INTERVIEW
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Wマイノリティだって、ただ存在しているだけでいい【前編】

「今なら自分のことを話せる気がする」。近藤さんはそう言って、心の声を綴ってきたノートを2冊抱えて取材場所に現れた。障害を抱え、そのためにいじめにもあい、セクシュアリティのことで悩んでいても、誰にも話せないでいた近藤さん。その心のトビラを叩いたのは、同じセクシュアリティの、同世代の女性だった。自分も、誰かにとってそんな存在になれたら。そう言って、つらい思い出もていねいにたどり、ひとつひとつ話してくれた。

2018/10/14/Sun
Photo : Tomoki Suzuki Text : Yuko Suzuki
近藤 里夏 / Rina Kondo

1995年、東京都生まれ。父、母との3人家族。発達障害でXジェンダーという、いわゆるダブルマイノリティ。軽いものの、解離性障害の症状もある。幼い頃から音楽や絵、読書に親しみ、とくにエレクトーンの稽古は長く続けていた。大人になった今、そのことがプラスに働くような予感がしている。現在、発達障害の就労移行支援に通う準備中。

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INDEX
01 男の子になりたい
02 「発達障害」と診断されて
03 小学校よりも過酷な日々
04 Xジェンダーなのかも?
05 男として好きなのか、女として好きなのか
==================(後編)========================
06 カミングアウト
07 自分の中にある同性愛嫌悪の正体
08 一社会人として生きていくために
09 輝きたい、輝けるかな、輝けるかも
10 クエスチョニングでいいかもしれない

