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HSPでXジェンダーで、“宇宙人” のようだった自分が見つけた “らしさ”【前編】

「新しいことに挑戦するのが大好きで、2回目以降を続けるのが苦手」という鈴木彩音さん。今回、LGBTERに応募したのは「インタビューは1回だけだと思ったから」と笑って話す。周りの人との違いから生きにくさを感じながらも、「自分は何者か」という問いについて、やがて自分なりの回答を見つけた。そして、それをオープンに話すことができるようになったいま、世界の見え方が変わったという。

2024/05/22/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
鈴木 彩音 / Ayane Suzuki

2000年、岡山県生まれ。中学生の頃から “女性らしい” 服装や振る舞いを求められると居心地の悪さを感じたり、好奇心旺盛でいて人一倍傷つきやすかったりする自分を「なんだか周りとは違う」と感じていた。高校生でXジェンダーの存在を知って、自分は男女どちらでもあると同時に、男女どちらでもないと自覚。また、大学で特別支援教育について学ぶなかで、自分はHSS型HSP(刺激追求型ハイリー・センシティブ・パーソン)なのであろうと考える。

USERS LOVED LOVE IT! 6
INDEX
01 キラキラしたものよりも 「プーマ」
02 人がやらないことをやりたい
03 “忍耐” こそカッコいい!
04 女性としての自覚も1割ある
05 トランスジェンダーFTMでは、ない?
==================(後編)========================
06 友だちの悪口を聞いて過呼吸に
07 特別支援学校の教員を目指して
08 Xジェンダーだと両親にカミングアウト
09 レインボーパレードで 「自分だけじゃない」
10 一人ひとりに寄り添える先生になりたい

