INTERVIEW
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誰にでも、新しい朝は絶対に来る。だから、生きてほしい【前編】

インタビュー日は、冷たい雨が降っていた。しかし、石川多香美さんがその場にいると、木漏れ日のようなやさしいあたたかさで包まれるようだった。終始ほがらかで、笑顔も多い石川さんだが、学生時代を振り返る時は、やや表情がこわばる。辛い経験の真っただ中にいた時期だから。人生における大きな壁を乗り越えて見えたものは、 “生き抜く” ことの意味。

2021/03/17/Wed
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Ryosuke Aritake
石川 多香美 / Takami Ishikawa

1977年、静岡県生まれ。物心がつく前に千葉県に引っ越し、現在も在住。中学・高校で壮絶ないじめを経験する。高校時代に出向いた新宿二丁目で女装家の存在を知り、女装に興味を抱く。30代で「MTF」という言葉を知り、自身のセクシュアリティを意識し始め、ホルモン治療を開始し、名前を「多香美」に変更。現在の目標は、性別適合手術と戸籍変更。

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INDEX
01 やさしくて個性の強い家族
02 気持ちが安定しなかった幼少期
03 幼心に抱いた疑問と違和感
04 “恐怖” を感じるほどのいじめ
05 生き抜くことで見える未来
==================(後編)========================
06 新宿二丁目で開いた新たな扉
07 男でも女でもない自分
08 きっと私は「MTF」
09 カミングアウトで知った家族の信頼
10 私が見つけた「新しい朝」

