02 トキメキがなかった最初の交際
03 カッコいい男の子に、初めて胸キュン!
04 SNSで知った、性欲とゲイ
05 鉄道会社からテーマパークへ。接客のキャリアを積む
==================(後編)========================
06 ああ、これがトキメキだ!
07 カミングアウトで気持ちが楽になった
08 輝く姉の姿を見て、キャビンクルーを目指す
09 会えばときめく、またも遠距離恋愛
10 LGBTの活動も視野に入れている
01ワイワイ騒ぐのが好きな男の子
福岡から成田に全員集合!
1995年、福岡市に生まれた。4つ違いと7つ違いの元気な姉がいる。
「お父さんは空港内のバスの運転手、お母さんはケータリングの仕事をしていました」
両親が航空業界に縁がある仕事だったせいか、子どもたちは次々とキャビンクルーを志した。
「上の姉は関空をベースに勤務していたんですが、成田支店に異動したんです。同じタイミングでぼくも、キャビンクルーに転職して成田に勤めることになって・・・・・・」
すると、二番目の姉もふたりの後を追うようにキャビンクルーとなって成田に。
最後に両親が「子どもたちがみんないるのなら、一緒に暮らすほうが経済的だろう」と、成田に越してきた。
「両親は、福岡でしていたのと同じ、バスの運転手とケータリングの仕事に就きました」
「結局、一軒家を買って、みんな一緒に暮らしています(笑)」
姉弟三人とも目立ちたがりで、子どもの頃には衝突することもよくあったが、今は大人になり関係も良好だ。
お菓子作りが好きな男の子
幼稚園の頃から、女の子っぽいところがあった。
「男の子たちは仮面ライダーごっこをして遊んでいましたけど、ぼくはお菓子を作るのが好きでした」
お菓子作りは幼稚園で教えてもらった。そのほか、指で毛糸を編んでマフラーを作ったり、絵を描いたりして遊んでいた。
「友だち同士でキスをするのが流行ったんですよ。そのとき、男の子は女の子とキスをするのを恥ずかしがったんですけど、ぼくだけはその戸惑いがなかったんです」
ちょっとした仕草や動きが女の子っぽいと、友だちから笑われることもあった。
「でも、いじめられたわけではないし、気にしてませんでしたね」
着るものは普通に男の子の服。違和感を感じることはなかった。
むしろ、カッコいい男の子になりたかった。
弟的なキャラクターが定着
小学校に入ると、ワイワイと騒ぐのが好きな、にぎやかな男の子になった。
「放課後は、男友だちと野球のテレビゲームをして遊んでましたね。校庭でキックベースボールなんかもしました」
ごく普通の元気な男の子だったが、精神的に弱い一面もあった。
「ちょっといじめられると、すぐに泣いてました」
そのせいか、弟的なキャラクターに見られることもあった。
「逆に兄貴分的なキャラの子がクラスにいて、彼と仲よくなって、よく一緒に遊んでました」
その子といつも一緒にいたいな、と思うこともあったが、それがセクシュアリティの萌芽だったかは不明だ。
02トキメキがなかった最初の交際
カノジョを作ることに憧れた
小学校高学年になると、周囲にカップルができ始めた。
「おそろいの服を着たり、イチャイチャしたり・・・・・・。なんとなく、うらやましかったですね」
きっと、カノジョを作ることに憧れたのだろう。身近な子をカノジョに仕立てた。
「初めて女の子とつき合ったのは、小学校5年生のときでした」
まったりとした感じの、お菓子が好きな女の子だった。初めから仲がよく、一緒に遊んでいた子だった。
「周りからカノジョがいると思われたり、チヤホヤされるのは、うれしかったですね」
一応、どこかに出かけて、手をつないだりもした。でも・・・・・・
「トキメキは、まったくなかったですね(笑)」
カノジョができても、男友だちと遊ぶほうが楽しかった。みんなが自慢するように、イチャイチャしたいという欲望も沸かなかった。
野球部、勉強、そして、次のカノジョ
中学では卓球部に所属。
「仲のいい友だちが卓球部に入るというので、ぼくも入部しました」
しかし、思いのほか練習がキツかった。
「特に卓球が好きだったわけではないので、すぐに辞めてしまいました(苦笑)」
