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Writer/Jitian

エンタメでLGBTQがピックアップされる意義

最近、LGBTQをメインテーマとして据えるエンタメコンテンツをよく見かけます。全国的に認知されるレベルで登場するようになって久しくなりました。また、LGBTQをテーマとしないものでも、LGBTQのキャラクターが登場することも増えてきています。しかし、LGBTQのキャラクターが登場することに違和感や不快感を覚えている人も、少なからずいるようです。

大河ドラマ『どうする家康』側室お葉のセクシュアリティ

お葉の設定には、時代考証担当者も驚いたようです。

史実をベースに、現代の流れに合わせたセクシュアリティ?

現在NHKで放送されている『どうする家康』。徳川家康の人生を描いた大河ドラマです。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『コンフィデンスマンJP』シリーズなど、大ヒット作品を手掛けた古沢良太さんが脚本を担当している、エンターテインメント系の大河ドラマに仕上がっています。

そんな『どうする家康』に同性愛者のキャラクターが登場したことをご存じでしょうか。それは、2023年3月13日放送回のことでした。

家康が「お葉」という側室を取る回でした。テキパキと働くお葉に、正室の瀬名も太鼓判を押し、お葉を家康の側室とすることになります。

ですが、その後にお葉から衝撃的なカミングアウトがなされます。お葉が家康のことを恋愛的にはまったく愛していないというのです(むしろ、身体的接触は気持ち悪いとまで言っていました)。また、同僚の女性が好きなので、お手討ち(死刑)にしてください、と家康に申し出ます。

お葉のセクシュアリティについては、史実としては不明なようです。ですが、昔の「産めよ、増やせよ」の価値観のなか、お葉は子どもを1人しか授かっていないことが分かっています。『どうする家康』では、お葉の子どもが1人だけだった理由は、お葉のセクシュアリティがレズビアンで、恋愛としては家康に興味がなかったから、という描写をするに至ったのです。

ちなみに、お葉は手討ちや追放されることなく、その後も家康の家政婦的な役回りの側室として度々登場しています。8月6日の放送回では、お葉とともに、唯一の娘・おふうが立派に育った姿で登場しました。

大河ドラマ『どうする家康』のお葉の描き方は「雑」?

『どうする家康』のいち視聴者として、お葉の突然の展開にはもちろん驚きました。お葉をレズビアンとして描くことになった経緯が、NHK側から「どこかでLGBTQを取り上げてください」と要望があったのか、脚本家・古沢良太さんの判断なのかは分かりません。

しかし、お葉が結果として徳川家に温かく迎えてもらえたこともあり、LGBTQ当事者の一人として、私はおおむね好印象を抱きました。

しかし、視聴者の意見としては、次のようなマイナスに捉えた声が目につきました。

・お葉がレズビアンとか、変な設定を入れるべきではない。
・LGBTの考え方を強制されているようでどん引きした。
・多様性を流行りのように取り上げられても、違和感がある。

もちろん、すべての視聴者が同じ視点・理由で作品を絶賛するということは有り得ません。面白いと思わなかった人もいることは当然です。しかし、エンタメにLGBTQのキャラクターが登場すること自体を否定されているようにも感じ、私は残念な気持ちになりました。

エンタメにおけるLGBTQの「丁寧な描写」とは?

「前触れ」もなくLGBTQのキャラクターが登場することは、エンタメにとってマイナスなのでしょうか。

丁寧な描写 = 時間を割くこと?

大河ドラマ『どうする家康』に登場する側室・お葉のセクシュアリティについて、描写が雑だ、LGBTQのキャラクターを登場させるなら、もっと丁寧に描写するべきだ、とする意見も見られました。ですが、「雑」「丁寧」な描写とは、そもそもいったい何なのでしょうか。

つまるところ「丁寧」な描写とは、全体のなかで時間をある程度割くことを指しているようです。作品の限られた時間のなかである程度の尺を使うということは、それだけそのテーマを描写することを制作サイドが重要視しているという意識が表れているからだというのです。たしかに、この考え方は一理あります。

一方、「雑」な描写とはその反対で、作品のなかであまり時間を割かない、パッと登場させることだと推察できます。

この考え方に沿えば、たしかに『どうする家康』のお葉のセクシュアリティの描写は「雑」だったと言えるかもしれません。約1年間の放送期間でお葉が中心となった初めての回で、いきなりお葉がレズビアンだと明らかになったからです。

しかし、あくまで『どうする家康』の主役は徳川家康。その一生を描くため、作品全体を通してたくさんの登場人物が出てきます。そのなかでお葉にフィーチャーした話を複数回設けることは、徳川家康というメインテーマからは離れてしまい、現実的ではありません。

もしお葉のセクシュアリティに触れるとするなら、1話内で完結させることが妥当と言えるでしょう。

「雑」な描写は、悪いこと?

