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Writer/きのコ

ポリアモリーを目指した物語。 ドラマ「モアザンワーズ」

ドラマ「モアザンワーズ」あらすじ

「モアザンワーズ」3人の出会いと関係の変化

同じ高校に通う親友の美枝子と槙雄は、一緒に始めたアルバイト先で、大学生の永慈と出会う。3人はつるむようになるが、永慈はゲイであることを自覚し、戸惑いつつも槙雄のことが好きだと言い出す。やがて2人は付き合い始め、美枝子ははしゃぐ槙雄と永慈の姿に、「この2人がずっと一緒にいられますように」と祈る。

しかし永慈の父の「別れてくれ」という言葉から、物語は一変する。跡継ぎを望む永慈の家族は交際に反対し、彼らを引き裂こうとする。「うちが2人の子供を産んだら、別れんで済むんじゃないん?」。2人の仲を親に認めさせるため、涙を流しながら3人で子供を作ることを決意する美枝子。だが、やがて3人の特別な関係は徐々に変化し、幸せだったはずの日々にはもう戻れないと気づく。

「モアザンワーズ」の後日譚「IN THE APARTMENT」

そんな時、槙雄は幼なじみの朝人と偶然再会する。槙雄は朝人と惹かれ合い、一緒にご飯を作ったり、髪の毛を洗ってもらったりする日々を送るようになる。永慈・美枝子との過去について語り、「女でも嫌いな奴は嫌いやし、男でも好きな奴は好きなだけ」と呟く槙雄を朝人は抱きしめる。4人それぞれの若者達の日々の願いと葛藤が、エモーショナルに描かれている。

ドラマ「モアザンワーズ」は、 若者たちが大事な人を思いやりながら成長する10年間の姿を描いた物語だ。

ポリアモリー未満の関係

言葉にできない関係

More Than Wordsというタイトルは、直訳するなら「言葉にできない」「言葉以上の」とでも言えるだろうか。

確かにこの物語に描かれている関係は言葉にできない部分があるし、お互いの間に流れている感情には言葉以上のものがあると思う。何よりここには「友達以上、ポリアモリー未満」と言ってもいい、極めてクワロマンティック的な関係性が描かれていると感じた。

結局のところ、美枝子と槙雄・永慈との間に恋愛感情があったのかどうかは定かではない。美枝子がアロマンティックやアセクシュアルなのか、槙雄がゲイなのか、永慈や朝人がゲイなのかバイセクシュアルなのかも、物語の中で明示的には語られていない。そのセクシュアリティを名付けることは、必ずしも重要ではないのだろう。大切なのは、妊娠して子供が産まれた後も、一緒にいられなくなって離れた後も、3人がお互いを大切に想い合っていたということだ。

厳密には、3人は全員で交際していたわけではないから、この関係がポリアモリーだったわけではない。とはいえ、恋愛感情や友情という区別を超えた親密さが全員にあったし、全員が誠実に自分達の関係性に向き合おうとしていたという点は、ポリアモリーのパートナーシップとも十分に通じるものがあると思う。

しかし、「3人で一緒にいたい」という強い思いがあったとしても、美枝子の ”2人の子供を産む” という解決策はやはり浅はかだったとしか言いようがない。実行するには全員が若すぎたし、周囲に頼れる大人が誰もいなかった。永慈も年上ではあったものの、大人と言えるほど大人ではなかった。

そして結果的に、3人の関係のひずみを槙雄が独りで抱え込み、逃げるように身を引くかたちになってしまった。

3人で子供を作るという選択

槙雄はそこまで子供が欲しかったわけではないものの、それを伝えることができなかったのではないだろうか。寂しいとも、離れてほしくないとも、槙雄は言いたいけれど伝えきれなかったのだと思う。

そもそも槙雄が、永慈の父親の心情を察して自分の人生を決める必要はなかった。優先すべきは永慈と槙雄の人生だったはずだ。槙雄はあまりにも不器用で不憫だし、永慈はあまりにも父親の言うなりになりすぎだとは思う。

3人でセックスして子供を産むという発想も朝人が言うとおり(そして槙雄自身も認めているとおり)突飛だし、妊娠するにしても槙雄かどちらかの子供だけを妊娠するのでなく、両方と個別にセックスして両方の子供を産むという方法だってあったはずだ(もちろん美枝子には大きな負担だし、美恵子と槙雄に子供が産まれたところで永慈の家の「跡継ぎ」問題には関係なかったろうが)。

そもそも、セックスではなく人工授精という方法をとることもできたはずだった。「3人でセックスして妊娠する」という方法しかないと思い込むくらい、全員が追い詰められていたのだと思う。

ヘテロセクシズムに飲み込まれて

男同士の交際に反対する父親に言われた「跡継ぎ」「子供が見たい」という言葉を聞いて、美枝子が2人の子供を産む。セックスも恋愛も興味をもてない美枝子なのに、槙雄と永慈の子供を産むことに「女の体で生まれた意味」を見い出してしまったことがやるせない。

