02 思春期のいじめ「オカマ・オンナ男」
03 いじめられていた当時を振り返る
04 一大決心のキャラチャンジ
05 少なすぎる情報量に戸惑う学生時代
==================(後編)========================
06 積極性が芽を出した
07 社会的カミングアウト、23歳
08 電話ごしのサポート業務で学んだこと
09 ゲイは自分の一部分でしかない
10 公表は、自分なりの誠意
01人を男女で分ける必要はないはずだった
うとかった幼少期
多くの子供が男女隔てなく遊ぶように、小学校低学年の頃から、男の子に誘われれば、サッカーや秘密基地ごっこ。
女の子に誘われれば、ゴム段飛びやあやとりに興じていた。
それは、少しずつ男女を意識し始める高学年になっても変わることなく、誘われれば女の子の家でアイドルの曲を聴くことも、自然に楽しんでいた。思うままに遊び分けていることに違和感を持つことがなかった。
「友人は男女偏ることなく、下校中に女の子から誘われればその子の家で遊んだり、逆も勿論。でも、基本的に受け身で、自分から誘うことはなかったですね。誘われて、それに乗っていた感じです(笑)」
当時、「かっこいいな」と思う対象がたまたま男の子であったときも、男だから、女だからという境界線をひかない新保少年のままだった。
しかし、周囲は違った。
同じ感覚だったはずの友だちが、いつのまにか異性愛への感情を意識し始める年齢になる。
すると周りからは男女分け隔てなく接し続ける様子が、異質なものに映るようになった。
皮肉なことに、”周囲と違う” 無邪気さが、後のいじめにつながってしまったのだ。
02思春期のいじめ「オカマ・オンナ男」
いじめられても、平常心
「中学に入って、オカマとか、オンナ男と言われるようになって、もしかしたら自分は異質なのかな? と、ようやく気付いたけれど、そう言われる自分を、どうすることもできなかったんです」
言葉によるあざけりやいじめがとにかく怖かったし、嫌だった。
なるべく平常心で振る舞い、大きく取り上げられないようにもしていた。
「同じような特徴を持った友だちがいなかったから、相談する相手もいなかったですね。身近な友人は、いじめに対して見て見ぬふりをしてくれました」
「学校からの帰り道、一人になって泣けばいいや、という術を、いつのまにか身につけていたように思います。一人で抱えて、一人になって泣けばどうにかなるって感じでした」
同級生からいじめられても、その場で抵抗するようなことのない、大人しい優等生タイプだった。これが功を奏したのか、暴力的ないじめに発展することはなかった。
いじめられていること自体に、気づかないふりをするときもあった。
自分だけが黙っていれば、嫌な時間はいつか過ぎる。
図らずもやり過ごすという気遣いを身につけた、やや大人びた子供時代を送った。
両親に心配をかけたくない
「いじめられているなんて、家族に言いたくなかった。できるだけ両親や弟に知られないように、心配をかけたくないと思っていました」
教師も、深く介入しないのが最善策という世相だったと、当時を振り返る。
子ども同士でうまい解決方法を模索しなさいというのが、教育方針だったのかもしれない。
「いま思えば、大人が入ってややこしくすることで、見えないいじめがエスカレートしないように、影から見守っていてくれたのかもしれませんね」
世論と世相が作り上げる時代。渦中にいると俯瞰で物事を見るのは難しい。
後で振り返って気づくことも多い。
03いじめられていた当時を振り返る
弟の気持ち
当時のことで気になることといえば、2つ年下の弟のこと。
「弟が中学1年の時、自分は3年生。一番いじめを受けていた時期。運動会で全学年が集合しているような場面で、不良たちが『オカマ』だとか叫んでいたから、弟もその様子を見ていたはず」
「弟が、兄のキャラクターのせいで、いじめられたことがあったのではないか、という懸念があります」
しかし弟も、兄が理由でいじめられたということを、公に騒ぎ立てるような性格ではなかった。
兄がいじめられているようだと両親に訴えることもなく、家族内では「いじめ」が話題にのぼることはなかった。
男・女らしさより、自分らしさを大切に
中学生時代を振り返って、今思うことがある。
「この世には男女しかいない、という先入観が、「男らしさ」「女らしさ」という言葉を “善” に変えてしまう場合があります。男女以外が “悪” ではないことも教えてくれるような教育だったら、もっと楽になれる子も多いのかもしれませんね」
「大人になるにつれ、責任は増しますが、その分、人生の選択肢も多くなります。だから、『今は無理をしないで、少し先を見てね』と悩んでいる子たちに言ってあげたい」
現在は、LGBT関連の団体に参加している。人と違っていることで不安に思う人が、「これは自分らしさなんだ」と、安心できるような社会になれば良いという。
04一大決心のキャラチェンジ
真逆なキャラクターを演じよう!
