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FTMからFTXへ。「真ん中」を選択したら楽になれた【前編】

「10代の頃は、ろうのLGBTなんて自分以外にいないんじゃないかと思っていた」と話す粒来知樹さん。プロレスラーらしい堂々とした立ち姿とは対照的に、話すと感受性豊かで繊細な内面が透けて見える。「20代になり、同じ悩みを抱えたマイノリティがいると知ったことで、気持ちが楽になった。今度は自分が、同じ悩みを持つ人の灯火になりたい」と話す粒来さんの半生に、じっと耳を傾けた。

2018/10/27/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Sui Toya
粒来 知樹 / Tomoki Tsuburai

1981年、北海道生まれ。幼児期に父の仕事の都合で埼玉に引っ越す。その後、通学のため東京に引っ越し、幼稚部から中等部まで大塚ろう学校へ。高校は石神井ろう学校に通った。2010年、小学生の頃から憧れていたプロレスの道に入り、聴覚障害者で初めて後楽園のリングに立つ。リングネームは矢神葵。2014年から、ろう者と健聴者のプロレス団体「HERO」に所属している。

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INDEX
01 家族の横顔
02 性への抵抗
03 登校拒否の始まり
04 FTMを知った日
05 初潮がバレた!
==================(後編)========================
06 将来は真っ暗
07 母への手紙
08 新宿二丁目で知ったこと
09 十数年越しの夢
10 一人じゃないよ