01キラキラしたものよりも 「プーマ」

親は「女性らしくしなさい」と

「岡山県倉敷市で生まれて、小学校は地元の学校に歩いて通学していたんですが、中学からは岡山市内の学校まで電車で通ってました」

「地元が好きかと聞かれると・・・・・・まぁ、そこそこ好きですね(笑)。自然が多いし、なにより住み慣れてる街ですし」

母は社交的かつ行動派。
休みの日には友だちと連絡を取り合って遊びに出かけるタイプ。

父は根っからの自由人。
休みの日は、漫画を読んだり、昼寝をしたり、気ままに過ごす。

「親は、私が幼い頃からやりたいことはやらせてくれたんですけど、成長するにつれて、『女性らしくしなさい』 と言ってくるようになりました」

「たぶん親も、周りの目を気にしていたんだと思います」

小学校の制服はスカート。
しかし休日にまでスカートをはきたくなく、パンツスタイルが中心の、ボーイッシュな服装を好んだ。

「制服のスカート自体は、はくことにそこまで抵抗はなかったです。上がブレザーで、男子と一緒だったからということもあるかも」

「髪の毛は長い頃もありましたけど、長くても肩くらいとか。結んでいる時期もありました」

「小学生の頃は、髪の毛を短くしたくても、親に連れられて美容院に行ってましたから(笑)。したくてもできなかったですね」

周りの女子との違い

5年生のときに別の小学校へ転校。
その学校では冬は防寒のため、スカートの下にズボンをはいてよかった。

「あったかいし、動きやすいし、スカートよりもズボンのほうが断然いいなって思うようになりました。ズボンがはけるのがうれしかったですね」

服装だけではなく、振る舞いもボーイッシュ。
遊ぶときも、女子よりも男子と一緒にいることが多かった。

「小学生の、特に低学年のときなんかは、サッカーとかキャッチボールとか、ずっと外で遊んでいるような子でした」

「それで、2歳下の妹も道連れのように外で一緒に遊んでいたんですけど、だんだんと妹は化粧とか美容とかに目覚めていって・・・・・・」

「自分は、そういうことにまったく興味がわかなかったし、化粧をしたいとも思わなかったので、自分はなんか違うのかなって感じていました」

周りの女子との違いは、学校でも感じた。

「クラスの女子は、キラキラした、かわいいものを持ってたりするんですけど、自分は『プーマ』とか、スポーツブランドが好きだったりとか」

「周りには男性アイドルが好きな女子が多かったんですけど、自分は全然好きではなくて。話す内容も、なんか違うなって感じてましたね・・・・・・」

02人がやらないことをやりたい

無口で笑わないキャラに

自分はちょっと変わっている。
なんとなくそう感じていた。

「なにをするにも “おもしろさ” を求めてしまうところもありました。例えば絵を描くにしても、変な宇宙人を描いたりとか(笑)」

周りの女子が、お姫様や動物を描いているようなときに、である。

「当時、人と一緒のことをしたくないというか、人がやらないことをやりたいという気持ちが強かったと思います」

水泳やテニスのスクールに通うなど、体を動かすのが大好き。

小学校の授業では、先生に指名されるまで手を挙げ続けたり、学級委員を務めたりして、なにごとにも積極的に取り組んでいた。

しかし、転機が訪れる。

「5年生のときに別の小学校に転校して、初日で質問攻めにあったんですよ。やっぱりみんな気になるじゃないですか、転校生って」

「でも、質問に答えられなくて。ひとつも」

「一人ひとりに答えないと申し訳ないって気持ちがあると同時に、どう答えるのが正解なんだろうって考えたら、思考が停止してしまったんです」

それから卒業するまでの2年間、学校では友だちとひと言も話せなくなり、クラスでは “無口で笑わないキャラ” という位置付けになってしまった。

自分らしさを出せないまま、いじめの対象に

クラスメイトと話したい気持ちはあるけれど、キャラクターが設定されてからは覆すのが難しいように思えた。

でも、自分はひとりでも大丈夫。
このまま、クラスの誰とも話せなくても平気だ。

「この本のこのシリーズは読破しよう」など自分なりの目標を決め、それを達成することに黙々と精を出す。

しかし気づけば自分は、いじめのターゲットになっていた。

「いじめられる原因が自分にあるって思ってたので、いじめられていることに関しては、けっこう割り切って考えてました。全然しゃべらないし、笑わないし、そりゃいじめたくなるよね、って感じで(苦笑)」

「いまとなっては、それがいじめる理由にはならないってわかるんですが」

いじめられている期間にも、声をかけてくれるクラスメイトはいたが、自分から話しかけることはできず、仲良くはなれない。

ただただ、耐えていた。

「いずれ、このいじめは収まるだろう、って考えてました」

「家では、いじめられていることを気づかれないように、たくさんしゃべったりしてたんですけど・・・・・・。先生から連絡があったんですかね、親にカウンセリングを受けさせられたりもしました」

「親も、いじめられている自分のことを心配してくれたんだと思います」

「その時期は、自分らしさを出したいけど出せなくて、悩んでいた時期ではあったんですが、まぁ、それもいい経験になったかなって思います(苦笑)」

03 “忍耐” こそカッコいい!

ワンピースを着て、女装している気分に

中学生になると、クラスメイトと会話できるようになり、友だちもできた。

「友だちとは、なにかをして遊んだっていうよりも、進学校だったこともあって、テストの点数を競ったり、暗記の方法を考えて勝負したりしてました」

「あとは・・・・・・体育の授業には体操着に着替えて一番に行くってことを競ってました。いま思うと、しょうもないことしてましたね(笑)」

部活動は卓球部に所属。
人数が少なく、女子部員は2人だけだった。

「部活は、すごくゆるくて。顧問の先生も、ほとんど来ないような部活だったので、部員たちで練習内容を考えて、楽しくやってました」

「そこでは自分を出せていたと思います。のびのびやってましたね」

中学の女子の制服はセーラーカラーのブラウスにスカート。

男子とは異なるデザインだったが、女性の体をもつ自分は「これを着るものだ」と思い、強い違和感をもったり、着ることを拒否したりはしなかった。

「でも、私服では相変わらずスカートは着ませんでした」

「友だちと一緒に、それぞれの親に連れられて買い物に行ったことがあったんですけど、うちの親が『服を選んであげて』って友だちに言って、自分のために黒いワンピースを選んでくれたんですよ」

「本当にイヤで、ワンピースを見た途端に『えー!』って言ったんですけど試着させられて・・・・・・。自分が言うのもおかしいんですけど、なんか女装している気分になっちゃって」

「あ、もう、これ絶対に自分が着る服じゃないなって思いました」

そのワンピースは親に買われてしまったが、一度も着ることはなかった。

ひとりで顧問にしごいてもらう

その頃、将来は警察官になりたいと思っていた。
理由は “カッコいいから”。

「いま思うと、その頃は “カッコいい” をはき違えてたとは思うんですけど(笑)。なんか、耐えられることがカッコいい、忍耐こそカッコいいっていう考えが自分のなかにあったんですよね」

「体育の授業は、冬でも半袖に半ズボン、みたいな。半袖半ズボンで体育の授業へ一番に行く。早いのもカッコいい、って感じでした(笑)」

卓球をするときは、男子選手のカッコいいフォームをお手本にしていた。

「ゆるい部活だったんで、ほかの部員は誰も筋トレなんてやらないのに、自分だけめちゃくちゃがんばったりしてました(笑)」

高校ではテニス部に入った。

「文化祭の日の朝とか、女子はみんな、男子の目を気にして髪をセットしたりしたいじゃないですか(笑)、朝練とか行かないんですよ。だけど自分はその日もひとりで朝練に行って、顧問の先生に一対一でしごいてもらう、みたいな」

