近年、進化を遂げているBL(ボーイズラブ)ジャンルの文化は漫画やアニメに留まらず、実写映画やドラマでも話題を呼んでいます。今回はBL文化の進化が、性的マイノリティへの寛容さへ繋がっているのかを考えてみたいと思います。
BLジャンルの進化
ここ数年でBLジャンルは著しい進化と人気を遂げています。
書店でも数年前までは影すらなかったBLコーナーができていたり、ドラマや映画でも有名俳優をキャストに迎えたBL作品が観られます。では、そもそもBLジャンルとはどのようなものなのでしょうか?
ゲイの色恋模様にフォーカスを当てた作品
漫画には異性間恋愛にフォーカスを当てた恋愛漫画(少女漫画と呼ばれる)以外にも、同性愛にフォーカスを当てたGL(ガールズラブ)、BL(ボーイズラブ)といったジャンルが存在します。
BLジャンルは、男性同士の色恋模様、つまりゲイの恋愛にフォーカスを当てた作品です。
近年、BLジャンルの愛読者女性は腐女子と呼ばれるようになり、腐女子を中心にBL文化はますます普及しています。
かなり前からBL漫画や、BL映画、ドラマなどは度々メディアにも取り上げられていましたが、2019年11月に放送された「おっさんずラブ」(テレビ朝日:田中圭さん主演)を皮切りに、社会の中でもBLブームが起こっています。
最近では、NEWSの大倉忠義さん、成田凌さん主演の映画「窮鼠はチーズの夢を見る」(2020年9月11日放映)も各メディアで大きく取り上げられていました。
性的マイノリティを知るツールになる
私自身が、BLジャンルを知ったのは高校生の頃。その頃すでに、BLジャンルのドラマや映画は度々放送されていました。私が性的マイノリティの存在に理解を持ちはじめたのも、BLジャンルがきっかけです。
最近では有名俳優や有名声優を起用したドラマ・映画・アニメなどもかなり放送されている印象があり、私個人としては社会が性的マイノリティを知るツールになる良い風潮なのではないかと考えていました。普段は触れることのない性的マイノリティを認知する機会となると考えていたのです。
BLジャンルが普及した理由とは
1990年代にはBLという言葉が生まれていたと言いますが、近年ここまでBLジャンルが普及した理由は何なのでしょうか?BL文化が流行する理由を推測してみたいと思います。
女性にとってBLとは、非日常。少女漫画のように、自分を当てはめて考えることのできる作品ではありません。自分の感情を移入させずに、客観的に楽しむことができるという点が、女性の心を動かす本質なのかもしれませんね。
また、BLジャンルの中にはゲイの恋模様ただ描いたものだけではなく、「男性同士=禁断」という社会の根強い偏見が含まれているようにも思います。
BL作品の中には、「男性を好きになってしまった困惑」「家族や周囲に反対される」などといった、現代の中にも起こり得るリアルな描写を見ることがあります。
女性にとって非現実的で客観的に楽しめる内容であるからこそ、BLジャンルはここまで普及してきたのかもしれません。
ゲイを嗜好品のように扱う人たち
BL作品は、ゲイへの理解や関心を促す役割をもつ一方で、嗜好品のように扱われる一面も見られます。ここからは、私の友人の体験談をもとに、話しを進めていきたいと思います。
ゲイへの過剰な興味関心
私の10年来の幼馴染はゲイです。高校生の頃から、自身の性的指向の違いに悩んでいましたが、今はパートナーと幸せに暮らしています。
そんな友人と先日話したなかで、「BLジャンルの普及で困っていることがある」という話を聞きました。
男性同士の恋愛模様を描くBL文化のなかには、腐女子と呼ばれる熱狂的なファンも多く、ゲイが容認されつつあるように思えます。しかし、BLが普及し始めてから、性的マイノリティへの理解や存在の認知が深まったのは良いものの、ゲイへの過剰な興味関心を持つ女性が増えてきたというのです。
イロモノとしての認識
ゲイが集まるバーで、パートナーとお酒をたしなんでいた時、普段は見慣れない若い女性グループがお店に入ってきたそうです。
恋人とお酒を楽しんでいる友人の横に来た女性2人組は「カップルですか? 一緒に飲みませんか?」と声を掛けられたんだとか・・・・・・。
違和感を感じながらも一緒にお酒を飲んでいると、女性2人組がどんどん質問を投げかけてくるそうです。
「男同士のカップルってどんな感じですか?」
「どこにデート行くんですか? キスはしますか?」
「男同士のセックスってどうやるんですか?」
「男同士ってイケメンだったら、見てても苦じゃないよね」
友人とパートナーは気分が悪くなり、その場を後にしたと言います。
その女性2人組は、お相手が初対面の男女カップルだったとしても同じ質問をしたのでしょうか?
