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Writer/雁屋優

LGBTQユースが安心できる居場所

26歳にして、初めてビアンバーに足を踏み入れた。アロマンティック/アセクシュアル(恋愛感情を抱かない/他人に性的魅力を感じない)かつ無性でありたいノンバイナリーの私としては、多くの意味で、「私が行っていいのだろうか」と躊躇した上でのことだった。行ってみたら、非常に楽しくて、「もっと早く、お酒が飲めるような年齢になる前にこんな場所に来られたらよかったかもしれない」とほろ酔いの頭で考えた。今回は、LGBTQユースの居場所について、考えていきたい。

バーという居場所

LGBTQの居場所として真っ先に思い浮かぶのは、新宿二丁目のゲイバーやビアンバーだった。

おそるおそる足を踏み入れたビアンバー

26歳の私は、人生初のビアンバーに緊張しながら足を踏み入れた。私は、レズビアンではない。性自認も、男か女か、と問われれば女性だけれど、より正確に言えば、無性でありたいノンバイナリーだ。便宜的に社会から女性と扱われることを緩やかに受け入れているというか、そうしないと生きていけない。

レズビアンでもなく、恋愛するわけでもなく、性自認も女性ではないけど、性表現(どのような性別に見られるような装いをするか)は、女性寄り。女性に擬態した無性の私は、レズビアンの人々のための居場所で、存在を許されるのだろうか。

「そういう人はダメです」ってお店の人に言われたら、すぐ帰ろう。そんな覚悟まで決めて、私はビアンバーのドアを開けた。

優しく聡明な店主との会話が楽しかった

私が訪れたビアンバーは、拍子抜けするくらいに、優しい場所だった。バーの店主は、話しやすい雰囲気を纏っていて、程よい距離感を知っている、聡明な方だった。ビアンバーは初めてだけれど、バーそのものには何度か訪れているから、バーの店主がどれほど気を遣う仕事かは何となく肌で感じていた。

セクシュアリティに関する話が出てくるのなら、さらに繊細な心配りがいる。話すことが不得手な私の想像も及ばないほどの苦労があるだろう。

しかし、店主はそんなことは微塵も感じさせない、やわらかで優しい雰囲気、そして聡明さと芯の強さのある人だった。ガチガチに緊張して、声がうまく出ない私の強張りをゆっくり解いてくれた。

来店を躊躇っていたこと、話すことに自信がないこと――。ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた私に、どこまでも優しかった。

楽しいひとときから覚めて現実へ

私の緊張がほぐれた頃、他のお客さんも来店し、バーならではの楽しいひとときが始まった。日常的に交わされるような会話から、セクシュアリティに関する深い話まで、話題は多岐に渡った。

レズビアンでないのに、ビアンバーに行くことに引け目を感じていたが、そこまで厳格にセクシュアリティを規定する場ではないこともわかり、安心した。

職業も年齢も異なる女性達と、夜遅くまでひたすらに語り続けた。ここでは、セクシュアリティを否定されない。加害されない。安心して話せるって、こんなに素敵なことなのか。

ほろ酔いの頭で電車に揺られながら考えた。

「もっと早く、あの場所に出会いたかったなあ」

LGBTQユースと居場所

訪れたビアンバーのような場所にもっと早く出会いたかった。でも、バーは、お酒を飲める年齢にならないと行けない場所でもある。

20歳未満のLGBTQの居場所は?

お酒とたばこは20歳から。日本における常識だ。成人年齢は18歳になったけれど、お酒とたばこは20歳からなのに変わりはない。バーは、中学生や高校生にとっては、行ってはいけない大人の場所なのだ。

セクシュアリティを自覚し、揺れ動く時期でもある思春期に、安心してセクシュアリティについて話したり、相談したりできる居場所が、あまりにも少ない。LGBTQの居場所として有名なゲイバーやビアンバー、Mixバーは20歳以上でなくては入れないのだから、バー以外に居場所が必要だ。

でも、どこにそんな場所があるのだろう?

少なくとも、私が中高生だった当時には、そのような場所に出会えなかった。

LGBTQユースの居場所作りが行われ始めている

インターネットで検索してみると、LGBTQユース(LGBTQもしくはそうかもしれないと感じている若者)の居場所作りが少しずつ行われていることがわかる。例えば、一般社団法人にじーずや、福岡を中心に活動する任意団体FRENSの活動がそれにあたる。私がこれを知った時点で、にじーずやFRENSの示す若者から外れていたため、主催するイベントに参加したことはない。

そのため、このようなイベントの雰囲気もその空間の良しあしも、私はわからない。ただ、そういった活動があると伝えることしかできない。LGBTQもしくはそうかもしれない若者の居場所というコンセプトを掲げ、活動する団体の功績は大きいと思う。バーに行けない年齢のLGBTQユースにとっては、大げさでなく、命綱となることもあるだろう。

全国各地に居場所がセッティングされれば解決ってわけでもない

にじーずやFRENSのような活動が全国各地に広まっていけば、LGBTQユースの居場所問題は解決するのだろうか。それは少しばかり短絡的に過ぎる。このような活動はどうしても都市部から始まっていくこと、それからリアルの場所にアクセスすること自体が望まぬカミングアウトを引き起こすこともあるからだ。

高校生ともなれば、行動範囲は広がる。しかし、親に行先や何をするのかも告げずに遠出するのは基本的に難しい。結局、遠出しなければリアルの居場所にアクセスできない地域に住んでいる若者は親にうまく嘘をつく、もしくは決死の覚悟でカミングアウトする羽目になる、参加そのものを諦めるということになってしまう。

