胸をちらっと見られて、性自認を決めつけられたことがあるだろうか。トランスジェンダーでノンバイナリーの私は、この経験を多くして、自分の胸が心底嫌いになってしまった。胸のあるなしによる性別の判断がどれほど正確性を欠いているのか、自身の記憶をふりかえって考えてみたい。
ミスジェンダリングをうむ、胸の存在
性別確認のための胸チェック
数年間会わなかった人たちとの再会で、私に胸があるかないか確認されたのち、ミスジェンダリングを受けることが続いた。
その人たちとはもともと関係が希薄。仕事で過去に数回顔を合わせた程度で、名前すらうろ覚えなレベルだった。
記憶上の人物と目の前の人物を一致させるため、ぎこちない挨拶をする。
私 「もしかして、○○さんですか・・・・・・?」
知人 「はい、えっともしかして■■さん?」
私 「そうです! お久しぶりです」
相手の挙動がおかしくなるのは、決まってこの後だ。近況報告などの当たり障りのない会話をしながら、私の胸を目の端で確認し始める。
何気なくやっているつもりかもしれないが、1対1で話しているのに胸ばかり見られると、流石に私も気が付く。さらに向こうは、私にばれていることに気付くと顔を真っ赤にさせたり、「ずいぶん雰囲気が変わりましたね」と急に話題を振ってきたり、最悪パニックにおちいってしまう。
そうしてようやく私のつぶしきれていない胸を見つけると、ほっとしたように平静に戻り会話が続く・・・・・・。
胸によって起こるミスジェンダリング
なぜ胸を見るのか。私には、胸を利用して性別を判断しようとしているのではないか、と感じられて仕方ない。
相手の行動には思い当たる節があるからだ。
私がここ数年で性別移行を進めてきたことだ。
性別移行をするのかしないのか、何をどのくらいするのかはトランスジェンダー個々人で異なる。私の場合は、だぼだぼな服を着て体のラインを隠し、胸を矯正下着でつぶすなどして、見た目をマスキュリンに寄せてきた。
これら移行をしたのは、ぎこちない挨拶を交わした人たちと会っていない期間だった。以前のフェミニンな出で立ちとはかなり異なる。
そのため、再会した記憶上の女性と目の前にいる女性には見えない私が一致せず、「もしかしたら記憶上の人と同一人物ではないのかも」と焦ったのだろう。そして私の胸を発見すると、記憶上の女性と同一人物だと安心した。私はそう感じた。
ちなみに私は女性ではなく、ノンバイナリーだ。そのため、私の推理が合っているならミスジェンダリングをされたことになる。
胸があるかないかで性別をジャッジされ、ミスジェンダリングされることは、何もはじめてではない。
胸に対する最初のミスジェンダリング
※性暴力の描写があるので、必要に応じて読み飛ばしてほしい。
性暴力とミスジェンダリング
胸のせいでミスジェンダリングをされるのだと、はじめて感じたのは子ども時代だ。
10歳のころ、それまで平らだった自分の胸がふくらみ始めたことに気付いた。しかしその事実に目を向けたくなかった。まるで自分の体に異物が巣くいはじめたような不快感があったから。
私の胸がふくらみ始めたことに対して、私は何も言わないし周囲も触れない。そのため、ぱっと見で分かるほどふくらんでしまうまで、ずっとノーブラで過ごしていた。
そんなある日、祖母と電車に乗った。少しだけ混んだ車両で座席は満席。私たちは2人並んで座席の前に立った。
夕方だったと思う。夕日が美しく、ぼーっと外を眺めていた。すると唐突に、誰かに凝視されているような感覚を味わった。しかし周りに立っている人は祖母だけ。視線を送ってきている人は見当たらない。
ふと座席に目をやると、新聞を大きく目の前に広げた大人が、私の体のどこかを真剣にながめていた。新聞で顔の一部を隠しながらだったが、顔が真っ赤で瞳孔が開いている。
視線をたどると、見ていたのは私の胸だった。
怖かった。
そんな表情で自分の体を勝手にみられるといった経験自体が怖かったのもある。しかし頭に染みついて離れないのは、自分の胸の意味が大きく変わり始めたことに気付いた恐怖だ。
その様子を祖母はちらっと見たが、何も言わなかった。最寄り駅まで、いつも通り電車に乗って帰った。
ブラを着けても着けなくても「お姉さんになりたくない」
数日後、祖母はスポーツブラを買いに私を誘った。売り場に着くと、まずはサイズを測ってみましょうと店員さんに言われ、更衣室に移動。サイズを測るため服を脱いでいると、カーテンの向こうから祖母と店員さんのやり取りが聞こえてきた。
店員「はじめてのブラですか?」
祖母「そうなんです~。もうすっかりお姉さんになってしまって」
店員「成長って早いですよね~」