01家族の横顔

目の前が真っ暗になった

先天性の全ろうで、耳が聴こえない。

生まれてからこれまで、母の声も父の声も聴いたことがない。

「子どもの耳が聴こえないと知ったとき、どう思った?」

大人になってから、母に聞いたことがある。

言葉を話し始める時期なのに、名前を呼んでも振り向かない。

不思議に思った両親が病院に連れて行ったところ、耳が聴こえていないことがわかったという。

「お母さんは、ショックで目の前が真っ暗になった、と言ってました」

「どうやって育てればいいのかと思い、落ち込んだって」

当時は埼玉県に住んでいた。

「病院の先生から、ろう学校に通うのがいいよとアドバイスを受けて、県内や都内のろう学校を探したそうです」

「結局、東京のろう学校に入ることに決まり、通学のために引っ越しました」

やんちゃな子ども時代

家族は自分を含めて4人。3歳下の弟がいる。

家族の中で、耳が聴こえないのは自分だけ。

母も父も弟も、挨拶程度しか手話ができないため、普段は口話でコミュニケーションを取っている。

「お母さんは、何でも聞いてくれる優しい人でした」

「お父さんは、優しいけれど厳しいところもある人。言うことを聞かないと、よく怒られました」

「いまは実家を離れて、弟と犬と一緒に住んでいます」

ろう学校には幼稚部から入った。

周りも自分と同じように、耳の聴こえない子どもばかりだった。

そのため、子どもの頃から耳が聴こえないことで困った経験はない。

不安を抱えることもなく、伸び伸び過ごせたのは、そうした環境のおかげだと思う。

しかし、今振り返ると、伸び伸びしすぎているところもあった。

小さい頃から外遊びが好きで、やんちゃだったのだ。

友だちと遅くまで遊んでいて、家に帰るのが遅くなることも多かった。

いつもは優しい母にも、そういうときばかりは「いい加減にしなさい」と怒られた。

「小学生のときに一度、家から閉め出されたことがあります」

「帰るのが遅かったのか、いたずらをしたのか、どうだったかな?」

「原因は覚えていませんが、お父さんが怒って、自分を抱えて玄関の外に放り出そうとしたんです」

「実家の玄関の横には棚があったんですが、そこにしがみついて抵抗したことを覚えていますね」

「でも子どもの力なんて弱いので、すぐに引きはがされて、外に引きずり出されちゃった(笑)」

02性への抵抗

自分は男だと思っていたのに・・・

ろう学校のクラスメートは10人程度。同じメンバーで6年生まで過ごす。

自分のクラスは女子のほうが多く、男子は2〜3人だった。

「当時から、男の子とばかり一緒に遊んでいました」

「でも、小学校の途中で仲の良かった友だちが転校してしまい、遊ぶ相手がいなくなってしまったんです」

「女子とはあまり話が合わなくて・・・・・・」

「みんなセーラームーンとかの話をしていたけど、興味がないから話についていけなかった。退屈でしたね」

小学校4年生のときに、保健の授業を受けた。

女子だけが教室に集められ、保健の先生から「大人になるための準備」の話をされた。

「すごくショックを受けました。“ まさか ” という思いでしたね」

「それまで自分は男だと思っていたのに、結局そうではなかったんだって」

何より嫌だったのは、林間学校や修学旅行の入浴の時間だった。

「自分の体が嫌いだから見られたくなかったんです」

「先生に、どうしても無理と話して、時間をずらして入浴させてもらいました」

集団から、ひとり外れて行動していた思い出だ。

スカートは嫌い

初めてスカートを穿いたのは、幼稚園の入園式のとき。

「嫌だったから反抗して泣きましたが、そのまま連れて行かれました」

「集合写真も泣き顔で写っています」

「自分は号泣しているのに、後ろに立つお母さんは笑顔で写っていて、親子でギャップのある写真なんですよ(笑)」

「その後、幼稚部時代はほとんどズボンで通園しました」

しかし、小学校に上がると規定の制服を着なければならなかった。

相変わらず、スカートは大嫌いだった。

「先生に、どうしてスカートなの? って聞いたこともあります」

「女の子なんだからしょうがないでしょ、って言われましたね」

母にかわいい格好をさせられるのも嫌だった。

髪にリボンを付けられたり、ふたつ結びにされたり。

でも、なぜか「嫌だ」とは言えなかった。

03登校拒否の始まり

上級生とのケンカ

小学校4年生のとき、1つ年上の男子の先輩に「生意気だ」といじめられた。

「やんちゃだったから、悪目立ちしちゃったんでしょうね」

「学校から帰るとき『女のくせに』と言って、いつも難癖をつけられていたんです」

そういうことが何度もあり、ある時、腹が立って相手の胸ぐらをつかんだ。

傘を振り回して、相手に立ち向かっていった。

相手にもスイッチが入った。

「帰宅後、お母さんから怪訝そうに『服は乱れてるし、傘はボロボロだし、どうしたの?』と聞かれました」

「1つ上の先輩と喧嘩したと説明し、もう学校には行きたくないと言ったんです」

登校拒否

通っていたろう学校は、幼稚部から高等部まで同じ敷地内にあった。

進学しても、上級生と顔を合わせる機会はある。

