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Writer/HIKA

【カタールW杯】LGBTへの人権侵害。LGBT当事者の私が思うこと

サッカーW杯カタール大会が11月20日開幕し、日本も歓喜に沸いた。今回はW杯でおこったLGBTへの人権侵害にフォーカスして、LGBT当事者である私の意見を伝えたい。

カタールW杯、熱狂の裏側で―LGBTへの人権侵害

11月23日には強豪ドイツ、12月2日には強豪スペイン相手に日本が勝利するという歴史的な試合も行われ、多くの人が声援を送った。その一方で、LGBT当事者の私はもんもんとしながら自宅で過ごしていた・・・・・・。

カタールW杯開催に対する批判

カタール(カタール国)は中東アラビア半島北東部に位置する国。そのカタールでのW杯開催は2010年12月に決定した。

しかしカタールではこれまで深刻な人権侵害がたくさん確認されていて、開催への批判を呼んできた。

私はW杯開催により、こういった問題をスポーツの熱狂に洗い流されてしまうスポーツウォッシング(スポーツがもつ感動や興奮によって、社会が抱える問題を洗い流して大衆の関心を遠ざける行為)が起きるのではないかと心配していた。

大会開催決定後から移民労働者の6500人以上が過酷な労働により死亡したことや、女性やLGBTの権利と自由がいちじるしく軽んじられていることなど、さまざまな人権侵害がなかったことにされてしまうのではと。

LGBTへの人権侵害

カタールで行われているLGBTの人権侵害としてまず浮かぶのは、同性愛が法律で禁止されているという事だ。見つかると、罰金から死刑まで幅広い刑罰の対象になる。

国際的な人権NGO団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2019年から2022年の間に現地の治安部隊がLGBTを拘束して虐待を行っていたとする報告書を発表した。

被害は言葉によるいやがらせ以外にも、血が出るまでくりかえし暴行する身体的な虐待やセクハラが報告されている。

被害に遭いインタビューに応じた人はさまざまなセクシュアリティをもっており、トランスジェンダー女性、バイセクシュアル女性、ゲイ男性らだった。

これらの深刻な被害にくわえて、大会アンバサダーでありカタール元代表のハリド・サルマン氏が開幕目前の11月8日

「(同性愛は)ハラムだ。ハラム(禁忌)の意味は分かるか?」
「私は厳格なイスラム教徒ではないが、なぜハラムなのか? 精神の傷だからだ」

と発言した。私は息が詰まった。

しかし、こんなに過激な差別発言や虐待への批判も、時間が経つにつれて全く耳にしなくなっていった。

日本中がW杯に熱狂するようになっていったからだ。

何気ない行動がカタールW杯のスポーツウォッシングに? LGBTへの人権侵害に加担

カタールW杯でのスポーツウォッシングがLGBTへの人権侵害を忘れさせた

今回、スポーツウォッシングは成功してしまったように感じる。少なくとも、日本では。

テレビ番組は、選手や監督たちを英雄のようにかざりたててカタールW杯を盛り上げる。そこには、純度100パーセントの「W杯はすばらしいもの」というメッセージしかないように見える。

私の周りも、W杯の話ばかり。日本チームの歴史的な勝利のために頑張ってくれた、と選手に感謝したり(これを書いている頃は日本が残念ながら敗退してしまった後だが)、他チームの戦いに興奮したり。

SNSには試合を観戦している様子をのせて、世界中を巻き込んだお祭り騒ぎに身をまかせる。

私には、こういったひとりひとりの何気ない行動がスポーツウォッシングを成功させてしまったように思えてならない。

熱狂に身をまかせ自らがその熱狂の一員になることで、スポーツウォッシングに加担してしまったのではないか。

LGBTへの人権侵害の問題を語るかわりに、W杯への肯定的なコメントを口にすること。それがLGBTへの人権侵害の問題を知らず知らずのうちにおおい隠して人々の記憶から消し去る、大きなうずをつくりだしてしまったのではないかと。

うずのあとに残るのは、「W杯はすばらしかった」という印象のみ。そこにはもう、同性愛への処罰を命じる法律や、LGBTへの理不尽な暴力や排除、大会アンバサダーによる過激な差別発言などがあったという印象はない。

まるで最初からそんな問題なんてなかったみたいに。

こうして忘れ去られていくのか。
私は深い絶望を感じていた。

スポーツウォッシングのさなか感じた、深い絶望

W杯に熱狂している世間の片すみで、LGBT当事者の私は深い絶望を感じていた。

W杯を楽しむことはできず、むしろW杯の様子を見るために心が締め付けられるようにつらくなる自分と、熱狂する世間とのギャップを思い知らされたからだ。

LGBTへの人権侵害が小さな問題になり「そんなことをこんな楽しい時に気にしているのはあなただけ」と言われているような感覚になった。

カタールW杯は、私にとって苦痛な大会だった。

LGBTの人権侵害が忘れられることの影響

なぜLGBT当事者の私は、カタールW杯に深く絶望したのか

なぜこんなひとつの大会でのスポーツウォッシングに絶望するのか、疑問に思う人もいるかもしれない。しかも、海外の大会なので日本に住む私には直接の関係はないだろう、と。

でもカタールW杯に熱狂してLGBTへの人権侵害が忘れられたことは、日本で起きたことだ。

この事実は日本で生きる私に、重くのしかかってくる。

日本ではLGBTへの人権はないがしろにされてもいい、もしくは「ストレート」の人達と同等の権利は得なくてもいい、と世間一般は考えているという感覚におそわれる。

日常を生きる中で感じている絶望をW杯によって改めて目の前にたたきつけられた。

それが私の深い絶望だ。

人権侵害は当事者である私の日常にある

日本でLGBTの人権がないがしろにされていることを、当事者の私は感じている。私はノンバイナリーでバイセクシュアルだ。日常のあちこちで、自分の人権がないがしろにされていると感じる。

