02 私は悪い子
03 症状はすべて仮病扱い
04 自分の進む道は福祉
05 手のひらの自傷行為
==================(後編)========================
06 うつ病がばれて
07 アロマンティック・アロセクシュアルにとって、恋愛はファンタジー
08 私、必要とされているんだ
09 とりあえずTRPボランティアに応募
10 あなた、カウンセラーに向いてるよ
01自分がしたいことをしたいだけ
明るい子ども時代
埼玉県熊谷市に長女として誕生。両親、祖母、兄の5人家族だ。
「ひょうきんな子どもだったと思います」
七五三の写真のなかでは、くったくのない笑顔を振りまいている。
「周りの子どもは早く脱ぎたいとぐずってるのに、私は着物が好きだったので、なかなか脱がなくて(笑)」
写真撮影後の食事中も、汚れ防止のタオルを巻きながら着物を着用。
「脱ぎたがらない私は、最終的に祖母が歌を歌いながら手を叩いて、それに合わせて1枚ずつ脱いでいきました。その様子が今もホームビデオに残ってます(笑)」
一人遊びも好き
周りの子と遊ぶことが多かったが、一人の世界で遊ぶことも好きだった。
「ジグソーパズルが好きで、一人で500ピースくらいのもので遊んだりしてました」
本を読むことも、趣味のひとつだ。
「ジグソーパズルは高価だからなかなか買ってもらえなかったんですけど、親って本なら断らないじゃないですか。だから、よく本をせがんでましたね」
小学校に上がってからも、読書好きは変わらなかった。
「昼休みに一人で本を読んでると、友だちと一緒に外で遊ばないことがおかしいって思ってる子から、しつこく誘われたりしましたね(苦笑)」
「友だちと遊びたくなかったわけじゃなくて、ただ、好きなときに自分がしたいことをしたかったんです」
今も読書は趣味のひとつだ。
「最近は加齢で活字を追うことがつらいときもあるので、マンガを読むことが多いですね(苦笑)」
自分のことは自分でしよう
3歳上の兄が、中学生に上がると反抗期に入り、高校生まで続いた。
「母親が兄とのコミュニケーションで手を焼いてるのを見て、私は『自分のことは自分でしよう!』って思いましたね」
「母親からすれば、私は手のかからない子だったと思います」
両親との関係が良好で、明るくて自律したしっかり者・・・・・・周りはみんな、私をそう認識していたはずだ。
でも、今改めて振り返ると、甘えたいときもあったのだろうと思う。
「後々カウンセリングを受けて過去を振り返るなかで、『あんたはなんでもすぐに欲しがって・・・・・・』って、親に言われてたことを思い出しました」
「本を買って」など、金銭的な要求を兄より多くすることで、親に甘えたい感情を表現しようとしていたのかもしれない。
02私は悪い子
ド天然な母と、マイルールを妥協できない父
母はかなり天然で、知らないことが多く、それを表に出すこともいとわない。
「母親はLGBTQについてもそんなに詳しくないんですけど、知らないことやあまり興味が持てないことに対して、マイナスな気持ちもないですね」
「私が今の職場の採用面接を受けてきて、パンフレットを見せながらLGBTQの支援団体であることを話しても、『よくわかんないけどまぁいいや』って流されました(苦笑)」
父は、人望が厚い人物で、尊敬している。一方で、どうしてもそりが合わないところもある。
「父親は、自分が許せないことはどうしても許せないところがあって・・・・・・」
特に、食事中のルールが厳しい。
「食事中、私が頭痛でしんどそうにしていると『食卓を囲む場でそんな顔をするな』と言われたり・・・・・・。正直、結構きつかったです」
「今は実家に住んでるんですけど、父親とは一緒に食事をしないことで割り切るようにしてます」
両親のことは好きなはずなのに
両親のことは、小さいころからずっと大好きだ。両親が私のことを愛してくれていることも、よく分かっている。
「母親は、私の読書好きに合わせて、よく図書館に連れてってくれました」
「父親も家族が好きなので、家族で一緒によくお出かけしてました」
でも、両親の言動で傷つき、マイナスな感情を抱くことも少なくなかった。
「だからこそ、両親に負の感情を抱いてる自分が許せなくて・・・・・・。そんな自分は悪い子だって思ってました」
周囲から真面目で社交的な女の子と思われているイメージを崩したくなくて、悩みがあってもだれにも相談できない癖がついていく。
03症状はすべて仮病扱い
体位性頻脈症候群(起立性調節障害)
小学校高学年のころから、めまいや立ちくらみを起こすようになる。
「朝礼でよく倒れる子っているじゃないですか。私もあんな感じでした」
さらに中学校に進学後は、頭痛がよりひどくなっていく。
でも、病院に行っても原因不明。
「脳のCTを撮っても異常が見当たらないから、仮病でしょうね、と言われて・・・・・・」
常に体調が悪いわけではなかったことも、仮病扱いされた要因の一つだ。
特に気候の影響が大きかったため、梅雨の時期である5、6月辺りに症状が悪化することが多かった。でも、朝ベッドから起き上がれなくても、午後になると午前の絶不調がウソのように回復することもあった。
「家族からも、『5月病で、朝起きたり、学校に行ったりするのが面倒なだけなんじゃないの?』って思われてました・・・・・・」
後々、頭痛外来で診察してもらった結果、体位性頻脈症候群という起立性調節障害だと分かった。
身体を横にしている状態から立とうとした際に心拍数が大きく上昇し、さまざまな症状を引き起こすものだ。
頭痛のひどさは10代・20代のときと比べると現在は軽くなったが、解明されていないことがまだまだ多い病気のため、現在も通院している。