それでも初めのうちは、母から「学校に行きなさい」と言われ、渋々従っていた。

しかし、同じことが繰り返し起こったため、母が自分の気持ちを受け入れて「家にいていいよ」と言ってくれた。

それから中3まで、不登校の状態が続いた。

「家と学校が近かったので、夕方外を歩いていると、同級生にたまたま会うこともありました」

「みんなに『どうして学校に来ないの?』と聞かれて・・・・・・」

「なかなか正直な気持ちを言えなくて、ごまかしていましたね」

04 FTMを知った日

FTMのアメリカ人

家にいる間は、テレビでワイドショーを見て過ごした。

トランスジェンダーという言葉を知ったのは、ワイドショーのおかげだ。

「小学校5年生のときに、昼間のワイドショーで、FTMのアメリカ人の写真が紹介されていたんです」

「すごい髭マッチョのイケメンでした(笑)」

「『本当に女性だったの!?』ってびっくりしましたね」

「そのときに、セクシュアリティに合わせて体を変えられるということを知ったんです」

また別の日、ニューハーフのタレントが大勢出演している番組を見た。

「家族でテレビを見ながら夕飯を食べていたんですけど、彼らの姿を見て、箸が止まっちゃいました」

「自分とこの人たちは、同じ境遇だと思ったんです」

「その後、お父さんがチャンネルを変えちゃったんですよね」

「『見てたのに』とはなんとなく言えなくて、そのまま静かにごはんを食べ続けました」

その番組の中で、ニューハーフの人たちは「元男」とか「元女」と呼ばれていた。

普通の人とは違う「びっくり仰天のモンスター」のような扱い。

そのため、いいイメージは持てなかった。

誰にも相談できなかった

自分もあの人たちと同じかもしれない。

そう思っていたものの、当時は調べる手段が何ひとつなかった。

高校に入った年に、親がパソコンを買い、やっとネットが見られるようになった。

トランスジェンダーについて情報収集し、いろいろな性があることを知る。

「将来は自分も手術をしたいと考え始めるようになりました」

「でもその頃は、日本で手術をするのは無理だと思い込んでいたんです」

体のことを誰かに相談したかった。

しかし、周りに相談できる人が誰もいなかった。

「相談するのが怖いという気持ちがありました」

「友だちから縁を切られたり、ハブられたりするかもしれないと思ったんです」

05初潮がバレた!

初潮を迎える

初潮を迎えたのは、中1になったばかりのときだった。

「夜中にトイレに行ったときに、下着を降ろしたら、シミがついていたんです」

「このシミは何だろう?と思いました」

「小学生のときに保健の先生から説明をされたことを思い出し、もしかしてこれがそうなの? って」

母には相談せず、とりあえずトイレットペーパーを折り畳んで当て、そのまま寝た。

中学生になっても、相変わらず登校拒否を続けていて、昼間まで寝ていることも多かった。

「次の日、お母さんが掃除をするため部屋に入ってきたときに、声を掛けられました」

「寝返りを打ったときに血液が洩れて、パジャマのズボンが汚れちゃったんですよね」

「生理がきたんじゃない?」と母に言われ、青ざめた。

「バレた」と思った。

ホックのあるブラジャー

生理がきたことを、母に言うのは嫌だった。

「おめでとう」と言われることがわかっていたからだ。

お祝いされることに違和感もあった。

生理がきた後、次第に胸も膨らみ始める。

「お母さんからブラジャーを渡されました」

「でも、ホックのタイプじゃなくスポーツブラがいいと言いました」

「ホックのあるブラジャーはどうしても嫌で、着けられなかったんです」

「高校まで、ずっとスポーツブラを着けていました」

20歳になるまで

中学校の部活は、女子はバレー部、男子は野球部か卓球部と決められていた。

1学年の生徒数が少なかったからだ。

本当は野球部に入りたかった。

担任の先生が野球部の顧問だったため「入っていいよ」と言ってくれたけれど、遠慮した。

「周りから『なんでお前が野球部に入るんだよ』という目で見られるだろうと思いました」

「不登校でしたし、それ以上違和感のある目で見られるのは避けたかったんです」

再び学校に行くようになったのは、高校に入ってからのこと。

自分の将来を考え「学校に行ったほうがいい」と思ったのがきっかけだった。

「2年生まではなんとか通っていました」

「でも結局、途中からまた休むようになってしまったんです」

2度目の不登校の原因は、同級生の陰口を見てしまったことだった。

「『あの子オナベなんじゃないの? 気持ち悪い』って、後輩が噂されているのを見ちゃったんですよ」

「ショックでした。いつか、自分もトランスジェンダーであることがバレると思いました」

それから20歳になるまで、たった一人で悩み続けた。

つらい日々だった。

 

<<<後編 2018/10/29/Mon>>>
INDEX

06 将来は真っ暗
07 母への手紙
08 新宿二丁目で知ったこと
09 十数年越しの夢
10 一人じゃないよ

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