ぼくはパンセクシュアルを自認しているが、実際の交際相手は圧倒的にシス男性が多かった。ちなみに今のパートナーも、シス男性である。これについて「じゃあパンセクシュアルっていっても、基本的には “男性より” なの?」「男性とばかり付き合っていたのに、ノンバイナリーって本当なの?」みたいな、トンチンカンな疑問を呈されることがたまにある。
出会いやすさの問題
2つの質問「じゃあパンセクシュアルっていっても、基本的には “男性より” なの?」「男性とばかり付き合っていたのに、ノンバイナリーって本当なの?」が、なぜトンチンカンなのか説明していこうと思うんだけど、その前にぼくがパンセクシュアルを自認しつつもシス男性と付き合うことが多かった理由を述べてみたい。
シス女性として生きていたから、シス男性と付き合うことが多かった
NOISEで何度も書いてきた通り、性別違和に対してはかなり幼いころから自覚的だった。思春期に入るころにはすでに自分が「女性」ではないことをはっきり知っていたし、月経や胸の膨らみなんかに強烈な嫌悪を感じてもいた。
ただ、自覚的であることとオープンで生きることは、もちろん別だ。ぼくはライターの仕事を始める前までは、学校でも職場でも、基本的には「女性(シス女性)」のふりをして生きてきた。
シス女性として社会で振る舞っていたから、おのずと恋愛関係になるのはシス男性が多くなった。クローズドな人間にとって、どうやらこれはわりかし自然な流れであるらしい。周囲のノンバイナリーやXジェンダーの話を聞いていても、「(出生時に割り振られた性別の)異性」と付き合うことが多かった人はけっして少数派ではない。
そもそも性別で好きになるという感覚がないから
そもそもぼくは、好きになる相手の性別をほとんど見ていない気がする。「男性」だから/「女性」だから好きになる、というよりは、好きになった相手が「男性」ないし「女性」であった、という感じ。
相手のセクシュアリティや身体の形がどうこうとかは二の次で、単純に「好みかどうか」の方がぼくにとっては大きかった。だから日常生活を送る上で恋愛に発展しやすい「男性」と付き合う機会の方が圧倒的に多くとも、さして困ることはなかったのだ。
ぼくが「女性」と付き合う機会を得ようとするならば、まずマッチングアプリか新宿二丁目に行くしかない。だって日常で好きな「女性」ができたとしても、告白には必ずカミングアウトが伴うのだ。
相手がヘテロじゃないかどうかもわかんないのに、自分の立場を危険にさらしてまで気持ちを打ち明けるなんて、ハードルが高すぎる。もちろんこれはぼくの場合であって、アプリを介さずとも「(見た目的に)同性(と見なされやすい人)」に告白できる人はいるだろうけど。
そういう意味でも、「女性」に比べて「男性」と付き合う方がはるかに楽だった。これが男性との交際経験が多い理由の大半を占める。
恋愛における役割
ぼくの恋愛における立ち位置とか、引き受けたい役割も、交際相手に男性が多かった理由のひとつになっていると思う。
「性的指向は男性のみ」の自分に疑念を覚えて
男性と付き合う方が容易だった、という背景から、ぼくは成人するまで女性との交際経験がなかった。だから性的指向については、長年「男性」に限られると思い込んでいた。でも、SNSでノンバイナリーやXジェンダーの情報を漁っていく中で、次第にそのことについて不安を募らせるようになった。なぜなら、多くのノンバイナリー当事者の性的指向がパンセクシュアルだったからだ。
“自分自身の性別が男女どちらにも当てはまらないと感じるのと同様に、どんな人間にも「性別」そのものをあまり感じない。恋愛でも性別を重視しないから、自分はパンセクシュアルだ”
そう主張する人をあまりにたくさん見かけたので、一時期「もしかしたら自分はノンバイナリーでもなんでもなく、思春期をこじらせた “シス女性” なのでは」と疑ったこともある。そんな疑念もあって、成人後にインターネットを通じて「女性」との出会いを求めた。
異性愛規範における「女性」の役割を引き受けるタイプ
何人かの「女性」と交際を重ねるうちに、ふと気づいたことがある。ぼくはどうやら相手が「女性」であろうと、自分の「立ち位置」とか「引き受ける役割」が変わらないらしい。「男性」と付き合っているときと「女性」と付き合っているときで、自分の態度が変わることはなかったのだ。
もう少し詳しく述べてみよう。よりわかりやすい言葉で示すなら、ぼくはパートナーとの関係において「受け身」でいるのが好きなのだ。「女性」と付き合うことで己の望む態度が発見できたのは、自分の性的指向を考える上で大きかった。
セクシュアリティではなく、単純な「好み」
ぼくは相手が男性だろうが女性だろうが何であろうが、リードしてもらうことを期待するタイプだ。例えば、店の予約をしてほしいし、重い荷物は持ってほしい。できれば会計もお願いしたい。いや、もちろん、金が惜しいとか財布を出したくないとかではなくて。つまり一般的な異性愛規範における「女性」の役割を、積極的に引き受けたいと思う人間だったのだ。
