02 感情を殺さないと生きられない
03 世界に色がついた瞬間
04 ドアノブを回せない
05 死なないための心理学
==================(後編)========================
06 得体の知れない自分が怖い
07 足りないピースを探して
08 パートナー2人と暮らすということ
09 これからの“家族”のかたち
10 あなたが幸せなら、それでいい
01自分を殴る人か、殴らない人か
虐待されるのが当たり前の日々
「覚えているのは、目の前に迫る大きな拳だけ」
1歳の誕生日を迎える前に、父親はいなくなっていた。
「どういう理由で、私の目の前に拳が迫っていたのかは知りません。ただ、父が家族に暴力を振るうようになったので離婚したと母から聞きました」
しかし、暴力を振るう人間は父親だけではなかった。
「託児所の保母さんも、母も。保母さんからは、1日1回はビンタされていたようです」
「その後、施設で虐待があることが発覚してからは預けられることもなくなったんですが、今度は母から・・・・・・」
「母自身も、福島の田舎という閉鎖的な場所でシングルマザーだと差別されていたし、朝から晩まで働いていて、もうギリギリだったんだと思います」
「そんなときに、感情表現が乏しくてかわいくない子の面倒をみなければならなくなったんです」
「施設で殴られてきたせいで、その頃の私は、常に怯えているような子で」
「近所の人や学校から心無いことを言われ続けているうえ、私への関わり方が分からなくて、ままならないもどかしさがあったんだと思います」
「そして、怒りが私に向いてしまったんだと。だって、その頃の母はまだ25歳だったんですからね、仕方がなかったのかも」
世界がモノクロに
物心がつく前から殴られていた。
そんな環境のせいからか、人間関係には “殴る人か、殴らない人か ”の2つしか区別がなかった。
この人は殴るのかな、殴らないけど、いつか殴るのかな。
人と会うときは、いつも怯えていた。
そして、小学校でもいじめの対象になった。
「小学校の4年生くらいになると、大勢で押さえつけられたり、追いかけ回されたりしたら、数の力には勝てないということを理解しました」
「やがて、泣いたり抵抗したりしないほうが、受ける暴力は小さいということに気づいて、感情を押し殺し、なんの抵抗もしなくなりました」
「そして、世界はさらに色を失って、モノクロになっていきました」
「その頃には、自分は男の子を好きなのだと気づいて、社会におけるゲイという存在を知ったとき、自分には隠さなければならないものがあるということが分かったんです」
「ゲイであることと、いじめられているということ。母に知られてしまったら、捨てられるかもしれないという恐怖があった」
手がかからない子でいなければ、と強く思っていた。
02感情を殺さないと生きられない
父のことを訊いたら死ぬ
幼い頃、父親のことを母に訊こうとしたことがあった。
どんな人だったのか、なぜいなくなったのか。しかし、母親からの言葉は厳しいものだった。
「そのことを訊いたら、お前を捨てるから」
親に捨てられる。
それは、小さな子どもにとっては、ほとんど死を意味しているのも同じだった。
「父のことを訊いたら死ぬ」
その考えが、呪いのように纏わりついて離れなかった。
「母に手がかかる子だと思われたら、やはり捨てられるだろう。だからこそ、母には何も話せませんでした」
「いろんな出来事のなかで、不幸だけを取り除いて、幸せだけを得ることはできません」
「感情も同じです。悲しさや辛さを抑えようと思うと、喜びや楽しさも、感情すべてを押し殺さないとならなかったんです」
感情を殺し、誰かに救いを求めることもなく、ただモノクロの世界で息をしている。
そんな幼少期に、ひとつだけ “色のある風景” が記憶にある。
2匹の猫のおかげで
「その日も学校でいろいろあって、なんかもう限界だったんだと思います」
家に帰って、台所から包丁を持ってきて、自分の体に当てた。