次に入部したのは、野球部。
やはり練習はキツかったが、野球が好きだった分、楽しかった。やりがいを感じ、卒業まで一生懸命にバットを振った。
「負けず嫌いなので、友だちと競い合って勉強も頑張りました」
学年で200人中30位くらいをキープ。まずまずの成績を取ることができた。
充実した中学生活に、もうひとつ、うれしい出来事が起こる。
「クラスの女の子から告白されたんです!」
カラオケに行ったり、電車で隣町のショッピングセンターに行ったり。
おつき合いが始まった。
のろけ話には、嘘をついて合わせた
今度のカノジョとは手をつなぎ、キスも体験した。
「でも、相変わらず、トキメキはなかったですねぇ(笑)。キスも儀式的なものでした」
周囲のカップルは、のろけ話で盛り上がっている。男の子同士のエッチな話にもついていけなかった。
「浮いちゃうのも嫌だったので、仕方がないから、ウソをついて話を合わせてました」
実際、性行為について、まったく知識がなかった。きちんと理解したのは高校に進んでからという奥手。
「周りの友だちと比べて、女の子に対する欲望が、明らかに自分だけ違うんですよね」
「なんでだろう?」と悩んだ末、出した答えは、「相手が違う」。
「ほかの子とつき合えば、トキメキがあるかもしれない、と思ったんです」
その子とは3年間つき合ったが、盛り上がりに欠けたまま、卒業前に別れてしまった。
03カッコいい男の子に、初めて胸キュン!
駅員としての接客を勉強
鉄道関係に特化した私立の男子校に、特待生として入学した。
「子どもの頃から鉄道とか飛行機に興味があったんです。それも、乗ることではなくて、サービスや接客の仕事に憧れてました」
いわゆる「鉄ちゃん」とは、違う興味だ。
高校での3年間、駅員としてのサービスを修得することが目標となった。
「自分と同じように、地方から上京した同級生も多かったので、すぐに友だちができました」
初めての一人暮らしは、寮生活。男子校だから、もちろん男だけの特殊な世界だ。
「寮での鍋パーティーは、楽しかったですね」
鉄道マニアも多く、話はいつも盛り上がった。
「音楽が好きだったので、部活は吹奏楽部を選びました」
顧問の女性の先生がかわいかったのも決め手だった。
フルートとトロンボーンを担当し、3年間、頑張った。
自分にとってはメチャ、カッコいい人
違うクラスに、ちょっと気になるカッコいい子がいた。
「中肉中背で、肌が日焼けしていて、笑顔がきれいで・・・・・・。一般的なイケメンではないんですが、ぼくにとっては、メチャ、カッコよく感じられました」
言葉では表現できないが、今までにはなかった感情だった。
「実際に話をしてみると、マイペースで、とても優しい人でした」
1年生の頃は、博多弁が抜けずに、話し方をからかわれることがあった。
「でも、その人から、『その方言、かわいいね』といわれたんです」
「うれしくて、初めて、胸がキュン! となりました」
その後、仲良くなり、ふたりで泊まりがけの旅行をするまでになる。
「大阪のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行ったり、HKT48のコンサートに行ったりしました」
コンサート会場で騒ぐのが快感だった。
「一緒に旅行をしても、彼とは性的な関係はまったくありませんでした」
男同士が恋人になるなど、まだ思いもよらないことだった。
04 SNSで知った、性欲とゲイ
恋人にしたい、と口説かれた
高校3年生の秋、鉄道会社に早々と就職が決まった。
「同級生は、みんな受験や就職活動に忙しいときですから、一人だけ暇になってしまって・・・・・・」
時間を持て余しているときに知ったのが、SNSの掲示板だった。「友だち募集」と書き込みをすると、いろいろな人がアクセスを求めてきた。
「後で分かったんですけど、その掲示板は男性同士の交際に興味がある人が集まっていたんです」
そのなかに、Skypeを通じて熱心にメッセージを送ってくれる人がいた。
「2歳年上の人で、とにかく、たくさんやりとりをしましたね」
そのうち、「翔太ってかわいいよね」「会ってみたいな」などとアプローチをされるようになる。
