02 「L」なのか「B」なのか――性指向の揺れ
03 女子校で男女の壁がなくなったのはいいけれど
04 初めてできたのは女性のパートナー
05 女子大への進学と、LGBT活動
==================(後編)========================
06 一番の難関である、母へのカミングアウト
07 バイセクシュアルならではの悩み
08 母の理解を得るまで
09 信頼できる大人として、子どもに関わる仕事を
10 スタンダードな家族の形ではないかもしれないけれど
01夫となるFTMパートナーとの出会い
店員とお客さんとして
現在の夫である、FTMのパートナーと出会ったのは、今から3、4年前。
新宿歌舞伎町アーケードのすぐ近くにある、「Like! SHINJUKU」というカフェ&バーでアルバイトしていた時のことだ。
「そこはFTMの杉山文野さんがオーナーを務める店。スタッフのセクシュアリティも色々で、ストレートの人もいればゲイの人もいました」
当時は、新卒入社した会社を辞め、英語の先生になるために、通信で教員免許取得の勉強中の身だった。
特にLGBT当事者が集まることをウリにしているわけではなく、お客さんも色々。
一般の人が普通に立ち寄ったり、外国人も多く、そこに LGBT 当事者がいるという非常にナチュラルな空間だった。
「パートナーはそこにお客さんとして来ていて、私が途中から店員として入りました。彼は2つ年下なので、出会った当時はまだ大学生でした」
「当時、私は女性のパートナーがいたんですけど、彼の方から『彼女いるの?』みたいに話しかけてきてくれて」
恋愛感情より先に、友情と信頼が育まれて
最初はお互い全く意識しておらず、あくまで店員とお客さんという関係。
そこから少しずつ仲良くなっていったけれど、それでもきょうだいのような感じだった。
「私、自分より年下は恋愛対象じゃなかったんです。年下=弟・妹という感覚になってしまって」
「だからパートナーのことを1回も恋愛相手として見たことがなかったし、彼も私のことをそういう目で見てなかったみたいで、恋愛の “レ” の字もなく、友だちとして信頼関係を築いていった感じです」
しかしつらい時期があった時に、誰よりも支えてくれたのが現在のパートナーでもあった。
「それで、“気が付いたら” 系です(笑)」
「1年以上友だちでいて、もうお互い色々知ってるし、何をきっかけにつき合ったとかなかったんですよね。一応まあ、形として付き合おうかとは言われましたけど(笑)」
ラブラブで・・・・・・という感じではなく、先に友情や信頼があってからのお付き合い。
「だからすごいナチュラル。ドキドキとか・・・・・・まあ、ありましたけど(笑)。一般的な恋愛のように盛り上がって、という感じではなかったですね」
02「L」なのか「B」なのか――性指向の揺れ
レズビアン? バイセクシュアル?
もともとセクシュアリティの自認としては「レズビアン」。
「最初にできたパートナーが女性だったので、これが世の中で言う『レズビアン』だと思ったんですよ。その頃はまだLGBTの知識もなさすぎたので」
幼稚園の時はセーラームーンに憧れていて、ディズニープリンセスやお母さんごっこが大好き。クラスで一番イケメンな男の子に恋をする、典型的な女の子だった。
小学校に入ってからは、女子より男子と遊ぶ方が好きで、ひまさえあれば男子に混じって校庭でドッチボールをして遊んだ。
「パンツが見えようが気にしないし、『負けない!』みたいな、おてんばな女の子でしたね(笑)」
好きになるのも男の子だった。
「当時、川崎の方に住んでたんですけど、その時は本当に男女関係なくみんなでドッチボールをしたりして、すごい楽しかったです」
中学高校は女子校で、いつか “彼氏” ができるだろうと思っていたが、できたのは想定外の “彼女” だった。そこで「自分はレズビアンなんだ」と思ったが、大学に入り、今度は男性のパートナーができてしまった。
「あれ、やっぱり男性の方が好きなのかなあ・・・・・・? じゃあ、今までの気持ちはなんだったんだろう・・・・・・?」
その後、今度はまた女性を好きになったりするなど、「好きになる性」は揺れ動く。
そんなことを繰り返す中で、「自分はバイセクシュアル」と認識をしていった。
ハッキリとした男女の意識の壁
小学校4年生の時に東京に引っ越し、転校した先の小学校でカルチャーショックを受ける。
「そこがすでに “男女 ”の世界がハッキリ分かれているところでびっくりしたんです。東京ってすごい・・・・・・!って思いました」
女の子は当時流行っていたルーズソックスをはき、誰と誰が付き合っているとか、恋バナで盛り上がるなど、大人っぽいませた子が多く、困惑した。
「私はドッチボールが好きな子だったので、全然雰囲気が違う(笑)。どうしようー!みたいな感じでした」
「今までは男女関係ない世界で楽しくやっていたのに、急にガツンと分かれてしまって」
「放課後は男の子と一緒にサッカーをやりたかったんですけど、やっぱり女子の目が怖くてできませんでした」
学校には、ちょっと男の子と仲がいいと、裏で女の子たちにコソコソと陰口を叩かれてしまう。そんな雰囲気がまん延していた。
「人生の中でこれがすごく嫌な経験でしたね。誰を信じたらいいんだろうって」
学校に行きたくない気持ちも芽生えるが、事情を知らない母には学校に行くように言われ、仕方なく通う日々だった。
この頃、女の子の中で馴染めた記憶はあまりない。
「だから中学校は受験しました。共学に行ったら明らかに自分は男子と仲良くするのが分かっていて、それがまた女の子と仲良くなれない要素になってしまうことは目に見えていた」
「だったら男女がない世界に行けばいいんだと思って、女子校を選びました」
03女子校で男女の壁がなくなったのはいいけれど
友だちの作り方が分からない!