01やさしくて個性の強い家族

両親のありがたみ

生まれたのは、父の故郷である静岡。育ったのは、母の故郷である千葉。
現在も、両親と一緒に千葉で暮らしている。

「社会人になってから1人暮らししてたんですけど、2019年5月に実家に戻ったんです」

「前の仕事を辞めてから、次の就職先が見つからなくて、親に『一緒に暮らしたい』って相談しました」

新型コロナウイルスの影響で、職探しはさらに難航している。

アルバイトをしながら、次の道を模索しているところ。

「いずれは性別適合手術をしたいし、顔の整形や豊胸も考えているので、早く治療代を稼ぎたい、って気持ちがあります」

「ただ、今みたいに出かけづらい時期に、実家にいられて良かった、って思っています」

「一緒に住むことで、改めて両親のありがたさを知ったし、自分の考え方も見直せた気がするんです」

気分屋な姉

実家の隣には、姉夫婦が住んでいる。

「2人きょうだいで、姉とは3歳離れてます」

「趣味が共通してるんです。TM NETWORKが好きなこととか、ジャニーズが好きなこととか(笑)」

「姉はいろいろな動物を飼っていて、お世話や散歩につき合うこともあります」

昔からたくましく引っ張ってくれる姉だが、気分屋な面もある。

「長く一緒にいると、その人のクセとか気分の波がわかるじゃないですか」

「だから、姉が機嫌悪そうな時は、近づかないように距離を置いたりしてます(笑)」

褒めてくれない母

2人の子どもを育てた母は、どこか気難しさのある人。

「基本的にはやさしいんですけど、なかなか褒めてくれなくて、厳しい部分もあります」

子どもの自主性を重んじてくれる母だが、とある分野においては、いたく厳しい。

「母は栄養士の資格を持ってるので、料理に関してはすごく厳しいんです。普段から料理を手伝うんですけど、砂糖を入れるタイミングとか、うるさいんですよ(苦笑)」

「今でも、ときどき怒られます(苦笑)」

02気持ちが安定しなかった幼少期

興味のない人間関係

幼い頃の自分は、おとなしい子どもだった。

「母からは『1人が好きで、あまり友だちと遊ばない子だった』って、言われたことがあります」

「確かに1人でいることは多かったけど、無理して人と接しなくてもいいかな、って思ってた気がします」

「周りに気を使うと、だんだん人に寄せていかなきゃいけなくなるじゃないですか」

「そうなると自分が出せなくて、ストレスを感じる、って幼いながらに思ったんじゃないかな」

友だちを作ることにも、クラスの中で目立つことにも、憧れることはない。

「学級委員とかも興味がなくて、ただ平凡に暮らしていきたいな、って思ってました」

ただ、そう感じるようになったのは、幼稚園での経験が影響しているかもしれない。

幼いちょっかい

幼稚園で、周りの子からからかわれることがあった。

「断片的にしか覚えてないんですけど、ちょっといじめみたいなことがあったんです」

「理由はわからないけど、私がなよなよしてたからかな・・・・・・。だから、友だちと遊ばずに、1人でいることがパターン化していたところはありました」

幼稚園のやすみ先生が、からかわれている自分を気にかけてくれた。

「やすみ先生が声をかけてくれて、救われましたね。だから、大好きでした」

特別扱いされているようで、うれしかった記憶が強く残っている。

取り扱いの難しい子

もう1つ、母からよく言われたのが「手がかかる子だった」。

「私は急に暴走する子で、取り扱いが難しかったみたいです」

姉の水泳教室を見学しに行った日のこと。

プールサイドにいたはずが、いつの間にかスポーツジムを飛び出し、車道を走るバスを追いかけていた。

すぐに親に見つかったため、事故や事件に発展することはなかった。

「車道と歩道が分かれていたから良かったけど、分かれていない道路だったら、どうなってたか(苦笑)。興味があるものに、没頭してしまうところはあったかもしれないですね」