01男の子になりたい

「かわいい」 と言われても、うれしくない

小学校3、4年生の時点で、「手術で性別を変えられる」ということを知っていた。

「テレビはあまり見なかったんですが、性同一性障害のことを扱っていた番組を見たのか、それかクラスメイトから教えてもらったのか??」

その頃、漠然と、でも無性に「男の子になりたい」と思っていた。

性別適合手術を受ければ、その願いは叶うだろう。

ただ、手術には大きなリスクを伴う。
そこまでして男になりたいか、というと、そうでもなかった。

「私は、出産予定日より3ヶ月早く、744グラムで生まれました。その影響で気管が弱く、5歳の時に手術を受けたんです」

手術も、それに伴う入院や治療も大変だった。

そのことを思い出すと、再び大きな手術を受ける気は起きなかった。

それに、「男の子になりたい」というのは、正確に言えば「今とは違う性別になりたい」ということ。

「親戚や知り合いの人に『かわいい』と言われることに、なぜか違和感がありました」

叔母がヘアアレンジの上手な人で、遊びに来ては自分を女の子っぽい髪型にした。

「かわいい、かわいい」と言い、その様子を見て母親も喜んでいた。

「でも、私は無理やり女の子にさせられている、という感じがすごくあって」

「早く元に戻して! と訴えても、叔母も母親も『かわいいんだから、いいじゃない』と言って取り合ってくれませんでした」

女の子の体を見て変な気持ちに

同じ頃、体育の授業で体操着に着替える際、男女で教室を別にするようになった。

「そうしたら、男の子がひとり、女の子たちの中に放り込まれて『え、どうしよう』と困っているような、そんな感覚に陥ったんです」

そして、女の子の体を見て欲情する自分がいることに気づいた。

「それが恋愛的な感情だったのかわからないのですが、とにかく女の子の体が気になってしょうがない」

「自分が変な方向に行ってしまいそうで怖かったし、とうとう気が狂ったんじゃないか、って思ったことを今でも鮮明に覚えています」

そのうち、親友だった女の子のことを恋愛感情的に見るように。

「女の子のことが好きって、自分はいったい何? って、ますます自分の性別がわからなくなってしまいました」

02 「発達障害」と診断されて

周りの子と同じようになりたい

通っていた小学校では学級崩壊が起き、いつしか自分がいじめの対象になっていた。

「はじめのうちは、いじめの対象は何人かいたんですが、だんだん絞られて、私ひとり、男子からも女子からもいじめられることになったんです」

「最終的には男子からいじめられていた男子が私をいじめ出したことで、さらにいじめがひどくなりました」

音やマイナスな言葉に敏感で、過剰な反応をしてしまうことも、からかわれる原因に。

「自分の反応は、他の子とは違っていて、それがおもしろかったようです」

たとえば、相手の言葉の裏にある意味を汲み取れず、文字通りに受け止めてしまう。

冗談を真に受け、お世辞もそのまま本気にした。

「だから、みんなと話をしていてもノリを合わせられないというか・・・・・・」

「いじめられていても、まあいいや、と冷めきった気持ちでいましたけど、やっぱり心のどこかに、みんなとつながりたい、仲良くしたいという思いはありました」

でも、みんなと同じようになりたいとするほど、かえって違うことが目立ってしまう。

毎日、つらかった。

スカート姿の自分を「醜い」と感じていた

6年生に上がる前、肺炎をこじらせて入院した。

「りなちゃん、久しぶりだね。覚えているかな? 随分と大きくなったんだね」。そう声をかけてくれたのは、生まれた時に診てくれた男性医師だった。

「お見舞いに来てくれたんですよ。すごく驚きました」

入院した病院が、自分が生まれた病院と提携していることは知っていたが、まさか、そんな再会が待っているとは思わなかった。

うれしくて、話が弾んだ。

後から知ったことだが、その時の自分の言動や、コミュニケーションの取り方を見て、医師は母親に「発達障害ではないか。一度、検査を受けてみては?」と勧めたそうだ。

「後日、検査を受けたら、ドンピシャでした」

高機能広汎性発達障害の疑いがあると診断された。

「多動のほか、私は極端な偏食で、トマトしか食べなかったりして母親は『なんか、おかしい』と思っていたようです」

「それが発達障害という病気が原因だとわかって、母親はホッとしたようでした」

「私がクラスになじめず、いじめの対象になったのも発達障害の特性ではないか、と」

母親からそう聞かされても、自分にはピンとこなかった。

「その時の私は、どうやったら卒業式にスカートをはかずにすむか、ということで頭がいっぱいだったんです」

相変わらず、自分が男のなのか、女なのかわからないままだったが、「スカートをはくのがイヤ」ということははっきりしていた。

「メガネをかけてスカートをはいている自分の姿を醜い思い、けだもののように感じられてしまって」

「中学校は、何とかして制服のないところに行きたいと思っていました」

ラッキーなことに、その願いは叶えられた。

「発達障害に理解がある」と母親が探してきてくれたのが、制服のない学校だったのだ。