「これを真っ直ぐに突き刺せば、ラクになれる、解放される」
「そのときに、うちの猫2匹が膝の上に乗ってきたんです。邪魔だからと退かすと、また乗ってくる。退かしても退かしても乗ってきました」
「そのうち、なんかもういいやってなって、しばらく猫を撫でていたら、やっと膝から下りて、そのへんでゴロゴロしだしたんです」
猫たちに邪魔をされなかったら、どうなっていたんだろう。
「アニマルセラピーを学んだ今は、私の様子が普段と違ったので不審に思って寄ってきたのだと、猫の行動を理解することができます」
「でもそのときは、なんであんなにしつこかったんだろう、と不思議でした」
きっと、猫なりの愛情だったのだろう。
誰かに、何かに、必要とされた瞬間。
それは、鮮明に記憶に残っている。
03世界に色がついた瞬間
名前を呼んでくれた
小学校のクラスメイトの一部は、中学校も同じ。
そのままいじめは続いた。しかも、より精神的なものへと変化していた。
その頃から、時折、音が聞こえなくなることがあった。
色だけでなく、音までも失われた世界に取り残されたようだった。
そんな世界に大きな変化が訪れる。
「中学校の同じクラスに不登校の男の子がいました。家の仕事を手伝うために学校へは来れないことがあったのだそうです」
「ある日、その男の子が登校してきて、私の名前を呼んだんです」
「お前、あいつ、それ、そんな記号のような名称ではなく、当たり前に、人間として、親しみを込めて呼んでくれました」
「世界に、色がついた。このとき私は、世界に色があることに初めて気がついた感じがしました」
それが、生まれて初めての恋であり、自分がゲイであるとはっきりと自覚するきっかけとなった。
「小学生の頃から、ゲイ、その頃はホモという言葉でしたが、自分がそうであるという気づきはありました。たぶん、そうなんだろうな、と」
「彼に対して明確な恋心を抱いたときに、やっぱりそうなんだと自覚しました」
「好きになったのが彼でよかった。今でもそう思います」
果たされなかった “未来の約束”
中学校を卒業し、別々の道へと進んでしまってから、アルバイトしていたスーパーで偶然再会することができた。
アルバイトが終わったあと、いろいろな話をした。
彼は自動車の免許を取るために、教習所に通っていることを話してくれた。
給料で車を買ったら、助手席に乗せてくれると約束をしてくれた。
「彼との時間は、掛け替えのない時間でした」
しかし、その “未来の約束” の3日後、彼は自らの命を絶った。
「彼が亡くなってからの時間は、とても曖昧で、どれが現実にあったことで、どれが想像だったのか、区別がつきません」
「ただひとつ、このままここにいたら自分は死ぬだろうな、という強い確信だけがありました」
そこで、大学入学と同時に福島から千葉へと環境を移した。
04ドアノブを回せない
心と体が分裂して
大学での寮生活が始まった。
それまでの人間関係から解き放たれ、初めての土地。まったくのひとりになった。
その途端、さまざまな精神障害の症状が現れるようになった。
「あるとき、大学へ行こうと思って、部屋のドアノブに手を掛けるんですが、回せなくなってしまって」
「全身が硬直して、動かなくなってしまったんです」
「気持ちは大学に行かなきゃと思うんですが、ドアノブを回せない」
「きっと、本当は行きたくないのに、行かなければならないと感情を押しつぶしていたから、心と体が分裂して過緊張が起こったんだと思います。」
2年生になると大学に行けない日が増えてきて、後期には留年が決定した。
そのまま1年間、学校へ行けない状態が続き、とうとう休学することになった。
意外とどこでも生きていける
「その、休学した一年間、派遣社員で仕事をしてみたんです。社会に出てみて、もし自分が役立たずだったら死のうと思って」
しかし、社会は思ったよりも怖くなかった。
周りの社会人も完璧超人ではなく普通の人間で、仕事は思いのほか楽しかった。
