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Writer/チカゼ

詐欺なのか? 結婚後にノンバイナリーだと打ち明けること

結婚してから「実は自分はシスジェンダーではない」とパートナーに告白した、というような話ってセクマイ界隈ではわりによく聞く。それに対して「結婚後に実は自分は女/男じゃないとか言い出すなんて、詐欺じゃないか」という心無い言葉をぶつける人を、SNS上でしばしば見かける。このことについて、「既婚者のノンバイナリー当事者」の目線から考えてみたい。

「ノンバイナリー」という単語を極力使わずカミングアウトをした理由

ノンバイナリー・パンセクシュアルであるぼくは、シス男性のパートナーと現在婚姻関係にある。夫はそもそもはヘテロセクシュアルで、ぼくの前に交際していた恋人は全員シス女性だったらしい。そしてぼく自身は物心ついたときから自認していたので、結婚前にカミングアウトはしていたのだけど、蓋を開けてみたらそれは不十分なものだった。

「ノンバイナリー」にピンと来ていなかった夫

LGBTに関する知識をほぼ持たない彼に対して、ぼくは一緒に過ごす時間の中で長い年月をかけてじっくりと己のセクシュアリティについて説明した。生まれたときから、自分のことを「女の子」だとはどうにも思えぬこと、あえて分類するならノンバイナリーに当てはまること。元来フレキシブルな彼は、戸惑いながらも「そういう生き方を大切にする君を素敵だと思うよ」と肯定してくれた。

打ち明けたタイミングは、今振り返るとちょっとズルかったと思う。というのも、そこそこの時間を共に過ごし、彼の人生の中に自分の存在がしっかりと根を張った時期に、カミングアウトを決行したから。

しかし、結婚後に互いの認識のズレが明らかになった。彼はぼくのことを、ただ単に「性別という概念に囚われたくない人」だと捉えていた。つまり彼は、ぼくがセクシュアルマイノリティだということに対して、いまいちピンと来ていなかったのだ。

「ノンバイナリー」という単語を極力避けた理由

その原因のひとつとして、説明する際に「ノンバイナリー」という単語をあまり使わないようにしていた、という点が考えられる。彼はフレキシブルではあるが、一方でセクシュアルマイノリティに関してはほぼまったくの無知だった。

偏見も持っていないが、かといって特に関心もない。差別はしないし排斥もしないけど、積極的な支援はしない。存在自体はうっすら知っているけれど、自分の半径10 m以内には確実にいないと信じ込んでいる。ぼくらセクシュアルマイノリティを、他人事だと思っているタイプだった。

そのため、カテゴリの名称を連呼することで、理解を得にくくなるのではと恐れたのだ。また「カテゴリで安易にぼくを解釈するのではなく、“ぼく” という人間をまるごと理解してほしい」という、今振り返ると身勝手な願望も抱いていた。

だからこそ小難しい専門用語を避けての説明を試みたのだけど、まさかそれが裏目に出るなんて思いもしなかった。これは今でも後悔している。あのときしっかりとカテゴリの名称を用いて説明をしていれば、結婚後の互いの混乱は避けられただろうに。

自分自身も「ノンバイナリー」というカテゴリに馴染みきれていなかった

その当時は、ぼく自身もまだ「ノンバイナリー」に馴染みきれていなかったというのも、カテゴリの名称を避けた理由のひとつである。ぼくはそのころすでにライターとして仕事を請け負ってはいたものの、今のようにセクシュアリティをオープンにしたエッセイやコラムは書いていなかった。

ノンバイナリーやパンセクシュアルという言葉を使い出したのは、セクシュアルマイノリティ当事者として発信をするようになってからのこと。ぶっちゃけてしまうと、今でも自分の性自認を表す言葉としてノンバイナリーに強くこだわってるわけでもないのだ。

既存のカテゴリに当てはめるのならノンバイナリーがいちばんしっくりくるかなあ、という程度の感覚しか持っていなかった(もちろんノンバイナリーという在り方そのものには今も昔も変わらず誇りを持っている)。だからこそ、彼にも「ノンバイナリー」という単語を控えて話し続けてしまった。

カテゴリの名称を避けたせいで生じたズレ

カテゴリの名称を極力用いずに説明をしてしまったせいで、結婚後2人の間に感覚のズレのようなものが生じてしまった。

「胸オペはする必要ないと思う」にぼくが激怒した理由

以前書いた通り、ぼくは女性らしい名前からニュートラルな名前へと改名している。その際も、夫は最初こそ少々驚いていた。しかし最終的にはぼくの意思を尊重し、なんならぼくより早く新しい名前に慣れてくれた。

しかし胸オペをしたい気持ちを伝えると、かなり強く反対されてしまった。彼はもともと整形に対して抵抗を持っている人で、健康な体にメスを入れる必要性が理解できなかったそうだ。そしてまた、ぼくの抱える性別違和──徹底的な心と体の齟齬とそれによる苦痛 について、正しく理解できていなかった。

「そこまでする必要ないと思う」と、胸オペの意志を伝えたとき、最初に彼はそう言った。その言葉がとても傲慢に聞こえて、思わずぼくは激怒した。ぼくは正しい身体を取り戻したいだけだし、ぼくがぼくの身体をどう捉えるかはぼくが決めることなのに、どうして手術の必要性をあなたが断ずるのか。

