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Writer/Honoka Yan

アウティング被害の深刻性

今年の春、母親に自分のセクシュアリティをカミングアウトする機会を得た。厳密にいえば、「アウティングによるカミングアウト」だ。一橋カミングアウト事件を酷い話だなと首を傾げながら読んでいた頃、まさか自分に降りかかるなど思ってもいなかった。

形としては最悪のカミングアウトを果たした私のストーリーを交えながら、アウティングの深刻性について話すことにする。

*アウティングとは、他人の秘密を本人の了承なしに第三者に暴露すること。

「あんた女の子好きなの?」

「あんた女の子好きなの?」。そう母に問われた時のことを今でも忘れない。全身が凍りつくように硬直した。言葉は出なかったが、心の中では「絶望」の一言が渦を巻く。なぜ知っているのか、誰が言ったのか、いつ知ったのか、とか様々な疑問が同時に渋滞していた。

当時付き合っていた彼女

私には当時お付き合いしている同性の恋人がいた。よく私の家に遊びに来ていたので、家族も彼女のことを「仲の良い友達」と認識していた。世間一般的にみなされている女性的特徴のない容姿であったため、「あの子は男なの? 男なら付き合っているの?」と聞かれたこともあり、女性同士の恋愛という概念が母にはないのだろうと感じていた。

「女の子だし、付き合ってないよ」とはっきりNOと言ってしまい、罪悪感だけが残った。「家族公認の恋人」ではなく、「友達」でしかなれないのかと思うと心が痛んだ。

とはいえ、嘘をつくことで平然としていられるわけもなく、お付き合いしていたことはいずれ母親には伝えようと考えていた。ただ、知り合いのゲイが同性愛者であることを親に伝えた挙句、縁を切られたという話を聞いていたので、タイミングや伝え方は慎重に計画的にと思っていた。実家暮らしの私が疎遠・・・・・・それだけは勘弁だった。

「カミングアウトってリスキーだな」と思いつつも、どこか心の中で「いつかの話」として流していたので、そこまでの焦りを感じていなかったのかもしれない。

普通のカップルにはなれないのか

私たちは何も特別ではなく、カップルとしてごく普通の生活を過ごしていた。ただ一つ異なる点は、一定数の人に関係性を隠していたこと。いわゆるゾーニング内(どの範囲までミングアウトをするかの線引き)でのカミングアウトに限っていたことだ。

友人は知っているが、会社の人には知らせたくない人がいるように、当時は家族に伝えるなんてもってのほか。計画的であった私は、カミングアウトまでに時間がかかることを承知していた。

カミングアウトは、伝えるまで誰一人として成功か否かの確信はなく、ある意味一か八かの行為なのである。つまり、「カミングアウト成功」と言えるのは、事後のみなのだ。
私の場合、知り合いのいるSNS上では公開範囲を狭めて写真を投稿していたし、極力関係性を知られたくない人の目に入らぬよう過ごしていたつもりだった。だが、私のSNSの扱い方が甘かったのか、手に汗握る出来事が起きてしまった。
“親しい友達” だと思っていた知り合いが恋人との写真を見て、私がレズビアンか否かを知るべく、母親にこっそりと連絡をとっていたのだ。レズビアンを「レズ」、ゲイを「ホモ」と呼ぶほど(悪気はないのだが)同性愛者に疎い母は、自分の子がまさか同性愛者だとは思ってもいなかっただろう。むしろ、そういった考えにも至らなかったのか「レズビアンなの?」という質問に対し、「そうなの〜? そんなことないよ〜」と呑気に返答していたらしい。
そして母親の元にその友人から幾度も連絡が来るようになり、恋人とのツーショットの写真まで送り付けられたという。このようにして、母は私の女の子好きに気付き始めた。

アウティングをされた時

母は、娘がレズビアンなのかとモヤモヤしていたのかもしれない。ある日突然、「あんた女の子が好きなの?」と投げかけられた。「なんで?」としか返答できなかった自分。本当は理由も聞きたくなかったし、その場から早く抜け出したかった。そんな感情を無視するように続けて「○○ちゃんから聞いたよ」の一言。と同時に感情のリミットが限界を超え涙が溢れた。

傷ついたことは正直どうでもよかった。それより、信じていたはずの友人に暴露された怒り、自分の口で真実を伝えられなかったことの悔しさ、家族を失うかもしれない不安が入り混じっていた。自分の言葉で伝えたかったし、アウティングにより全ての計画が無視された時、「これからの人生終わった・・・・・・」と思っていた。

「私はあなたが一番幸せだと思う道に進んで欲しいだけだから」

その言葉を聞いた瞬間、救われた。硬直していた身体が安堵と共に崩れ落ちた。母の前で泣くほど恥ずかしいことはないのに、自然と鼻の奥がツーンとして目が暖かくなってきた。もしその言葉を聞いていなかったら・・・・・・と、今でも思うことがある。そして私はたまたまラッキーだったのかもしれないと、複雑な気持ちになる。

アウティングの恐ろしさ

「あの子ってゲイらしいよ〜」

カミングアウトをしていない当事者にとって、アウティングは生活が崩壊するほどの恐怖を与える行為である。最悪の場合、命を落とすことも。ここからはアウティングの恐ろしさについて述べる。

