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Writer/雁屋優

アセクシュアルが一息つける居場所を求めて

2021年10月24日~30日に、AceWeek in Japan 2021と題して、アセクシュアルやアセクシュアルのグラデーションの人々の存在を周知するためのキャンペーンが行われた。Aceとは、アセクシュアルの略称である。対面での交流会やプロフィールを作って、Twitter上で行うオンラインの交流が企画された。私自身もオンラインの交流用にプロフィールを作って、AceWeekに参加した。

Aceであるだけで発生する困難

AceWeekの話をする前に、Ace(アセクシュアルまたはアセクシュアルのグラデーション)であること特有の生きづらさ、困難について振り返る。

恋愛の文脈に勝手に取りこまれる

世界の大半を異性愛者が占めていること、そうでない人々が迫害を受けてきたことの認知度は高い。現在、LGBTという言葉を知らない人は少なくなっている。そこにどんな感情を抱いているかはともかく、LGBTの人々と、その待遇に関する問題をこの社会が抱えていることは、常識になりつつある。

しかし、私はこの状況を手放しで喜べない位置にいる。誰にも性的魅力を感じないアセクシュアル(以降Ace)であるからだ。「異性と恋愛するのが当然」という価値観の押しつけの有害性は認識されつつあるなかで、「誰かと恋愛するのが当然」という文脈は根強い。

するとどんなことが起きるか。人と親しくしていただけで、それが異性であると特に、相手に恋愛対象として、また、相手に性的魅力を感じていると見られてしまうことが起こりうる。

また、相手には自分が恋愛感情をもたず、性的魅力を感じないことを理解してもらえても、周囲の人々からは、「付き合っている」「付き合っているわけじゃないと言うならそんなに親しくするべきじゃない」といらない口出しをされることがある。

これらはすべて、「(特に異性間の)親密さの行き着く先は恋愛」という認識に基づくものだ。だからこそ、そうでないのなら、勘違いさせるようなことをしてはならないのだと行動を制限される。

「ACEって?」。説明を求められる

恋愛の文脈に取りこまれまいと抵抗するAceの一人である私の次なる手段は、恋愛話が展開される度に、「私は恋愛しないけど」「そもそも人を好きにならない」と予防線を張り続けることだった。告白は、する側もされる側も、疲れることなのだ。

だからその前の段階で、「この人を恋愛対象にしてはいけないんだな」と感じ取ってくれればいいと思って、Aceであることを隠さない。恋愛対象の枠から何としてでも外れるために、Aceであることをこれまで必死に表明し続けた。

これは一定の効果が得られる方法ではあるが、疲弊するので、あまり積極的におすすめできない。「何で?」「それってどういうこと?」と説明を求められるからだ。女性が男性を好きになることには、何の説明も注釈もいらないのに。

そうは言っても、私にとっては、説明する方が、告白されることそのものよりは、負荷が小さい。告白されると、向けられる恋愛感情そのものが怖くて、相手と今後も関係を続けていくことが困難になる。私は友人を失いたいわけではない。

平然と偏見をぶつけられる

「まだ若いから」
「そのうちいい人が見つかるよ」
「セックスをしてみたら本当にそうかどうかわかるんじゃない?」

これらはすべて、私に向けられた偏見である。誰が言ったか、いつ言われたか、言われ過ぎて数えるのをやめた。

希望のない事実だが、LGBTコミュニティにおいてさえも、「いつかいい人が見つかる」などと言われた。LGBT当事者のなかにも、Aceへの無理解を自覚せず、隠しもしない人々がいるのだ。

AceWeek―前提を共有できる空間の居心地のよさ

日々「恋愛する」文脈に取りこまれ、抵抗しきれない私は、AceWeekの存在を知り、参加を決めた。

AceWeekで「一人じゃない」ことを知る

LGBTコミュニティであっても、Aceの私が安心することは難しいと日々感じていた。そんな折に、Twitterで目にしたAceWeekの開催。さっそくフォームに自分の詳細なセクシュアリティや恋愛や性的なことに関する価値観を入力し、ハッシュタグをつけて、ツイートした。

参加はしたものの、交流に至ることはなく、私はただTwitterに自身のAceとしての詳細を表明しただけになったのだが、私自身は落胆していない。ハッシュタグを辿って、私のツイートを目にした人は確実に私という一人のAceの存在を認識したのだ。「こういう人もいる」ということが伝わったのだ。

同様に私も、ハッシュタグを辿って、他のAceWeek参加者のツイートを見ることができた。これにより、私は、「自分と同じような人が世界のどこかにいる」と少しだけ安堵した。

AceWeekだけでなく、同じ前提のもと成り立つ空間は心地いい

対面の交流会にも参加できればよかったのだが、物理的距離と費用、そして時間の問題で参加を断念した。そのため、Aceのコミュニティに顔を出した感想を書きようがないため、同じ前提のもとに成り立っているコミュニティ、いわゆる当事者会や患者会、セルフヘルプグループと呼ばれるものに参加した際の感想を参考までに書いておく。

