02 ハンディをハンディと思わずに済んだ理由
03 初めて ”壁のようなもの” にぶつかる
04 性別って、何だろう?
05 なぜ、男の子のことも好きなのか
==================(後編)========================
06 自分は、ゲイなのかもしれない
07 ゆらぐセクシュアリティ、迷う性自認
08 僕という人間を知ってほしい
09 男性も女性も、みんな好き
10 「知る」ことでネガティブをポジティブに変えていく
01耳と鼻にハンディがあるけれど
バラの匂いをかぐ検査
自分は、嗅覚と聴覚に障害のある体で生まれてきたようだ。
「ようだ」と言うのは、そのことについて両親からは、何も聞かされてこなかったからだ。
「ただ、幼い頃に母に連れられて東京の大学病院に行き、『バラの匂いがわかるかどうか』の検査を受けたことは、強く記憶に残ってます」
耳の聴こえに関しても、両親からとくに告げられることはなかった。
「幼稚園でも、周りの子たちとのコミュニケーションに困ったことはなかったので、自分の聴覚に障害があるとは思わなかったんです」
実は、その当時もろう学校の幼稚部に月数回のペースで通ってはいた。
でも、なぜ自分がそこに通っていたのかはわからなかった。
ところが、小学校低学年だったある日、自分は他の子たちと聴こえ方が違うことをはっきり自覚する。
「いつも、教室のいちばん前の席を求めてることに気がついたんです。その時、『そうか、僕は先生の声が聞こえづらいんだ』って」
みんなが見守ってくれていた
しばらくは、そのまま普通学級でみんなと同じように授業を受けていたが、4年生になるととくに算数の勉強が困難になった。
「その頃から、算数にはむずかしい言葉が増えてきて、それを言葉として吸収することができなかったんです」
そこで、算数をはじめ聞き取りにくい科目に関しては、同じ小学校内にある養護学級で授業を受けることになった。
「おかげで、算数ならではの言葉も聞き取れるようになりましたけど、算数の壁は越えられなかったですね」
「聴こえの問題以上に、そもそも僕は算数や数学など理系の勉強が苦手なんですね(笑)」
遠足などは、普通学級の友だちと一緒に行った。
「耳に障害があることで、クラスのみんなからからかわれたり、いじめられたりすることはありませんでした」
「先生が、みんなにきちんと話をしてくれていたのかもしれません」
発音に関しても、誰にも「おかしくない?!」と、指摘されたことはなかった。
「そんな環境について、両親には『それは、お父さんとお母さんのおかげだよ』と口を酸っぱくして言われていました」
「どちらからも、とくに発音を直されたことはなかったですから」
「先生やクラスの友だちに、すごく恵まれていたのだなあと、今になってあらためて思います」
通知表でも、毎回「ユーモアがあり、協調性があって皆と協力できる生徒」という評価がもらえた。
それが、とてもうれしかった。
「小学校時代は、楽しかった思い出しかありません」
02ハンディをハンディと思わずに済んだ理由
いろいろな影響を与えてくれた父
家族は、父親と母親、そして3歳上の兄。
父親は、長距離トラックの運転手だ。
水を出しっぱなしにしているとすごく叱られる、というように当たり前のしつけに関しては厳しかったが、鮎釣りに連れて行ってくれるなど、努めて一緒に過ごしてくれていた。
自分は写真を撮るのが趣味。それは父の影響だろう。
「3歳くらいの僕が、カメラを持っている写真が残っているのですが、それは恐らく父が撮ったもの」
「よく覚えていないけれど、僕に写真の撮り方を教えてくれたのは、やっぱり父だと思うんです」
母親は、理容師。
今はよその理容店へ勤めに出ているが、かつては自分で店を開いていた。
「母は、髪の毛を切るのが上手で、やさしくて、ごはんを作るのも上手。何でもできてかっこいいと、子どもながらに思っていました」
男の子同士、きょうだいゲンカはしょっちゅうだったが、よく一緒に遊んでくれた。
音楽やマンガを好きになったのは、兄の影響だ。
90年代の『TRF』や『globe』の音楽が好きなのは、当時、兄が彼らの歌をよく聴いていたからだろう。
特別扱いされなかったおかげで
父親も母親も、そして兄も、聴こえに障害のある自分を特別扱いすることはなかったように思う。
球技全般、水泳、スキーなど、さまざまなスポーツを家族4人で楽しんだ。
キャンプにもよく出かけた。
「病気についても両親からはずっと、何も聞かされていませんでした」
「小さい頃から3ヶ月に1度くらい病院に通っていましたけど、両親はそれについて何も説明してくれなかった」
「僕自身も、通院が当たり前になっていたので、とくに疑問を持たなかったんです」
実は、耳の障害のほかに「カルマン症候群」という難病を持っている。
だが、自分がその病気だと知ったのは、ずっと後のことだ。
「耳の障害のことも病気のことも、なぜ両親が僕に話さなかったのか、よくわかりません。とくに理由はないのかも(笑)」
「でも、そのおかげで僕は『自分は周りの子と違っている、変なのかもしれない』と思わずにすんだのかもしれません」
03初めて ”壁のようなもの” にぶつかる
手話が読めない、使えない