ゲイのことは、何ひとつ知らなかったので、「かわいいって、どういう意味?」と聞くと、「恋人にしたい」と単刀直入に口説かれた。
いわれてみると、「女性も男性も好きになれる」と公言している同級生がいた。それまでは、ふざけているだけかと思っていたが、あれが同性愛なのか、と思い当たった。
「彼には、いつもコソコソ、ふたりで話している相手がいたんです。後から考えると、カップルだったのかもしれませんね」
卒業までの半年でゲイを自認
ある日、何気なくYoutubeを見ていると、男が温泉旅行に行くシーンが出てきた。
「特別なことが起こるわけじゃないんです。エッチな内容でもなく、ただの何でもない動画でした」
ところが、動画に出てきた男性が気になって仕方ない。得体の知れない、ムラムラとした感情。
「もしかして、これが性欲なのか・・・・・・」
高校3年生で、初めて体験した昂りだった。
さっそく、Skypeの人に相談をすると、「翔太もゲイなんだろう!?」と突っ込まれた。
とっさに「違うよ!」と否定したが、「もしかしたら、オレ・・・・・・」、という疑念が渦巻いた。
女性とつき合いたいと思わないし、男友だちに対して抱いた感情も辻妻が合う。
「Skypeの人に性欲の発散の仕方も教えてもらって・・・・・・。本当にそれが最初だったんです(笑)」
それから熱心に情報を収集。高校を卒業するときには、「自分はゲイだ」と自認するまでになった。
「Skypeの人からは、会いたい、と何度も誘われましたけど、結局、会うことはありませんでした」
学校から、SNSで知り合った人とは会わないように、と厳しく指導されていた。
「頑なに規則を守ってましたね(笑)」
05鉄道会社からテーマパークへ。接客のキャリアを積む
故郷に錦を飾る
九州の鉄道会社に就職。新幹線部門の駅員として職務についた。念願だった、憧れの職場だ。
制服が誇らしく、故郷に錦を飾った気分だった。
「ロゴが入った名札をもらったときは、本当にうれしかったです」
改札口での接客、精算や切符のトラブルへの対処、券売機の整備、ホーム中央での合図・確認。晴々とした気持ちで職務を遂行した。
「元気いっぱいの接客に努めました」
仕事にはやりがいを感じて打ち込むことができた。ところが、4年2カ月勤めたとき、自ら退職という判断をする。
「人事異動で車掌を命じられてしまったんです」
車掌が車内でするサービスは限られている。もともと電車に乗りたいわけではない。やりたいのは、あくまでも駅員としての接客だった。
「本来、車掌や運転手に異動する可能性はあったんですが、希望が通るといわれていたので・・・・・・」
面談で訴えたが、希望は通らず、退職の道を選ぶことになる。
世界最高を与える仕事
次に選んだ仕事は、テーマパークのキャストだった。ワイワイと元気いっぱいに盛り上がる接客という点では、これ以上、自分に合った職種はない。
「希望者が多くて、採用は難関だと聞いていました」
ところが、来場者としてパークを訪れた際の楽しかった体験を語ると、そのまま2次面接に進み、すぐに採用となった。
異例のことだった。
「『世界最高をお届けしたい』という事業のモットーが大好きで、自分もたくさんの人に『世界最高』を与えたい、と強調したのがよかったみたいです」
配属は、アメコミを題材にした人気のアトラクション。ある程度のシナリオはあるが、演技のディテールは、キャストの判断に任される。
「夜の新聞配達員の役でした。派手なリアクションをしたり、大声で叫んでみたり、お客さまの反応を見ながら演技するのが楽しかったですね」
キャスト仲間の友だちもたくさんできた。
「みんな、パークに遊びにきている感覚で働いていたので、職場の雰囲気もとてもよかったんです」
大阪でアパートを借りての一人住まい。金銭的には楽ではなかったが、充実した時間を過ごすことができた。
<<<後編 2020/04/04/Sat>>>
INDEX
06 ああ、これがトキメキだ!
07 カミングアウトで気持ちが楽になった
08 輝く姉の姿を見て、キャビンクルーを目指す
09 会えばときめく、またも遠距離恋愛
10 LGBTの活動も視野に入れている