「全国の行政機関を回ってデータを集める仕事でした。昨日は新潟、今日は名古屋って感じで」
「地域が違えば人も違う。でも、どこにでもゲイはいました」
「ネットの掲示板やアプリを使えば、会おうと思えば、会うこともできた」
「それまでは、ゲイの自分には新宿二丁目周辺しか生息圏がないと思っていたけれど、意外と自分はどこでも生きていける、社会でやっていけそうだ、と思ったんです」
働くなかで、改めて大学で勉強したいと思ったことも見つかった。
そこで、ようやく復学することができたのだ。
「引きこもりだった1年間、社会で生きていけるのかという不安がとても強かったんです」
「今なら言えます。不安なら、確かめてみればいいと」
「現在も対人恐怖症がなくなったわけではありません。今でも急に、パートナーから愛されているか不安になります」
「でも不安になったら、愛しているかどうか直接本人に訊きます」
「自分の愛が伝わっているか不安になったら、伝わっているかどうか訊くんです」
05死なないための心理学
死ぬわけにはいかない
大学2年生で、さまざまな精神障害の症状に苛まれたとき、数人のカウンセラーに救いを求めた。
しかし、性的マイノリティ当事者のカウンセラーを見つけることはできなかった。
リストカットや自殺念慮を解決するために、カウンセラーから言われた言葉はこうだった。
「ゲイを治していきましょう」
ゲイである自分を助けてくれるカウンセラーはどこにもいない。
そして、カウンセリングにも病院にも行かなくなった。
もう、死ぬしかない。
でも、死ぬわけにはいかない。
自分が死んでしまったら、初恋の彼のことを覚えている人がいなくなってしまうから。
彼がどういう人だったか、どんな人生を送ったか。それを知っている自分が生きていることで、彼が生きていたことを証明できる。
だから、生き続けなければならない。
「自分を助けてくれる人がいないなら、自分を自分で助けて、生き続けなければと思い、心理学を学び始めたんです」
「生きるためというよりも、死なないために」
そして、心理学を学ぶなかで、彼の死に対する想いにも変化があった。
感情は流されるもの
「彼が亡くなった日から、私はどこにも一歩も動けていないと思っていたけれども、ちゃんと動けていることが分かった」
「それは、うれしいことでもあったし、悲しいことでもありました」
「彼の死に対する悲しみや怒りを鮮明に覚えていたくても、人間の気持ちはどうしても変わっていくものなのだと知りました」
「変わってしまうのならば、変わってもいいんだ。そう思えるようになってから、彼のことをちゃんと恨みました」
「あんなに優しい言葉をくれて、未来の約束までしたのに、私を置いて死んでしまうなんて酷い人だ」
「大好きだし、愛しているし、とても大切な存在。だからこそ、ちゃんと恨んだんです」
そこから、少しずつ、少しずつ、彼の笑顔を穏やかに思い出せるようになった。
「感情に流されてはいけない、と言うけれども、感情は流されるもの、流してあげるものだと思うんです」
「川を塞ぐと氾濫するのと同じで、感情を抑え込もうとすると、やがて間欠泉のように噴き出してしまう」
怒ってはだめ、悲しむのはよくない、恨んではいけない。
「自分の感情をいいとか悪いとか勝手に決めつけるのをやめてから、ラクになりました」
しかし、流れが急な川に足を入れてしまったら、体ごと引っ張られてしまうこともある。ときには溺れてしまうこともあるだろう。
「そんなときは、小さくてもいいから自分の足場となる石を用意する。流れのなかに石を置き、その上に立って、流れていく感情を俯瞰します」
「大切なのは自分の立ち位置、“自分の座標” なんです」
自分の座標。
それを見付けるのは容易ではなかった。
<<<後編 2017/09/20/Wed>>>
INDEX
06 得体の知れない自分が怖い
07 足りないピースを探して
08 パートナー2人と暮らすということ
09 これからの“家族”のかたち
10 あなたが幸せなら、それでいい