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“アセクシュアル” も恋をするって、知ってますか?【前編】

待ち合わせ場所に現れた加藤智さんは、緊張のせいか表情がぎこちなかったものの、一度話し始めると快活な印象に。紡ぎ出される過去の経験はとても苦しいものばかりだったが、しっかりと顔を上げて話してくれるのは、今の加藤さんが明るい光に包まれているからだろう。ツラい経験を糧にして、自分のために生きることを決めたその姿は眩しい。

2021/05/26/Wed
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
加藤 智 / Tomo Kato

1991年、愛媛県生まれ。自認しているセクシュアリティはポリロマンティックアセクシュアル。学生の頃、自分は冷めた性格なのだと思っていた。いじめや不登校を経験しながらも、懸命に生き、26歳で上京。女性との恋愛を通して、性行為に嫌悪感を抱くことに気づく。現在はYouTubeでの情報発信、アセクシュアル当事者のオフ会の開催などを行っている。

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INDEX
01 私は “アセクシュアル”
02 外遊びに熱中する活発な子ども時代
03 円満で幸せだったはずの家庭
04 抜け出せなかったいじめの連鎖
05 思い描いた理想、現実の自分
==================(後編)========================
06 大人になって知った “胸の痛み”
07 家族にカミングアウトする意味
08 自分にとっての楽しいこと
09 LGBT当事者をつなぐ輪
10 誰かの救いが “私の救い” になる

01私は “アセクシュアル”

ポリロマンティックアセクシュアル

「私のセクシュアリティは、ポリロマンティックアセクシュアルです」

アセクシュアルは、“他者に恋愛的指向や性的指向を抱かない” と認識されることもあるが、自分はその定義には当てはまらない。

「アセクシュアルは、 “他者に性的指向を抱かない” ということのみに使われていて、恋愛感情を抱くかどうかは別問題なんです」

「私は恋愛感情は抱くので、 “他者に恋愛指向を抱く” という意味の “ロマンティック” をつけてるんです」

恋愛対象は女性とXジェンダー。だから、複数を意味する “ポリ” もつけている。

「“ノンセクシュアル” の方が聞き馴染みがあるかもしれないんですが、こちらは日本のみの造語でもあるので、私は “ポリロマンティックアセクシュアル” という名称でいたいなって」