25%がアウティングを経験

昨年9〜12月にライフネット生命保険の委託により、宝塚大学看護学部の日高庸晴教授が、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーなどの性的少数者を対象としたアウティングについての調査を行った。

その結果、アウティングの被害経験は全体の25.1%。その中でも特にトランスジェンダーが半分を占めている。またアルバイト含めた労働者8690人のうち、78.9%が「職場や学校で性的少数者に対する差別的な発言を聞いた経験がある」と回答したという。

差別的発言は、当事者にとってカミングアウトしづらい環境を与えてしまう。さらにカミングアウトをした後にも、アウティングやいじめを経験する当事者も珍しくなく、このような残酷なことが起きている中で問題視されないことが疑問だ。

一橋アウティング事件

一橋アウティング事件と同じような出来事が起きたという声は多数上がっている。これまでアウティングの深刻性は語られることが少なかったものの、実は今に始まった話ではない。

一橋アウティング事件についてーーー。一橋のロースクールに通う大学院生Aは、同級生Zへ恋愛感情を持つことになる。その特別な気持ちをZに打ち明けた時、言葉を受け取ったZは「気持ちに応えられないが友達としての関係を続けたい」と返答。

さらに、同性愛者は世の中にいるわけで、全く気にしていないことをAに伝えた。責めるのは良くないと優しい言葉を投げかけたにもかかわらず、Aを境地へと追いやってしまった。

「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのはムリだ。ごめん。」

A含めた共通の友達が加わったLINEグループで、ZはAがゲイであることを突然公言。その場では気丈に振る舞ったAだが、ゲイであることをバラされてしまったことがきっかけでうつ病となり、パニック発作を起こすようになった。そして同年の夏、Aは校舎から転落し亡くなった。

この事件を受けAの家族が裁判を起こしたことを機に、初めてアウティングについて多く取り上げられるようになった。世に広まる機会は増えたものの、被害は後を絶たないのが現実。

カミングアウトされたら?

カミングアウトされたとき、みなさんはどうするだろか。

「LGBTQの友達が欲しかったんだよね〜」「全然気にしないよ!」とよく伝え返す人を見るが、「ヘテロセクシュアル(異性愛者)なんです」と伝えられたとき、同じような意味合いの反応をする人はいるだろうか。

LGBTQは珍しいものと認識する人も多いかもしれないが、実は周りにはたくさん存在する。ただ、あなたにはまだカミングアウトをしていないだけかもしれない。

カミングアウトを強要しない

アウティングは、性的少数者であるたくさんのLGBTQ当事者が日頃懸念している点である。アウティングではなくとも、様々な形で実はカミングアウトを強制させられる事例もある。

就活時の履歴書の性別欄記入時で、カミングアウトせざるを得なくなってしまったトランジェンダーの方や、恋愛などのプライベートに踏み入った質問を上司からされて嫌々答えるしかなかった方などの話は、珍しくない。

グループ内でゲイの友達に対し、「この中の誰がタイプなのか」と間接的に同性が恋愛対象であることをみんなの前でバラされてしまったという話もよく聞く。当事者がカミングアウトを慎重にしたとしても、カミングアウトをされた側が不適切な言動を取ればアウティングになり得る。

一人間として

では、カミングアウトをされた場合どうすれば良いだろうか。

個人としての意見になるが、完全にセクシュアリティをオープンにしている人は、そもそもカミングアウトをしていないのかもしれない。例えば、周りにLGBTQが当たり前だと思う人が多い環境があるとすれば、自分のセクシュアリティを「表明する」という感覚に捉われないはずだ。

体験的に言えば、会話の中で間接的に性的指向が伝わることはあっても、わざわざ伝える機会はまずない。現状、カミングアウトの概念が存在するということは、「セクシュアリティは(も)多様だ」ということが、世の中にまだ浸透していないことを意味するのかもしれない。

また性的少数者はみなと変わらぬ人間であり、カミングアウトをされても特別構える必要はない。カミングアウトされた側は、自分の判断で周りに伝えないことや、協力できることはないかなど、相手を尊重した言葉をかけることがLGBTQ当事者としてより安心できる応答なのかもしれない。

Aさんは私だったのかもしれない

一橋アウティング事件は、私自身LGBTQの当事者でありながらも、当時はあり得ないストーリーとして飲み込んでいたのかもしれない。ある日突然、あの「アウティング」が自分に起こった。自分は大きな被害を被ることなく済んだのでラッキーではあったものの、アウティング被害がいかに残酷で無責任であるかを考えるきっかけとなった。

本人がセクシュアリティやジェンダーなど公にしていない場合に、アウティング被害が多発する。セクシュアリティにかかわらず、自分の秘密ごとをバラされたらどう思うだろうか。

誰もが理解できるはずだ。相手を信用し勇気を出して伝えたことが、会話のネタとして消費されることはあってはならないのだ。

もしかしたら、あなた自身がAさんだったかもしれない。もしくはZさんになるかもしれない。そして、一橋アウティング事件のような出来事が表に出ていなかっただけで、既にアウティングによって命を絶ったLGBTQ当事者は少なくとも存在する。

アウティングとはそれだけ身近で深刻な問題なのだ。カミングアウトしない理由が「メリットがないから」である世の中から脱却し、性的少数者が追い詰められる必要のない社会に向け、当事者以外の人も一緒に考え、行動できる未来を願う。

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