02 一緒に遊ぶのは男の子だけ
03 男の子になりたいけれど・・・
04 女の子らしくなれない
05 墓場まで持っていく覚悟
==================(後編)========================
06 高校辞めます宣言
07 でも大学に行きたい
08 初日から激しい動悸
09 資格を取るなら行政書士
10 いつの間にかセクシュアリティをオープンに
01多様性にあふれた美濃加茂市
10人に1人は外国人
現在も暮らしている地元の岐阜県美濃加茂市には、市民の10人に1人は外国人というくらい、海外にルーツを持つ人がたくさん暮らしている。
「工場の労働者が多く住んでるんです。ブラジル系、日系、ベトナム、中国、フィリピン・・・・・・。いろいろな国から来た方がいます」
自分が子どものころにも外国にルーツを持つ同級生はいた。でも、そのときはまだクラスに1人くらいしかいなかった。
「親戚の小学生の子が出る運動会を観に行ったとき、国際色が豊かで驚きました。人種も、肌の色もさまざまで」
県内や市内のLGBTの施策はまだまだ遅れを取っているが、多様性を受け入れる素地は生まれつつあると感じている。
物静かな父と、癒し系? な母
両親と自分の3人家族。共働きの両親のもと、一人っ子として過ごしてきた。
父親はあまり多くを語るタイプではない。今までもなにかを強制されたり、ひどく怒られたりした記憶もない。
「仕事上の人付き合いはうまくいってると思うんですけど、プライベートで友だちとつるんだりとかはしない人ですね」
でも、決して放任主義で、子どもに興味がないわけでもない。
「『なにか困ったら、お父さんにも言ってくれていいんだよ』ってのは、何回か言ってくれたかな」
母親も常に口うるさいわけではない。
職場では癒し系やムードメーカーと思われているようだが、自分のなかでは怖い印象がどうにもぬぐえない。
「母は器用で細かいことにも気づくほうなんですけど、私は不器用で要領が悪いし、細かいことにも気づけない。だから自分がやったことを、ちがうでしょう、って指摘されるのが怖かったです」
「自分は、母のように器用にできないってことに対してコンプレックスを抱いてました。いや、まだ感じてますね(苦笑)」
でも、自分の意思決定を尊重し、陰ながら支えてくれる姿勢は両親ともに共通している。自分のことを否定せずにいつも受け止めてくれることを、心の底からありがたく思っている。
02一緒に遊ぶのは男の子だけ
女の子の遊びに興味が持てず
両親が共働きだったこともあり、2歳から保育園に預けられていた。保育園では、いつも男の子と鬼ごっこで遊んでばかり。
「ぬいぐるみ遊び、おままごと、花を摘むとか、女の子のやってる遊びに興味が全然湧かなかったんですよね」
「男の子の輪の中では2番手くらいでしたね。一番やんちゃな子がいて、自分はその次くらいのポジションでした」
次第に遠慮がちに
趣味も男の子向けのものが好きだった。
「小さいころ話し始めるのが早かったみたいで、そのころからスカートは嫌だとかピンク色のものは嫌だとかって言ってたらしいです」
「そのころは戦隊シリーズのおもちゃを買ってもらったこともあるようなんですが、その記憶はありません」
物心がついていないうちは、自分が好きなものを素直に欲しがっていたらしいが、だんだんと自分の欲しいものを言えなくなってしまう。
「だんだん男の子向けのおもちゃを親に頼んじゃいけないって自覚し始めて、口にしなくなりました」
男の子になりたいけれど、そう言ってはいけないという自己否定は、そのあとも根深く残ることになる。
パパみたいな髪型に
10歳くらいまでは母による三つ編みだった。
「それ以降は、髪は結ばずセミロングくらいの長さで、数年前から現在のショートヘアに、という感じです」
当時も本当はショートにしたかったが、女性らしいものが好きな母親の趣味に合わせていたのだ。
「母が私の髪の毛をいじるのが好きで、毎朝三つ編みにしてくれてました」
思い切って、髪を短くしたいと母に頼んだこともあった。
「4、5歳くらいのとき、パパみたいな髪型にしてくれって母に頼んだんです」
でも、やんわりと断られてしまった。
「母は、そういうのは男の子がする髪型だからね~、って・・・・・・」
そのあとも本当は髪を短くしたかったが、楽しそうに三つ編みをしてくれる母親を見て、子どもながらに主張を控えた。
03男の子になりたいけれど・・・
だれかに言われずとも宿題を終わらせる
小学校のときは、勉強が取り立てて好きなわけでもなかったが、得意だった。
「学校から帰ってきたら、両親はまだ働いているので家には誰もいないんですけど、まず宿題を終わらせて、そのあとに遊びに行くようにしてました」
「優等生」な部分は、勉強が得意なことだけではなかった。
「小学生までは目立ちたがり屋だったんです。代表で発表するとか、児童代表として全校生徒の前でしゃべるのが大好きでした」
「授業中も、先生当てて! ってめちゃくちゃ手を挙げてました(笑)」
そして、外から遊びに帰ると、本をむさぼり読んでいた。
「ファンタジー系が好きで、ハリー・ポッター、ダレン・シャンなどをよく読んでました。シャーロック・ホームズも好きです」
「学校の図書館にある好きな作家さんやシリーズは制覇したかな」
明るくて勉強も得意な子どもは、親からすれば手のかからない、いい子だったと思う。
「男の子みたいだね」
小学生になっても辺りを駆け回るやんちゃぶりは変わらなかったが、男の子とだけ遊ぶことは意識的に抑えた。
「女の子は、女の子と遊ばないといけないと思い込んでたんです」