聴こえに難がある人はすべて、コミュニケーションの手段が「手話」であると思われがちだ。
しかし、自分は、相手の音声言語を視覚によって理解し、自らも音声言語を発する「口話」をメインにしている。
「小学生の頃は、場合によっては聴こえにくいこともありましたけど、周囲の人たちとは口話で、十分コミュニケーションが取れていたので、手話を使う必要がなかったんです」
小学校高学年の時、月に1回通っていたろう学校内の「きこえの学校」で手話を少し習っただけ。
ところが、小学校を卒業して通うようになったろう学校の中学部では、手話がメインだった。
「日常の対話を手話で行うのはほとんど初めて。先生の指導や友だちの助けがあって何とかついていけましたけど、大変でした」
1年生の時は文化部に所属して、おもに絵を描いていた。
2年生からは卓球に打ち込んだ。
「これも父の影響かもしれません。父が、卓球をやっていたんです」
実践力を鍛えた高校時代
中学部卒業後は、同じろう学校の高等部に進学。
仲が良かった中学時代のクラスメイト6人も、全員一緒に進んだ。
一つ、中学時代と大きく変わったことがある。
実家を離れ、寄宿舎生活が始まったのだ。
「正直、家にいたほうが楽だなあと思いましたけど、寮生同士は基本的に仲がよかったので、何とかやりすごせました」
高等部には「産業工芸科」と「被服科」があり、自分は産業工芸を選択。
授業では、木材や金属を加工して簡単な食器や、たんすなどの家具を作っていた。
普通の高校にくらべると、より実践的な授業やイベントが多かったように思う。
近くの商業高校で ”模擬デパート” が開かれると、自分たちもそこにお店を出した。
授業で作った家具や、廃油から作った石鹸、わたあめなどを販売。
「模擬とはいえデパートだから、接客をします。それにはやっぱり中学部の時よりもさらに高度なコミュニケーションが求められ、とても苦労したことを覚えています」
でも、それも大切な経験。
同級生たちと力を合わせて乗り切った。
04性別って、何だろう?
男の子? 女の子?
昔も今も、高校生の男性が集まれば、好きなアイドルや、好きな女の子の話になるようだ。
同級生たちも、そうした話題で盛り上がっていたのかもしれない。
「でも、僕の耳はそういう話はあまり入ってきませんでした」
「興味がなかったから、だと思います」
女の子のことが嫌いだったわけではない。
ただ、その頃は女の子よりも、もっと好奇心をそそられる問題があったのだ。
当時、テレビのバラエティ番組『学校へ行こう!』が人気で、自分も楽しく見ていた。
『学校へ行こう!』は、「学校を楽しくしよう」を合言葉にV6のメンバーが、直接学校に出向いて学生たちの悩みや疑問を聞き、それを解決するというもの。
「よく、女の子っぽい男の子や男の子っぽい女の子が出ていて、みんなでガヤガヤ楽しそうにしていたんです」
「その様子を見て、世の中にはこういう人もいるんだ、ということを知りました」
違和感も嫌悪感も、まったくなかった。
「みんな同じ人間だし、みんな違っていいんだな、という認識でしたね」
女っぽいが8割、男っぽいが2割
女の子っぽい男の子がいて、男の子っぽい女の子がいる。
では、自分はどうなのか。
「あらためて考えてみると、自分は男だけど女っぽい部分もある。というより、『女っぽい』が8割で『男っぽい』は2割だとわかりました」
もともと体は強いほうではなく、ほかの男の子たちにくらべると圧倒的に力がない。
一般的に、女の子が好むとされる花や人形が好き。幼い頃は『美少女戦士セーラームーン』の世界が大好きだった。
「でもその一方で、『仮面ライダー』もかっこよくて好きだったんです」
女っぽい部分と男っぽい部分、両方を持っている自分って、いったい何者なのだろう。
自分に対する好奇心が、むくむくと湧いてきた。
05なぜ、男の子のことも好きなのか
男の子を好きな自分に、疑問を持たなかった
さらに、誰かを「好きになる」ということについて考えてみた。
初恋は小学校の時。
「同じクラスの、クールな女の子とイケメンの男の子を両方、好きになったんです」
周りを見ていると、男の子は女の子を、女の子は男の子のことを好きになっている。
「どうして自分は、女の子も男の子も好きなんだろう? って」
「でも自分としては、それがおかしなことだとは思いませんでした」
恋といっても、ただ「いいな」「好きだな」と思って二人を見ているだけ。
なぜか、「思いを打ち明けたい」という衝動にかられることはなかった。
誰でも、どんな人でも好きになれる
中学、高校では、好きになった人がたくさんいた。
「女の子も男の子も、後輩も先輩も関係なくみんな好きだった」
学校全体として、みんなの仲がよかったからかもしれない。
「僕の場合、好きになるといっても、恋心とはちょっと違ったような気がします」
ただ、「好き」と思うだけ。それだけで、幸せな気分だった。
実はそれは、今も変わらない。
<<<後編 2018/07/31/Tue>>>
INDEX
06 自分は、ゲイなのかもしれない
07 ゆらぐセクシュアリティ、迷う性自認
08 僕という人間を知ってほしい
09 男性も女性も、みんな好き
10 「知る」ことでネガティブをポジティブに変えていく