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Writer/きのコ

ポリアモリーの「シェアハウス」「ファミリーホーム」を作りたい【前編】

先日、ポリアモリーの人々が住むシェアハウスを描いた物語『愛の色いろ』(奥田亜希子 中央公論新社 2020年)に出会った。この記事では、ポリアモリーというパートナーシップのあり方とシェアハウスという生活のあり方について考えてみようと思う。

ポリアモリーとシェアハウス

『愛の色いろ』で描かれるポリアモリーの生活とシェアハウス

『愛の色いろ』の舞台は1軒のシェアハウス。住んでいるのは良成・黎子・千瀬・伍郎の4人。ここに住むにはとある条件がある。

このシェアハウスに住むための唯一の条件。
それは、複数の人を同時に、誠実に愛するライフスタイルを選択しているということ。
年齢や性別、性的指向は一切問わない。
大切なのは、パートナーには常に交際状況を明らかにする姿勢と
相手に不満や不安を抱いたときは、その都度話し合いで解決しようとする意志だ。

良成は黎子・千瀬の2人と交際していて、千瀬と黎子は昔の恋人同士。そして、黎子は伍郎の恋人でもある。お互いの気持ちのあいだで揺れ動きながら共に暮らす人々を描いた物語だ。

ポリアモリーとシェアハウスの相性

ポリアモリーとシェアハウスって、相性がいい概念だと思う。ポリアモリーという繋がり方において婚姻関係や血縁関係がなくても、私達はシェアハウスという暮らし方を選ぶことができる。

私は一度結婚して、1年半で離婚した。離婚をきっかけにポリアモリーとして生きることを決めたし、そう生きる以上は再び婚姻制度を利用して ”家族” をもつことはないだろうと考えた。

それで一般的な家族として暮らす以外の生活を模索しつつ、シェアハウスに住んでいる。自分にパートナーが複数いたり、パートナーにもパートナーがいるなら、できるだけ皆で助け合って暮らしていきたい。

ポリアモリーのパートナーシップにおいては、誰か1人を選び出すことなく「全員で法律上の家族になる」ことは難しい。法律的に家族になれないことで発生する不都合に対応するなら、シェアハウスという形態が合っているかもしれないと考えている。

それで、今まで数軒のシェアハウスを転々としながら暮らしてきたし、自分自身でもシェアハウスを経営している。

シェアハウスは、住むのも作るのも楽しい。今後も、全国にシェアハウスをたくさん作っていきたい。シェアハウスが好きなのは、固定化したコミュニティよりも、変化が好きだからだと言えるだろう。

シェアハウスのゆるやかさと持続性

ゆるやかなコミュニティとしてのシェアハウス

世間にシェアハウスが普及してきたといっても、婚姻関係にも血縁関係にもない ”他人” と暮らす生活はまだ少数派のものと言えるだろう。多くの人は、1人で暮らすか、家族と暮らすものだ。

核家族がスタンダードである昨今、家族として親子が一つ屋根の下に暮らしていても、「その家に住んでいる人」の多様性はそう高くない。基本的には同居する家族というものは婚姻関係か血縁関係にあって、たとえ大家族と言っても3世代での居住くらいまでが一般的だろう。

誰とも婚姻関係にも血縁関係にもない、という人が一般的な家族の中で共に暮らしていることはあまりない。それが良いとか悪いとかいうことじゃないけど、私は誰かと一緒に生活するということを、婚姻関係と血縁関係の枠内に限定する必要はないと思っている。

シェアハウスでは、家族よりももっとゆるやかなコミュニティが作りやすいと思っている。
シェアメイト同士は、家族のようにクローズドな集団ではなく法的に決められた位置付けもない。コミュニティに入ることも出ることも、家族に出入りすることに比べてハードルが低い。

家族に新しいメンバーが加わるには基本的に「結婚」や「誕生」という決して簡単ではない営みが必要になるが、シェアハウスは「集団」というよりも「場所」に帰属するコミュニティなので、極論その場所に来ればコミュニティに入れるし、その場所を去ればコミュニティから出られる。そのコミュニティへの帰属度も、自分の好きな度合いの関わり方でいることができる。

シェアハウスの持続可能性

現代の社会においては、一般的な核家族で暮らす家よりシェアハウスの方が、”場” としての持続可能性が高いように思える。

昔の人はずっと同じ土地、同じ家で暮らすことが多かったから、同じ家に何代にも渡って連綿と人々が暮らし続けるということが普通だったのだろう。でも今は、子供は成長すると生まれ育った家を出て別の家に暮らすことが多い。だから子供が出て行って親が亡くなってしまうと、家は空っぽになる。

売りに出されて別の人が買って住んだり、同じ土地に新しい家を建て直したりすることはあるだろうけど、同じ家でコミュニティがリセットされることなく人が住み続ける、ということはなかなかないと思う。でもシェアハウスなら、一般的な家族の住む家より、”場” としてもっと長続きする可能性がある。

何度も言うけど、それが良いとか悪いとか言いたいわけじゃない。ただ、私個人は自分が場づくりをするなら、「そこにある住まい」と「そこに暮らした人々の思い出」が継承されていってほしい、と思っている。

もちろん家に住んでいる人は入れ替わってゆくだろうけど、各自の痕跡がシェアハウスに残って、受け継がれていくような家にしたい。たとえば昔いた住人の写真や置いていった本がリビングにあって、「この家には昔こういう人が住んでいたんだって」となんとなく語り継がれていくような。

みんなが血族や婚族のような繋がり方をする必要はないけれど、自分達の選択によってゆるく繋がっていけたらと思う。

いつ出て行ってもいつ帰って来ても大丈夫だと思える、流動性のあるコミュニティ。私自身がそういう場を作りたいし、そういう場で暮らしたいと考えている。

 

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