02 思うままに生きられた頃
03 「社長」と呼ばれる小学生
04 誰にも負けたくなかった思春期
05 しんどさから逃げるための殻
==================(後編)========================
06 学校を巻き込んだ制服改革
07 生まれ変わるための新たな環境
08 未来のためのカミングアウト
09 今の僕が抱いている夢
10 FTMである前に「岡笑叶」なんだ
01兄のお下がりを着たがった妹
母のひと言「ご勝手に」
「一番古い記憶は、保育園かな。理由は覚えてないけど、『保育園燃やしたる』って、怒ってました(笑)」
大阪生まれ、兵庫育ちの関西人。
幼い頃から、自由に育てられた。
「僕のお母さんは、いい意味で “適当” なんですよ。やりたいこととか、すべてにおいて『あなたに任せる』って、スタンスなんです」
小学校高学年で「留学したい」と言った時も、母の返事は「ご勝手に」のひと言。
「その分、『やりたいことはやっていいけど、責任はついてくる』って話を、何回もされてます」
両親の許可が出たため、小学6年生で、オーストラリアへの短期留学を経験した。
さらに、中学から高校に上がる間の春休みにも、留学でニュージーランドに赴いた。
父の的確なサポート
「お父さんも自由にさせてくれるんですけど、リスクを一緒に考えてくれます」
薬の研究をしている父は、知識が豊富で、頼れる存在。
「『留学したい』って言った時も、『費用はなんぼかかると思う?』って聞かれたんです」
「お父さんも一緒に調べて、エージェントのところに連れていってくれました」
明るく背中を押してくれる母と、現実的にサポートしてくれる父。
そんな両親のおかげで、いままでも自分がやりたいと思えることに専念できた。
6歳上の兄と3歳上の姉も、きっと同じだと思う。
「お兄ちゃんは、仏みたいな人なんですよ。前に『悟りを開け』って書いたTシャツを作ってました(笑)」
「お姉ちゃんは勉強ができて、几帳面。自分にも人にも厳しくて、よく怒られます(笑)」
ザリガニの絵の服
両親が自由に育ててくれたから、家庭で窮屈さを感じたことはない。
「一家の中心のお母さんが『好きにすれば』って感じだから、着るものも自由でした」
3歳の七五三では、振袖ではなく袴を着て、刀を持ち、写真を撮った。
保育園のプールの時間は、フリルのついた水着ではなく、海パンとラッシュガード。
「お母さんがかわいい服を買ってきても、『そんなの着るか』って拒否して、お兄ちゃんのお下がりを着てました」
「一度、かわいい服を着て、保育園に行ったことがあるんですよ」
「でも、保育園に用意してある貸出し用の服に着替えたんです。ザリガニの絵が描いてある服に(笑)」
「それを着て、喜んでたことを覚えてます」
幼い頃は、性別について考えることはなかった。
保育園では、男女関係なくみんなで遊び、性別で分けられるようなこともない。
「男の子と戦隊ごっこをして、女の子とおままごとをして、好きなように遊んでましたね」
02思うままに生きられた頃
「女の子になる」宣言
小学校に上がるタイミングで、大阪から兵庫に引っ越す。
当時の自分は、「小学生になったら、女の子になる」と、母に宣言した。
「引っ越したから、保育園の同級生が1人もいない小学校なんですよね」
「急に自分みたいに男の子っぽい格好をした女の子が現れたら、みんなはどう思うんだろう、って恐怖心が湧いたんです」
ランドセルは黒が良かった。しかし、「女の子になる」宣言をしたため、かわいらしいピアノ柄の黒いランドセルを選んだ。
「ただ、スカートをはくことも、髪を伸ばすことも、イヤじゃなかったんです」
「女の子向けの服をかわいいと思えたし、髪も『ラプンツェルになる!』って、張り切って伸ばしましたね(笑)」
小学校に進むと、入学時に抱いた恐怖心は消え、男女問わず仲良くできた。
「うちで誕生日会やクリスマスパーティーを開いて、クラスのみんなが遊びに来てくれて、楽しかったです」
変化していく外見
4年生の頃に、女子サッカーのチームに入る。
「サッカーを始めたことで、男の子用の白いスニーカーが欲しくなったんです」
親にスニーカーを買ってもらったことがきっかけで、自分自身が変化し始める。
「スニーカーをはくようになってから、スカートよりズボンが多くなって、髪も短く切って、保育園の頃の自分に戻っていった感じです」
