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Writer/雁屋優

アセクシュアルの私と、好きな人

他人に恋愛感情や性欲をもたないとされるアセクシュアルを自認する私。だが、私には、好きな人がいる。一見矛盾に見えるこの状況について綴っていく。

揺れ動いて、運命に出会う

その頃、私は自分をレズビアンだと思っていた。

私はきっとレズビアン

男の子を好きになろうとしたのは周りがそうだから自分もそうならねばならないという義務感で、女の子を好きになるのは、自分では止められない事故みたいなものだった。だから、本命はきっと女の子で、私はレズビアンなんだろうと、ぼんやり思っていた。

後にこれも違っていたことに気づくのだけど、そのときは、私は女の子を好きになるのかなとふわっと思っていた。

本当にふわっとしていて、恋愛するために出会いを探す、つまりはレズビアン向けのSNSに登録するとか、そういうことはまったくしなかった。恋愛に対して、出会いがあればするかもしれないけど、出会いを求めて行動するというのが、何か好きじゃなかったのだ。

これも一種の偏見だけど、出会い系とか、風俗とか、恋愛やセックスのために出会う場のことを、当時の私はものすごく軽蔑していたから。欲のために出会うって、何か汚い。そんなことを考えていた。一種の純潔志向? 何なんだろうな。そういう出会いもあるんだと、今はわかるけれど、当時は子どもだったのかな。

そういう場には、やっぱり危険はある。あるんだけど、いけないものと一括りにするのも違う。最近はそう思うようになった。でも、やっぱり怖い場所だとは思っている。この怖い感じが偏見や差別につながっていくのも、理解はできる。もちろん、偏見や差別はなくさなくてはならない。

運命の出会い

恋愛を自分で探しに行くってことも、否定的にしか捉えられなかった私は、ある日テレビで、運命の出会いをする。私と同じ、アルビノの女性がテレビに出ていたのだ。ふわふわのプラチナブロンドの、色白の女性。素敵だ、と思った。

この人と話してみたい。
この人と言葉を交わして、この人を知りたい。
この人の視界に映りたい。

こんな気持ちは、初めてだった。今まで人をどうしようもなく好きになることなんて、なかった。高校生にして、他人を利用価値ではかってばかりいた私には、世界に初めて色がついたような感覚だった。

そのとき、アルビノに対する感情の割合も、置き換わるのを感じた。好き:嫌いで、3:7くらいだったものが、5:5くらいになる。

ひとまずの結論

そして “ああやっぱり私、レズビアンなんだ” と強く信じた。そのことに、戸惑いはなかった。女の子と手を繋ぐ、抱き合うなどの接触をするのが好きだったし、ああやっぱりか、とすとんと腑に落ちた。

初対面の彼女は美しかった

テレビで観た彼女と初対面を果たした。理性なんてものは、その瞬間にぶっ飛んでいった。

美しい彼女に、目を奪われた

大学生になって、ついでに成人もした私は、好きな人と連絡を取り、ついに会うことになった。夢みたいだった。会えるということは、言葉も交わせる。目の前に彼女がいるってことだ。何だか変な文章になってしまったが、それくらい混乱して、興奮して、混濁していた。いや、濁っては、ない、か? でも、混乱はしていた。

私にはリカちゃん人形が好きだった時期があるのだが、彼女に会ったときの心境は、ずっと欲しかったリカちゃん人形を、目の前に出されたときのそれと似ている気がする。子どもが好きなものを前にして、なけなしの理性とか知性とかそういったものを飛ばす・・・・・・。そんな様子に近かったと思う。

人間じゃないみたいに、美しい

淡く、儚く、美しいお人形のような彼女は、人間じゃないみたいに、美しかった。よくできた人形とか、女神の現身(うつしみ)とか言われても、納得してしまう。私が普段人間に感じる汚らしさが一切なかったのだ。

生きている人間というのは、人間であるけれど、動物の一種であるから、やはりどこか汚い。それは仕方ないし、その上で私はリアルの人間は地雷とか言うのだけど、彼女には、それがなかった。

運命を感じているからそう思うのかもしれないけど、彼女は完成されたお人形だった。彼女を、ずっと見ていたかった。

恋する乙女は止まらない

彼女を前にした私は、いつも理性を失っていた。成人してこういう恋のしかたをするのって、なかなかに痛いかもしれないけど、それで「はいそうですか」と止められるものでもなかった。止められないから恋というのかもしれない。いや、彼女には相当に迷惑をかけたけど、その上で包みこんでくれたので、本当に感謝している。

でも、当時、彼女と恋仲になりたいわけではないってことにも、薄々気づいていた。彼女を眺めていたら、それだけで幸せだった。一緒に過ごしたいと思うことはあっても、恋人らしいことをしたいわけではなかった。一番わかりやすく言うなら、妹になりたかった。

恋じゃ、なかった。
濃密な憧れだった。

どうやら私はアセクシュアル

何かいい感じになった女の子に、気持ちを返せなかった。そんな話をしよう。

アセクシュアルで、ごめん

自分はレズビアンなんだな、と思ったまま大学生活を送っていたら、よい出会いがあって、いい感じになった女の子がいた。優しくて料理上手で思考が深くて、いつも私を肯定してくれる美人。