男の子になりたいという意識はまだ根底にあったが、それをなるべく外に出さないように努めていた矢先だった。
「あるとき、友だちから『茉奈ちゃんって男の子みたいだね』って言われたんです」
男の子になりたいと思っているなら、うれしく思ってもよさそうなもの。
でも、そのときは、自分が周りから女の子らしく見えていないことに、ひどくショックを受けた。
それからは、「女の子らしくしなければ」とますます考えるようになっていく。
「誕生日に親から欲しいものを聞かれても、本当に欲しいものは男の子向けのおもちゃだから言い出せなくて。だから『お金でいいよ』って言ってました(笑)」
「洋服も、本当は男の子向けのコーナーから選びたいのに、やっぱり言い出せなかったですね」
女の子のコーナーで、できるだけ地味で中性的なものを探すようにしていた。
「でも、親やおばあちゃんがピンクでフリフリした服を買ってきちゃうと、それ、着なきゃいけないのか~って悩んでましたね」
男の子になりたい本当の自分と、その気持ちを封印したい自分の間で揺れ動いていた。
04女の子らしくなれない
制服を見て見ぬふり
進学先である地元の中学校の制服はセーラー服。でも、小学校時代はスカートを避けてきたため、制服のスカートはもちろん着たくなかった。
結果、あつらえた制服を入学式当日まで放置する。
「入学式当日になって、プリーツの仕付け糸すら外してなかったことが母にばれて」
「あんた、今日制服着ていかなアカンし、しかも新入生代表としてスピーチもするのに、まだこんなことももやってないんか、着てみんかったの?! って怒られました(苦笑)」
スカート姿でみんなの前に立つことを考えると憂鬱な気分だったのだ。
周りは変わっていくのに・・・
入学式時点では嫌悪感のあったスカートも、思春期になれば自分も女性らしいものを自然と好むようになって、受け入れられるだろうと漠然と考えていた。
でも、そうはならなかった。
「むしろ、男の子の服を着たいとより強く思うようになって。でもメンズコーナーで選ぶ勇気もないし、サイズも合わないし・・・・・・」
周りの女の子はますます女の子っぽくなって、彼氏ができたり、休みの日には化粧したりするようになった。
「ボーイッシュだった子も髪を伸ばし始めたりして・・・・・・」
自分だけ取り残されていくような感覚を覚え、焦りを感じていく。
みるみるおとなしく
小学校のときは人前で目立つことが大好きだったが、中学生になってからは控えめな性格に変化していった。
「自分でもなにが原因だったのかはっきりとはわからないですけど・・・・・・。中学になるとグループとかスクールカーストがはっきりしてくるじゃないですか。そこに自分が合わせられなかったからかな」
中1のうちはまだ元気があったが、中2になるとスクールカーストがいよいよ鮮明になり、学校で過ごすことに耐えられなくなっていった。
「教室に入るのも緊張するし、教室のなかにいるのも苦痛でしたね」
とうとう、中2の3学期に学校に行かなくなった。
両親や先生に不登校になった理由を聞かれたはずだが、どう答えたか明確には覚えていない。
「いじめられてるの? って聞かれても、別にいじめられてたわけではないので」
「今なら『性別違和』とか用語を知ってるけど、当時はそんな言葉も知らないし、もやもやをうまく言語化できなくて・・・・・・」
つらかった時期の一つである不登校期間の記憶は、あいまいなままだ。
05墓場まで持っていく覚悟
なんとか登校再開
中3になって再び学校へ行くようになった。
「仲の良い子と同じクラスになれて、それでなんとか学校に足が向くようになりました」
学校のなかでは、なぜか自分が不登校の期間中に病気を患っていたことになっていた。そのおかげもあり、不登校だった理由をしつこく聞かれることもなく、自然と登校を再開できた。
所属していた吹奏楽部での活動など、つらい学校生活のなかでも楽しい部分をなんとか見出し、学校に通い続けることができた。
「LGBT」との出会い
中学生のころ、巷でBL漫画がブームになった。その波に乗じて「LGBT」という言葉も、このときはじめて知った。
「でも、自分もLGBT当事者だとピンとは来ませんでした。テレビのなかのことだって思ってましたね」
当時は「おかま」や「おなべ」という差別的な表現も、まだ当たり前のように使われていたころだ。
「でも自分は、おなべではないなって思ってました。たしかに胸は出てきてましたけど、嫌だとは思ってなかったんです」
このときは、性自認や性的指向という概念の整理には至らず、関係する不安を深く掘り下げることもなかった。
男性も女性も気になる自分
中学生のあるときまで、恋愛対象は男性だけだった。男性芸能人にも人並みに興味を抱いていた。
「映画『ロード・オブ・ザ・リング』のなかに出てきたアラゴルンっていうキャラクターは初恋の人でしたね。あとジョニー・デップも好きでした」
だが、いつからか気になる女の子ができた。
「LGBT関連の言葉は知っていたので、じゃあ自分はバイセクシュアルなのかな、って思うようになりました」
でも、好きになった相手に気持ちを伝えようとは到底思えなかった。
「当時、女の子を好きになったってことはだれにも言えないって思ってました」
この気持ちはだれにも明かさず、墓場まで持っていこうと誓う。
<<<後編 2023/04/22/Sat>>>
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06 高校辞めます宣言
07 でも大学に行きたい
08 初日から激しい動悸
09 資格を取るなら行政書士
10 いつの間にかセクシュアリティをオープンに