いつも笑っている私でいなければ」と気負ってしまう性質には、育った環境も影響しているのかもしれない。

母の苦労を間近で見てきたせいか、人に迷惑をかけてまで我を通すという発想自体がなかった。

「でも、大学時代に経験したことのおかげで、生き方や考え方が決定的に変わったんです」

「私らしく生きるってこういうことか、とやっとわかりました」

 

<<<後編 2021/09/04/Sat>>>

INDEX
06 人生の転機
07 私は私のままでいい
08 直面した社会の現実
09 私は「アセクシュアル」?
10 生きてるだけで花丸!

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