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挫折もつらいこともあったけど、今までの選択に後悔はない【前編】

必ずしも順風満帆だったとは言えない半生。父の他界、憧れの世界への違和感から、目指す先行きと違う、いっとき道を逸れたこともあった。それでも、今の幸せな生活のベースはやっぱり「健康」を何よりも大切にしてきたから。人体への飽くなき探求心、何事もコツコツと続けられる武器があれば、この先何があっても必ず立ち直れる。

2022/12/24/Sat
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Hikari Katano
大塚 浩麻 / Haruma Otsuka

1990年、埼玉県生まれ。身体を動かすことと人体への興味が高いことから、高校卒業後は理学療法士を目指すものの、父の他界などをきっかけに一旦ドロップアウト。その後、フィットネストレーナーへの道を進む。ボディビル・フィットネスモデルの大会で優勝後、ホルモン治療を開始。2021年にSRS(性別適合手術)を終え、戸籍上の性別を男性に変更。 

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INDEX
01 「人体」がとにかく大好き
02 寝たきりの父、山岳ガイドの祖母
03 転校したら明るくなった!?
04 卓球部にいた、FTMの先輩
05 なにか違う、男子とのお付き合い
==================(後編)========================
06 念願の女子サッカー部でセクシュアリティもオープンに
07 父との別れ
08 健康とは正反対のやけくそ生活
09 母へのカミングアウトと女性として生きることへのチャレンジ
10 身をもって証明できる、トランスジェンダーと健康の関係

01 「人体」がとにかく大好き

なににも勝る、人体への強い関心

子どもの頃から現在に至るまで、人体や健康への興味が止まらない。

「子どもの頃に、親に百科事典を買ってもらったらとか、そういうわけでもないんですけど、なぜか人体のことは昔から好きなんです」

「細胞のなかでこんな反応が起きてるんだ! 筋肉ってこういうはたらきがあるんだ! って知るのが楽しくて」

同じ量を勉強しているつもりでも、得意な理科や生物の成績だけ飛びぬけて高くなるほど、興味の強さは明確に違っていた。

現在のパーソナルトレーナーという仕事は、まさに天職だ。

今年でトレーナーの仕事に就いて10年目。これからも健康に携わる仕事を続けたいと思っている。

女の子の話題についていけず

小さい頃は、周りの女の子に合わせられず、一人で過ごすことが多かった。

「女の子はおままごとで遊んだり、セーラームーンが好きだったりしたんですけど、私がそういうものに全然興味がなくて」

自分が好きなことは、身体を動かすことだった。

「ボール遊びとか、鬼ごっこのほうが、自分にとっては楽しい。でも負けず嫌いだから、ボールを当てられて泣いちゃったり(苦笑)」

近所に住む幼馴染がたまたま全員男子だったこともあり、幼少期は女の子より男の子と過ごした。

真面目にコツコツ

小学校低学年までは、人の目を過度に気にする性格だった。

「周りの目が気になって、授業中は絶対に手を挙げないような子でした」

自分で目標を定めてコツコツと物事を進められる、真面目な一面もある。

「夏休みの宿題は、だれに言われたわけでもないんですけど、夏休みの前半に頑張って余裕をもって進められるよう、コツコツと取り組んでました。苦手な絵日記だけは後回しにしてましたけど(笑)」