高校入学時に大きな転機を迎えることになる。
同じ中学校から進学する同級生が少ないことに気付き、「昔の自分を知らない人たちの中でなら、新しい自分になれるかも!?」と、天真爛漫なタイプの男の子へ見事な変貌を遂げる。
「中学から高校へ進学する時、せっかく環境が変わるから、自分のキャラクターを変えようとしたんです。優等生から、無理やりキャラチェンジですね(笑)」
髪型や外見を変え、態度を変え、中学時代にからかわれていた、”女の子らしい自分” を封印した。
本当の姿は中学時代と変わっていないことが周囲にバレてしまうと、またあの頃のように孤立してしまうかもしれない。
そんな不安があった。
繊細な気遣いを持つ青年だからこそ、周囲に溶け込むように努力できたが、周囲は努力をしていることなど気づきもしなかった。
高校の1、2年では、生徒会の役員として書記も務めた。
「もともと、目立ちたい気質があったんだと思います(笑)。でも中学生まではそれが、なかなか表に出せなかった。10代後半から20代は ”極力、積極的にいこう!” と意識していたように思います」
事実、同級生が望む明るいキャラクターは、すんなりと周囲に受け入れられた。この明るさは、いまも健在だ。
高校生という若さにして、周囲が望む自分の一部分を大きく表現することを心得ていた。
アイデンティティに揺れた高校時代
「キャラチェンジをしたわけですから、カモフラージュとして女の子とデートに行ったこともありました。すると周囲から、『しんぽん、あの娘と付き合っているんだよね?』と聞かれたりするんですよね。そこはあえて否定も肯定もしませんでした(笑)」
周囲との調和を保ちつつ、自分が本当に欲しい居場所を見つけていくような・・・・・・。
高校時代は一番、自分のあり方に対して揺れていた。
「女の子とプラトニックデートをしていても “でも、本当の自分は違うんだよね” と思いながら。それでも、想いを寄せる相手を男性だけに偏らせたくない気持ちもあった」
どうしようもなく男子に惹かれている自分と、それだけが自分の姿ではないと葛藤する自分。大きな悩みを抱えることになった。
友だちが異性の性描写に夢中になっているころ、はっきりと同性愛の気持ちが芽生えていたのだ。
05少なすぎる情報量に戸惑う学生時代
通学路で発見した新しい扉
25年前、同性愛の世界観に関しては、あまりに情報が少なかった。
「当時はゲイ雑誌が存在することすら知らなかったので、通学路にあった小さな書店の棚に、それらしきものが置いてあったときはびっくりしました。でも女の子のグラビアより、そっちの雑誌のほうが気になって気になって・・・・・・」
「気がつけば隠れて買うようになっていました。だって立ち読みする勇気なんてないですから(笑)。その上、同級生に見つからないように買うので、毎号入手できるわけはありませんでした。でも、インターネットが普及していなかった当時は、ゲイ雑誌だけが情報源だったんです。何より、今思い返せば、あんな小さな個人書店に、そうゆう雑誌がよく置いてあったな、と」
少ない情報でも、初めて手にするには十分すぎる肯定感だった。
「雑誌を見ていたら “なんだ、男の子が好きなのって僕だけじゃないんだ。僕もこのままでいいのかもしれない” と思い始めていました」
同性愛という人間は、自分だけではない、雑誌を購読することで、今の自分が特殊な存在ではないんだ、という自己肯定感をもてた。
仲間を見つけられるかもしれない新宿二丁目の存在も知った。
文通で始まったゲイ友との交流
高校卒業後、ゲイ雑誌の文通欄で知り合った男性と初めて二丁目に行く。
高校時代に気になる人はいたものの、友だちの関係が崩れるのではないかと怖くて、気持ちは伝えられないままだった。
そんな中、ゲイ雑誌の投稿欄は現代のインターネットのような役割を果たしていた。しかし、初めての二丁目は敷居が高すぎて、「僕にはムリー!」と、人見知りな自分がでてしまったという。
知らない人が大勢いる空間は、新鮮であると同時にうまく馴染めなかった。
それから数年後に再訪するまで足を運ぶことはなかったが、その後少しずつ女友達と遊びに行くようになる。
こうして徐々に、ゲイであることが “公” になる行動を取り始める。
<<<後編 2016/04/08/Fri>>>
INDEX
06 積極性が芽を出した
07 社会的カミングアウト、23歳
08 電話ごしのサポート業務で学んだこと
09 ゲイは自分の一部分でしかない
10 公表は、自分なりの誠意