友達になって、いいなあと思っているうちに、恋仲みたいな感じになって、ある夜、別れのキスをした。雰囲気もシチュエーションも、彼女も最高だったのに、私は、何も感じなかった。

それどころか、気づいてしまった。

私は、彼女が死んでも、「そっかあ」くらいなテンションで泣きもせず、喪失感も味わわず、彼女の手料理がもう食べられないことをほんの少し寂しく思うだけだってことに。

うん、いや、これ、アセクシュアルかどうか以前に人としてなかなかひどい。人を失って考えることが、その人の作ってくれるごはんのことだけ、なんて、最低もいいところだ。

さよなら、優しい人

さすがにそこまでは言わなかったけど、くれている気持ちと同じものを返せないことは、彼女に伝えた。伝えなければ、フェアじゃないと思ったからだ。それでもいいのだ、と彼女は言ってくれた。しかし、私たちの関係はゆっくりゆっくり破滅に向かっていった。

原因は、多分すべてだろう。気持ちというのは、存外正確に伝わってしまうものだ。私は、恋愛をするには感情が希薄すぎたのだ。彼女は悪くない。私と彼女は運命ではなかった。そういうことなのかもしれない。

優しい人だな、とそれだけを覚えている。

隠しきれない想い

話を戻すが、運命を感じたアルビノの女性とは、今も交流がある。友情と言うには重く、恋とも呼べない何かを抱えて、私は彼女と話をする。隠しているつもりであった好意は、まったく隠せていないことが友人の言葉で発覚した。

その上、ある日のメッセージのやり取りで、容姿を最初に好きになったけれど、容姿だけではなく、今はまるごと大好きだと伝えてしまった。まるで、告白のようじゃないか。そう気づいて、友人に焦って連絡したら、「もうバレてたからいいんじゃない」との返事。

そんなにわかりやすいんだ。自分では思いを秘めていたつもりだったから、驚いた。

想いの解剖

秘めることすらできていないこの重い感情を、分析してみる。

私は「妹になりたい」のか?

この重い感情は、本当に何なのだろうか。例えば運命の彼女にパートナーがいて結婚するとしたら、私はきっとパートナーに嫉妬するし、羨ましくてジタバタするのだろう。成人がやることではないけど、可能性は非常に高い。本当に何なんだろう、これ。

妹になりたいと先ほどは書いたけれど、多くの場合、妹は姉の結婚を祝福するだろうし、姉をお人形さんのように美しいと思ったりはしないのではないだろうか。でも、あのとき一番「妹」という表現が妥当に思えたのだ。

では、その妹とは、何なのか。

妹とは、どういうことか

もしかして、と思いついたことがある。私の言う、妹は血縁関係の妹ではなく、先輩後輩の妹ではなかろうか。『マリア様がみてる』(今野緒雪、集英社)シリーズには名門リリアン女学園で先輩と後輩が「姉妹」になる描写がある。この姉妹関係が作品の根幹をなしていると言っても過言ではない。

運命を感じている彼女の、「妹」になりたい。のかもしれない。憧れの先輩に話しかけられて、ドキドキして、好きが溢れて、先輩の挙動が気になる、なんて、まさに今の私だ。『マリア様がみてる』のような絆を築けているかは、正直わからないけれど、私は、彼女の「妹」になりたい。

世界は二分されているわけではない

世界は、友情か恋愛かの二択ではないのだ。

だから、まあ、友情とも恋愛とも言えない感情を抱いていたっていいと思う。アセクシュアルではあるので、彼女に対して性欲も恋愛感情も抱かないけど、強い憧れは抱いている。彼女のようになれたらな、と思った時期もあった。

私には無理だというのは、よくわかる。私は短気で無機質で感情が希薄で、人に思い入れを持つのが難しい。包みこむように私や友人たちを見守ってくれる彼女のようには、なれない。なろうとするのも無駄なくらい、かけ離れている。太陽が明日から月になるくらい、不可能な話だ。

彼女に包みこまれたい。
話すと幸せ。
会うと楽しい。

そんな幸せをかみしめながら、今日も彼女と交流している。会って話すと、抱きしめられたような気分になるのだ。これを人は包容力と言うのかもしれない。私にはないものだ。

アセクシュアルでも、恋愛の意味ではなく、好きな人っていうのは存在しうるようだ。アセクシュアルは、人を “恋愛の意味で” 好きにならないセクシュアリティだから、憧れの人がいるのは何もおかしなことではないのかもしれない。そもそも、そういう枠にすべてを当てはめようとすることには無理がある。セクシュアリティは線引きできるものでもないのだろうし。

たくさん書いてきたけど、私は運命を感じた彼女が好きだ。重い感情を向けてる。

これからもその重さは隠しつつ、やわらかな気持ちをたくさん言葉にして、彼女と繋がっていようと思っている。

私も少しは想いを秘めることができるようになってきたのだろうか。
そうだといい。

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