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ポリアモリーという目印を持って、一当事者としてただ立ち続けたい【前編】

「今日、このあとスカイダイビングをするんです!」とニコニコと嬉しそうに話してくれた上村沙紀子さん。その晴れやかな笑顔からは想像もつかないが、学生の頃から「複数の人を好きになってしまう」ことに対して大きな悩みを抱えていたという。18歳でポリアモリーという言葉を知りながらも、受け入れるまでに10年かかった上村さんの歩んできた道をたどる。

2018/08/11/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shoko Minamoto
上村 沙紀子 / Sakiko Uemura

1983年、福岡県生まれ。2人姉妹の長女として誕生する。九州大学大学院卒。セクシュアリティはジェンダークィアでパンセクシュアル、そしてポリアモリー。ポリーラウンジ主宰者でもあり、メディアでポリアモリーについての発信も行っている。2018 年5月に『わたし、恋人が2人います。』(WAVE出版)を出版した。

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INDEX
01 さっちゃんは変わった子
02 母は超えられない高い壁
03 いじめられても気がつかない小学生だった
04 中高の6年間は私の中の黒歴史
05 私はLGBTのLなの?
==================(後編)========================
06 大学ってなんて自由で楽しいの!
07 友だちと彼氏、どっちも同じぐらい好き
08 ポリアモリーという言葉と出会う
09 大学院進学、そして就職・結婚
10 ポリアモリーであることを受け入れて