「メンズっぽい格好をしてるんでXジェンダーに間違われることもあるんですが、性自認は女性です」

魅力的なメンズアイテム

メンズファッションに身を包んでいるのは、単純に好きだから。

「メンズアイテムに詰まっている機能性とか歴史、ロマンに強く魅かれるんです」

「自分の顔や骨格的にも、メンズの服の方は似合うんじゃないか、という分析もあります」

10代の頃は、服選びを楽しめなかった。

女の子の服を見てもテンションが上がらず、かわいさも理解できなかった。

「学生の頃はイケイケでオシャレなグループにいたんですけど、単に趣味が合わなかったんですよね」

幼い頃から、2歳上の兄のお下がりを着る方が、好きだった。

「今は『智はボーイッシュだからボイ(男性側のポジション)だよね』って、枠にハメられやすいところがちょっとなって(苦笑)」

「セクシュアリティは関係なくて、ただファッションを楽しんでるだけなんですけどね」

男社会で生きる道

メンズファッションを好むのは、女性にモテたいからではない。単純に好きだから。

ただ、男性を意識している部分はあるように感じる。

「男性から恋愛対象に見られたくないし、男性に人として扱ってほしい、って気持ちがあると思います」

20歳の頃から現在まで、飲食業に身を置いている。

職場のほとんどが男性で、上下関係が厳しい世界。

上司から「男女関係ないから、厳しくいくよ」と言われることが、うれしい。

「私は基本的に仕事人間で、どんな仕事でも突き詰めれば楽しめると思ってるんです」

「上司や同僚に度胸があるところを見せたいし、時には自分の意志を貫くべき時もあると考えてます。その結果、男性ともめやすかったりするんですよね」

「男女関係ない」とは言われても、職場の女性に求められる役割は、男性のモチベーションアップなのかもしれない。

でも、自分は女性ではなく、1人の人間として見てもらいたい。

02外遊びに熱中する活発な子ども時代

男の子の遊び

生まれも育ちも、愛媛県松山市。

幼い頃の楽しみといえば、休日に兄や兄の友だちと遊ぶこと。

「お兄ちゃんたちと野球をしたり、田んぼの中に秘密基地を作ったり」

「工事現場に入り込んで、掘り返した土でできた山にトンネルを掘ったりしてました」

「そんな危ないことをしても、怒られない時代だったんでしょうね(笑)」

工事現場で野球をして、停めてあった車にボールがぶつかり、窓ガラスにヒビを入れてしまったことがある。

「その時はさすがに、お母さんと菓子折りを持って謝りに行きました(苦笑)」

松山市内ではあったが、近所には土手があり、自然にあふれた場所。

「男の子たちと遊んでると、だんだん女の子からやっかまれるようになったんです」

「周りから『走り回って遊ぶなんてはしたない』みたいに言われることもあって、徐々に窮屈さを感じ始めました」

女の子のコミュニティ

幼い頃から、運動神経が良かった。

だから、2歳上の兄たちに混ざっても、対等な立場で遊ぶことができた。

「女の子と比べると運動神経が群を抜いてたから、同級生の男の子たちとももっと遊びたかったんですよね」

小学4年生頃からドッジボールが男女で分けられることに、納得がいかない。

「私は野球で鍛えられてたから、ボールを投げるのも早かったし、ガンガン当てるタイプでした」

クラスメイトが投げたボールが、たまたま女の子の顔に当たってしまった時のこと。

「女の子って、ボールが顔に当たると泣いちゃうじゃないですか」

「クラスの女の子は全員、その子の周りに集まって、ゲームが中断しちゃうんですよね」

「当時の自分は遊びが最重要だったから、顔面セーフだからいいじゃん、とか思ってました(苦笑)」

「互いに慰め合うみたいな、女の子のコミュニティ作りについていけなかった部分もあります」

幼いながらに、女社会での生きづらさみたいなものを感じていたのだろう。

03円満で幸せだったはずの家庭

兄の不登校

兄が、小学6年生の3学期から、学校を休みがちになる。

「卒業式の練習で『トイレに行きたい』って言うのが、恥ずかしかったことがきっかけみたいです」

兄は緊張するとお腹を下すタイプで、卒業式の練習でも緊張してしまったそう。

「小学校の卒業式には出られたんですけど、休みグセがついちゃったのか、中学3年間不登校になってしまったんです」

仲の良かった兄との関係が一変し、家庭の雰囲気も暗くなってしまう。

「お兄ちゃんも私も運動神経が良くて、運動会でも活躍して、両親は誇らしかったと思います」

「両親から愛されていることも感じていて、順風満帆な家庭だったんですよ」

自宅に引きこもるようになった兄は、妹である自分に暴力をふるうように。

「お兄ちゃんに追いかけられたり、殴られたり、すごく怖かったです」

「家族の中で一番弱い立場だった私は、殺されるんじゃないか、って思ってました」

「私がお兄ちゃんを殺さないといけないのかな、って思うほど、生きた心地のしない3年間でしたね」

親の愛情と自己否定感

母は兄と自分の間に入り、「私を殴りなさい」と、守ってくれた。

「母はすごくやさしくて、ちょっと過保護なところがある人です」

「不登校の兄にばかり構わず、私にもやさしく接するように、努力してくれていたと思います」

当時、母から「智ちゃんがいるから、ママ友とも話ができて助かるわ」と、言われた。

「その頃の私は、お兄ちゃんへの当てつけのように毎日学校に行って、成績も良かったんです」

「それもあって母はそう言ったんだと思うんですけど、条件付きの愛のように受け止めてしまって・・・・・・」

自分は学校に通い、成績優秀だから、愛されているのだと感じてしまう。

「そして、私も両親も家族だからっていう理由で、兄を許してた部分がありました」

「警察に通報するとか、公的な機関に相談するとか、できることはあったはずなんです・・・・・・」

「でも、そういう行動を取らないのは、自分が弱虫だからだ、って自己否定にもつながりましたね」

頼まれていない我慢

「今でも当時を思い出すと、屈辱的で惨めで、無力感に苦しくなります」

「あの頃のトラウマで、急にキレたり怒鳴ったりする男性に、すごく嫌悪感を抱いてしまうんです」

兄の暴力が落ち着いた頃、「土下座して謝ってほしい」と、訴えた。

「お兄ちゃんが定時制高校に通い始めた頃で、優等生だった頃の兄に戻ってくれることを願ってたんです」

