INTERVIEW
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自分はFTMのゲイ。好きなものには徹底的に夢中になる。それが楽しい【前編】

納得のいくルールを示されれば、素直に従うことができる。そんな自身の特性は、アスペルガー症候群の特徴のひとつだと中谷さんはいう。22歳のときに性同一性障害と診断され、医者に勧められるままホルモン治療を開始。FTMと気づいたが、恋愛対象はいつも男性だった。戦隊モノ、アニメ、カラオケ、ゲームと、好きなものにはとにかく集中する。趣味と恋に生きる充実した人生。

2021/02/17/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shintaro Makino
中谷 真臣 / Masaomi Nakatani

1989年、大阪府生まれ。さばさばとした性格の母親に育てられる。趣味嗜好は男子に近いと子どもの頃から気がついていた。現在も戦隊ヒーロー、ダイレンジャーの大ファン。小学6年から始めた空手は師範代だ。22歳で診断を受けたが、離れて暮らす母にはまだ話していない。

USERS LOVED LOVE IT! 12
INDEX
01 女の子ちゃうから、いいやん!
02 遊び相手はいつも男の子
03 空手を修得、ほかの子を圧倒
04 初恋の人は理科の先生
05 からかってきた男子をローキックで瞬殺
==================(後編)========================
06 叶わなかった大学進学
07 介護とカラオケの日々
08 性同一性障害と診断され、ホルモン治療を開始
09 セクシュアリティはFTMのゲイ
10 熱中できる趣味がいっぱい

01女の子ちゃうから、いいやん!

ビデオ映像のように鮮明に蘇る

身長190センチの大男が2歳の自分を肩に抱え上げ、もう一方の手で小柄な女性の首を掴んでいる。男がいう「この子の親権は渡さんぞ!」。

「高いところから見る景色はむちゃくちゃ怖かったです」

ビデオ映像のように鮮明に蘇る現実のシーン。そこにいる男女は、実の父親と母親だった。

2019年に発達障害と診断された。昔のことをよく覚えているのは、アスペルガーの特徴と言われている。

「普段は引き出しに入っている記憶が、引っ張り出すと次々と蘇ってきます」

30年前のシーンはこう続く。

父親と阪神電車に乗って兵庫県に移動、旅館に滞在した。4日後、夜泣きが激しい自分を持て余した父親は、「育てられへん」と娘を母親の元に戻した。

「旅館の部屋の鍵がオレンジ色で、302号室と書いてあったことも覚えています」

両親は離婚。父親は、週に1回だけ娘に会うことを許された。

「5歳まで会っていましたけど、父のところに借金取りが来るのが怖くて、会うのをやめました。それ以来、26年間、一度も会っていません」

母親は看護師の仕事をしながら一人娘である自分を育ててくれた。

「家には、母の妹、母親方のおばあちゃん、それにおばあちゃんの彼氏という男性が一緒に暮らしていました」

5人家族だったが、大人と一緒にいるのが好きではない子どもだった。

「自分が子どもだということが恥ずかしかったんです。きょうだいがほしいという気持ちもありました」

机の下に潜り込んでゲームをしたり、好きなビデオばかりを繰り返し観たりして、一人で過ごすことが多かった。

スパルタ幼稚園で鍛えられる

3歳から5歳まで、社会福祉法人が経営する幼稚園に通った。父親に似て体が大きく、みんなより頭ひとつ抜きん出ていた。

「毎週、月曜日の朝に正座して、般若心経を聞くんです」

算数、国語、英語、ことわざカルタなどの時間もあった。教育にとても熱心な幼稚園だった。

「近くのグランドやヨットハーバーの堤防を、みんなで走らされたりもしました」

3年間の鍛錬で心身ともに鍛えられた。

「今、思い出しても、めちゃくちゃ厳しかったですね」

幼稚園では、一人だけ友だちと違うことがあった。

「朝、送ってきたお母さんと別れるときに、みんな、泣くんですよ。寂しいっていって。でも、ぼくは一度も泣いたことがありませんでした」

それは母親に対する執着がなかったからだ、と自己分析している。

「基本的に、人に興味がないんですよ。親や先生やクラスの子が自分のことをどう思っていようと、全然、気にしませんでしたね」

坊主頭にしたら、速く走れる!?