こんなにも息がしやすい空間があるのかと、驚愕したことを覚えている。自分の特徴を、その異質さを、説明する必要に迫られずに、ほぼ同じ前提を共有したまま話が進んでいくので、非常に居心地がよかった。その空間において、私は異質ではなかった。

同質な人々のコミュニティにのみいることの危険

しかし、同質であることを前提に作られたコミュニティにのみ身を置くことの危険も書き添えておく。説明いらずで話が進むことによる負担の少なさは、このようなコミュニティの魅力ではあるが、大切な前提が抜け落ちている。それは、誰一人として、完全に同質な人間は存在しないという、至極当たり前のことだ。

何の属性を共通項にしようと、人間は少しずつ似ていて、少しずつ違っているのだ。そのことを忘れてしまえば、そのコミュニティにおいてのあるべき姿を作り上げ、少しでもそこから外れれば排除されたり、疎外感を覚えたりするようなことが起こりうる。

前提を共有できる空間は居心地がいいが、その空間が万能なわけでも、すべてを解決してくれるわけでもないことは、注意したい。

Aceにも、一息つける場所が欲しい

前提を共有できる空間にはメリットもデメリットもあるが、それでも、前提を共有してほっと一息つける空間が、Aceにも欲しい。

ほっと一息つける空間とは、何だ?

とりいめぐみさんは、クィアの文脈で、「救われない自覚だけがある、街が欲しい」のなかで、「街が欲しい」と書いている。そのエッセイを読んで、私は考えた。Aceとしての私が、ほっと一息つける空間って、何だろう?

そんな空間は、この世のどこにもないと諦め、絶望してしまっていた。でも、意外と空間やコミュニティは作れることを、とりいめぐみさんのエッセイから知った。

ゲイバーやビアンバーみたいな場所が欲しいのだろうか。私はお酒がそんなに好きでもないし、正直に言えば、未成年の頃にAceとして一息つける空間が欲しかった。このことから、バーという形態は多分私の望むものではない。

Aceにだって、休みが欲しい

避難場所と言うべきか、ほっと一息つける空間と言うべきか、とにかく何かそんなものが欲しい。異性愛者でないけれど、誰かを恋愛対象にする人に、恋愛対象にされてしまうのではないかと、LGBTコミュニティに行くのも怯える気持ちがある。告白することもされることもストレスだから、そんなことは起こりえない、心理的に安全な空間が欲しい。

ここでは、恋愛感情を持たれることもなく、性的な魅力を感じ取られることはない、そういう空間が欲しい。別にその空間に閉じこもっていたいと言うのではない。ただ、24時間365日、自分と確実にずれた世界で暮らし続けている私に、ほんの少しの休息をくれる、そんな空間が欲しい。毎日世界に抵抗するのは、誰だって、きついでしょう?

私の考える、Aceの息づく空間

でも、バーとかカフェみたいに交流したいかって言うと、そこまで積極的に交流したいわけではない。

Aceにとって心理的安全性の高いTwitter?

他のAceの人々はどうか知らないが、私は、お客同士が交流することがメインのバーやカフェは、気疲れしてしまって、通う気になれない。交流するための場所は、多分合わないのだ。交流してもしなくてもよくて、交流したい人も、ほっと一息つきたくて交流はいらない人も、ふわっといられるような空間。

ここまで書いていて、私は閃いてしまった。そう、これって、きっと、心理的安全性の高い、AceオンリーのTwitterじゃないかな。私が思うに、Twitterは街の集合体だ。アカウントに鍵をかけて、部屋を閉ざしていたっていいし、公開アカウントで楽しく誰かと交流してもいい。一人で言いたいこと言って、すっきりしてもいいし、好きなことについて延々語ってもいい。

Aceしかいなくて、Aceへの偏見は飛んでこないTwitter。そういうものが、あったらいいのにな。いや、わかっている。ただでさえ日々何かが燃えているTwitterには、そんな理想は実現できない。でも、Twitterをヒントに、そういうものを作れないものだろうか。

Aceについて、書いていく

あいにく、私はTwitterに似たものを作れるほどの財力も技術もない。大きな理想を言ってみたけれど、それはさすがに夢物語だ。でも、私には私の得意なことがある。書くことだ。

こうやって書いているのもそうだし、Aceについて、そしてAceが生きているんだってことを伝える文章を書いていくことにも、意味がある。

「恋愛しない生き方」をAceの文脈を含めたいろんな文脈から語りたいし、書いていきたい。

 

■参考文献・Webサイト
・『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて 誰にも性的魅力を感じない私たちについて』(ジュリー・ソンドラ・デッカー著、上田勢子訳、明石書店)

・AceWeek in Japan にじいろ学校
https://acepride.jimdofree.com/

・「救われない自覚だけがある、街が欲しい」とりいめぐみ
https://unicoco.co/628/

 

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