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LGBTが生きやすい社会は、アライにとっても生きやすい社会【前編】

自身はアライでありながら、仕事でもプライベートでもLGBTの社会運動に情熱を注ぐ。なぜなら、セクシュアリティに限らず、誰しもがマイノリティの要素を抱えているはずだから。そして、LGBT問題が解決されることは、その他のマイノリティ問題の解決にもつながるはずだから。自分は当事者じゃないからといって、無関心を決め込むのはもうやめにしよう・・・・・・。山梨さんが丁寧に紡ぐ言葉の一つひとつに、そんな切実さがこもっていた。

2017/09/14/Thu
Photo : Rina Kawabata Text : Mana Kono
山梨 純佳 / Ayaka Yamanashi

1992年、神奈川県生まれ。中学を卒業後、アイルランドの高校へ留学。帰国して慶應義塾大学総合政策学部を卒業したのち、東京モード学園で1年間ファッションを学ぶ。現在は、株式会社バイリンガルゲートにて、LGBTを含むセクシュアルマイノリティ向けポータルサイト「Rainbow Life」の運営に携わる。

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INDEX
01 “女の子らしさ” は意識していなかった
02 アイルランドの高校に留学
03 日本と異なるアイルランドのジェンダー観
04 日本のファッションを海外に広めたい
==================(後編)========================
05 長い目で見たキャリアプラン
06 仕事を通じてLGBTと関わる
07 アライにだって、“伝えること” はできる
08 届かない場所にあるものをつなぐことが、私の使命

01“女の子らしさ” は意識していなかった

ボーイッシュな少女時代

幼い頃は、ショートカットでボーイッシュな少女だった。

3歳下の弟がいて、地元の保育園でも男の子が多かったせいか、“女の子らしさ” を意識する機会はほとんどなかったと思う。

「短パンで、弟と同じような服装をしていたけど、そうやって男の子っぽくしていることが自分の中では自然だったんです」

周囲からは、男の子だと間違えられることもしばしば。

「でも、小学校に入ってからは、『女の子って自分みたいな格好はあんまりしないんだな』と気づいて、髪を伸ばしたり、女の子らしい服を着るようになりました」

“おひとりさま” 上等!