そこに意味を見出さなくても、その身体とその性的指向で生きていていいはずだった。そうでないと、美枝子の存在はただの子供を産む機械になってしまう。

しかも結果的に、ヘテロセクシズムを土台とした社会制度に飲み込まれて美枝子と永慈は結婚を選び(結局、父親の思い通りになっている)、永慈と槙雄は子供が原因で別れる。

この話はフィクションだが、この世のどこかには彼らのような人がいるのかもしれない。

親による子供への抑圧

父親の心配、心配ゆえの抑圧

「モアザンワーズ」の3人の穏やかで幸せな関係は、言ってみれば父親の介入と抑圧によってつらく苦しいものへと変わっていってしまう。

3人に向かって「孫の顔が見たいと思うのがそんなにおかしいか」と父親は怒鳴るが、当然、おかしいとしか言いようがない。それは親が子供に対して(というか、誰が誰に対しても)要求したりコントロールしたりしてよい類の話ではないからだ。

父親が槙雄に打ち明けた永慈への心配は、LGBTの子供をもった非LGBTの親からはよく聞く意見だ。槙雄からしたら、親の立場からそれを言われたら何も言えなくなってしまう。

しかし、だからといってLGBTである子供の生き方を抑圧して、形だけマジョリティの枠に押し込めて、それで差別や暴力を受けなくなったとしても、それはなんら本質的な問題の解決ではない。

父親の「今だけだよな?」という言葉と、槙雄に親としての心配を告げた理由はまったく繋がっていない。結局は体のいい言い訳がそこに存在していただけで、後で言っていた「理解できない」とも併せてそちらの方が本音だったのではないかと思う。

父親の親友のゲイ男性がヘイトによる暴力を受けて障害を負ってしまったのは、100%暴力を振るった側が悪い。暴力を振るわれないようにゲイであることを隠して生きることを、親が子に強制するなどあってはならないことだと思う。

親なら、自分の子が差別や暴力を受けないように、ヘイトをぶつけてくる差別者達と戦って子供を守ってほしい。子供側の生き方を捻じ曲げるのは親として以前に、人として許されることではない。

グロテスクな感謝の言葉

美枝子達に子供が生まれた時の、父親の「ありがとう」という感謝の言葉もグロテスクなものとして響いてしまう。

会社の経営も大事だし、跡継ぎの問題も大変なことは分かる。しかしこの父親は、なぜ目の前にいる永慈という自分の子供よりも、その後に産まれてくる子供のことを優先したがるのか、なぜ自分の子供なのに永慈の幸せを願ってあげられないのか、不思議でならない。

ドラマ「モアザンワーズ」のこれから

再会した3人、戻れない3人

ドラマ「モアザンワーズ」の4人は、これからどうなるのだろうか。槙雄は朝人と話して悩んだ末に、美枝子と永慈に再会することを選んだ。

美枝子たちが槙雄を傷つけたことを謝ったからといって、槙雄は美枝子たちを許さないといけないわけではなかった。けれど物語は3人が再会して、それなりに改めて心を通わせ合い、ハッピーエンドと言えなくもないようなシーンで終わる。

しかし槙雄が美枝子と永慈を許したところで、もう3人が元の関係に戻れるわけでもない。それを実感するのが、3人が再会した帰りに車の鍵が見当たらなくて焦る永慈と呆れる美枝子、というシーンだ。昔は車の鍵が見つからなくて、3人で笑いあっていたのに、今は2人を眺めるだけの槙雄。2人と1人になったということが示されるシーンだったと思う。

槙雄の、ある意味で天性の魅力は、さまざまな人を惹きつけるし、そもそものセクシュアリティが何であれ、関係なく多くの人が槙雄にさまざまな魅力を感じて虜になっていく。捨て猫のように寂しそうに懐いてくる槙雄を、誰もがかまってあげたい、助けてあげたいと思う。そんな槙雄に、朝人のような平穏な拠り所が存在し続けていてほしい。

朝人も含めた4人のこれから

美枝子と永慈との関係において傷ついて逃げだして、それでも槙雄は2人を許したし、美枝子と子供に会って3人で散歩すらしている。槙雄の立場が不憫であることには変わりがないが、これからの4人は2組のカップルのような関係でまた関わってゆくようになるのかもしれない。

永慈と美枝子の部屋には、子供の写真と共に、今も槙雄の写真が飾られていた。永慈は美枝子を送り出した後、しまいこんでいた槙雄の服を抱きしめて嗚咽する。その様子から、彼がまだ槙雄を愛していることは伝わってきた。

もし今後、父親が永慈と槙雄の関係を受け入れることがあるなら、また3人で(朝人や、永慈と美枝子の娘まで含めて5人で)過ごすこともできるようになるかもしれない。

3人はこれから子供も含めて昔のように過ごす関係に戻っていくのかもしれないし、そこに朝人も加わるようになれればと思う。

そうやってまた新しい4人の絆が結び直されていってほしい。そう願わずにはいられない、繊細で切ない物語だった。

 

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