「どうだ、カッコいいだろって感じでした(笑)」

04女性としての自覚も1割ある

体型をごまかすために筋トレを

中学のときに仲のよかった友だちは、ほとんどが女子だった。

「自分が身体的に女性だから、自分の周りには男子よりも女子が多くて、それで仲良くなっていった感じです」

自分の身体が女性であることはわかっている。
でも、その身体に、ままならないものをずっと感じていた。

「筋トレをいくらがんばっても、男子みたいにはなれなくて。自分のこの女子の身体よりも男子の身体のほうがいいなぁ・・・・・・と思ってました」

「でも、男性に憧れるという感じではなくて。自分は女性だという認識が1割くらいあるので、まぁ、仕方ないと割り切ってました」

1割は女性。では、9割はどのように認識しているのか。

「自分のしたい表現・・・・・・見られ方とか振る舞いとかは、ほぼ男性寄りです。クラスの集合写真を撮るときとか、『脚を閉じなさい』って言われるのが、すごいイヤでした。普段は胡座かいたりとかしてましたから」

「身体に関しては、胸を隠すために猫背気味になってしまっていたかな、と思います。そのせいで、背が縮んだ気もします(笑)」

「その頃は “なべシャツ” なんて知らなかったし、実家だと家族に知られずに着るのも難しいので、胸をごまかすためにも筋トレしてましたね」

筋トレは、なべシャツを着るようになったいまも続けている。

周りにどう思われても、やる

「高校では、硬式テニスにハマりました」

「県大会では2〜3位の学校だったので、中学のときの卓球部とは違って顧問の先生も力を入れていて。指導が厳しいときもありましたけど、愛のある指導というか。ほぼ初心者で始めたんですが、すごく楽しかったです」

「3年のときは全国大会のメンバー9人に選ばれました」

「テニスは上手くはなかったですけど、初心者としては上手い部類だったようです。全国大会は初戦敗退で、試合には出てないですけど(笑)」

大学でも体育会系の硬式テニス部に入部。
体育教師の免許も取得した。

「中学のときは、自分が『筋トレしよう』とか『走り込みしよう』とか言うと、『変わってるやつだな』って思われてましたけど、高校や大学はみんなもちゃんとトレーニングしてたので、やりがいがありました」

「そもそも、周りにどう思われても、自分のなかで貫きたいことだったらやる性分なので、筋トレも走り込みもどのみちやってたと思います(笑)」

05 トランスジェンダーFTMでは、ない?

男女どっちでもないし、どっちでもある

女性っぽい格好はしたくなくて、男性っぽい服装が好き。
かわいい仕草に抵抗があって、カッコいい振る舞いを目指している。
自分の身体に対するコンプレックスは姿勢や筋トレでカバー。

それでも、どうにも抗えないことがある。

「生理がすごいイヤでした」

「でも親は、子どもに生理がきたら喜ぶじゃないですか。それが耐えられなくて」

「改めて『自分は女性だ』と認識させられたというか」

なぜ自分は、女性である自分の身体をそのままで受け入れられないんだろう。
そのヒントらしきものを発見したのは高校2年生の頃だった。

「LGBTというワードを知って、そういう存在があるって知りました」

「なかでもトランスジェンダーが自分と近いかも、と思ったんですが、トランスジェンダーはFTM(トランスジェンダー男性)かMTF(トランスジェンダー女性)のどっちかしかないと理解していたので、自分とはなんか違うかもって感じて、この件は少しおいておこう、と」

FTMかMTFのどちらかだと、女性の身体をもつ自分はFTMだろう。
しかしFTMの多くは幼少期から自分の身体を受け入れられなかったと聞く。
自分は、自分の身体を受け入れられている部分もあった。

「それに、手術して男性になりたい、というふうにも思ってなかったので、自分は真ん中なのかな・・・・・・中性というか」

「トランスジェンダーFTMとは、なんか違うかも。自分は、どっちでもないし、どっちでもあるって感じかなって思いました」

Xジェンダー当事者との出会い

LGBTだけでなく、そのあとに続くQ+について知ったのは大学3年の頃。

「そこで初めてXジェンダーというワードを見つけて、Xジェンダーがどういう存在なのか、自分で調べたりしているときに、Xジェンダーの当事者のかたが講演のために、自分が通っている大学に来られたんです」

「そのかたのライフストーリーを聞いて、『ああ、自分はXジェンダーなんだ』って改めて気づいた、というか」

「やっぱり自分はLGBTとかLGBTQ+と呼ばれるカテゴリーに入ってたんだなって、少し安心しました」

高校2年生のときにトランスジェンダーの存在を知ったときは、自分もそうなのかどうか深く考えるよりも『少しおいておこう』という選択をした。

それは、ジェンダーやセクシュアリティ以外に、好奇心旺盛でいて人一倍傷つきやすい自分の気質についても同じくらい悩んでいたせいもある。

「自分が何者かわからなくて、ずっと悩んでいたんです」

「LGBTというよりも、宇宙人なんじゃないかって思ってたくらいで(笑)」

 

<<<後編 2024/05/26/Sun>>>

INDEX
06 友だちの悪口を聞いて過呼吸に
07 特別支援学校の教員を目指して
08 Xジェンダーだと両親にカミングアウト
09 レインボーパレードで 「自分だけじゃない」
10 一人ひとりに寄り添える先生になりたい

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