01さっちゃんは変わった子

庭をタンポポでいっぱいに

生まれ育ったのは福岡県。

佐賀県との県境にあるため、のどかで自然が多いところ。家の周囲にはいちご農舎や牛舎、田んぼがあった。

「海が近いので、夕方には風向きが変わるんです。そうすると、牛のふんの匂いがあたりに漂うんですよ(笑)」

幼い頃から「さっちゃんは変わった子」と、友だちから評されることが多かった。

「小さな頃から、みんなと混じって遊ぶのがあまり上手じゃない子どもで。ひとりでザリガニや蛙をとったり、虫を捕まえたりして遊んでました」

ひとりでいることは決して苦痛でも寂しくもなく、むしろ自分だけの世界に夢中になれるので好きだった。

「花が好きでした。道に生えているタンポポを摘んでは、綿毛をふーっと庭に向かって吹くんです」

それを繰り返して、3年かけて庭をタンポポだらけにした。

「タンポポ畑に憧れていて、どうしても実現してみたかったんですね」

母親に買ってもらった色とりどりの毛糸を庭の木にぐるぐると巻き付けて、そのカラフルさを楽しんだこともある。

ものづくりが好きだった

はさみや糸を使って、工作することも大好き。

あちこちからいろんなものを拾ってきては、自分流に組み立てたり。

壊れた鍋を拾って、葉っぱを煮込んでおままごとを楽しんだりもしていた。

「とにかく自分の手でいろんなものを作ることが好きで。『友だちと一緒に遊びたい』という気持ちがそんなに強い子どもではなかったと思います」

「だから変わった子だって、言われてたのかもしれないですけど(笑)」

2人姉妹で、2歳年下の妹がいる。

「仲は良かったですね。妹というよりも友だちって感じかな。小さい頃から今もずっと」

そんな妹との関係性には、母親が作った家族のルールが大きく関係している。

姉妹間に上下関係を作らない

「妹が生まれたとき、母は『姉妹間で上下関係を作らない』というルールを決めたんですね」

そのため、妹は小さな頃から一度も自分を「おねえちゃん」と呼んだことはない。

「さっちゃん」と名前で呼んでいる。

「私も親からは一度も『お姉ちゃんだから我慢しなさい』や『お姉ちゃんだから譲りなさい』というような言葉をかけられたことがないです」

「母は『そうしたらどうなるかな』と考え、試してみたかったようなんですけど」

「結果、やはりお姉ちゃんらしくならなかったですね(笑)、良くも悪くも」

02母は超えられない高い壁

教育熱心な母

実家は、地元で代々続く歯科医院。

父親は院長、母親は副院長としてクリニックをきりもりしていた。

母親は自分が通う小学校の校医でもあった。

「母はとても教育熱心な人で。いわゆるスパルタ教育でした」

「私は小さな頃からいろんな習い事をしてました。公文式や塾、英会話、ピアノ、水泳・・・・・・」

「『女の子らしくしなさい』や『お姉ちゃんらしくしなさい』とは一度も言われたことはないし、あまり子ども扱いもされなかったかな」

「その変わり『勉強しなさい!』は毎日のように言われていましたけど(笑)」

教育熱心な母親のおかげで、小学校の頃から成績は常にトップクラスだった。

スーパーバリキャリの母

「いわゆるバリキャリですね、母は。いまはもう還暦を超えてますが、その勢いは相変わらずで」

「とにかくすべてにおいてアクティブなんです」

今もマニュアルミッションの車を乗り回し遠出する。

一方、相当な読者家でもあり、先日実家に帰省した際はダーウィンの進化論について書かれた本を読んでいた。

「臨床の医師でもあるけれど研究も続けていて、クリニックを経営する経営者でもあるんです」

「本も出版していますし、学会で発表を行うことにも積極的。NPOやNGOの理事を務めたりもしています」

両親の離婚

両親は、自分が高校生だった頃に別居を選択。

妹が成人したことをきっかけにして、正式に離婚をした。

「ただ、夫婦共にクリニックを経営するというスタイルは別居後も変わりませんでした。なので、あまり寂しいっていう思いはなかったですね」

「クリニックに行けば父がいる、というのもありましたし」

母親があまりに偉大過ぎて、高校生の頃には「私は歯医者にはなれない。東京に行ってサラリーマンになろう」と考え始めた。

「母がやったことをそのままなぞると、一生勝てない。母は超えられない高い壁なんです」

「だから、私は私の道を行こうと。そう考えて模索し始めたのが高校生の頃です」

「クリニックを継ぐために歯科医師になれ、と母から強制されたことはなかったです」

「『私は歯科医師が天職だと思っているけど、あなたたちはあなたたちの好きな道を行っていいよ』と言ってくれてました」

03いじめられても気がつかない小学生だった

小学生の頃のエピソード

幼稚園から小・中・高校まで、なにかといじめられることが多かった。

「小学生の頃、『さっちゃん遊ぼう』って同じクラスの女の子が突然5、6人家に遊びに来てくれたんですよ」

嬉しくて、子どもなりにおもてなしをしようと、ジュースを出したり、お菓子を出した。

「うちはクリニックなので、漫画や雑誌がたくさん置いてあるんです。しばらくはみんなでそれを読んでいたんですね」

「それで、私がトイレに行って部屋に戻ったら、部屋はもぬけの殻」

トイレに行ってる間に、全員がなにも言わずに帰っていた。

今ならそれは女の子特有の陰湿なイジメだったとわかるのだが・・・・・・。

「私、いじめられてもあまり気がつかない子どもでした」

「そのときも『あれ? みんななにか急に用事ができたのかな』ぐらいの気持ちだったんですよね」

本を読むことに夢中

「上履きを隠されてもピンとこないんです。『あれ、忘れちゃったのかな』と。あとでドブに捨てられているのを見て、なんとなくわかるんですけど」

休み時間は、とにかく本を読むことに夢中。

給食を食べるのに飽きると、立ち上がって図書館へ。
本を持ってきて、読みながらまた給食の続きを食べる。

「結局は食べきれずに『ごめんなさい、もう食べられないから返します』と給食をギブアップすることも多かったです」

ひとりで校庭にある滑り台のてっぺんに登り、大きな声で童謡や唱歌を歌う。

そうやって休み時間を過ごすこともあった。

「当時のヒットソングではなく、童謡を(笑)。母が童謡や唱歌が大好きで。家でよく聴いていたからだと思います」

「歌いたくなったんでしょうね」

ほかに子どもの頃に聴いていたのは、ビートルズやベンチャーズ、それにブルーハーツ。

父の影響だった。

「だから音楽の話をしようにも、周囲の友だちとはまったく話が合わなかったです。いまなら、そりゃ合うわけないってわかりますけどね(笑)」

成績はずっと1番

「母のスパルタ教育のおかげで、成績はずっと1番でした」

成績はいいけれど、先生に対しては思ったことをそのまま口に出してしまう。

ときには歯向かうことも。

「扱いにくい問題児だと思われていたと思います。『お宅の娘さんの面倒は見切れません』って、先生が家庭訪問に来て母に言ったこともありましたから」

けれど、母親は先生の話など全く意に介さなかったようだ。

そのことでとくに母から叱られた記憶はない。

04中高の6年間は私の中の黒歴史

毎日がクエスチョンマークの連続だった

中学は私立の中・高一貫教育の女子高へ。

「中・高の6年間は、私にとってはいわば黒歴史。なにかとしんどいことが多かったですね」

もっともしんどかったのは、思春期の女の子特有の「みんな、一緒に」という考え方。

なぜトイレに友だちと一緒に行かないとダメなの?
なぜ教室移動は友だちと一緒に行かないとダメなの?
なぜお弁当を友だちと一緒に食べないとダメなの?

