02 仲の良い家族たち
03 サッカーとの出会い
04 中学受験、女子校へ
05 自分もFTM?
==================(後編)========================
06 女の子とのお付き合い
07 サーフィンにハマった、明るい “問題児”
08 自分の店を持つために、美容師の道へ
09 突き進んだ治療、親へのカミングアウト
10 若いLGBTの人たちをサポート
01母から男の子だと思われていた幼少期
活発でおしゃべりな「男の子」
幼少期から明るく、おしゃべりな子どもで、男の子っぽいところもあった。
「母には、『うるさかった』ってよく言われます(笑)」
母がつけていた育児日誌に、3歳のときには「自分のことを男の子だと思っている」と書かれていたほどだ。
「母親は、自分がいわゆる男の子向けのおもちゃとか遊びが好きな子だな、って感じてたんだと思います」
小学生の頃は、男の子とよく遊ぶ子だった。
男の子と近しい間柄だったからか、男の子に告白されたこともあった。でも、そのときは告白をどう受け止めていいか分からず、戸惑った覚えがある。
「誰かに告白されたときは、みんなも自分と同じような気持ちなんだろうって、勝手に思ってました」
みんなも自分と同じように、誰かから告白されたら戸惑うものと考えていたので、告白されたことを受け止めきれない自分に深く悩むことはなかった。
「けど今思えば、自分が男の子で、女の子が好きだから、男の子に告白されても違和感があったんだなって」
母に気を遣いつつも、自分らしく
本当は、小さい頃から男の子のように振る舞いたかった。
でも、小学生の間は、女の子らしい服装が好きな母を思って髪を伸ばし、運動するときは、長い髪をうしろで縛って過ごした。
「本当は髪を短くしたかったんですけど、子どもながらに母親に気を遣ってましたね(笑)」
一方、服装はジャージなど、好きなものを着ていた。
「最初のうちは、姉のフリフリのお下がりを着させられてたんですけど、自分が嫌がったんです」
母が「女の子らしい」ものを好んでいることは感じていたが、母から「女の子らしさ」を無理にはめられることはなかった。結果、基本的には自分のしたいようにすることができた。
「母親からは、『男の子みたいだよね』と冗談っぽく言われることはありましたけど、『女の子らしくしなさい』とはあまり言われなかったですね」
02仲の良い家族たち
柱である父を中心に
父、母、4つ上の姉の4人家族。家族仲は昔から良いほうだ。
「小さい頃から、テーマパークや旅行など、家族でよく出かけてました」
そのなかでも家族の中心となっているのは、父。食品関係の会社を経営している。
外で遊ぶことが好きなアウトドアな部分をはじめ、父とは似ているところが多いと思う。
親を敬遠しがちな思春期もよく一緒に遊びに出かけるなど、父との関係はずっと良好だ。
父には少し「昭和」な、厳しい面がある。
「小さい頃は、決められた時間に帰って来なかったりすると、正座させられて、泣くまでよく怒られました(笑)」
「でも、しつけとして必要なことだったと思うので、嫌な記憶としては残ってないですね」
父は、自分が産まれた頃に会社を設立したという。自分が小さい頃は、忙しそうにしていたことを覚えている。
それでも、仕事の合間を縫って、サッカーのコーチをしてくれたり、一緒にサーフィンに行ったりしてくれた。
自分の店を持ちたいという学生時代の頃からの願望も、経営者である父の影響があるのかもしれない。
正反対だけど、仲の良い姉
男の子のように活発な自分と比べて、姉はインドアで「女の子らしい」ものが好きな、正反対の性格。
「姉は自分とは違って、新体操とかチアリーディングとか、女子の習い事をよくしてました」
「服も、姉はフリフリなのを好んでましたし」
でも、姉とは小さい頃からケンカもせず、仲が良かった。姉はいつもお土産や誕生日プレゼントをくれるほど、優しくしてくれた。
「自分もお言葉に甘えて、姉にプレゼントを要求してました(笑)」
家族のなかで最初にカミングアウトしたのも姉だった。中3のときにカミングアウトすると、姉は自分やトランスジェンダーのことを積極的に理解しようとしてくれた。
「姉はLGBTに関するいろんな本を買って、自分が先に読んだあとで『こういう人もいるみたいだよ』って、本を貸してくれました」
「姉は、当時自分が付き合ってた彼女にも優しくしてくれましたし、自分の彼女の誕生日に『これ、あげなよ』って提案もしてくれましたね」
今でも、弟になった自分を受け入れて、手術の際には送迎を申し出てくれるなど、積極的にサポートしてくれている。
03サッカーとの出会い
習い事漬けの日々
小学生の頃は、毎日のように習い事をこなす日々だった。
姉が中学校に進学してあまり一緒に遊ぶ時間を持てなくなると、習い事をどんどん詰めるようになっていった。
「英語と、習字と、絵画教室と、サッカーと・・・・・・中学受験したので、塾にも通ってました」
「ピアノもやらせてもらったんですけど、あんまり向いてなくてすぐ辞めました(笑)」
すべて親のエゴで無理やり連れていかれたわけではなく、母が与えてくれた選択肢の中から自分で選ぶことができた。
「サッカーチームの練習が土日で、それ以外の日にもレベルアップのために別の教室に通いたい! って、自分から言ったものもあります」