幼稚園の頃から男の子のような格好をしていた。

「母親が仕事で忙しいので、洋服を買ってくれるのは、いつもおばあちゃんでした」

おばあちゃんは、ほしいというものを何もいわずに買ってくれた。

「よくオーバーオールを着ていましたね。夏はTシャツに短パンでした」

母親はそんな娘を見て、「少しは女の子らしくしなさい」と小言をいうことがあった。

「そんなときは、女の子ちゃうからいいやん、と答えていました」

「幼稚園の年長さんに、サッカーが上手で足の速い男の子がいて、その子に憧れたんです。真似して坊主頭にしたら、速く走れるんじゃないかと・・・・・・」

ショートだった髪の毛を坊主にしたい、と訴えた。

「そのときだけは、母親から『それだけはやめて』と頭を下げられました(笑)」

02遊び相手はいつも男の子

リカちゃん人形を振り回す

遊ぶ相手は男の子ばかりだった。

「友だちが誘いに来るんですよ。キャッチボールやサッカーをすることが多かったですね」

一人でいたいときは、「ちょっと、そういう気分、ちゃうねん」と、あっさり断った。

「一度だけ、同じマンションの女の子と遊んだことがあったんですよ」

リカちゃん人形を目の前に並べられたが、どうしたらいいか分からず、人形を掴んで振り回していたら、「何すんのよ!」と怒られる。

「つまらないから帰るわ、といって家に帰っちゃいました(笑)。女の子の遊びをしたのは、それっきりですね」

逆に心を惹かれたのは、戦隊モノのキャラクターだった。

「特別に好きだったのがダイレンジャーと仮面ライダー。今も好きで、グッズなんかにけっこうお金をかけています(笑)」

ウマがあった男の子

小学校は1クラス21人で2クラスだけという、こじんまりした学校だった。

男の子たちに声をかけて、みんなで鬼ごっこをするのも楽しみだった。

「10人くらい集まってマンションの中をドタバタ走り回るんですよ。迷惑な話なんですよね」

仲のいい男の子との友情は、小学校5年生まで続いた。

「隣のクラスの男の子とめちゃくちゃ仲よくなって、土曜と日曜は朝から晩まで一緒に遊んでました」

ウマがあうというのか、キャッチボールなど、ふたりだけで過ごす時間も長かった。

「まぶたは二重で、まつげが長くて、色白で。まあ、男前の部類だったと思います。でも、ずっと友だちの関係で、その子を好きになることはありませんでしたね」

彼を好きだという女の子から仲介を頼まれたことがある。

「知らんし! 関係ないわ! って断りましたよ(笑)」

03空手を修得、ほかの子を圧倒

興味がない授業は無視

学校の授業は、興味がある科目とない科目で気持ちの入り方がガラッと違う。

「興味がなかったのは、国語、現代社会、道徳なんかですね。全然、ダメでした」

授業中は、椅子の前の脚を浮かせ、後ろの2本でバランスを取る “舟漕ぎ” という姿勢で過ごした。

「授業なんか聞かずに、ずっとユラユラ揺れてました(笑)。後ろの席が邪魔でできないときは、貧乏ゆすりでした」

あまりに貧乏ゆすりが激しいため、机がガタガタ揺れて、「字が書けない!」と隣の席の女の子に怒鳴られたこともあった。

「好きだったのは算数と化学でしたね。答えがひとつのものがいいんです」

体育と美術は三重丸をもらった。それ以外は二重丸。授業を聞いてなくても、なんとなくできた。

「難しい漢字を覚えるのも得意でした。画像として記憶しちゃうんです」

小学校3年生で、麒麟、薔薇など、画数の多い漢字をすらすらと書くことができた。

「その代わり、ひらがなが苦手でした。『を』とか『ち』が角張ってしまって、うまく書けないんです。なんや、コレ、アラビア語かって(笑)」

空手では敵なし

小学校5年生のとき、空手を習い始める。

「きっかけは、大好きだったダイレンジャーでした」

ダイレンジャーは中国拳法を使うヒーロー戦士。その真似がしたかった。

「でも、近くに中国拳法を教えてくれるところはなかったんです。それで、通えるところにあった空手道場にたずねたら、ヌンチャクも教えてくれるというので、そこに決めました」