物事を地道に続けられる強みは、筋トレなど、現在の生活でも活きている。

02寝たきりの父、山岳ガイドの祖母

父が寝たきりに

両親、4つ下の妹、父方の祖父母の6人家族。
転機は、小学3年生のときだった。父親がくも膜下出血で倒れたのだ。

「父はタバコをたくさん吸って、野菜を全然食べない、不健康な生活を送ってました。そういうようすを見ていて、健康に悪いことしてるなーって子どもながらに感じてました」

父親は寝たきり状態になり、退院後は施設での生活が始まる。

母親は、父親の代わりに平日は働きに出て、週末は父親の介護をする忙しい生活に。

当時、父親は35歳、母親は33歳。

「母がしんどそうにしているところを見た記憶がなくて。風邪を引くこともめったになかったです」

自分は今年で31歳。当時の母親と近い年齢になってみて、母親の大変さがどんなものだったか、少しずつ身に感じられるようになった。

人はひと、うちはウチ

母親はあまり口うるさい人ではなく、子どものやりたいことは基本的に好きなようにさせてくれた。

だが、なんでも好きなようにやらせてくれたわけでもない。

「母からは、『人はひと、うちはウチ。だから人と比べないの』ってずっと言われてました。もしかしたら、父のことがあったからかもしれないですね」

「小学校6年生くらいのときに、『みんなが持ってるから、私もケータイ欲しい』って母に言ったら、それこそ『人はひと、うちはウチ』って言われて買ってもらえませんでした」

もともと自分が真面目な性格だったこともあり、母親に怒られた記憶はあまりない。

本格的な「登山」を経験

祖父は生まれつき足が悪く、いわゆる主夫として家事を担っていた。その分、祖母が山岳ガイドとして外に働きに出ていた。

「家族のなかで運動をする人が、私と祖母くらいなんです。祖母はもともと国体出場経験のある水泳選手でもありました」

祖母に連れられて挑んだ登山は、今思い返せばかなり本格的なものだったが、当時はそれが当たり前だと思っていた。

「週末になったら祖母に連れられて山に向かって、みんなが通らないような道を登ってました(笑)」

祖母は、◯歳まで山岳ガイドを続けた。駅で階段昇降トレーニングをするほど日常の体力作りも日々欠かさず、仕事を勤め上げた。

身体を動かすことが好きなこと、コツコツと物事を続けられる努力は、祖母譲りかもしれない。

03転校したら明るくなった!?

断念せざるを得なかったサッカー

小学校3年生の頃、サッカーワールドカップが開催された。その影響でサッカーを習いたいと思った。

もともと、やりたいことは好きにやらせてくれる家庭ではある。

でも、当時女子サッカーはまだまだマイナースポーツ。近所では習える場所がなく、習うとすれば保護者の送り迎えが必須だった。

一方、子どもながらに家庭の状況は分かっていたので、習わせてほしいと口に出すことはためらった。

「父はすでに病気でしたし、母は仕事と介護に追われていて、自分の習い事をサポートする余裕はないだろうなって・・・・・・子どもなりの気づかいだったと思います」

サッカー以外にやりたいことがなかったので、小さい頃から続けていた習字教室以外には特に習い事をしなかった。

転校をきっかけに一変

父親の病気を機に、小学校4年生でいとこのいる学校に転校した。すると、あまりの環境の違いにカルチャーショックを受ける。

「それまでの学校は勉学に励むことを大事にしてたんですけど、転校したら、よし、男女みんなでドッジボールをやろう! っていうようなめちゃくちゃアクティブな学校だったんです」

もともと、身体を通してコミュニケーションを取ることが得意だったこともあり、転校先の影響で明るい性格になったと思う。

高学年になっても男女で分かれることもなかった。

「引っ越したクラスが、縄跳び大会に力を入れていて。男女じゃなくて、縄跳びが上手にできるかできないかで、クラス内が分かれてたんです(笑)」

自分は縄跳びが上手い子たちの輪に混ざり、自己主張の激しいメンバーに揉まれていった。

積極的にボーイッシュに

子どもの頃からスカートをはきたくない一心で、ズボンのみ着用していたが、だからといってファッションに強いこだわりがあったわけではなかった。

「当時、自分の希望はあまり言わないほうでした。ユニクロとかGAPとか、そんなにフリフリしてない無難な格好だったらいいやって」

だが、転校先で知り合った友人たちと輪が広まっていくなかで、ファッションの面でも感化される。

「仲のいい友だちの家にサッカーのユニフォームがあって、かっこいいなって思って。サッカーはやってないけど、代表のユニフォームが欲しいって母にお願いしました」

ボーイッシュな友人がしていたように、自分も男の子の服を着たいと自己主張するようになった。

04卓球部にいた、FTMの先輩

「ボールを蹴る」卓球部?