しかし、兄から返ってきた言葉は、「悪いとは思ってるけど、我慢してって頼んだっけ?」。

「そこで、私は頼まれてないのに我慢してたんだ・・・・・・って、諦めちゃったんですよね」

「どれだけ恐怖を訴えても通じないんだろうな、って思っちゃって」

04抜け出せなかったいじめの連鎖

女の子の派閥

小学校高学年になり、校内の女子バスケットボール部に入る。

「お兄ちゃんの友だちと遊ばなくなっても、運動能力が落ちないように、走り込みをしたかったんです」

「バスケットボール自体は苦手で、よくボールを頭にぶつけてました(苦笑)」

“愛すべきポンコツ” として、部員からかわいがられていた。

「でも、和気あいあいとしていたわけではなくて、派閥があったんです」

スタメンのAグループ、ベンチのBグループ、体格が良くゴール下を任されるCグループ。

「3つのグループがいがみ合ってたけど、権力はスタメンが握ってて、Aの子たちが部活のルールを決めてました」

「私は全員と仲良くしてたけど、どのグループにも入れてもらえなかったんですよ」

「今思えば、みんなの接し方は、いじめだったのかもしれないんですけどね」

各グループから「智も遊ぼう」と呼ばれ、グループの中に入ると、輪になってパスを回し始める。

自分がパスを取ろうとしてもカットされるばかりで、ボールを手にすることはほとんどなかった。

「Aの子たちが私をいじめると、BやCの子たちが怒ってくれるんだけど、BやCの子もいじめてきました」

やり場のないエネルギー

中学校では、陸上部に入る。その理由は、走りたい、という気持ちだけではなかった。

「小学生の頃のうっぷんを晴らすため、Aグループに入りたかったんです」

陸上の才能があったため、Aグループ入りを果たす。

「振り返ると情けないし、申し訳ないけど、中学校ではいじめる側に回ってました」

「いじめられてた自分に戻りたくない、って恐怖心があったと思います」

そして、家庭内で生まれる不安やイライラも、陸上部で発散していたように思う。

「思春期って、言語化できない怒りとか寂しさ、無力感が、エネルギーとして溜まるんだと思うんです」

「そのエネルギーを発散できる場所を求めて、ケンカやいじめ、自傷行為に走ってしまうのかなって・・・・・・」

中学生だった兄は、そのエネルギーを家族に向けてしまったのかもしれない。

「あの頃、別の発散の仕方を教えてくれる大人がいたら違っただろうな、って思います」

いじめられる苦しみ

中学3年になり、自分を取り巻く環境が激変する。

「いじめる側だった自分が、いじめの標的になったんです」

中学に入学してからずっと、陸上部の先輩たちと仲良くしていた。

まったく意識していなかったが、きっと自分は先輩たちに守られていたのだろう。

「その頃の自分は無神経な発言をたくさんしてたから、同じAグループの子にも嫌われてたんですよ」

「先輩が卒業して、同級生の態度が変わったんです」

部活でいじめられる苦しさに耐え切れず、学校に通えなくなってしまう。

「家族が不登校になるツラさは、兄のことで身をもって知っていたから、最初は無理して通ったんです」

「でも、気持ちが折れちゃって、親に『もう学校に行けません』って、泣きながら土下座しました」

1学期の間、ほとんど学校に行けず、夏休み明けに転校する。

「新しい学校では、一生懸命バカのふりをして、乗り切りました」

05思い描いた理想、現実の自分

カースト上位のコイバナ

いじめられていた過去を捨てるため、地元を離れ、香川県の高校に進学する。

「家庭からも離れたかったから、寮に住み始めたんです」

「高校生になってからも、友だちにちょっと無視されただけで鳥肌が立つくらい、人間関係に怯えてましたね」

カースト上位のグループに入り、イケてる女の子たちと同じようにメイクをした。

みんながコイバナで盛り上がれば、自分も彼氏を作らなきゃ、と必死になった。

「人間的に好きだった男の先輩がいたので、アプローチしてましたね。その一方で、失恋して泣いてる友だちを見て、そんなに悲しいこと? って疑問でした」

「女の子同士のコイバナは退屈で、自分は冷めてるんだろうな、って感じてましたね」

アプローチした先輩とは交際には至らなかったが、失恋という話のネタにはなった。

いじめのターゲット

仲のいいグループの中には、いじめっ子のトップのような女の子がいた。

「その子が原因で、何人か学校を辞めてしまったくらい、危険な子だったんです」

ある日、その子から他校の友だちのプリクラを見せられ、「この子、かわいくない?」と聞かれた。

「『かわいい』って言えば良かったんだけど、私は『タイプじゃない』って答えたんですよね」

「そのひと言がきっかけで、私はいじめの標的にされてしまったんです」

数日後、校門の前でその子と他校の不良たちが、自分を待ち伏せしていた。

「その日は裏門から寮に逃げたんですけど、それ以来、学校には行けなくなりました。何されるかわからなくて、怖かったから」

寮で1人で勉強した期間もあったが、最終的には高校中退を決断する。

休みなしで働く覚悟

「高校を中退して、実家に帰ってからは、暗黒の時代ですね」

部屋に引きこもり、ボーっとしたり、映画を見たりする毎日。
たまに、母や中学時代の先輩が、ドライブに連れ出してくれた。

「映画を見て、自分なりに感性を養おうとしてたけど、一生懸命勉強してる子たちには敵わない、って思ってました」

「今休んでる分、社会人になったら、みんなより休みは少ないだろう、って想像してましたね」

少しでもみんなに近づけるよう、高等学校卒業程度認定試験を受け、通信制の大学に通い始める。

「それでも、いまだに学歴コンプレックスはあるし、月数回の休みしかなくても仕方ないよな、って思ってます」

休みなしで働く覚悟をして、社会復帰できたのは、20歳になってからだった。

 

<<<後編 2021/06/02/Wed>>>

INDEX
06 大人になって知った “胸の痛み”
07 家族にカミングアウトする意味
08 自分にとっての楽しいこと
09 LGBT当事者をつなぐ輪
10 誰かの救いが “私の救い” になる

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