NOISE ライター投稿型 LGBT情報発信サイト
HOMEすべての記事 大好きなポッドキャストで感じた、LGBTQ+当事者としての違和感

Writer/酉野たまご

大好きなポッドキャストで感じた、LGBTQ+当事者としての違和感

ラジオよりもずっと手軽に、番組を作ったり聞いたりすることができる「ポッドキャスト」。近年その人気が高まっている理由は、一般人でも着手しやすく、多くの人に聞いてもらえる可能性があるコンテンツだから。しかし、より身近に感じられる媒体だからこそ、「LGBTQ+への認識の差」に気づかされることがある。

LGBTQ+当事者として、恋愛系ポッドキャストに抱いた違和感

とある恋愛系ポッドキャスト番組との出会い

ポッドキャストを聞くのが好きだ。

聞き始めたきっかけは、やる気あり美というLGBTQ+関連のクリエイティブチームが運営しているポッドキャスト番組『そうだ!ゲイにカミングアウト』の存在を知ったこと。

ゲイのパーソナリティーであるお二人が語り合い、リスナーからの悩み相談にも答えるという内容に心惹かれ、アーカイブを遡りながら毎日のように聞いていた。

そして、「動画のように映像を観る必要がなく、好きなときに気軽に楽しめる」というポッドキャストの魅力に気づき、他の番組もどんどん聞くようになっていった。耳を傾けるだけで内容がわかるので、スマホをいじりづらい移動中や買い物中、家事の間に聞くことができる点が嬉しい。

次第に、LGBTQ+関連の番組だけでなく、雑談系ポッドキャストや学問系ポッドキャストなど、幅広くいろいろなジャンルに手を出すようになった。

私がとある恋愛系ポッドキャスト番組に出会ったのは、ちょうどその頃のことである。

LGBTQ+当事者として抱いた違和感

そのポッドキャストは、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルの、つまり性的マジョリティである女性二人が、恋愛についてトークを繰り広げるという内容の番組である。

女性と男性の恋愛を前提としたトークではあるけれど、同世代の女友達と一緒におしゃべりしているような感覚になれるのが楽しくて、同じエピソードを何周も聞くくらい好きな番組だ。

パーソナリティーのお二人のキャラクターもとても好きなのだけれど、ごくたまにポッドキャストを聞きながら「?」と違和感をおぼえてしまう瞬間がある。

なにげなくスルーしてしまいそうなほど小さな違和感だけれど、好きなコンテンツだからこそ、余計に気になってしまうのだ。

違和感の理由は、「パーソナリティーがLGBTQ+についてきちんと認識できていない」こと。

異性愛者に向けた恋愛トーク配信でLGBTQ+を持ち出すのはナンセンスだろうか、と聞きながら悩んだこともあるが、もちろん異性愛者の中にもLGBTQ+は存在するし、番組のリスナーの中には私のような「同性愛者だけど、単純にトークが面白いから聞いている」という人もいるはずである。

だからこそ、この違和感はスルーせずにきちんと見つめ直したほうがいいと感じた。
そこで、記憶に残っている「違和感のあったコメント」をいくつかピックアップして、LGBTQ+当事者の視点から「本当はどう言ってほしかったのか」を探っていきたい。

違和感のあったコメントの実例

① 「性行為がうまくいかない」という悩み

まずは、「性行為がうまくいかない」という、おそらく男性と思われるリスナーからの悩み相談についてのエピソード。

最近何人かの女性と性行為をしようとしたが、うまくいかない。
一人でする分には支障がないのに、女性と合意の上でホテルへ行っても、なぜか最後まで達成できずに終わってしまう。

この悩みに対して、パーソナリティーのお二人は「最後までできないのは、その女性のことが本当に好きではないから」「一人のときにできているのであれば、絶対できるようになる」とコメントしていた。

私はこのエピソードを聞いていて、とある知人男性を思い出した。

同性愛者だとカミングアウトした私に、彼はおそるおそる相談をもちかけてきた。
以前彼女がいたのだけど、性行為がなかなか達成できず、そのせいで振られてしまったことがある。

自分はLGBTQ+なのだろうか?という相談だった。

「一人ではできるのに、彼女と一緒だとその気になれないことが多くて・・・・・・」と語った彼に、私は「話を聞いただけだと確実なことは言えないけど、もしかしたらノンセクシュアルとかかもしれないね」と答えた。

後日、彼の名前を伏せてノンセクシュアルの友人に話をしたところ、「私と状況がとても似ているから、その可能性は高い」と友人は語った。

男性が性行為に不全を感じる場合、体調が悪いのか、相手に対して性欲を感じられていないのか、あるいは自分はEDなのかと悩み、誰にも相談できずに不安を抱えるケースが多いように思う。

私に相談をしてくれた彼も、「自分は男性としての資質に欠けているのではないか」という不安を口にしていた。

ポッドキャストで悩み相談をしていたリスナーについては、確かなことは何もわからない。
ただ、「できるか、できないか」という二元論ではなく、「相手との性行為をもともと必要としない人もいる」という事実を、このリスナーの方にはぜひ知ってもらいたいと思った。

パーソナリティーのお二人も、もしノンセクシュアルやロマンティック・アセクシュアルについての知識を持っていれば、「愛情の深さなどとは関係がなく、別の可能性もあるから、できないことで自分を責める必要はないよ」と言い添えてくれたのではないかと思う。

② 同性愛者だとしても、「男女の友情はあり得ない」?

