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Writer/きのコ

恋愛・性愛によらないパートナーシップを考える

複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイル「ポリアモリー」。今回は、昔 の私のパートナーシップについて語る中で、関係性を名付ける言葉の使い方について考えてみたい。

パートナーとして関係性を名付けること

恋愛・性愛によらないパートナーシップ

今回は、私の昔 のパートナーシップについて語りたいと思う。

厳密にいえば、必ずしも恋愛・性愛関係にあるパートナー、というわけではない。「恋愛でも性愛でもないなら、それってただの友達じゃないの?」と思う人もいるかもしれない。今回はそのような ”恋愛・性愛によらないパートナーシップ” について、考えてみたい。

「パートナー」と名付けるハードル

当時の私は、「パートナー」「恋人」「彼氏」「彼女」といったパートナーシップの言葉を使うことに、かなり高いハードルを感じていた。

ポリアモリーでありながら、クワロマンティックやリレーションシップアナーキー的なあり方にも共感を覚える私は、自分の結ぶ関係性をなかなか名付けられないでいたのだ。

誰かと「パートナー」とか「恋人」という肩書きを共有するためにはお互いに同じだけ強い好意がなくてはならない、さもないとその肩書きは暴力的な押し付けにもなりかねない・・・・・・と思っていた。

そして、誰かとの関係性を「恋人」と名付けたのちにその本質の恋人らしさがいつしか失われ、 ”仮面夫婦” のように肩書きだけが残って形骸化することが怖かった。

「きのコさんのこと、パートナーだと思ってる」

そんな私が改めて関係性を名付ける言葉の使い方について考えるようになったのは、まさにその パートナーの影響だった。

その人は以前から「きのコさんのこと、パートナーだと思ってる」といつも言ってくれていたのだ。そう言われて最初は「え、嬉しいけどそれ大丈夫なの?」と戸惑っていたけれど、それが必ずしも「私を恋人として扱って!」という強要などではなく、シンプルにその人が私を大切に思ってくれているという表現なのだ、ということが次第に理解できるようになっていった。

少なくとも、私達が恋愛として両想いであるとかないとか、セックスするとかしないとか、そういうことが必ずしもこのパートナーシップの本質というわけではないと思っている(もちろん、そのような関係になる可能性もあっていいのだけれど)。

パートナーシップとは恋愛や性愛によってのみ結ばれるものではない

恋愛至上主義ではないけれど

私のことを「パートナーだと思ってる」と言ってくれたその人は、もともと恋愛感情や性欲がそれほど強いわけではなく、パートナーシップとは恋愛や性愛によってのみ結ばれるものではない、という考え方の人だった。

一方の私はずっと恋愛感情や性欲が人一倍強い方で、「恋愛至上主義ではないけれど、結果的にいつも誰かに恋をしている」という状態だったので、自分の考えるパートナーシップという言葉の意味が恋愛感情や性欲の枠組みを外れたことがなかったのだ。

穏やかなパートナーシップに心癒されたい

私にとって、 ”恋に落ちる” というのは落雷事故に遭うようなもの。いつも誰かに恋い焦がれて、熱病に侵されたように浮ついているのが当たり前の人生だった。

ところがとあるパートナーとのつらい破局のあと、生まれて初めて「恋愛感情が湧かない・・・・・・」という時期が訪れたのだ。そして同時に私は、恋愛感情や性欲とはまた違う、友愛的な関係性のもつ温もりを知ることになった。

私が少し恋愛に疲れているからといって、誰ともパートナーシップを結べないというわけじゃない。長い人生において、どちらかといえば燃えるような恋愛や激しい性愛よりも、もっと友愛にちかい、穏やかなパートナーシップに心癒されたいタイミングが来たのかなと思うようになった。

自分で選びとったコミットメント

自分の “枠” を外れたことがなかった今までの恋は、どうしようもない激流に溺れて流されるようなものだった。でも今の愛は、自分で選びとったコミットメントだという気がしている。恋してしまう、のではなく、愛すると決める、ということ。パートナー達を「大切にする」と決めて、実践してゆく、ということ。

嵐のような恋に振り回される自分も嫌いじゃないけれど、そのように自ら愛を紡いでいくのもいいな、と思う。

なぜ「パートナー」と呼ぶのか

その人を ”いない” ことにしたくない

そんな 私が、敢えてその人との関係性を「パートナー」という名前で呼ぶことにしたのは、なぜか。

もちろん、第一にはその人の「パートナーだと思ってる」という言葉を受けてのものだけれど、それだけではなく、「第三者に対して、その人を ”いない” ことにしたくない」という気持ちもある。

「パートナーは何人いるんですか?」

私はメディアの取材を受けることが多い。

ポリアモリーでない第三者は、どうしても既存の概念、既存の肩書きの文脈で私のパートナーシップを捉えようとする。その中で必ずされるのが「パートナーは何人いるんですか?」という質問だ。

そんな時に私は、その人を特別な存在としてきちんとカウントしたい。そのためには、「友達」という肩書きはしっくりこないのだ。今の世の中にある関係性の名前でも最も近いのが、「パートナー」という言葉なんだと思う(これが完璧にぴったりというわけでもないけれど・・・・・・)。

「パートナーだから」という固定観念に囚われない

その人との友愛に近い関係を一旦はパートナーと名付けたけれど、とはいえ焦ってその本質を決めつけなくてもいいと思っている。

もしかしたら恋愛感情になるかもしれないし、もしかしたらセックスするようになるかもしれないけれど、どんな関係になるにせよ、「パートナーだから、こうでなければならない」という固定観念には囚われないでいたい。

私って、やっぱりどうにも「愛すること」に幸せを感じる人間なのだろう。誰かを好きだと思う気持ちがいつもこんこんと湧いてはダダ漏れになっている。それを堰き止めないでいられること、好きな人を好きなだけ愛せる状況でいることが、自分にとっての “好き” の自由なのかなと思う。

 

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