ここでやっと気が付いた。ブラを着けることや胸のふくらみは「お姉さん」の証拠なのだ。おそらく電車で私の胸を凝視してきた人も、お姉さんの証拠だと思っていたに違いない。
ブラを購入した帰り道は、絶望していた。お姉さんになりたくない。お姉さんだと思われたくない。でもノーブラでいても、お姉さんでいなくてよくなるわけではない。何をしても無駄なのだ。自分の胸を憎んだ。
それから、ブラはしても胸を目立たせないよう姿勢を悪くして歩くようになった。父親に「みっともないから胸を張って歩きなさい」と言われるまで。
胸をつぶせば、ミスジェンダリングは減少するのか
ノンバイナリーと胸をつぶすこと
それから10年以上ブラを着け続けたが、20代半ばで転機が訪れた。
ノンバイナリーという言葉を得て、性自認を知ることができたのだ。夢中になって資料を探した。これまで孤独の中感じ続けた、性別に関する違和感の答えがそこにはあった。
さらに生物学上女性のノンバイナリーの中には、胸をつぶしたり切除のため手術をしたりする人がいることを知った。Netflixの人気ドラマ『Sex Education』シーズン3には、ノンバイナリーのキャラクターが2人も登場する。
そのうちのひとり、「キャル(Cal)」は私のロールモデルとなった。矯正下着で胸をつぶしてだぼだぼなストリート系ファッションを着こなし、堂々と生きる姿が作中では描かれる。一目見て、私がなりたいのはこんな人だと確信した。
そのキャルが、矯正下着の選び方について同じくノンバイナリーの人に教えてあげるシーンがある。どういったサイズのものがいいか、苦しさを我慢してつけてはいけないことなど。そのシーンを見て、私も矯正下着をつけてみようと思い立ったのだ。
胸をつぶしてもつきまとうミスジェンダリング
「これが私だ!」
胸をつぶし、はじめて外に出かけたときのことは忘れない。
誇らしい気持ちで、ずんずんと街に繰り出した。自分らしい見た目をしていると自信がでたし、これでミスジェンダリングも減るだろうと期待した。
しかしここで、新たな問題に直面することとなる。今度は胸をつぶすことで男性に見られるようになってしまったのだ。
そう思わせられる出来事は、よく足を運ぶデパートでトイレに入ろうとしたときに起きた。
男性用、女性用のどちらかしかないフロア。他の階に1つだけある多目的トイレも、いつも埋まっている。トイレに行くという避けられない状況で、仕方なく女子トイレに入ろうと思った。それまでも何十年間も女子トイレを使ってきたから。
深呼吸をし、覚悟を決め、女子トイレの入り口に立ったそのとき。
ちょうどトイレから出てきた人とぶつかりそうになった。あわてて謝ろうと思って顔を上げると、その人が私の体を見て固まっているのが見えた。瞳の中には恐怖の色が浮かんでいるように見えた。すぐにきびすを返し、女子トイレから離れた。
非常事態に出くわしたようなその人の反応から、胸をつぶしたら今度は男性に見られることになったと、直感的に思った。
胸のあるなしの判断はミスジェンダリングを招く
ミスジェンダリングの理不尽さ
ここまで紹介した私の経験が示すように、胸を見て他者の性自認を判別することは適切ではない。
私の胸がどんな状態であろうとも、私は男性か女性どちらかのミスジェンダリングを受けてきた。しかし私自身の性自認は、言葉を得る前も後も変わらず、昔からノンバイナリーだ。
にもかかわらず、胸のあるなしによるミスジェンダリングは私の身に容赦なくふりかかり、心を傷つけてきた。
昨今、トランスジェンダーかどうかは体を見てジャッジすればいいというデマが広がっていると聞く。しかし、見た目で他者を判断することなど、到底可能なことではない。体を見て他者の性自認を判断することがどれほど正確性に欠けるのか、この記事をもって実感してくれる読者がいると嬉しい。
私がノンバイナリーであることは、胸のあるなしに左右されない
最後にひとつ、私にとっての幸せな関係性について話したい。
パートナーとの関係性においてだ。彼は、私の胸がつぶれていてもつぶれていなくても。私をノンバイナリーだと認識してくれるのだ。
彼はもともと、シスジェンダーの女性として私と付き合っていた。だが数年前にカミングアウトをしたところ、おどろきながらも一歩ずつ受け入れてくれ、今では一番の理解者だ。
そんなパートナーと同居しているのだが、私は家でなんとノーブラで過ごしている。理由には、矯正下着は健康のため最大で8時間以上身に着けてはいけないとされていることがある。が、それよりも重要な理由は、パートナーは私の胸をもって性自認を判断しようとしないことだ。
だから私は、ノーブラで家にいることができる。しかも、ノーブラでいることが結構好きだ。体への不快感が消えるわけではないが、どんな状態であっても私はノンバイナリーなのだと思えるから。