そのときはどうしてもその台詞が許せず、なぜ理解してくれていると思っていたはずの彼がそんなことを言うのかもわからず、ぼくも激しく混乱した。

ぼくのセクシュアリティを、「生き方のスタンス」だと捉えていた夫

話し合いの積み重ねの中で判明したのは、夫はぼくの「男にも女にも当てはまらない」ジェンダー・アイデンティティを、「生き方のスタンス」のように捉えていたことだった。男女なんて括りに縛られたくないし、性役割なんて馬鹿馬鹿しいものに従う気なんてさらさらない。そういう思想を持っているだけだと解釈していたのだ。

彼がぼくの話を聞いて「素敵だと思うよ」と肯定してくれていたのは、彼自身もまたジェンダーロールを憎んでいるタイプだったから。夫は料理が得意で「男は稼がなきゃならない」「男は泣いてはいけない」という考え方を嫌悪していたし、だからこそぼくの「考え方」には共感してくれたんだと思う。

ただ、それが単なる「考え方」「生き方」などではなく、「セクシュアリティ」だってことには、ピンと来ていなかった。

騙すつもりで「ノンバイナリー」を避けたわけじゃない

結果的にぼくの説明不足によって夫との間にすれ違いを産んでしまったことは、今でも深く後悔している。その誤解を解くにあたってぼくが彼に伝え続けたのは、「けっしてあなたを騙すつもりだったわけじゃない」という気持ちだ。

「ノンバイナリー」という言葉を積極的に用いるべきだった

「君が “女の子” じゃないことはわかっていたつもりだった。でもまさか、胸を取りたいだとか改名したいだとか、正直そこまでだとは思っていなくて・・・・・・」と、このことで諍いになるたびに夫は言った。

最初こそ「結婚前にきちんと説明したじゃん」「だいたい女性じゃなくたって、ぼくはぼくなんだけど」などと、かなり筋違いな憤り方をしてしまったのだけど。

ぼくと交際/結婚するということ=彼の性的指向にも影響を及ぼすのだということが、そのときはすっぽりと頭から抜け落ちていた。だいたいカミングアウトせぬまま交際を開始したのだから、適切な言葉で自らのセクシュアリティを説明する責任はぼく自身にあったのだ。

彼に前提知識がないからこそ、専門用語をきちんと使って伝えるべきだったと反省した。

騙すつもりで「ノンバイナリー」を避けたわけじゃない

明確な言葉で説明をされていなかったのだから、彼が混乱するのも無理はない。そんな中でパートナーに「胸を切除したい」なんて言い出されるのって、結構な衝撃だろう。

でもぼくは、けっして彼を騙すつもりで「ノンバイナリー」という単語を控えたわけじゃない。どうやったらいちばん正しく伝わるのか、考えて考えて考えた結果、それが空回りしてしまったのだ。

それに、ぼくは何も「女性からノンバイナリーに変化した」わけじゃない。最初からぼくはぼくで、付き合う前も結婚してからも変わっていない。ぼくはずっとただの「ぼく」だったんだよと、騙すつもりで「ノンバイナリー」という言葉を強調しなかったわけじゃないんだよと、根気強く伝え続けた。

カミングアウトできなかったことを、「詐欺」だなんて言わないで

繰り返すようだが、ぼくたちのすれ違いに関しては、説明が不十分だったぼくに責任がある。でも、ぼくは夫に対して「詐欺」を働いたわけじゃないし、夫もまたそうとは思っていない。

3年が経った今、夫の気持ち

結婚3周年を過ぎた今も、夫はすべてを飲み込みきれているわけじゃない。話し合いの中でぽろりと「ぜんぶを受容できるほど俺の器は広くない」という言葉を漏らしたこともあった。ただその一方で、「このことで別れようと思ったことはない」とも言い切ってくれている。

葛藤しながらも咀嚼しようと努力し続けてくれている彼の姿勢は、本当にありがたい。つい最近の話なのだが、「詐欺のように感じさせてしまったのならごめん」と謝ってしまったことがある。

すると彼は即座に「詐欺だなんて感じてないよ。それに君はずっと君だったんだから」と否定してくれて、ちょっとだけ泣きそうになった。なんだか救われたような気持ちになったのだ。

カミングアウトできなかったことを、「詐欺」だなんて言わないで

戸籍上男女で婚姻届を提出した後で、「実は自分はシスジェンダーじゃない」とパートナーに打ち明ける人たちについて。ぼくのように説明が行き届いていなかったり、相手の理解度が想定よりも深くなかったりするケースだってある。そしてなにより、自認のタイミングはそもそも個々人で異なる。

ぼくのように幼少期から自認している人もいれば、成人後──結婚後に自認する人だっている。そしてセクシュアリティは流動的なものだから、「シスジェンダーから変化する」人だって存在するのだ。

「詐欺」なんて言葉で、ぼくたち “ふうふ” を安易に貶さないでほしい。あなたにとっての「普通」を、まずは疑ってみてほしい。ぼくたちは各々で多かれ少なかれ問題を抱えていたりもするが、愛し合っているからこそ共に生きていることに嘘偽りはないのだから。

 

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