入学試験にも無事、合格した。

03小学校よりも過酷な日々

つらすぎて、現実を受け止められない

発達障害の影響によるいじめとスカート問題が一挙に解決。
中学校では楽しい毎日が過ごせるはずだった。

ところが、現実はそう甘くはなかった。

「中学に入ってよけいに、周りとのコミュニケーションがうまくいかなくなってしまって」

「とにかく、クラスの中で私ひとりが浮くんです」

小学校時代と同様、自分の反応がみんなの笑いのタネになった。

「自分の反応の仕方が、いいのか悪いのか、自分ではわかりませんでした」

「でも、少なくても笑われていい気持ちはしなかったので、悪いことなのかな、だからみんなから浮くんだな、と思っていました」

いま思えば、当時の自分はテンションが高く、たしかに周りの子たちとは違っていた。

「人と違うこと=悪」とまではいかなくても、からかわれる理由としては十分だった。

「音に敏感な私の席の横に男子が来て、技術の授業で使っているトンカチで私の机をガンガン叩くんです」

嫌がると、ますます叩く。

「楽しそうな彼の表情が、私には理解できませんでした」

女子は女子で、あるグループの子たちに「うちのグループに入れるかどうか」、試験を受けさせられた。

男子も女子も遊びのつもりだったのだろうが、からかわれ続ける自分としては到底、そうは思えなかった。

「つらすぎて、自分が浮いている、いじめに近いことをされているという現実を受け止めることができませんでした」

だから、彼らに抵抗することも、登校拒否になることもなかった。

「後になって、軽い『解離性障害』だと診断されたのですが、この時すでに、解離していた部分があったのかもしれません」

「女の子っぽい」が、どうしても受け入れられない

学校生活がつらすぎた。

だから、小学生時代に感じていた自分の性への疑問や違和感は、どこかに飛んでいってしまった。

「ただ、”女の子っぽさ” を強要されることについては、強い違和感を持っていたんです」

1年次の学芸会で、妖精の役を演じることになった。

「衣装はティンカーベル風で当然スカートだし、セリフも女性を強調するもの。化粧もさせられ、ヘアスタイルも女の子っぽくさせられて」

「これじゃ、まるでオネエだな、と思いました」

「とにかく女の子っぽい格好をさせられることが、受け入れがたかったんです」

普段は、ズボンをはいていたが、とくに男の子っぽい格好をしていたわけでもない。

おしゃれはまるで関心がなく、洋服は母親が選んで買ってきたものを着ていた。

「母はフレンチ系のファッションが好きなので、ブラウスとかは女の子っぽいテイストだったのですが、私はとにかくズボンをはいていられればいいや、という感じでした」

スカートだけでなく、女の子っぽい服装はイヤなのだと思っていながら、母親にそれを言えば怒られるだろうし、他に話せる相手は誰もいなかった。

そんななか、中学2年生の時にひとつの転機があった。

「学習旅行で、秋田に行って農作業をしたのですが、その時、作業着として全員、ワイシャツを着ることになったんです」

ワイシャツは、色にはバリエーションはあるものの、デザインに甘さはない。

「袖を通したら、着心地もですけど、気持ち的にすごくラクだったんです」

「これだ、私が着られる服があった! って、心がすごく解放されたような気がして」

うれしかった。

だからといって、それ以降ずっとワイシャツを着続けていたわけではなく、相変わらず母親の選んだブラウスを着ていた。

「でも、どんな服を着せられていても、いざとなればワイシャツがあるから大丈夫って、気持ちを保っていられるようになりました」

思い出してみると中学生の頃から、話を聞いてくれる先生がいた。

音楽や美術の先生だ。

「一般の教科を教えている先生より、音楽や美術の先生のほうが物事をニュートラルに見ることができていたように思います」

「だから、私も胸の中のモヤモヤを打ち明けやすかったんです」

それによって心のバランスをなんとか保つことができるようになった。

04 Xジェンダーなのかも?

初めて女の子とつきあう

学校は中高一貫校だったので、高校になってもクラスメイトは見知った顔ばかり。

その頃には、自分が周囲から「浮く」ということに関しては、ある意味、慣れっこになっていた。

しかし、人間関係の悩みによって影を潜めていた、セクシュアリティの問題が姿を現しはじめた。

「2年の時、クラスメイトの中に、自分と同じ読書が趣味だった女の子がいて、仲良くなりました」

その友だちはアスペルガー症候群の傾向があった。それが、自分と同じ広汎性発達障害の一つだったせいだろうか。

親近感がわいた。

ただ、数少ない ”同類” だったために密着しすぎてしまい、友だちというよりも共依存関係に。

お互いに、「この子がいないと、自分はダメ」と思うようになっていた。

「ある時、彼女がフラッシュバックを起こしたことをきっかけに、私のほうが彼女に献身的になってしまって」

気がついたら、彼女に対して恋愛感情を抱いていた。

キス事件勃発

彼女も、自分に対して好意以上のものを抱いている、と思っていた。

ところが、彼女のことを好きだという男子生徒が現れる。