サッカーを始めたためか、服装や髪形が変化しても、周囲から指摘されることはなかった。
「徐々に変わっていく自分を見ても、誰も何も言わなかったです」
「その頃から、ほとんど男の子としか遊ばなくなりましたね。サッカーしたり野球したり。周りの友だちも、性別のこととかは全然気にしてなかったと思います」
“LGBT” を知るタイミング
“LGBT” という言葉を知ったのは、小学生の間だと思う。
「具体的に、どのタイミングだったかは、覚えてないんですよね」
「当時は毎日が楽しかったから、その言葉を知っても、何とも思わなかったんです」
「性別で悩むことがなかったから、深刻に捉えてなかったんだと思います」
なんとなく、自分はその中に当てはまるのだろう、とは感じた。
“LGBT” “トランスジェンダー” という言葉を、頭の片隅にそっと置く。
「きっと、性別で悩んでしんどい時に知ったら、僕はこれだ! って衝撃を受けたと思います」
「でも、人生を楽しんでるタイミングで見つけたから、衝撃や感動は特になくて」
03 「社長」と呼ばれる小学生
モノ作りの才能
幼い頃からモノ作りが好きで、小学生の頃には、お手製のガチャガチャを作った。
「ガチャガチャが好きだったんで、自分でもダンボールとペットボトルで作ってみようって」
「ダンボールから進化して、レゴブロックでも作るようになりました」
ガチャガチャ以外にも、紙でフィギュアを作ったり、祖父母の家に余っていた木材でおもちゃを作ったり。
「お父さんもお母さんも器用じゃないんで、おじいちゃんの影響だと思います」
いつも自信に満ち溢れた祖父は、手先が器用。
「おじいちゃんっ子ってわけじゃないけど、僕とおじいちゃんは似てると思います」
将来の夢は「社長」
小学校でもモノ作りの才能は発揮され、オリジナルのカードゲームを考案する。
紙を切り、自分でモンスターの絵を描き、レベルを設定したカードで戦う。
「その頃から、どうしたら面白いことができるかな、って想像するのが好きだったんです」
「自作のカードを買うためのお金も作って、クラスの友だちに広めていきました」
クラスの中で、お金を稼ぐための仕事が生まれ、カード大会が開催されるほどになった。
「そして、大会の賞金でまたカードを買うみたいな、1つの世界ができていました」
当時の自分のニックネームは「社長」。
「友だちに『社長、カードください』って言われてたんですけど、慕われてるはずなのに、孤立してるような感覚がありました」
「でも、その頃から『将来は社長になる』って、言ってたんです」
そう考えていたのは、母が自身の力で会社を立ち上げた人だから。
「お母さんが仕事してる姿をずっと見てて、こんな人になりたい、って思ったんです」
「生意気だけど、人の下で働きたくない、とか思ってました(苦笑)」
女友だちとの約束
小学生の間、ずっと仲の良かった女の子がいた。
その子に、いつも「自分がお城を建てるから、一緒に住もう」と、伝えていた。
「相手の子も、『笑叶の建てたお城に住む』って、言ってくれてたんです。『アメリカに行ったら同性婚ができるから、いつか結婚しようね』って話もしてました」
同性婚の知識をどこで得たのかは、まったく覚えていない。
「それに、2人とも恋愛感情があったわけでもないんです」
「よくうちに遊びに来てて、すごく仲のいい親友みたいな存在で、恋愛ではなかったです」
それでも一緒にいたい、と思える存在だった。
その子は私立中学、自分は公立中学に進み、離ればなれになってしまう。
04誰にも負けたくなかった思春期
ひたすらに厳しい部活
中学校に上がり、選んだ部活は女子テニス部。
「1年生の頃の顧問は、12年間テニス部を担当してきた厳しい先生でした」
「テニスのことというより、人間性の部分で怒られた覚えがありますね」
練習中はもちろん、試合で負けた時も、その場で怒られた。
そして、勝つためにはどんな行動が必要か、考えさせられる。
「試合後に『今から練習させてください!』って、顧問の先生に頼んでました(苦笑)」
「試合が終わって、ほかの学校の子がお昼を食べてる横で、自分たちだけ走り込みをしたり」
厳しい環境だったが、退部する、という発想は出てこない。
「当時、先輩の人数が足りなくて、自分も団体メンバーに入ってたんですよ」