初対面のカップルに、性的事情をずかずかと聞くのでしょうか?
「ゲイだから」何を質問してもいいのでしょうか?
BL文化が引き起こす生きづらさ
BL文化が世間に浸透しつつあるなか、ゲイへの過剰な関心が生まれているのは確かです。
特に、BLジャンルは性的描写の多い作品が目立ち、ゲイの性的事情へ関心を持つ方が多いのかもしれません。
また、なかには、BLジャンルの描写のように、綺麗(イケメン)な男性同士だからこそゲイは素晴らしいといった、見た目や外見での差別をする人も増えています。
では、男女カップルも美男美女でないといけないのでしょうか?そんなことはありませんよね。性的マイノリティでもマジョリティでも、同じように尊厳があることを忘れてはいけません。
BL文化は、性的マイノリティを知るツールとなる一方で、過剰な興味関心や物珍しさを持った層を生み出すことで、当事者の生きづらさを感じさせてしまうツールでもあるのです。
性的マイノリティを受け入れるということ
私は、BL文化の普及が決して悪いことだとは思いません。1つのジャンルとして、その世界を楽しんでいる方も多いでしょう。性的マイノリティを受け入れることを、本質から考え直すことが重要だと感じています。
興味関心が必ずしも善ではない
先ほどお話した友人は「興味関心を持ってほしいわけではなく、1つのセクシュアリティとして認識してほしい」と言っていました。
日本には、無自覚に同性愛者差別をしている人が少ないとは言い切れません。性的マイノリティを認めない方たちがいるのは確かです。その反面、BL文化の普及をはじめとして、性的マイノリティを認知する方が増えているのも事実です。
しかし、興味関心を持つこと=善とは限りません。無遠慮な興味関心は、性的マイノリティでもマジョリティでも不快となることも知っておいて欲しいと思います。
もちろん、馴染みのない性行為的な部分に興味関心を持ってしまうのは人間の性ともいえます。
興味関心を持つことが悪いのではなく、興味関心を表立って出してしまうことに問題があるのです。
どんな相手にもモラルやマナーを守った接し方が必要です。
互いに認め合い生きていく
最近は、SNSなどでも「BL好きなのでゲイに理解があります!」と発信している方を見かけることがあります。しかし、BLが好きだからといって性的マイノリティへの理解があるとは限りません。
中には、漫画のように綺麗な男性同士じゃないと・・・・・・。といったような不謹慎な発言を見ることも多々あります。セクシュアリティを認めるということは、そのような性を持った人も平等に、対等に見ることができるということなのではないでしょうか?
お互い、性的価値観を認め合って生きていく。
それこそが、性的マイノリティが生きやすい社会を作るということなのではないでしょうか?
ゲイが手をつないで歩いていても気にも留めない。
異性間カップルのように、性的マイノリティがこの社会へ容認されることが認め合うということだと感じています。
セクシュアリティは見世物ではない
セクシュアリティを見世物のように扱う人が増えていることも確かです。しかし、BLジャンルが普及しているからといって、ゲイを見世物のように扱うことは、生きづらさを増幅させてしまう行為なのではないでしょうか。
ゲイは見世物ではない
BL文化の普及で勘違いをしてしまう方もいるかもしれませんが、ゲイは見世物ではありません。腐女子の中には、ゲイカップルを見るためにゲイバーに足を運ぶような方も増えているそうですが、ゲイを「見に行く」「見たい」なんておかしな話です。
セクシュアリティの違いは、動物園のように見て楽しむものではありません。
一部ではBLジャンルの進化こそが、性的マイノリティを受け入れる時代のスタートだと言われていますし、BLというジャンルを楽しむことは悪いことではありませんが、現実世界との区別を持っておかないと、性的マイノリティの生きづらさを生み出してしまうことに繋がるリスクもあります。
どんな人にも尊厳があり、それを侵害することはマナーに反する。
LGBTQに限らず、この社会の常識です。
「理解」を履き違えないこと
理解をすることと、興味関心を持つことは異なります。理解をしているからといって、何を聞いてもいいわけではありませんよね。
性的マイノリティ差別がまだまだ無くならない日本で、ゲイに対する理解者が増えてきたことはとてもいい流れだと感じます。
しかし、BL文化が普及し始めてから、理解をはき違えてしまう方が増えていることも確かです。
私の友人カップルのように、不快な体験をした方もいるでしょう。
最近では、YouTubeなどでゲイカップルとして配信しているカップルも増えはじめ、そういったインフルエンサーのおかげで、ゲイへの興味関心を満たす場も増えてきています。
だんだんと、性的マイノリティを認めつつある世の中へ近づいているのは、紛れもない事実です。
そのなかで、理解をはき違えないことは、性的マイノリティが生きやすい社会を作る第一歩となります。