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長い時をかけて目標を達成すること。その経験が、ブレない芯になる【前編】

スッと伸びた背筋、「おはようございます!」と凛と響く声。そこかしこに、幼い頃から柔道を通じて培った精神が垣間見える清水尚雄さん。1つ1つの言葉を噛みしめるように紡がれていく人生は、 “日本一になること” と “自分らしく在ること” を追い求めるものだった。彼は目標を成し遂げることができたのだろうか。明るい笑顔の裏にあるドラマを、少しずつ紐解いていくとしよう。

2017/07/14/Fri
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
清水 尚雄 / Nao Shimizu

1983年、栃木県生まれ。小学1年生で柔道を始め、中学、高校、大学、実業団と約26年間、選手生活を送る。中学3年時に県大会優勝、大学3年時に国体で団体戦3位、社会人1年目に全国大会で団体戦1位に輝く。現在は引退し、ドラッグストアに勤務。幼少期から自身の性別に違和感を抱き、2011年からホルモン注射での治療を開始。2015年に結婚し、仕事の傍ら、LGBTに関する講演活動も行う。

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INDEX
01 “強さ” に魅了された柔道の世界
02 “女の子” が好きな自分
03 柔道に打ち込んで隠した本当の気持ち
04 突き付けられた性別という現実
05 振り回された高校時代の恋愛
==================(後編)========================
06 “柔道” と “家族” を手放す選択
07 失くして気付いた必要だったもの
08 社会で “男” として生きる覚悟
09 親子の絆を取り戻し、家族になる時
10 目標を達成したことで見つかった “目標”