「ただ、やっぱり小学校での経験から、中学に入って友だちの作り方が分からなくなっちゃったんですよ。どうやって友だちになるんだろう・・・・・・って」
そこで芽生えたのは、「友だちを作るために、誰かをハブにして、共通の敵、共通の話題を作ればいい」という考えだった。
「小学校の時にそうやって陰口を叩かれて嫌だったのに、今度は私がそれをやる側になっちゃったんです」
「“いじめにあった子がいじめをしてしまう ”悪いサイクルができてしまって、私も友だちに交じって悪口を言うような子になっちゃった」
そうやって友だちを作ってから、ある日ハッと気がつく。「私、友だちの作り方、ちゃんとできてない!」。
そこから、少し友だちと距離を置くなど、“友だちの作り方” について模索する。
「特定の子と仲よくなってしまうと、その子たちからまたハブられちゃうんじゃないかと恐怖が出てきちゃうので、いろんな友だちと広く浅く付き合うようになりました」
「だから友だちが多いように見られるんですけど、逆に、本当に心を許せる中高時代の友だちって少ないんです。修学旅行の班決めとか本当に苦痛でした」
でも、はた目にはそういう苦悩はあまり見せない、いわゆる “おちゃらけキャラ” に映っていたと思う。
部活への没頭と、仲良しの先輩の存在に救われて
「共学で男性性、女性性がハッキリと求められるくらいなら、そういう目を変に気にしなくていい女子校は楽ではありました」
通っていた学校には、男気が強い友だちも多く、重たいものを持つのも、生徒会長、リーダー、何でも自分たちでやらなくてはいけない。そういう面では自分に合っていたと思う。
でも、やっぱりどうしても、“女子” の集団行動を好む雰囲気には馴染めない。
「ひとりで行動すると協調性がないと思われてしまうでしょう。トイレぐらいひとりで行けって思いますよね(笑)」
気が付けば、同級生より先輩たちといることが多かった。
休み時間や放課後、高等部の部活に遊びに行ったりする方が楽しかった。
「同じクラスの友だちとも仲良かったんですけど、高校1年生までは毎年クラス替えがあって、その度に仲の良い友だちが変わるので、あんまり長いつき合いができないし」
友だちは他校の文化祭に出かけて彼氏を作ったり、恋愛の話で盛り上がってもいたが、自分はまったく興味が持てなかった。
「中高と演劇部で。部活が楽しかったから、あまり、恋愛、恋愛ということもなく」
「女子校なので男役も自分たちでやるんです。多様な役を演じることで、いろんな自分が見られる楽しさもありました」
04初めてできたのは女性のパートナー
嬉しい、けど、言えない
初めてパートナーができたのは高校生の時。
女の子だった。
最初は気が合う友達という関係だったが、次第に自分が友達以上の気持ちを抱いていき、気が付いたらその子も好きでいてくれていた。
自然と、恋人同士になっていった。
「私も嬉しいじゃないですか、初めてパートナーができたって。でも、『これ誰にも話せないやつだ』とも思って」
「その頃、自分自身もどちらかというと偏見のある人間だったと思います。同性愛者やいわゆる『オカマ』の人たちが出る番組を見て笑うような・・・・・・」
「だからこそ、“その偏見の対象になってしまった自分” というところで、本当に誰にも言えないなって」
嬉しさ半分、戸惑い半分の気持ち。
友だちは彼氏の話で盛り上がっていたし、自分も恋人ができたのは事実。恋愛トークに交ざりたくて「彼氏ができた」と嘘をついていた。
一方で、「早く自分と同じ当事者たちに会わないと、どうやってこれから生きていったらいいか分からない」という焦りのような感覚も持った。
ネットで調べて色々な女性同士のカップルのブログを読み、コンタクトを取った。
「こういう人たちがいるから会ってみようよって、どちらかというと私から積極的にパートナーに伝えてましたね」
自分よりも一回りも二回りも年上のお姉さんたちに会い、オフ会にも参加。
もちろん高校生は最年少だ。お姉さんたちに連れられて新宿2丁目デビューも果たし、レズビアンの人たちと交流した。
「当時、そのレズビアンの方たちには、恋愛で困ったら相談したり、すごくお世話になりました。母と同じぐらいの世代の人は、本当に『マザー』みたいな存在でした(笑)」
情報を取りに行くためには自ら扉を叩かねば
「いま考えたらよくやったなって思います。若さってすごいですね(笑)。でも当時は『早くこの世界を知っておかなきゃ』という気持ちが強かった」
「あとは、好奇心もあったと思うんです。この世界ってどんな感じなんだろうって」