習い事で休みのない毎日でも、学校終わりから午後5時までは友人と遊ぶ時間を持てたので、ストレスは感じなかった。
男子だらけのサッカーチーム
人生の転機の一つであるサッカーは、小学校3年生から始めた。
当時入ったサッカーチームのメンバーは全員男子。女子は一人もいなかった。当時、女子サッカーはまだ現在ほどポピュラーではなかったのだ。
だけれど、自分も周りも、一人だけ女子がいることをまったく気にしていないようだった。
「小さい頃から一緒にサッカーしてたので、高学年になっても男扱いされるのが当たり前って感じでしたね」
初めて違和感を覚えた、女子扱い
小学校高学年になって通い始めた別のサッカーチームで、初めて女子扱いされ、違和感を覚える。
「いじめられたり、何か言われたりしたわけじゃないんですけど・・・・・・」
「たとえば、二人組になって練習するときに、相手によそよそしさがあって。相手や周りから、自分が女子として意識されてるなってすごく感じて」
本当は、女子としてというより、新しく入ってきた子として腫れ物扱いされていたのかもしれない。それでも、居心地が悪かったことには変わりなかった。
「周りから女の子として気を遣われてるなと思って。それがやりづらくて、そこはすぐにやめちゃいました」
04中学受験、女子校へ
髪を短く切るために、中学受験を決意
中学受験をし、中高一貫校に進学することになった。
最初は中学受験をするつもりはなかった。きっかけは、将来を考えてくれた母の提案だった。
母が探してくれた女子サッカー部のある中高一貫の女子校を見学したとき、やる気スイッチが入る。
「女子サッカー部の先輩に、スポーツ刈りみたいに髪が短い人がたくさんいて、それが衝撃でした。女子サッカーって、自分みたいな感じの人が多いんですよね」
この女子サッカー部に入って、先輩と同じように髪を短くしたい。
その学校に合格したら、母の好みに合わせて伸ばしていた髪を、短く切ってもいいという約束をとりつけた。
中学受験を決意。もちろん、髪を短く切ることが目的だ。
見事、横浜にある中高一貫の女子校に合格。
母との約束通り、早速、入学式を前に髪をバッサリ切った。
長い付き合いになる親友との出会い
進学先では、現在に通ずるさまざまな出会いがあった。
そのなかでも、中高の6年間ずっと同じクラスだった親友は、自分と同じFTM当事者でもある。
「親友とは学生のときから『親にはカミングアウトしづらいよね』ってお互い言ってたけど、自分より先にすべて進んでいってくれたので心強かったです」
今の職場の社長は、親友の兄でもある。みんな家族のように近い間柄だ。
05自分もFTM?
性同一性障害・FTMの「トラオ」を知る
中学2年生のとき、先輩から「トラオ」という存在を教えてもらった。
「トラオ」とは、いわゆるトランスジェンダー男性(FTM)を指す言葉。当時、中高生のガラケープロフィールサイトなどでよく使われていた。
「『他のチームのあの人、トラオなんだよ』とか、『この人たち、女子同士で付き合ってるんだよ』とか、先輩から教えてもらいました。中学生ってそういう話好きじゃないですか(笑)」
「多分、先輩も自分が『トラオ』に見えたからいろいろと教えてくれたんだと思います」
自分たちもFTMかもしれない
先輩に「トラオ」の存在を教えてもらって以来、性別違和のあった親友とともに、性同一性障害やトランスジェンダー男性のことについて、どんどん調べていった。
「トラオについて検索してホームページを見ると、生い立ちとか書いてあって。そのなかに、自分たちと重なる所があって、自分たちもFTMなんじゃないかって思うようになったんです」
「親友も同じクラスだったので、どうしたら将来男として生きていけるだろうとか、FTMについて話をすることが多かったですね」
調べれば調べるほど、親友とともに自分たちはFTMであると確信していく。
一方、心のどこかで、自分は性同一性障害ではないと否定する部分もなくはなかった。
だけど、それよりも、調べていくうちに将来どのように生きていけばいいのか分かり、安心感を覚えたことのほうが大きかった。
「性別適合手術を受けた人の話をネットで読んで、自分も将来男として生きられるかもしれない、って思ってました」
性同一性障害のことも性別適合手術のことも、親には言わないほうがいい
中学生のとき、性別適合手術や治療のことを調べたあと、両親に手術や治療について話したことがある。
両親の反応は対称的だった。
「父親は、冗談半分だと思うんですけど、『お前もできるよ。やる?』って軽いノリで言われて」
「でも母親は真面目なところがあるんで、『そんなこと言うのはやめて!』って、話を終わらせられましたね」
母は、幼少期からすでに、自分が「男の子」だと感じとっていた。だから、性別適合手術を受けることに現実味があり、否定したのかもしれない。
「性別適合手術の話をする前までは、親に話しちゃダメだと思ってなかったんですけど、それから親にはセクシュアリティのことは、言っちゃいけないのかなと思うようになりました」
それからしばらくの間、親の前では性同一性障害に関する話をしないようになった。
<<<後編 2022/06/08/Wed>>>
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