01“強さ” に魅了された柔道の世界

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大らかな父と厳格な母

実家は3代続くそば屋。

小さい頃は注文を取ったり料理を運んだり、看板娘としてよくお手伝いをしていた。

幼いながら、楽しんでいた記憶がある。

店主の父ははっちゃけた人で、何に対しても「やってみろ」と背中を押してくれた。

母は昔気質なところがあり、しつけに厳しい人だった。

「テーブルに肘をついていると、母に腕を叩かれましたね。間違っていることを叱ってくれる母親でした」

「父はこっそり見守っている感じ。バランスが取れている両親だと思います」

1個下の弟は店の手伝いをまったくしなかったが、よく一緒に遊び、仲が良かった。

「私も弟も活発で、家で本を読んだりするより、外で遊ぶのが好きでした」

勝つことに憧れて始めた柔道

小学1年生の時、父に地区のスポーツ少年団に連れられていったことをきっかけに、柔道を始めた。

高校時代に柔道部に所属していた父の薦めも大きかったが、選手への憧れもあった。

「初めて道場に連れていかれた時に、道着を着てバンバン投げている人達を見て『かっこいい!』って思ったんです」

小学生の間は毎週2日、放課後に道場に通った。

低学年の頃は左右が覚えられず、手の甲に「右」「左」と書いて練習に出ていた。

「道場の先生がすごく怖い人で、指導する時に竹刀を持ってくるんですよ。でも、柔道は好きでした」

「試合で勝つことがとても楽しかったんです」

高学年に入ってからは、小学生の県大会で優勝したこともあった。

「小学生のうちは階級がなくて、体が小さい子も大きい子も一緒に戦うんです。私は体つきもやや大きかったので、がんがん投げていた記憶がありますね」

「優勝することがうれしかったです」

柔道にしか感じなかった魅力

柔道以外のスポーツにも挑戦した。

母の薦めでスイミングに通い始めた。

しかし、先生に無理やり水に潜らされたことで恐怖心が生まれ、スクールを辞めた。

遊び感覚でサッカーやゴルフにもトライしたが、柔道がもっとも魅力的に感じた。

「やっぱり柔道が好きだったんでしょうね」

「柔道の大会で優勝すると、夕飯が豪華になるんですよ(笑)。両親が出前を取ってくれたり、お寿司屋さんに連れていってくれたり」

「ちっちゃい頃から食べることが好きだったし、贅沢に1日を終えることができてうれしかったです」

02“女の子” が好きな自分

好意を抱く相手は女の子

幼稚園児の頃から、女の子が好きだった。

初恋と呼ぶほどのものではなく、ただ「いいな」「気になるな」という程度。

小学生に上がった頃、友達が「○○君が好き」と言っていた。

他の子の好きな人は、総じて男の子だった。

「私自身は女の子が好きだったので、だんだん『あれ?自分はどうしちまったんだ?』って思うようになりました」

「『自分は男の子』って意識はなかったけど、自分の性別に違和感を抱き始めました」

人と違うことでいじめられてしまうという恐怖心からか、「女の子が好き」という気持ちは周りに言えなかった。

男の子と違う自分への疑問

トイレに入っても、座って用を足さなければいけないことが不自然に感じた。

「父や弟、同級生の男の子が立って用を足す姿を見ていたので、『なんで自分は座らなきゃいけないんだろう?』って」

「小学校低学年の頃、風呂場で何度も立ちションの練習をしました(笑)」

しかし、前には飛んでいかず、真っ直ぐ落ちていくだけだった。

「『おかしいな?なんで男の子達と同じじゃないんだ?』っていうハテナが、ずっと頭の中にありました」

「もしかして自分は男の子?」

年齢が上がっても、好きになる相手は女の子だった。

小学校中学年になった頃、ふと思った。

男の子を好きになるのは必ず女の子で、女の子を好きになるのは必ず男の子。

だから、自分は男の子なのではないか・・・・・・?

