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Writer/きのコ

マンガ『セックス依存症になりました。』に見るポリアモリーと性依存の違い

複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイル「ポリアモリー」。今回はセックス依存症をテーマにしたマンガ「セックス依存症になりました。」をもとに、性依存とポリアモリーの大きな違いを明らかにしながら、両者に通じる「難しさ」についても考えていきたい。

マンガ『セックス依存症になりました。』で語られるポリアモリーと性依存の違い

作品あらすじ

ポリアモリーは複数人と性愛関係をもつこともあるというライフスタイルのせい か、「セックス依存症では?」と言われることも多い。ここでは、そんなセックス依存症をテーマにしたマンガ『セックス依存症になりました。〈決定版〉』(津島隆太著、集英社、2020年)という連載を紹介する 。この作品の中ではポリアモリーも扱われているので、今回はその点について考えてみたいと思う。

−あらすじ:

奔放な性生活を謳歌してきた青年・津島は、女性からの暴行事件を機に心身に不調をきたした。医師から「セックス依存症」の疑いがあるとの診断を受け、勧められたグループセラピーを通して様々な人々と出会う。露出癖のある若者、痴漢常習犯、不倫にハマる美女。時に罪に手を染めつつも<嗜癖>に耽溺する人々との出会いが、惑う津島の心を、少しずつ、しかし確かに変えていく──。
(集英社コミック公式 S-MANGAより)

マンガ『セックス依存症になりました。』に登場する自称ポリアモリーの性依存症者

この物語によれば、性依存症になって「自分はポリアモリーだ」と言い出す人はよくいるそうだ。多くの依存症者はあらゆる理屈を駆使してまず問題行動を正当化しようとするので、その理屈としてポリアモリーは利用しやすく、本人もそう信じたがるのだとか。

しかし、ストーリーの中でも語られているように、ポリアモリーはそもそも合意を大切にするパートナーシップのあり方なので、合意のある性関係が結べないようであれば、それをポリアモリーと呼ぶことはできない。

マンガ『セックス依存症になりました。』に出てくる、自称ポリアモリー・イブさんの彼氏・リョウさんのように「本当は嫌だけど、『ポリアモリーだから』って言われて泣く泣く飲んだ」という状況であれば、その関係性はやはり健全なものだとは言えないだろう。

ポリアモリーの「合意」の困難

この話を読んで、ポリアモリーの目指す「合意」がいかに困難で繊細なバランスの上に成り立つもの か、自分のこととしても、改めて身につまされた。

理想を言うなら、イブさんとリョウさんとが精神的に対等な関係性のもと「こうしてほしい」「こうしないでほしい」と、お互い率直に話し合えればよいのだが、リョウさんが「こんなブサイクなボクでも付き合ってくれるし、優しい人なんです」と言っているように、自分に自信がなかったり相手に捨てられるのが怖かったりすると、つい自分の気持ちを押し殺して相手の言いなりになってしまいがちなもの。

私自身、パートナー達にうっかりこのような我慢をさせていないか、あるいは破局を恐れるあまり自らを抑圧してしまっていないか、常に振り返る必要があると思っている。

ポリアモリーは正当化にすぎない?

ポリアモリーの “合意” の難しさ

私自身も、「ポリアモリーなんて、セックス依存症の正当化に過ぎない」と言う非難を浴びることはある。ポリアモリーは恋愛のあり方の話で、セックスのあり方の話ではないので、ポリアモリーとセックス依存症はそもそも同じ土俵に乗るテーマではない。(この辺りについては、ポリアモリーなカウンセラー ダイヤさんの記事「【カウンセラーが答える!】ポリアモリーって病気なの? セックス依存症の言い訳じゃないの? セクシャリティと依存症の関係」も参照されたい)、ポリアモリーであるかどうかもセックス依存症であるかどうかも、当事者の主観だけでは判断しきれない部分が難しいのだと思う。

ポリアモリーにおいて大切な ”合意” は、目に見えるわけでもないし誰かが証明書を出してくれるわけでもない。合意が成立しているかどうかは、関係者たちの主観で判断するしかないと同時に、その主観が必ずしも絶対とは言い切れない。そこに 、この物語に出てくるようなすれ違いやトラブルのリスクが生まれるのではないだろうか。

だから、「ここに合意が成立している」と信じ続けると同時に、「本当に合意が成立しているのか」と疑い続けるしかない。信じて目指すしかないけれども、完璧な達成はない・・・・・・ということだ。

プロセスの中にのみ実現されるポリアモリー

マンガ『セックス依存症になりました。』の中では、依存症について「依存症者は同じ依存症者を救うことができる。そして誰かを救い続けることが自分の永続的な回復に繋がるんだ」と語られている。

多くの精神疾患に言えることだが、依存症にも完全な「治癒」の達成というものはまずない。「寛解」と呼ばれる “症状の出ていない状態” をどれだけ維持できるか、が依存症に対する治療の目指すところだ。

依存の対象がセックスであれドラッグであれアルコールであれ、基本的には「やめ続ける」という永続的なプロセスの中にしか、寛解はないと言えるだろう。

ある意味では、ポリアモリーも同じように「合意を目指し、維持し続ける」というプロセスの中にのみ実現されるもの、と言えるのかもしれない。

 

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