ならば、小さな町や村でも開催すればいいのかというと、それも違う。そのような地域では、住民同士が顔見知りであることも多く、開催場所に行く様子を近所の住民に見られて、アウティング(本人の了承なく、セクシュアリティを周りに広められること)されるリスクがある。

リアルの居場所には、限界があるのだ。

LGBTQユースには、何が必要か

リアルの居場所がすべてを解決するわけではない。それなら、どのような居場所なら、LGBTQユースの安心できる場所になるのだろうか。それを考える前に、LGBTQユースに必要なものは何か、改めて確認する。

「マイノリティだけど、死なない」という実感

何よりも最初に必要なのは、将来への希望である。日本だけではなく、世界中がお世辞にも希望に満ち溢れているとは言えない状態だけど、自分の将来にある程度の希望を持つことはできる。

「LGBTQだから、自分にはいい未来が待っていない」と日本の若者が感じてしまう要素は、残念なことに、いくらでも転がっている。同性婚が法制化されていないこと、トランス女性への攻撃、セクシュアリティへの無理解、履歴書の性別欄、と枚挙にいとまがない。

地獄もびっくりのひどい状態だけど、それでも、LGBTQの大人は、生きている。地獄に殺されてしまった人もいるし、今まさに壊されかけている人もいるだろう。この地獄でマイノリティであることは、極端に生存が不利になるので、サバイブする必要がある。

でも、LGBTQであるから必ずお先真っ暗とまでは言えない。自分に合った戦略を考えて、戦いながら生き延びている大人達がいる。そのことを知って、「マイノリティだけど、死なない方法がある」と思えたら、自分の未来に少しは希望が持てるのではないだろうか。

生存のための知識

「マイノリティだけど、案外何とかなるんだ」と思えたら、次は生きるための武器が必要だ。何を生きるための武器とするかは人それぞれなのだけど、私はその一つとして、知識を提案したい。

LGBTQユースが生き抜くために必要な知識は多い。合理的配慮とは何か、自分の持つ権利について、自分のセクシュアリティに対してどのような医療や支援が受けられるのか、自分と相手のための合意形成のしかたに、性的なことへの知識、などなど。

私はつい数年前まで、乳房切除(通称:胸オペ)ができることを知らなかった。痛いのが怖いし可愛らしいランジェリーを買うのが楽しいから手術するつもりはないけれど、選択肢があるんだと知ることには意味があった。

自分のセクシュアリティだけでなく、相手のセクシュアリティ、そしてその関係性を大事にできるようになるには、多くのことを知らねばならない。

セクシュアリティにまつわる雑談ができる環境

そして、最後に、相談だけでなく、雑談もできる環境が必要だ。自分事として、専門家に相談をできることと同じくらい、「学校でこんなことがあって、もやっとした」「親のこんな発言が何だかひっかかる」といった、少しの違和感を吐きだせること、それに対して適切な言葉を返してもらえる環境は大切だ。

相談に行くときには、既に相当深刻になってしまっていることが多く、その前段階での対処ができれば、本人の傷を深くせずにすむかもしれない。

LGBTQユースの居場所を再構成する

自分の将来への希望、生存のための知識、ちょっとした違和感を吐きだせる場所。そういったものをLGBTQユースにどう届けていったらよいのだろうか。

弱い先輩、適切な知識、心理的安全性の高い空間

LGBTQユースに届けたいものを言葉にすると、弱い(強くない)LGBTQの先輩の話、適切な知識、そして、少しの違和感も口にできる心理的安全性の高い空間になった。

弱い(強くない)LGBTQの先輩の話の必要性について解説する。

LGBTQだけでなく、その他のマイノリティでも、生きづらさを不断の努力や周囲の愛溢れる関わりによって“克服”した話が多くある。しかし、生きづらさを“克服”する必要なんてないと思う。生きづらいままだけど、何とか死なずに生きている、くらいの、強くないLGBTQの先輩の話は、「それなら自分にもできるかも」と思わせてくれる。

一つの居場所で全部の条件を満たさなくたっていい

先ほど挙げたものを、一つの居場所で満たすには無理がある。運営も大変になってしまう。だから、少しずつ、いろいろな居場所で必要なものを満たせたらいいのではないかと考えている。

LGBTQの先輩の話を知るためにLGBTER(エルジービーター)などのインタビュー記事を読んでみるのもいいし、NOISEに書かれている記事を読んでみるのもいい。LGBTQの先輩と話せるリアルの場に足を運ぶのも有意義だろう。

適切な知識については、本当に情報が玉石混交もいいところで、こうすればよいと言えるものでもない。残念ながらこの国の性教育は不十分だし、それをしっかり補うコンテンツが育っているとも言い切れない。でも、少しずつそういった場を作っている方もいる。

心理的安全性が高く、少しの違和感も吐き出せる場所。これが一番難しい。相談だけでなく、雑談ができるには、普段から信頼のおける空間であると思われないといけないからだ。場所はリアルでもオンラインのクローズドのチャットでも構わないが、信頼を獲得するのはとても難しい。

リアルとオンライン、ハイブリッドでいいとこ取り

居場所はリアルであるべきか、オンラインであるべきか、と二元論で考えるのではなく、両方使って、いいところを活かすのがいい。リアルな場に来るのは怖いけれど、オンラインなら話せる人もいるし、その逆の人もいる。人は皆、それぞれに得意なコミュニケーションの手法があるのだ。それなら、自分に合った方法でやれた方がいい。

居場所があることで、LGBTQもしくはそうかもしれないと感じる若い世代にとっての過酷さが少しでも軽減されることを願う。

 

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