「先輩のためにも負けられない、ってプレッシャーがすごくて、続けるしかなかったです」
「でも、テニス自体は楽しかったし、先生のおかげで人間的に成長できたとも思ってます」
ただただ部活に打ち込む毎日で、自由とは程遠かったかもしれない。
それでも、部活を通じて、粘り強さや人としての在り方を学ぶことができた。
むきだしの競争心
テニス部では、団体メンバーに抜擢されるほど、スキルを評価されていた。
「運動神経があるタイプなんで、始めたばかりでも球を打てちゃったんですよ。同級生の子たちは、運動が苦手な子が多かったんです」
自分だけ、一歩先を歩いているような気持ちになってしまった。
「自分はレベルが高い、なんて思って、天狗になってましたね。ダブルスを組んだ子のことを、下に見てたと思います」
もともとは同じ部活の友だち。しかし、いつしかライバルのように意識し始める。
部員が試合でしくじると、「なんで取れないんだよ!」と、きつい言葉をかけてしまった。
「競争心が強くて、負けず嫌いで、当時は何においても1人で競ってました」
ダブルスの相棒は成績が同じくらいだったため、テストの点数も比較した。
「その頃の自分はひどくて、周りを落として自分を上げる、みたいなこともしてました」
「自分が知ってるスキルやマナーを人には教えずに、自分だけ評価されようとしてたんです」
その性格のせいか、部員との距離は少しずつ開いてしまう。
「中学を卒業してから、自分が人を敵対視しすぎていたことに気づきました」
「今も負けず嫌いだけど、競争心を表に出すんじゃなくて、バネにしようと心がけてます」
05しんどさから逃げるための殻
立ちはだかる壁
中学入学のタイミングで、1つの壁にぶち当たっていた。
「制服のスカートをはかないといけないことが、これまでで一番苦しかったかもしれない・・・・・・」
その頃には、自分はトランスジェンダーだと、確信に近いものがあった。
「何かを察した母が『ズボンがはけるように、学校に頼んであげようか?』って、言ってくれたんです」
「でも、『そんなことしなくていい』って、断りました。・・・・・・周りの目が恐かったんですよね」
女の子である自分がズボンをはいていけば、周囲にどんな目で見られるか、わからない。
もし「なんでズボンなの?」と聞かれたら、どう答えていいか、わからない。
「ズボンをはいていく勇気がなくて、仕方なくスカートをはいて通いました」
女の子という枠
1年生の間は部活に没頭できたため、制服のことを考えるヒマがなかった。
しかし、2年生から顧問が変わり、活動が緩くなっていく。
「テニス部が生活のすべてではなくなったことで、スカートをはいてることを思い出しちゃったんです」
スカートに意識が向いてしまい、あらゆることがおろそかになっていく。
「制服がしんどすぎて、部活のことも進路のことも考えられなかったです」
「だんだん女子の枠に入っていることも苦しくなってきて、好きだった体育がキツくなりました」
中学の体育は男女別。授業をする場所も種目も、それぞれ異なる。
「本当はみんなとスポーツしたいのに、女子の枠に入っていけなくて、見学するようになりました」
「なんで岡は見学してるの?」という周囲の声が聞こえるようになり、周りの目が気になっていく。
遮断してしまった関係
「中2の中盤あたりからは、自分から周りを遠ざけてたところがあります」
1年生の頃は、友だちが多く、部活の先輩とも親しくしていた。
しかし、制服や体育に対するモヤモヤを抱え始め、人間関係もうまく築けなくなっていく。
「先輩から『一緒にごはん行かない?』って誘われても、断ってました」
「1人で過ごす時間が増えて、校舎の最上階の誰もいないスペースが自分の居場所でしたね」
楽しいと思えることが、何もない。
学校に行く気が起きず、休みがちになってしまう。
両親から「なんで学校に行きたくないの?」と、聞かれることはなかった。
「多分、お母さんもお父さんも、制服のことはわかってたんだと思います」
「だからなのか、『休む』って言っても、理由を聞かれることはなかったです」
<<<後編 2021/05/05/Wed>>>
INDEX
06 学校を巻き込んだ制服改革
07 生まれ変わるための新たな環境
08 未来のためのカミングアウト
09 今の僕が抱いている夢
10 FTMである前に「岡笑叶」なんだ