「丁寧」な描写が大切なことは、私も理解しました。しかしながら、私は「雑」とされる描写、すなわち作品全体のなかであまり時間を割いていないけど登場するLGBTQのキャラクターの存在も、決して悪くはないのでは、と考えます。

日本におけるLGBTQ当事者の割合は、8~10%程度と言われています。つまり、10人の知人がいれば、うち1人はLGBTQ当事者である可能性があるということです。

そのLGBTQ当事者である知人が、家族や親友であるとは限りません。

学校や職場で顔を合わせたときに、たまに世間話をする程度の仲かもしれません。そういう関係値の知人がたまたまLGBTQ当事者だった、ということをエンタメでさらっと描写することは、「雑」どころか、むしろリアルなのではないかと思うのです。

2020年、噛まれると同性愛者になるという内容で大炎上した『バイバイ、ヴァンプ!』という映画が公開されました。同性愛者への差別的内容が多分に含まれているとして批判を浴び、公開打ち切りにまで追い込まれた「迷作」映画です。

同性愛をメインテーマに据えているという点では、ある意味「丁寧」な描写であったということになってしまいますが、実際には「雑」どころか差別的であったとされる本作。こういう作品こそ「雑」の真骨頂であり、作品内で取り上げる時間が少ないという意味での「雑」とは明確に区別されるべきだと、私は思います。

エンタメにおけるLGBTQの「過渡期」

あと10年経てば、LGBTQのキャラクターがさらっと登場しても「雑」と言われなくなるでしょうか。

「雑」な描写を否定するのは、LGBTQに触れたくないから?

前述の大河ドラマ『どうする家康』における、お葉のセクシュアリティの描き方についての否定的な意見を目にするなかで、私にはもう一つ拭えない感情がありました。それは「エンタメにおいて、LGBTQや多様性を目にしたくない人がいるのでは?」というものです。

LGBTQやSGDs、多様性というワードを多くの場面で目にする機会が増えてから、少し年月が経ったと思います。

一方、先月の2023年7月26日に音楽グループAAAのメンバー・與真司郎さんがゲイであることをカミングアウトしたことが各メディアで報じられました。つまり、LGBTQ当事者であるということは、大きなニュースとして取り上げられるほど、ある意味まだ身近ではない話題なのだと言えます。

「LGBTQ」をよく見聞きするようになったものの、自分の周りには当事者はいないから、今まで通り過ごしたい・・・・・・。

ただ楽しみたいという気持ちだけで観たエンタメ作品にいきなりLGBTQのキャラクターが登場すると、「性の多様性を受け入れなければならない」と言われているようで萎える・・・・・・。

作品内で性の多様性を取り上げるつもりなら、初めからメインテーマとして据えてもらえば、こちらはそのコンテンツを選択しない。多様性を取り上げるコンテンツとそうでないコンテンツとで、棲み分けてほしい・・・・・・。

これが本音なのではないでしょうか。

やはり世代交代が大事

多様性のことを考えず、今まで通りマジョリティ向けの作品を消費したい人は、一定数存在すると思います。

このような声は、どの作品でもLGBTQを含む多様性のあるキャラクターが登場することが当たり前になれば、やがて聞こえなくなるでしょう。また、現実世界には多様な人であふれていることを認識している世代が社会の中心となることも、重要かもしれません。

今は、その過渡期の真っただ中なのです。

また、そもそもとして演者にも多様性を取り入れることも重要だと思っています。

オープンリーなトランスジェンダー男性として演劇の世界で活動している、若林佑真さん。以前、若林さんが演出を担当された舞台『イッショウガイ』を観に行ったこともあります。

若林さんは、2022年に放送されたドラマ『チェイサーゲーム』に、トランスジェンダー男性の役として出演されました。当事者でもあるということで、俳優としてだけでなく脚本段階でも参加したそうです。

LGBTQ当事者だとカミングアウトすることがまだ大ニュースになる現代の日本において、LGBTQ当事者でもある役者を見つけて起用することは、大変な苦労を伴うと思います。

でも、その苦労も過渡期である今だから。必ずしもLGBTQのキャラクターはLGBTQ当事者が演じなければならないとまでは個人的には思いませんが、いずれは当たり前のことになってほしい・・・・・・と願ってやみません。

10年後、20年後のエンタメ作品は、果たして多様性が前提になっているのか。それとも前時代的な、差別的内容を平気で含む内容に「逆戻り」するのか・・・・・・。

世界はよい方向に進んでいると信じたいです。

■参考情報
「どうする家康」お葉の設定は必要だった? 今期ドラマで急に増えた“雑な同性愛描写”への違和感(日刊ゲンダイ)
驚愕の同性愛者差別映画が公開され、非難轟々。上映停止を求める署名も(PRIDE JAPAN)
AAA與真司郎さんのカミングアウト 性的少数者のロールモデルに(毎日新聞)
トランスジェンダー演じる役者は“当事者”であるべき? カミングアウトした若林佑真が語る“配役”への想い(オリコンニュース)

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