ポッドキャスト内外を問わず話題にのぼりがちな、「男女の友情はあり得るのか?」というテーマについて。

この話題が出た際、パーソナリティーのお二人は、はっきりと「男女の友情はあり得ない」とコメントしていた。

その理由は、「男性には生まれながらの強い欲求があって、女友達のことも異性として意識してしまうから」。

この話を聞いた瞬間、モヤモヤと胸にわだかまるものを感じた。

「男性は」「女性は」という、主語が大きい発言についてもそうだけれど、私としては「じゃあ、同性愛者の場合はどうなるの?」という思いが湧いてきたのだ。

その理屈だと、男性が恋愛対象である男性は、同性の友達を作ることはできないのだろうか。また、女性を恋愛対象とする女性は、異性との友情も同性との友情も成立しないということだろうか。

「そんなわけない」と思いながら、きっとパーソナリティーのお二人はこのような想定が頭に浮かびもしなかったのではないか、とも考えた。

ほんの一言、「もちろん全員じゃないと思うけれど」「私が今まで出会った男性との関係性から考えると」などと前置きしてくれたら、印象はかなり違ったのに・・・・・・とつい思ってしまった。

③ 「彼女」がいる「わたし」は、必ずしも男性ではない

ある日のエピソードで取り上げられた悩み相談について。

恋人と暮らす生活についての相談を持ちかけていたその投稿では、一人称を「わたし」、恋人のことを「彼女」と表現していた。

そして、ポッドキャスト内では、ごく自然な流れで相談者のことを「彼氏さん」と呼んでいた。

私はそのトークを聞きながら、そうだよね、と思っていた。付き合っている人が「彼女」なら、その相手は男性だと思ってしまうよね、と。

しかしながら、実はこの悩み相談を投稿したのは、女性である私なのだった。

もちろん、女性同士のカップルであることをわかってほしくて投稿したわけではなかった。
むしろ、性別にとらわれないアドバイスや感想を聞きたいと思って、わざと曖昧な書き方を選んだのだ。

だから、このトークを聞いてがっかりしたり、的外れだと感じたりしたわけではない。
ただ、性的マジョリティの方と自分の感覚の違いに改めて気づかされたのだ。

性別があいまいなときは「彼氏」「彼女」ではなく、「パートナー」「お相手」という言い方を選ぶようにしている私だけれど、ふだんの生活の中では、何かしら相手の属性を決めつけるような話し方をしてしまっているかもしれない。

また、これまでなにげなく聞き流していたリスナーからの投稿の中にも、自身がLGBTQ+であることに言及していないものがあったのかもしれない、とも思った。

そんな自分自身への反省も含めて、印象に残っているエピソードである。

別のポッドキャストで出会った、LGBTQ+に自然に寄りそう発言

「私は異性愛者なので」という前置きに込められた、LGBTQ+への配慮

一方で、別のポッドキャストを聞いている中でLGBTQ+へのフラットな視線を感じ、はっとさせられることもある。

たとえば、TBSによるポッドキャスト番組『OVER THE SUN』で、パーソナリティーのジェーン・スーさんが二人暮らしについての話をされていたときのこと。

「私のパートナーが・・・・・・」と話し始めた直後、ジェーン・スーさんはふいに「私は異性愛者なので、パートナーは男性なんですけど」と付け足したのだ。

その前置きがサラリと出てくるということに、軽い衝撃を受けた。

同性愛者を自認している方が、「私のパートナーは同性なんですけど」と前置きする場面には何度も遭遇してきたし、私自身そういった言葉を口にすることはあった。

だからこそ、自分が異性愛者であると前置きしたジェーン・スーさんの発言はとても新鮮に感じられたし、「パートナーが異性か同性か、話している自分が女性かそうでないのか」、すべてのパターンがあり得るという前提も素敵だと思った。

「私が女性であることは声を聞いたらわかるし、女性である私のパートナーは、ふつうに考えて男性だとわかるでしょう」という、無意識に設定してしまいがちな前提を「当たり前ではないもの」として扱ってくれるその姿勢には、感銘を受けずにいられなかった。

当事者として声を上げる勇気を持つこと

ここまで書いてきたが、私は例に挙げた恋愛系ポッドキャストがとても好きで、決して苦言を呈したいと思っているわけではない。

でも、だからといって、LGBTQ+への配慮が欠けていると感じた事実を、安易にスルーしてしまっていいのだろうか・・・・・・とも考えてしまうのだ。

LGBTQ+当事者だからといって、同じ属性の人たちとだけ交流していたいと思うわけではない。

私も、性的マジョリティの人たちに混ざって恋愛トークを楽しみたいし、自分と違う属性の方の話を聞いて新しい気づきを得たり、自分の世界を広げたりしたい。

だから、多少うるさがられてしまう可能性も覚悟しつつ、「LGBTQ+についてもっと知ってほしい」と声を上げることも必要なのかもしれない。

まだその一歩を踏み出せてはいないけれど、次に違和感を抱いたときにはきちんとその感覚を見つめ直して、相手に伝える勇気を持ちたいと思っている。

 

RELATED

関連記事

ロゴ:LGBTER 関連記事

TOP