進学先の中学校にも女子サッカー部はなく、入りたい部活がないことにわずらわされた。

「部活には入らなきゃいけなかったんですけど、女子サッカー部はない。ほかのスポーツもやってこなかったから、どの部活に入ろうか悩みました」

一時的に水泳を習っていたことから水泳部も考えたが、水着を着ることに抵抗感がある。

バスケットボール部にも興味はあるが、背の小ささがコンプレックス・・・・・・。

そんなときに出会った部活が、「ゆるい」卓球部だった。

「卓球部に入ったら、サッカーとか野球とか、好きなことをなんでもできるよって先輩から誘われて(笑)」

自分のやりたいことをなんでもできることが決め手となり、卓球部へ入部。

卓球の練習もほどほどに、校庭の端で部員とボールを蹴る日々。「お遊び」でも、サッカーのパス練習をできる相手がいるだけで、充実した日々を過ごすことができた。

FTMの先輩

卓球部を選んだのには、もう一つ理由があった。FTMと思われる先輩の存在だ。

「1つ上の先輩に、自分のことを『オレ』って言う女性がいて」

「自分のことを『オレ』って呼んでいいんだ! 自分もこうなりたい! とは思ったんですけど、私は石橋を叩いて渡るタイプだから、自分はそうは言わなかったです(笑)」

いわゆる女子向けの遊びに興味がない、スカートをはきたくないなど、昔からなんとなく性別への違和感は覚えていた。

でも、自分のことを男だと確信しているわけでもなかった。

加えて、自分が女性の体つきへ変化していることも分かっていた。だからこそ、男性に憧れるのではなく、男性らしく振る舞う女性にあこがれを抱いていた。

05なにか違う、男子とのお付き合い

とりあえず付き合ってみたけど・・・

周りが色めき立つ中学時代。友人のなかにも、彼氏や彼女ができる人がいた。でも、自分には好きな男子がそもそもいない。

それでも、中学時代には、男子に告白されことをきっかけに興味本位で付き合ってみたことも。

「みんな付き合ってるし、私も一回ぐらい付き合ってみてもいいかなって」

「でもやっぱり、その男子と一緒に過ごしてもあまり楽しくないし、キスしたいとかハグしたいとも思わなくて」

告白されても、付き合っても、相手のことを好きになれない。しっくりこないまま、短い期間で関係を解消した。

気になる女の子に告白

男子は好きになれない一方、当時通っていた学習塾のなかで気になる女子がいた。学校では違うクラスの、剣道部に所属する子だった。

「どちらかと言うと、大人しくて真面目な子でした」

「合宿があったりと、剣道部が忙しくて、一緒に遊ぶことはあまりできなかったんですけど、塾で一緒に過ごす時間が楽しくて」

友人としてではなく、恋愛対象として好きだと気づいた。高校受験後、思いを隠し切れずに告白。

「そのときはケータイを持ってたので、友だちとしてじゃなくて恋愛対象として好きだって、メールで伝えました」

告白は、見事成就。その子と付き合うことになった。

2人の関係は、公にしなかった。周りに言えなかったというより、言う必要がないと思っていたから。

「今もなんですけど、自分のなかで答えが決まってることが多いんですよね。だから付き合ってることは、言わないと決めたから言わないって感じでした」

だが、別々の高校に進学したことで、お付き合いは残念ながら自然消滅してしまう。

 

<<<後編 2022/12/31/Sat>>>

INDEX
06 念願の女子サッカー部でセクシュアリティもオープンに
07 父との別れ
08 健康とは正反対のやけくそ生活
09 母へのカミングアウトと女性として生きることへのチャレンジ
10 身をもって証明できる、トランスジェンダーと健康の関係

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