本当は、ダイレンジャーに出てくる九節鞭(くせつべん)という武器を習いたかったが、さすがにそれは無理だった。

「防具をつけて試技をする、少林流という流派でした。稽古は黙祷から始まって、礼をとても大切にしていました。今でも続けていて、師範代を持ってます」

週に1度の稽古に集中し、みるみる上達する。

「体が大きくて、小学校6年のときには165センチあったんですよ。大会に出てくるほかの子は150センチくらいですからね。体格だけでも圧倒していました」

体格と技術を生かし、中学生のときには近畿大会で3連覇を果たした。

04初恋の人は理科の先生

思いを伝えて終わりにした

初恋は小学校6年生のときだった。

「人に興味がなかったから、初恋も遅かったんでしょうね」

好きになった相手は、臨時で赴任してきた28歳の理科の先生だった。

「ミスターチルドレンの桜井さんにそっくりな人で、もう、完全に一目惚れでした(笑)」

母の妹がミスチルのファンで、家でよくミュージックビデオを観ていた。自然と自分もミスチルのファンになっていく。

「1年間、好意を持ち続けて。卒業式の後にメールで自分の気持ちを伝えて終わりにしました」

「好きでした」とメールすると、先生から「ありがとう」という返信が届いた。

卒業してしまえば、もう会う機会はない。どうしようもない気持ちを整理するには、伝えて終わりにするしかなかった。

「吹っ切れたような、解放されたような気持ちでしたね。それから会うことは一度もありませんが、年賀状のやり取りは今も続いてます」

あっけらかんとした性教育

初潮が来たのも6年生のときだった。

「母親から生理について聞いてたので、ああ、来たのか、くらいな感じでした。驚きも嫌悪感もなかったですね」

看護師だった母は、自分が3年生の頃、体の仕組みについてくわしく教えてくれた。

「生理自体は嫌でしたけど、ルールどおりに起こることですから、すんなり受け入れられたんだと思います」

母は、どうしたら子どもができるかについても教えてくれた。

「精子と卵子があってな、それがくっつくと受精卵になるねん、っていう具合でした」

それは、どうやって出会うの? と聞くと、「セックスや」と答えた。

「それでも分からないというと、男と女が裸で抱き合うんや、と医学書を持ってきて絵を描いて説明してくれました(笑)」

希望しない妊娠をしないように教育してくれたのだろう。

05からかってきた男子をローキックで瞬殺

脱線する授業に耐えられない

それまでは男の子のような格好をしていたが、中学に入ると女子の制服を着なければならない。

「特に反抗する気にはなりませんでした。制服って決められたものでしょ。あなたはこれですよ、っていわれれば、それに従うことは苦にならないんです」

体が大きかったため、部活からの勧誘が多かった。

「バスケ、バレーボール、それから陸上部からも誘われましたね」

しかし、部活を始めると、空手の練習と日程が重なることになる。空手を優先したい気持ちが強かった。

「それと、集団で行動するのが大嫌いなんですよ。だから、しんどいのは嫌って、全部断りました」

授業では、先生の話が脱線することに耐えられなかった。

「なんとか集中して聞いているのに、脱線されると何が何だか分からなくなっちゃうんです」

脱線したおかしい話に、みんながワッと盛り上がると、もどかしさが怒りに変わり感情が抑えられなくなった。

「持っていたシャープペンを、ベキってへし折っちゃうんですよ。月に5本くらいシャープペンを折っていましたね(笑)」

それ以来、話が脱線する授業のときは、最初から保健室に避難することにした。

「保健室の先生には何も相談しませんでしたけど、多分、いろいろと気がついていたと思います」

その頃、女子としては並外れた握力、背筋力を備えていた。
先生を驚かせた。

背筋力測定器の鎖を引きちぎって、男子用の測定器で再度測ったこともある。

一目置かれる存在

中学1年のときに住んでいたマンションが取り壊されることになり、隣の区に引っ越すことになった。新しい中学に転校して、1週間が経ったときのことだ。

「休み時間にマンガを読んでいたら、あいつ、何もんや? ってコソコソいう声が聞こえたんです」

無視していると、一人の男子が近づいてきて、「お前、女子なん? 男子なん? それとも、宇宙人なん?」とからんできた。

「それでも無視していると、『お前の親も宇宙人か』っていわれたんです。それで、プッツンと切れて・・・・・・」

その男子の胸ぐらを掴むと廊下に引き摺り出し、すかさずローキックを一発、見舞った。近畿大会3連覇のキックだ。耐えられるはずがない。

「その場に崩れ落ちて、蹲ったまま、ごめんなさい、ごめんなさいって泣いて謝ってました」

「喧嘩が始まったぞ」と、集まったギャラリーもハッと息を飲む瞬殺劇だった。

「翌日、男の子たちが集まってきて、腕相撲で勝負しよう、といってきたんです」

勝負を受けて立ち、男子全員を一蹴、すっかり一目置かれる存在になった。

 

<<<後編 2021/02/24/Wed>>>

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06 叶わなかった大学進学
07 介護とカラオケの日々
08 性同一性障害と診断され、ホルモン治療を開始
09 セクシュアリティはFTMのゲイ
10 熱中できる趣味がいっぱい

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