彼女もまんざらではなさそうだった。

「彼女を奪われる、と思いました」

ある日、図書室で3人、話をしていた。

「男の子と、『彼女のことをどれくらい好きか』という話になって。彼が『じゃあ、キスできるか?』と言うので、勢いで私は彼女にキスをしてしまったんです」

そのことが担任に知られ、学年主任や親をも巻き込むトラブルとなった。

不思議なことに、それについてはあまり記憶がない。

「彼女にキスをしてしまったことに、自分で驚いてしまって」

小学生の時に女の子の体を見て覚えた欲情とは違い、純粋に彼女のことが好きだった。

「そのくせ、ジャニーズのアイドルのことも好きだったんです」

自分は何者なんだろう。

Xジェンダーという言葉

キス事件によって、学年主任が、セクシュアリティに詳しい別の学校の先生を紹介してくれた。

話を聞いてもらったが、自分が男なのか女なのか、という問題は解決しない。

「むしろ、どんどん迷路に入り込んでいきました」

ちょうどその頃、同級生の男の子から告白され、つきあうことになった。

「でも、1週間で『友だちに戻ろう』と言われてしまって」

「それ以降は、恋人がほしくてブログを通じて、レズビアンやバイセクシュアルのコミュニティに入り、くっついたり別れたりを繰り返していましたね」

そしてその頃から、セクシュアリティの問題に向き合うために、自分の心の動きや過去のことをノートに書き留めるように。

もともと国語が得意で、書くことが好きだった。

とにかく、心の中のことを言葉にしたかった。

そして3年になろうかという時。それは、自分の誕生日のことだった。

たまたま見ていたテレビの情報番組で、村田沙耶香さんの『ハコブネ』という本が取り上げられていた。

「なぜかわからないけれど、直感的に、『あ、これを読まなくちゃいけない』と思ったんです」

さっそく図書館で借りて読んでみると、冒頭の一文に眼と心が釘付けになった。

ーーどちらでもない性別として生きる道を選んだ人のことを、そう言うんだってーー(『ハコブネ』村田沙耶香/集英社 より)

この本で、初めて「Xジェンダー」という言葉を知った。

「あ、自分はこれかも? って、答えを見つけたような気がしました」

長年抱えていた悩みの答えにたどり着くことができて、ホッした。

「ただその反面、じゃあXジェンダーって何? どうやって生きていけばいいの? と考えてしまって」

悩みは深まる一方だった。

05男として好きなのか、女として好きなのか

年下の女の子にひとめぼれ

インターネットや本などでXジェンダーについての情報を集めるうち、Xジェンダーを含めたセクシュアルマイノリティの子どもたちを支援するNPO団体の存在を知った。

パンフレットを取り寄せたり、電話で相談をしたりしたが、なかなか解決の糸口がつかめない。

「一度、その団体が主宰するイベントに行こうと思って親に話したら、『どういうことをしているのかわからないところに行くな。行くなら親子の縁を切る』と言われてしまって」

「子どもを心配する親心だったのでしょうけど、そもそも父親は、同性愛をすごく嫌悪していたんです」

でも、どうしてもLGBT当事者に会いたかった。直接話せば、何かつかめると思ったのだ。

大学に入ってから、親には内緒でそのNPOへ。

そこで、2歳年下の女の子にひとめぼれをした。

「彼女は、自分はレズビアンかもしれないけれど、よくわからないので、答えを見つけるためにそこに来ていました」

「高校2年の時に好きになった彼女とは、共依存的な関係にあったけれど、今度こそ純粋にな恋愛感情でした」

ポリアモリーを実践してみた

女性を恋愛対象として見られる、と自覚する一方で、男性にも恋愛感情を抱く自分がいた。

相手は、高校2年の時に1週間だけつきあい、その後はよき相談相手になってくれている彼だった。

「それで、2人に自分の気持ちを伝えて、ポリアモリーをすることにしたんです」

2人とのそれぞれの関係は、2年ほど続いた。

「だんだん、自分の気持ちを抱えきれなくなってしまったんです」

「とくに彼女とのこと。彼女とデートをしたある日の帰り、性自認がわからなくなってしまって」

自分がXジェンダーであることに変わりはない。

しかし、彼女に対して、男の立場から好きだと思っているのか、女の立場から好きなのか、考えれば考えるほどわからない。

それからしばらくして、「私じゃなくて、他の人を探してもらったほうがいい」と彼女に電話で告げた。

「彼女を傷つけてしまったって深く落ち込んで、女性とつきあうのが怖くなりました」

一方、彼氏に対してはどうなのかと考えると、「男の心で彼のことが好きなのかもしれない」と思った。

だったら自分は、FTMのゲイなのだろうか・・・・・・。

またまた迷路に入り込んでしまった。


<<<後編 2018/10/16/Tue>>>
INDEX

06 カミングアウト
07 自分の中にある同性愛嫌悪の正体
08 一社会人として生きていくために
09 輝きたい、輝けるかな、輝けるかも
10 クエスチョニングでいいかもしれない

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