小学生になり、授業中に発表する時にも、暴走グセが出てしまう。

「言葉に詰まると、クラスメートから『何も言えねぇのかよ』みたいに言われたんです」

「そのからかいの言葉が屈辱的で、教室を飛び出して、逃げ出しちゃったり・・・・・・」

「そういうこともあって、 “問題児” ってレッテルを貼られてしまいました」

03幼心に抱いた疑問と違和感

「男らしさ」

子どもの頃に好きだったことは、人形遊び。

姉が持っていたキティちゃんやキキララの人形を借りて、遊んでいた記憶がある。

「姉ともよく遊んだし、姉がいない時は1人で遊ぶこともありました」

母から一度だけ、「もうちょっと男らしい遊びをすれば?」と、指摘されたことがある。

「そう言われて、ウルトラマンの人形を与えられたんです。でも、ウルトラマンは何かが違うな、って思ったんですよね」

「男らしい遊びって何? って、頭の中ははてなマークでいっぱいでした」

ただ、人形遊びは家の中だけの楽しみ。

幼稚園や小学校では、絵を描いて過ごすことが多かった。

「友だちの前で人形遊びをしたら、『男らしくない』とか、言われるのがオチだったでしょうね」

「実際に、男の子から『もうちょっと男らしくしたら?』みたいに言われたことがありました」

「小学校でも、なよなよした部分が出てしまっていたのかな、って思います」

「しゃべり方について指摘されたことはないから、仕草がほかの男の子とは違ったのかも」

初めてのスカート

小学校高学年の頃、洗濯ものをたたんでいる時に、母のスカートが気になった。

母に「このスカート着てみたいんだけど、いい?」と聞くと、「いいよ」と許可が下りた。

「初めてスカートをはいて、結構動きやすいんだな、って思いました」

「軽いし、脚も広げられるけど、広げすぎるとパンツが見えるなとか(笑)」

「そこで疑問を抱いたんです。なんで男子はズボンで、女子はスカートなんだろう? って」

なぜ、男女で服装が区切られているのか、不思議に感じた。
同時に、幼稚園児の頃から、違和感を抱いていたことを思い出す。

「なんで男子はかっこいい服を着てて、女子は違う服を着てるのか、気になっていたんです」

「疑問や違和感があったから、はいたことのないスカートに興味が湧いたんだと思います」

04 “恐怖” を感じるほどのいじめ

謎のままだった理由

中学に入学して間もなく、いじめられるように。

「私はからかいやすかったのかな。変なあだ名をつけて、呼ばれるようになって。『やめろ』って、抵抗したんですけど、エスカレートしちゃって・・・・・・」

最初は、特定の男の子たちから、からかわれていた。

しかし、1年生の2学期に入ると、いじめの規模は拡大し、クラス全体が敵のようになった。

「1つのグループのいじめが、だんだん複数のグループに伝染して、膨れ上がっていきました」

「上履きや教科書を隠されたりして、すごくショックでした・・・・・・。自分がいじめられる原因って何だろう、って考えましたね」

自分は目立つつもりはなく、1人で過ごせれば良かった。だから、特に周りと違うようなことをした覚えはない。

「やっぱり仕草のせいかな、って思ったりもしたけど、本当の理由は謎のままでした」

「“普通” でいることが良しとされるのかと思って、 “普通” の意味を調べたりもしました」

辞書で調べると、「一般的なこと」と、書かれていた。

「その “一般的” の中身が、知りたかったんですけどね(苦笑)」

助けてくれない大人

いじめられていることを、親に話した。

「助けてほしかったけど、親はただ『学校に行きなさい』としか、言いませんでした。親に迷惑をかけたくない気持ちもあったから、強く訴えられなくて・・・・・・」

担任教師にも話したが、対処してくれる気配はない。

「初めてクラス担任をした先生で、対応の仕方がわからなかったんでしょうね」

「でも、あまりにも指導力のない先生で、正直ちょっと恨みました」

担任に話したことがクラスメートにバレてしまい、いじめはさらに激化する。

「親も先生も頼れないから、自主的に登校拒否をしたというか、仮病を使って休むことが増えました」

救ってくれた先輩

日に日に激しさを増していくいじめに、恐怖を覚え始める。

「クラス全体にいじめられて、もしかしたら殺されるんじゃないか、って危機感を覚えました」

「怖くて怖くて、2年生のクラスに逃げ込んだんです」

助けを求めたクラスは、正義感の強い生徒が多く、話を聞いてくれた。

「先輩たちが『こいつはいじめられてるから、助けてください』って、先生たちに掛け合ってくれたんです」

先輩たちのおかげで、教師が動き出し、いじめは沈静化した。

「いじめが収まったのは、1年生が終わる頃でしたね」

「いじめられていたことが学校中に広まっちゃったから、しばらく登校できない時期が続きました」

親から「いじめられてたなら、なんで言わなかったんだ」と、言われる。

「話を聞いてくれたなったのは、誰だよ!」と、強く言い返してしまった。

「中学2年生の間は、いじめられることもなく、平穏に過ごしました」

「でも、中学3年生の受験シーズンに入った頃、またからかわれ始めたんです。中1のいじめと比べたらマシだったけど、やっぱりイヤでしたね」

05生き抜くことで見える未来

繰り返されるいじめ

中学時代は、将来のことを考えられなかった。
とにかく現状から解放されたい、という気持ちだけだったから。

「これからのことは、高校に進んでから決めよう、と思ってました」

進学し、同級生の顔触れは中学からガラリと変わったはずだった。しかし、高校でもまたいじめの標的にされてしまう。

「どうして私だけいじめられるのかな・・・・・・って、途方に暮れました」

同級生から「ホモ」「オカマ」といった言葉を、浴びせられる。

「その時に、初めて『ホモ』や『オカマ』って言葉を知ったんです」

「何それ」と聞くと、同級生は「お前みたいなことだ」と、言っていた。

同級生から、暴力も振るわれた。

「棒状のもので、攻撃されて、本当に殺されると思いました」

「辞めてもいいよ」

いじめられている間、拠り所となるものや場所はなかった。

「精神的にすごくまいってしまって、余裕がなかったです。このまま生きてても仕方ないのかな、って初めて “死” を意識しました」

「自分の手首を切ったらラクになるかな、って考えるほど、追い詰められてましたね」

いざ手首を切ろうとすると、手が震えてしまい、できない。

「自殺するって、こんなに怖いことなんだ、って知りました」

「死ぬぐらいだったら、人生やり直せるんじゃないか、と思い直して、親に相談したんです」

親に高校でもいじめられていることを話すと、「辞めてもいいよ」と、言ってくれた。

「親も解決策が見つからなかったのか、『また入り直せばいいんだし』って、受け止めてくれました」

1年生の2学期に入る直前に、高校中退を決意する。

同じ思いを抱えた友だち

「最低でも高校の卒業資格は欲しかったので、すぐに予備校に通い始めました」

高校中退者向けの予備校で勉強するため、新宿に通う日々が始まる。

「その予備校が、南新宿にあったんです。勉強に集中できる環境が整って、すごく気持ちがラクになりました」

周囲にからかわれることはない。むしろ、同じ思いを抱えた人ばかりだった。

「関東のいろんなところから人が集まっていて、それぞれに悩みや思いを抱えていました」

「私も、そこで初めて『いままで辛かった』って、言える友だちができたんです」

友だちの1人が、「僕も君と同じ目にあったから、一緒に寄り添えたらいいね」と、言ってくれた。

「その言葉は、シンプルにうれしかったですね」

「『勉強頑張って、一緒に予備校を卒業しようね』って、言ってもらえて、元気が出ました」

「高校を辞める、っていう判断は間違ってなかった、ってすごく感じてます。あそこで判断したことで、楽しく勉強できる喜びに出会えたから」

「今が苦しくても、生きていれば絶対に変化があるし、先が見えてくるんですよね」

 

<<<後編 2021/03/24/Wed>>>

INDEX

06 新宿二丁目で開いた新たな扉
07 男でも女でもない自分
08 きっと私は「MTF」
09 カミングアウトで知った家族の信頼
10 私が見つけた「新しい朝」

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