父は美術館に勤務し、母も美術系の研究職に就いている共働き家庭だった。

そんな両親から、「勉強をしろ」と強く言われた記憶はほとんどない。

「『宿題はちゃんとやりなさいね』と言われてましたけど、あんまり口うるさく『あれをしろ、これをしろ』とは言われてなかったです」

両親はともに美術関係の仕事をしているが、美術教育をすすめられたこともなかった。

「小さい頃から、やりたいことは自分で決めさせるような方針だったんです。弟はたまたま美術系の道に進んで、今は美大に通っていますけどね」

それほど勉強熱心だったわけではないが、学校の成績はどれも平均的だった。

「ただ、中学の時に女子だけのバトミントン部に入っていたんですけど、女の子同士の派閥とか人間関係がめんどくさくて、結局1年くらいでやめちゃったんです」

別に、誰かに悪口を言われたとか、いじめられたというわけではない。

「しがらみがある環境はめんどくさいなって思っちゃったんですよね」

無理して誰かとつるむくらいなら、ひとりでいた方が断然楽だ。

「今も単独行動は全然余裕です。よくひとりで5時間くらいカラオケに行ったりもします(笑)」

02アイルランドの高校に留学

海外に留学したい

中学卒業後は、約3年間アイルランドで留学生活を送った。

「中2くらいの時には、留学しようって考えてました」

今振り返れば、ちょっとした反抗期のようなもの。

親元から離れたい気持ちが大きかったのだ。

「うちの親は勉強とかに口は出さないんですけど、わりと過保護で、このままだと将来ひとり暮らしもできないだろうなと思ったんです」

だが、過保護とはいえ、母も学生時代に留学経験があったため、留学には肯定的だった。

学費との兼ね合いも考えつつ、アイルランドでホームステイしながら留学することに。

「だから、別に『アイルランドに行きたい!』っていうわけではなくて、いろんな条件を照らし合わせて、消去法でアイルランドに決まった感じです(笑)」

中学を卒業した春、ひとりアイルランドへと渡った。

アイルランドでのカルチャーショック

アイルランドの高校は9月スタートだったため、最初の半年間は語学学校に通って英語を勉強した。

海外に行くこと自体はじめての経験だったが、新しい環境にはすぐ馴染めたと思う。

「語学学校のクラスには日本人もたくさんいたから、最初はあんまりホームシックにならなかったんです。友だちとも、毎日日本語で話していました」

「でも、高校に入学してからはまわりに日本人はほぼゼロで、会話も英語が基本」

「授業にもついていけなくて、すごくつらかったですね・・・・・・」

徐々にホームシックになり、登校するのも億劫になっていった。

そんな時に、ホストマザーが「つらいなら学校を休んでもいいよ」と優しく声をかけてくれたのを覚えている。

「日本だと、『学校は行かないといけないものだ』みたいな価値規範があるじゃないですか」

「だから、『学校に行かなくてもいい』って考え方にびっくりしたんです」

アイルランド人にとっては、仕事をするのも学校に行くのも、あくまで「自分が幸せに生きるため」のひとつの手段でしかない。

日本のように、「義務教育だから学校に行く」とか、「みんなが行ってるから自分も合わせて学校に行く」といった雰囲気はほぼゼロだった。

そういう、個人を尊重して多様性を認めるような文化は、とても居心地が良かった。

しかし、日本人独特の「空気を読む」文化が存在しないことで、少なからず苦労もあった。

「相手に何かしてほしい時は、直接言わなきゃわかってもらえないんです」

「でも、日本人の感覚では『直接言うと図々しいかな』って遠慮しちゃって、慣れるまでに結構時間がかかりました」

03日本と異なるアイルランドのジェンダー観

アイルランドでは男女平等が基本

「アイルランドのホストファミリーは、『日本人は、男が仕事をして女が家事をするもの』って、思ってたみたいなんです」

ホストマザーに、「こっちでは男女対等が当たり前。家事も仕事も男女で分担するものなのよ」と言われたのを覚えている。

「うちは共働きだったし、小さい頃男の子っぽい格好をしていても『女の子らしくしなさい』って言われたこともなかったから、私自身はあまりジェンダーを意識して育ったわけではなかったんです」

最近では自分と同じような考え方の日本人も増えているし、ホストファミリーの日本観には多少偏りもあったのだろう。

「ただ、日本にいると、社会から女性らしさや男性らしさを求められているような感覚はありました」

自分はたまたまジェンダーに寛容な家庭に育ったが、社会全体で見れば、まだまだ考えが凝り固まっているようにも思う。

「性別での役割分担のほかに、男性が女性に何か言うと、すぐにセクハラになってしまうのもおかしいなって思うんです」

たとえば、男性上司に「今日の服かわいいね」と言われても、自分はセクハラだとも、変に女性として意識されているとも感じない。

むしろ、セクハラに過敏になりすぎる社会の方が、「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」という規範に縛られているのではないか。

「それこそ、海外で男性が女性に『綺麗だね』って言っても、セクハラって言われることはほとんどありません」

「純粋に綺麗だと思ったからそう言っただけで、その言葉にジェンダー観が含まれているわけではないんです」

「そうやってジェンダーに過敏になるのも、もしかしたら日本の特徴なのかもしれないですね」

ゲイの同級生

アイルランドにいた頃、学年にいわゆる「オープンリーゲイ」の生徒がいた。

「本人からカミングアウトされたわけでもなく、普通にみんなが彼はゲイだって知っていたんです」

「その上でみんな普通に彼と接していたから、私も『ふーん』って思ったくらいで、そんなに驚きもしませんでした」

当時は、「LGBT」という言葉はもちろん、「ゲイ」がどういうものかもほとんど知らなかった。

「でも、その子がほかの男の子に対してとる態度は、普通の男の子とは何か違うなって、違和感は抱いてたんです」

後々その子がゲイだったと知って、ようやく「そういうことだったんだな」と腑に落ちたのだった。

04日本のファッションを海外に広めたい

ファッションが心の支えになった

これといって将来の夢はなかったが、高校生になって、ファッション業界に進みたいと考えるようになった。

「海外生活で自信を失っていた時に、支えになったのがファッションだったんです」

日本で当時流行っていた猫耳パーカーなどを、アイルランドのクラスメイトたちから「かわいい」とほめられることが多かったのだ。

しかし同時に、外国人からも評判のいい日本のファッション製品が、海外ではまったく展開されていないことに疑問も抱いた。

「ZARAとかTOPSHOPとか、海外ブランドは日本に入ってくるのに、なんで日本のブランドは外に出ていかないんだろうって違和感がありました」

今では、「KAWAII」、「HARAJUKU」という言葉が海外でも通じるほどなのに、日本のファッションが海外で消費されていないのはもったいないと思った。

さらに、日本人の自分にとっては、アイルランドで売っている洋服はサイズがなかなか合わないのも悩みの種。

「だから、日本のファッションを海外に流通させた上で、サイズ問題も解決できたらいいなと思ったんです」

大学生活で得たもの

アイルランドで通っていた高校は、卒業まで通わず2年半で中退した。

「その頃には留学中に学びたかったことはある程度達成できていました」

「もともと日本で大学受験をしようと思っていたから、そのために早く帰国して準備期間が必要だと思ったんです」

日本の大学を受験するなら慶應に行きたいと、以前からぼんやりと考えていた。

とはいえ、ファッション業界に進むために、服飾系の専門に通うことも選択肢に浮かびつつあった。

「両親にも相談して、専門に通うこと自体は反対されなかったんですけど、学歴が専門卒と大卒では変わってくるし、大学には通っておいた方がいいと言われたんです」

ダブルスクールも考えたが、大学を卒業してから改めて専門学校に通おうと決意する。

そうして、帰国後大学検定を取り、1年間の浪人を経て、慶應義塾大学の総合政策学部(通称「SFC」)に合格した。

「大学では、必須の語学やプログラミングのほかに、経済学なども幅広く学びました」

いずれファッション業界に進もうと考えていたが、せっかくなら大学でしか学べないものもたくさん吸収したかった。

「それと、SFCは留学生や帰国子女が多いから、居心地もすごく良かったんです」

自由度が高く、問題解決を掲げたカリキュラムは、自分の肌感にとても合っていたと思う。

学生時代、周囲で起業している生徒も少なくなかった。

「今は、ただ上司の言うことを聞いて真面目に仕事をするというより、行動力のある人材を求める会社も多いですよね」

「だから、『SFCは就職に向かない』と言われることもありますが、私はあまり心配していませんでした」


<<<後編 2017/09/16/Sat>>>
INDEX

05 長い目で見たキャリアプラン
06 仕事を通じてLGBTと関わる
07 アライにだって、“伝えること” はできる
08 届かない場所にあるものをつなぐことが、私の使命

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