「男の子が女の子を好きになることが、社会の決まりごとのように感じたんです」

「私は柔道をやっていたし見た目もボーイッシュだったから、徐々に『自分=男』と感じ始めたように思います」

高学年に入り、体つきが女性らしく変わっていくと、自分自身への嫌悪感も生まれた。

「胸が出てくるのがすごく嫌でした」

03柔道に打ち込んで隠した本当の気持ち

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初めて感じた女の子であることの苦痛

小学生の頃は常にパンツスタイルで、スカートははいていなかった。

「弟も着られるように、母が男の子っぽい服を買ってくることが多かったんです」

「だから、中学生になって制服のスカートをはかないといけないのが嫌でした」

「スカート以上に苦痛だったのが、体操着のブルマ・・・・・・」

女性の象徴ともいえる服を身につけるのが嫌だった。

しかし、その感情は家族にも打ち明けず、胸の内に秘めた。

「両親のことが好きだったので、悲しませるようなことは言いたくない、って思いがあったんだと思います」

「女の子である自分を演じていたんです」

柔道への思いを強くした県大会

制服や体操着に対する嫌悪感を発散する術は、柔道だった。

中学校の女子柔道部に入り、ほぼ毎日部活に励み、週2日は地区のスポーツ少年団に顔を出していた。

中学1年で初めて出場した県大会で、衝撃の試合を経験することになる。

「相手と組んだ瞬間、速攻投げられたんですよ。まさに “秒殺”」

「それまでは自分が一番強いと思っていたので、衝撃を受けました」

世界の広さを知った。

「その試合がきっかけで、『もっと柔道に打ち込もう』って思ったんです」

2年まではなかなか実力を発揮できなかったが、3年で県大会優勝を果たす。

「残念ながら、3年で初めて出場した全国大会は2回戦で負けました」

「上には上がいることを実感しましたね」

気持ちを言葉にできなかった初恋

柔道に専念する一方で、密かに恋心を抱いていた。

相手は陸上部の同級生。身長が高く、スラッとした女の子だった。

「小学生までは『気になる』程度だったけど、この時は『これが好きって気持ちなんだ!』って感じでした」

「その子とずっと一緒にいたかったんです」

走り高跳びの県内チャンピオンだった彼女とは、表彰式などに一緒に赴く機会が多く、自然と仲良くなっていった。

彼女の部活が終わるまで待ち、偶然を装って「今終わったの?一緒に帰ろう」と誘った。

「家の方向が真逆なんですけど、送っていってましたね」

「会話しながら彼女の家まで行って、『あ、ついてきちゃった』って誤魔化したり(笑)」

しかし、思いは告げなかった。

「相手は私を女の子としてしか見ていなかったと思います」

「告白して関係性が崩れるのは避けたかったし、友達として一緒にいられるだけでよかった」

「中学を卒業するまで、2年半くらい好きでした」

切ない片思いだった。

04突き付けられた性別という現実

強くなるために選んだ高校

中学時代の柔道での功績が評価され、スポーツ推薦で県内の柔道強豪校に進学することができた。

「いざ柔道部に入部したら、中1の時に秒殺された相手が3年生の先輩だったんです」

「『うぉ、すごいところに入ってしまった』って思いました(笑)」

「柔道が強くなりたい」という一心だった。

しかし、思いがけない壁がそびえ立つこととなる。

「共学だったので、柔道部では男女一緒に練習するんですけど、高校生になると女の子と男の子で差が付いてきたんです」

受け止めきれなかった男の子との差

高校生にもなると男の子も体つきが男らしくなり、スピードやパワーが女の子と比べ物にならなくなっていった。

相手が同級生であっても、力の差は露骨に出てしまうのだ。

中学までは気にならなかった男女の差が、高校で明確になってしまった。

「男の子と組んだ時にボロカスにやられるので、常に『くそっ』って思っていました」

「なんで自分は彼らみたいに力がつかないんだろうって、すごく悔しかったのを覚えています」

夏場になると、柔道部の男子は上半身裸でトレーニングをしていた。

そんなことすらも羨ましかった。

「男の子のように上を脱いでトレーニングしたいって気持ちは、高校生くらいから持ち始めました」

「練習で負けると悔しかったし、男の子のグループに入りたい気持ちも強かった」

「それなのに試合は女子として出るので、気持ちの整理がうまくつかなかったです」

周りから、女の子としてしか見られていないことの悔しさもあった。

「ネガティブな感情が一気に膨らんだ時期だと思います」

悔しさを解消する方法は、柔道の練習しかなかった。

「今思うと最低なんですけど、女の子相手の練習でガンガン攻めて、発散していました」

「モヤモヤしたけど、思い悩んで塞ぎ込むことはなかったです」

05振り回された高校時代の恋愛

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初めて実った恋心

男子との差を見せつけられた高校時代だったが、うれしいこともあった。

初めて彼女ができたのだ。

柔道部の1学年上の先輩。

これまでずっと内に秘めていた恋心を高校生で伝えられたのは、先輩も好意を示してくれたから。

「付き合う前から先輩のアピールがすごかったんです」

「相手からの “好き” を確認できたから、告白できたんだと思います」

彼女が自分のことを男と女、どちらの性別として好きだったのかはわからない。

それでも、一緒に帰ったり互いの家に泊まったりする日々が楽しかった。

「ただ、“初めての彼女” は大変だった記憶が強いんです(苦笑)」

うまくいかない部活と恋愛の両立

彼女は束縛が強かった。

「部活や試合で一緒にいられる時、彼女はずっとくっついて傍を離れなくて」

同級生に部活の連絡事項を伝えようとしただけで、間に割って入られた。

練習中もずっと「一緒にやろう」と離れてくれず、寝技をしていると耳に息を吹きかけられた。

「今はネタとして話せますけど、その当時は『部活には柔道の練習に行ってるんだから、邪魔するのはやめて』って何度も伝えていました」

「でも、彼女は『いいじゃん』ってくっついたまま」

「柔道に集中したかったから、結構キツかったですね(苦笑)」

初めての彼女とは、高校1年から3年の途中まで付き合った。

「相手が大学に進学して遠距離になってしまったので、関係も終わってしまいました」

「レズビアン」と呼ばれること

付き合っていた当時、周囲には秘密にしていた。

しかし、彼女のあからさまな束縛によってバレていた。

「傍から見ていても、おかしい関係だっていうことはわかったと思います」

「バスケ部の男の子から『お~い、レズ』って言われたこともありました」

「弟がバスケ部に所属していたんですけど、『お前の姉ちゃん、レズだろ』とか言われていたみたいで、悪い思いをさせてしまったなって」

心ない言葉に苦しめられたが、決して否定はしなかった。

恥ずかしさや怒りよりも、疑問の気持ちの方が大きかったのだ。

「自分の頭はもう男性思考だったので、『レズビアンではない』って思っていたんです」

「『男性が女性と付き合って何が悪い』って思うけど、周りから見たらレズビアンだし、葛藤がありました」

「この頃、 “性同一性障害” という言葉を『3年B組金八先生』で知りました」

練習中の彼女とのやり取りを見ていた先生にも呼び出され、「どういう関係なんだ?」と聞かれた。

「その時は『ただの先輩です』って説明しただけで済みました」

「でも、先生にも気付かれるくらい露骨だったんです」

一度目の母へのカミングアウト

3年生の時に、新しい彼女と付き合い始めた。

家に泊まりに行ったりはしたが、友達らしく振る舞っていたはずだった。

でも。

「母に呼び出されて、『仲良すぎじゃない?どういう関係なの?』って聞かれました」

「その流れで『実は付き合ってる』って打ち明けたんです」

「母には『ダメだよ、それは絶対に許さない』と否定されました」

予想していなかった母の反応にショックを受けた。

高校時代の恋愛は、苦い思い出だけが残ってしまった。

 

<<<後編 2017/07/17/Mon>>>
INDEX

06 “柔道” と “家族” を手放す選択
07 失くして気付いた必要だったもの
08 社会で “男” として生きる覚悟
09 親子の絆を取り戻し、家族になる時
10 目標を達成したことで見つかった “目標”

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