「あの頃の私は毎日がクエスチョンマークだらけでした」

思春期の女子特有の言動が理解できずに、教室を移動する際、フラっとひとりで行動すると「あの子、なんなの?」と陰口をたたかれる。

ひとりでお弁当を食べていると、「あの子、かわいそう」と言われる。

「みんな、一緒に」ができないせいで、仲間外れにされてしまうことも多かった。

「みんなと一緒のことをしていない子は、おかしい、気持ち悪い、かわいそう・・・・・・いわゆる、同調圧力ってやつでしょうか」

「その雰囲気がとにかくしんどかったです」

「どうして好きにさせてくれないんだろう、放っておいてくれないんだろう。6年間、ずっとそう思ってました」

正面切って「変だよ!」と言われるのならまだしも、陰でコソコソと言われることが苦痛でしかなかった。

小学校の頃は「変わった子」扱いされても気にも留めなかった。

さすがに中・高では陰口にも気づくようになる。

ただただ気持ちが重くなっていった。

演劇の世界にのめり込んで

中学は美術と書道部、ディベート同好会に所属した。

高校では演劇部に入部。

「演技をすることはホントに楽しかったんですけど・・・・・・。先輩との上下関係にはなじめませんでした」

敬語は使うものの、先輩には思ったこと、感じたことをなんでも素直に口に出してしまう。

けれど部内では先輩にたてついたり、意見をすることはご法度。

「先輩に対して慣れ慣れしすぎる! とよく叱られてました」

なんでそんなにも上下関係にこだわるのか、理解ができなかった。

「先輩って言っても、ちょっと先に生まれただけでしょ? と私は思ってしまうんですよね(笑)」

衣装や舞台メイクを考えたり、憧れていた男役にチャレンジしてみたり、上下関係での苦労はあったものの、演劇の世界は充分に満喫できた。

今ではいい思い出だ。

05私はLGBTのLなの?

初めて女の子のことを好きになる

中学に入ってすぐに、同級生の女の子のことを好きになった。

好きで好きでたまらない気持ちになり、その女の子と同じクラブに入ったり、いつも周りをウロチョロしたり。

「大好きでした。本人にはっきりと告白したことはないし、周りの友だちに相談したこともなかったですけど・・・・・・」

「私、好きになったら感情がダダ洩れしちゃうタイプというか、わかりやすすぎるというか」

「はっきり言わずとも、みんなが知っている、という感じだったみたいですね」

その子は、自分にとってはまるで女神様のような存在。

周囲の友だちからは「さっちゃんはまるであの子のこと、信仰してるとか崇拝してるって感じ」と評されたこともある。

「でも私が周囲をウロチョロしすぎたせいか、結局その女の子から距離を置かれるようになっちゃったんです、中学の頃だったかな」

それでも高校を卒業するまでずっと好きだった。

母からの性教育

「初恋の相手は男の子でした、小学校の頃です」

そのせいか、中学に入り初めて女の子を好きになったときには、やはり自分の中で戸惑いがあった。

「小学校5年生の頃だったと思います。母が私に本を2冊渡してくれたんですね」

一冊が橋本治さんの『僕らのSEX』。もう一冊は伊藤悟さんの『男ふたり暮らし 僕のゲイ・プライド宣言』。

「その本を小学校の頃に読んでいたので、LGBTについての知識は早くから持っていました」

「だから、女の子のことを好きになったときは『あ、これがあの本の中に書かれてたこと? 私はLGBTのL、レズビアンなの?』と」

どちらも大好き

そんな戸惑いを持ちながらも、高校に入学するともうひとり好きな女の子ができる。

相手は同学年の女の子だった。

「思い返せば、小学校の頃も1組の◯◯くん、2組では◯◯くんとクラスごとに好きな子がいたんですね」

「でも当時はそれを恥ずかしいなんて思わなかったし、それを無邪気に誰にでも話していました」

「でも中学で女の子を好きになり、高校でまた別の女の子を好きになって。これは人には話してはいけないことなんだろうな、と思うようになりました」

女の子を好きになったこと。
好きな人が二人いること。

どちらも人とは違う気がして、そんな自分に戸惑い、苦しくなることが増えた。

人を強く好きになりすぎる自分のことが、どこか気持ち悪くも思えた。

そんな風に自己否定してしまうこともまた、苦しさが増す原因となる。

「二人の女の子、どちらも大好きだったけど『つきあいたい』と思ったことは一度もなかったです」

「つきあってどうなるの? だって将来がないじゃん、女の子同士なんだからって」

そこは妙に冷静だった。

「ただ、想いが実らないつらさや切なさはありました。それも中・高が黒歴史だったと感じる原因のひとつだと思います」

 

<<<後編 2018/08/13/Mon>>>
INDEX

06 大学ってなんて自由で楽しいの!
07 友だちと彼氏、どっちも同じぐらい好き
08 ポリアモリーという言葉と出会う
09 大学院進学、そして就職・結婚
10 ポリアモリーであることを受け入れて

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