今もフラッシュバックする光景
時々調子が悪くなる症状は、周りからなかなか理解を得られず、やがて精神的にも影響を及ぼすようになる。
「中1の終わりから中2までの記憶があまりないんです。あとになって受けたカウンセリングで、そのころにうつ病を発症したんじゃないかと言われました」
今でも1年に1、2回夢に見る光景がある。
「朝、母親が私の部屋のドアを開けて『学校、どうするの?』って声をかける。私が起きられなくて『うーん・・・・・・』って返すと、母親がため息をついてドアを閉めるんです」
この光景が、映像として切り取ったかのように夢に現れるのだ。
04自分の進む道は福祉
パパのクラリネット
調子がすぐれないこともあった中学校生活だが、調子のよいときもあった。
「部活動は吹奏楽部に所属して、クラリネットを担当してました」
「父親も同じ中学の吹奏楽部でクラリネットを吹いてたので、父親から楽器を譲ってもらって使ってました」
読書好きが高じて、将来の夢として絵本作家を志そうと考えたこともあった。
「国語や作文も得意だったので、絵本作家がいいかなって思ったこともあったんです。でも仕事にしたら、読書や文章を書くことが嫌いになるだろうな。好きだからこそ仕事にしたくないなと思って」
とりあえず、やってみる
小学生のころから興味を持っていたのが、福祉の世界だった。
「特に周りに福祉業界の仕事に就いてる人がいるわけでもなかったんですけど、なぜか興味があったんですよね」
小学生のころ、当時はまだスポットライトの当たっていなかった、車いすスポーツについて書いた作文が市内で評価される。
中学校の弁論大会では「パラリンピックを知っていますか」というテーマで中2代表として発表。
「テレビ番組で学んだり、手話の本を買って独学で勉強したり、市の点字教室にお年寄りに交じって参加したり・・・・・・」
興味のある世界にどんどん飛び込む姿勢は、今も変わっていない。
「今の職場の上長にも、『多田さんのいいところは、とりあえずやってみるところだよね』って言われてます(笑)」
周りになんと言われようと、福祉の道に進む!
高校は、福祉について学べる私立校に進学を希望。
「当時基礎的な資格だったホームヘルパー3級という資格が取れたりできる学校でした」
ただ、希望するコースの学力レベルは必ずしも高くはなかった。自分の学力を基準として考えると、もっと上位の学校を選べた。
公立ではなく学費のかかる私立だという点でも、両親からは少々難色を示された。
「本当にその学校でいいの? ほかにもあるんじゃない? とは言われましたね」
「入試試験の面接でも、面接官から『進学コースじゃなくて、福祉のほうを選ぶんだね?』って確認されました(苦笑)」
05手のひらの自傷行為
精神科受診を薦められて
高校3年生に進級したころ、体調がひどく悪化する。
「10日間くらい、ご飯が喉を通らない日が続いて・・・・・・」
頭痛もひどかったため、大きな病院の脳神経外科に向かった。
その病院で、医師から「頭痛だ」と、初めてはっきりと診断された。
「今まで仮病だと言われてきたことが、初めてちゃんとした診断をもらえて、大きな転機になりました」
「両親も、体調が悪かったのは病気だったからなんだ、と認識してくれました」
その医師から、体調不良の要因は頭痛だけでなく精神的なことも考えられるからと、精神科を受診するよう勧められた。
1週間以上も食事がまともにできないという、どう考えても普通ではない状況は、なにか大きなきっかけがあったわけではなかった。
「あまりよく覚えてないんですけど、両親に体調不良を信じてもらえないことから、『見捨てられ不安』が重なったんじゃないかなと思います」
相談されても、相談できない
小学生のときから、他人に恋愛感情を抱いたことがないのに恋愛相談を受けることが多かった。
一方で、自分の不安を周りに打ち明けることはできなかった。
「周りからはしっかりしてる子だと思われてたこともあって、自分の悩みを相談するってことが、本当にできませんでした。周りを信頼してないわけじゃなかったと思うんですけどね・・・・・・」
相談できない鬱屈した不安感は、やがて自傷行為に向かっていった。
「絶対にばれちゃいけないって思ってたので、手のひらを引っかいて皮を剥いてました。手のひらなら、気付かれることはないだろうって・・・・・・」
実際、このときの自傷行為を、家族が気づくことはなかった。
親元から離れよう
精神科を受診していることを両親は把握していたが、病状や原因については細かく把握していなかった。
「頭痛の関連で精神科にも通ってるんだな~、くらいにしか考えてなかったんじゃないかと思います」
週に1回、高校を早退して紹介された東京・霞が関の病院まで通い、そのあと予備校のある群馬県・高崎市まで向かった。
予備校に到着する時刻には、授業がすでに終わっていたので、プリントや課題を受け取り、埼玉の自宅へ帰る。
「今考えると、あのときの自分、かなり体力ありましたね(笑)」
このころ、自傷行為やうつ病の原因が両親にあるとはっきりと自覚。
「一人暮らしをして、両親と距離を置いたほうがいいと思ったんです」
「都内で一人暮らしをするのは怖かったので、地方の医療福祉系の大学や専門学校のパンフレットを取り寄せて、いいなと思ったところが島根の山奥にある専門学校した」
作業療法士を目指して、専門学校に進学。島根県での一人暮らしが始まった。
<<<後編 2024/05/08/Wed>>>
INDEX
06 うつ病がばれて
07 アロマンティック・アロセクシュアルにとって、恋愛はファンタジー
08 私、必要とされているんだ
09 とりあえずTRPボランティアに応募
10 あなた、カウンセラーに向いてるよ