もちろん「女だから慎ましくあれ」「女だからしとやかであれ」「女のくせにでしゃばるな」みたいな悪しき性役割を引き受けたいとか、そういう話ではない。
いわゆるセクシュアリティとは離れたところにある、ごく個人的な好みの問題だ。こういう役割を引き受けたいと思う(=相手にイニシアチブを持ってほしいと思う)スタイルだからこそ、余計に「男性」と付き合うことが多かったのだろうと腑に落ちた。
“男性よりのパンセクシュアル” への違和感
ここまで述べてきた理由によって、パンセクシュアルを自認しつつも男性との交際経験の方が多かった。でも交際経験のみで“男性より” だと表現されるのは、どうもすわりが悪い。
シスヘテロ前提の社会では、パンセクシュアルであることに気づきにくい
そもそもシスジェンダー・ヘテロセクシュアルが大前提のこの社会において、パンセクシュアルという性的指向はぼくにとってものすごく自覚しにくかった。だって性的指向・恋愛指向って、他者との関係性を通して見つめないとなかなか判断が付かない。
性自認の場合はあくまで「自分をどう思うか」だから、性別違和等々をかんがみて自力で答えを出しやすいけど、性的指向は「相手」がいて初めて捉えられるもののような気がする。
それゆえに性的指向を理解する手がかりは、自分の交際経験や恋愛経験に限られていたのだけれど。それによって他人に “男性よりのパンセクシュアル” だと断じられることには納得がいかない。
性自認と性的指向ごちゃごちゃ問題
過去の交際経験は自分の性的指向を導く材料にはなるけれど、必ずしも根拠になるわけじゃない。昔のパートナーの性別がどうであれ、自分で「パンセクシュアル」だと認識しているのならば、もうそれがすべてなのだ。だからこそ他人に “男性より” と判断されることに強い抵抗を覚える。
そして「男性との交際経験の方が多い」という事実を知った途端、鬼の首取ったみたいに「なんちゃってノンバイナリー」と言われるのはもっとイラッとする。分かりきったことだけど、性自認と性的指向は完全に切り離された概念だ。「男と付き合うってことは、結局あなたは女性なんでしょ」って、そんなこと言ったらレズビアンやゲイの人々はどうなるんだよおいおい・・・・・・と心底うんざりしてしまう。
また、「女性との交際経験の方が多い戸籍上女性のノンバイナリー」が「なんちゃってノンバイナリー」と中傷されている場面はあまり見かけない。バイセクシュアルやアセクシュアルも同様に、ウーマセクシュアルやマセクシュアルに比べて風当たりは弱い。
こういうところからも、身体の構造で他者を「男性/女性」だと判断する人が多数派だということを思い知らされて、ちょっと虚しくなる。
雑な思い込みより本人の主張を優先して
「ノンバイナリー=パンセクシュアル」という風潮
「ノンバイナリーであるならばパンセクシュアルであるはずだ」みたいな風潮は、ノンバイナリーという在り方から推測されたり、インターネット上で見かけるノンバイナリー当事者の声から形成されたりしたものだろう。でも、れっきとした誤りだ。
ぼくの場合、「女性」との出会いや交際を通じて結果的にパンセクシュアルだと判明したからまだよかった。だけど、もし性的指向が男性のみであった場合、きっと今よりずっと深く悩んでしまった気がする。誤った風潮によって自分をどこか「偽物」のように感じてしまったりして、こんなふうに文章を書いて公開することもできなかったかもしれない。
本人の主張をそのまま受け入れて
ぼくの恋愛(性愛)対象は、男性にも女性にも寄ってないよ。ぼく自身の性の在り方も、男性にも女性にも寄っていない。ただ単純に、「女性」を好きになる機会や付き合う機会に恵まれなかっただけだ。
自分自身を「どちらでもない」と定義するのなら、性的指向も「どちらでもない」になるはずだ──こういう思い込みはだれかを窮屈にさせるだけなので、積極的にNOを言っていきたい。
本人がパンセクシュアルだというならば、その人はもうパンセクシュアルだ。そしてノンバイナリーみんながみんな、パンセクシュアルなんてことはあり得ない。自分に性別を感じないからと言って、全人類相手に感じないわけではないだろう。
性的指向が「男性」に限られる人もいれば、「女性」に限られる人もいるし、ぼくみたいに「相手の性別はなんでもいい」という人もいる。
「男性と付き合うことが多かったから “男性より”」だとか、「ノンバイナリーならこうであるはず」だとか、そういう思い込みはどんどん取っ払っていきたい。
雑な知識で相手をジャッジするのではなく、その人自身の言葉に耳を傾けてほしい。“男性より” パンセクシュアルと称され、「なんちゃってノンバイナリー」とけなされたぼくだからこそ、強くそう願う。