私は、私としてただ生きることを許されていない。

まず、自分のセクシュアリティについて話す時、ノンバイナリーは戸籍上存在しない性別であることに触れるところから始めなければいけない。そもそも一般的に、ノンバイナリーの存在を理解している人は極めて少ない。

そのため社会の中で私が私として認識されるときはほとんどない。その代わりに「男か女か分からない奇妙な人」か、「女の子なのに男性的なふるまいをする奇妙な人」のどちらかだ。

それは、私が自分の性のアイデンティティを表現する方法として、男性的なふるまいと女性的なふるまいを混ぜているからだ。でも、ノンバイナリーみんながこのようなふるまいをしているわけではないし、しなければいけないわけでもない。私にとって一番心地いい性表現なだけだ。

しかし、「奇妙な人」でいることで、さまざまな問題が日常に発生する(私のように性別移行をした人だけがつらい思いをしているわけでは決してないことを言っておきたい)。

道を歩くと知らない人にじろじろ見られる
敵意に満ちた目で見られ安全が脅かされる
性別をわざわざ聞かれる
外でトイレにすら行けない
自らの性別を間違って扱われる【ミスジェンダリング】が起きる

など、これらが私の日常だ。

そんなこと、と思うかもしれない。

確かに、ひとつひとつは大きく傷つくことではないかもしれない。でも、四六時中起きるならどうだろう。

身体中いたるところにすり傷ができて、傷が治っていないところに新たに傷がつけられるような体験。そして、生きている限りこの体験が続いていくのだろうという絶望。

この絶望は、私たちLGBTの人権を守ろうとして、世間が本気で動いてくれることはないだろうという想像からくる絶望でもある。

今回のカタールW杯での熱狂は、まさにこの想像を体現するものだった。だから私は深く絶望したのだ。

LGBTへの人権侵害は大した問題ではないのだと、忘れることができるくらいの問題なんだと、そう日本社会という大きな集団全体から言われている気分になってしまった。

絶望したのは、私だけじゃない

同じ経験をしたのは、絶対に私だけではない。日本中のLGBT、世界中のLGBTの多くがこういう経験をしたはずだ。

だからこそ、メディアで発言する機会を与えられている私には言わなければいけないことがある。

こんなW杯があったのに、平気だなんて言えない。

私たちは、社会で一緒に生きている生身の人間で、傷ついている。

LGBTへの人権侵害は、絶対に大きな問題だ。どんな人であっても、この問題を過小化することは許されない。許す雰囲気をつくることができてしまうのは、この社会で生きているひとりひとりで、それはほかの誰でもないあなたでもある。

熱狂が巻き起こるときこそ、立ち止まって考えてほしい。自らがその一員になることで、ないがしろにしてしまう人たちがいないか。

すでに権利がないがしろにされている人たち、その人たちへの差別に無意識でも加担してしまうことにならないか。

自分のこととして考えてみてほしい。

カタールW杯を支持する前にLGBTへの人権侵害を考えてアライになってほしい

LGBTの人権侵害をなくしていくためにアライになってほしい

ここまでカタールW杯がうむLGBTへの人権侵害やその影響について話してきたが、サッカーというスポーツ自体を批判するつもりはない。

また、サッカーを楽しむことやサッカーを好きな心は尊く、誰かに否定されていいものではない。

私が必要だと信じるのは、LGBTなど多様なセクシュアリティをもつ人たちも楽しめるW杯だ。

残念ながら今は、W杯がそういったスポーツの祭典だとは言えない。

だから、W杯がセクシュアリティ問わず楽しめる場になるために積極的なアライが増えてほしい。

積極的なアライとは、今回のような理不尽なことが起きたときに見て見ぬフリをせずに、実際に行動するアライのことだ。

LGBTの声を聴いて、一緒に立ち上がって、大会のおかしいところはおかしいと声を挙げていってほしい。決してスポーツウォッシングには加担しないで。

より多くの人たちとサッカーの楽しみを分かち合うことができる大会は、絶対に楽しいはずだ。

カタールでのW杯に対して声を挙げる

私たちにはできることがある。

まずは、今回のカタールW杯で人権侵害があったと、周りの人に話しをすること。

LGBTへの人権侵害を知らない人もいるかもしれないが、他者と議論すること自体がこの問題を完全に忘れさせないことにつながると思う。

また、LGBTへの人権侵害を無視して今回の大会を推し進めたFIFAや、日本サッカー協会に対してきちんと批判し続けることも重要だと思う。

そして、今回起きたことを忘れないこと。もしもう一度同じようなことが起きてしまいそうなことがあれば、声を挙げること。

あきらめず一歩ずつ前へ歩んでいけば、必ず未来は明るくなると私は信じている。
私たちのつながる力を生かして進んでいきたい。

■参考情報
カタール・ワールドカップ、なぜ批判されているのか? 懸念される人権問題を解説 | HUFFPOST
W杯開催のカタールでLGBTQ当事者の拘束、暴行か。国際人権団体が報告 | HUFFPOST
Qatar: Security Forces Arrest, Abuse LGBT People | HUMAN RIGHTS WATCH
カタール元代表が同性愛差別発言、W杯開催を前に批判相次ぐ | BBC NEWS JAPAN

 

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