自身のセクシュアリティが一般のそれと違うかもしれないと気づくとき、中には「認めたくない」と、情報から自分を遠ざける人もいる。
「私の場合は、『隠したい』というよりは『知りたい』が強かったのかな。いままで何か自分が他の人と違うかもというのは感じていて」
「そういう意味で、『やっと本当の自分に出会えた』という気持ちが強かったから、これをきっかけにもっと見てみたいと思ったのかもしれないです」
レズビアンカップルの先輩たちには、親へのカミングアウトや一緒に暮らすことについて話を聞いたり、自分たちの恋愛の話も気兼ねなくできるのが嬉しかった。
ただ、やはり学校では、彼氏ができたと嘘をつき続けていた。
そのことが苦しくて限界に感じてきた頃、唯一、この子なら話せそうという友だちに本当のことをカムアウトした。
「『実は、いま付き合っている人は彼氏じゃなくて彼女なんだ』ってメールで伝えたんです。そしたら否定の言葉は一切なく、『何も変わらないよ』と返信をくれて」
「その一言にやっぱりすごく救われたので、本当に、最初のカミングアウトってすごく大事だと思います」
「いまも、その子に言ってよかったなと思います」
05女子大への進学と、LGBT活動
学内初のLGBTサークルの立ち上げ
大学は神奈川県にキャンパスを置く女子大を選んだ。
「やっぱり共学が怖かったのと、都内の大学でキャピキャピしている自分が想像できなくて」
緑に囲まれたキャンパスは、のほほんとした雰囲気で自分に合っていた。
すでに高校生で新宿2丁目のレズビアンコミュニティに仲間入りをしていたが、もう少し年齢の近い人たちと出会いたいと、当時一番規模の大きかったLGBTのインカレサークルに参加。
色々なセクシュアリティの学生たちに会い、どんどん交流の輪を広げていく。
同世代が活発に活動しているのに触れ、また、ジェンダーや女性学に力を入れている大学なのに、どうしてセクシュアルマイノリティに関するサークルがないのかとの疑問もあった。
「なんか変な使命感を感じたのかも(笑)」と、大学2年生の頃に、学内初となるLGBTサークルを立ち上げる。
女性学の先生にサークルの顧問をお願いすると、快く引き受けてくれた。サークルを作るにあたって協力してくれた友だちにもカミングアウトをした。
小さな大学なので、あまりLGBT当事者色を出さない方がいいと思い、あくまで「勉強会のサークル」であることを前面に出したところ、当事者以外の、セクシュアルマイノリティについて学びたい子たちが入ってきてくれ、後輩たちも頑張ってくれた。
「あまり人は集まらなかったんですけど(笑)、いいんです。絶対、大学にも当事者はいると思ったので、こういうサークルができたことで当事者の人たちが『私以外にもいるんだ』と安心してくれるといいと思ったので」
大学への疑問と短期留学、男性の恋人
サークルを立ち上げる少し前、春休みを使って2ヶ月ほどバンクーバーに語学留学した。
「その頃、大学に失望していたのもあって・・・・・・。実は高3で父が病気で亡くなり、学費のこともあるし、家族はバラバラになりかけるし、大学に行く意味が分からなくて悩んだ時期があるんですね」
「それでも母には行っておいた方がいいと言われて行ったんですが、大学に入ってみたら、授業中に寝ている子や喋っている子ばかりで、まるで高校の延長で」
「これ、通う意味あるの!?って分からなくなっちゃって」
「ちょうど彼女とも別れたり、色々とあった時期なので、そこまで留学に興味があったわけではないんですけど、行ってみようかな・・・・・・という気になりまして」
しかし、英語は一番嫌いな教科だった。
「私、英語力が “This is a pen.” レベルだったのに、勢いで行ったから案の定、まったく話ができなくて(笑)」
困っている時に語学学校で知り合った日本人たちに救われたのだが、その時に出会った7つ年上の日本人男性と付き合うことになる。
「社会人留学している人で、ストレートの男性でした」
「気持ちがおおらかで、物事を多角的に判断してくれるし、自分が女性のパートナーがいたというセクシュアリティについても、父の死についても『そっかそっか』と聞いてくれる人だったので、当時の私には本当にありがたい存在でした」
<<<後編 2017/05/05/Fri>>>
INDEX
06 一番の難関である、母へのカミングアウト
07 バイセクシュアルならではの悩み
08 母の理解を得るまで
09 信頼できる大人として、子どもに関わる仕事を
10 スタンダードな家族の形ではないかもしれないけれど