02 トラウマとなった同級生への告白
03 ヤケになっていた15才の夏
04 何も知らぬまま他界した両親
05 社会から埋没して生きる
==================(後編)========================
06 信じていた彼女の裏切り
07 人生を変える出会い
08 結婚に向けた道
09 「置かれた場所で咲きなさい」
10 情報に惑わされず、自分らしく生きる
01私は女の子だけど、女の子が好き
小学3年生で、女の子に告白
幼い頃から、女の子らしさが全くなかった。
母親に、ゴレンジャーやドラゴンボールの靴が欲しいと言っても、着せられていたのはキャンディキャンディの服。
「女の子らしい格好が、嫌で嫌で仕方なかったです。スカートも絶対にはきませんでした」
運動好きな父親と野球をしたり、ボーリングに連れて行ってもらうのが好きだった。
ボーイッシュな自分が、好きになるのは決まって女の子。
ただただ、女の子が気になった。
小学3年生の時に、好きになった同級生の女の子に初めてラブレターを書いた。
好きという気持ちを素直に伝えたが、相手に気持ちは届かず手紙はゴミ箱に捨てられていた。
「まぁ、嫌われたんです。その時に、女の子に好きと言ったらアカンのやなって思ったんです」
自分はどこかおかしいかも?というのはあった。
「仲が良かった女の子には、女の子が好きと正直に話しました。『キモチワルイ』と無視されることもありましたよ」
他の女の子との違いにわけが分からぬまま、悶々とした気持ちで小学校を卒業する。
恋心を受け止めてくれた中学の先輩
中学校には4つの地区から生徒が集まってきた。
自分のことを知らない子も沢山いるので、リセットのチャンスと思ったが、やはり女の子を好きになってしまう。
「恋愛体質なんですかね(笑)」
好きになったのは、同じソフトボール部で2つ上の先輩。
「小学校で好きな女の子に嫌われたのに、懲りずにその先輩に好き好き言いまくっていました」
その先輩は「ありがとうね、しげちゃん」と、好きという気持ちを嫌がらずに受け止めてくれた。
「自分は恋愛感情で好きと言っていたんですが、先輩は恋愛というより、憧れだと思ったんでしょうね」
その先輩が卒業する時は、悲しくて悲しくて大泣きした。
自分を受け入れてくれる人が卒業してしまい、ポッカリ穴が空いたような日々を送る。
「先輩に嫌われなかったという経験が、相手に好意を伝えても大丈夫なんだと、大きな勘違いをしてしまったんですよね」
02トラウマとなった同級生への告白
そんなひどいことする?
大好きだった先輩が卒業してしばらくすると、今度は同級生の女の子を好きになった。
普通に仲良くしゃべる子。ある日、その女の子に好きという気持ちを告白した。
「何でかわからないんですけど、上手くいくと思っていたんです」
告白した時、相手は何も言わなかった。
後日、その子の友だち経由で手紙をもらう。
「学校では読まないでと言われたんですけど、好きな子からの手紙ですし、気になるじゃないですか。トイレでこっそり封筒を開けたら ”大嫌い” って言葉が貼ってある手紙が入っていたんです」
それも犯行声明に使うような、雑誌や新聞から文字を切り取って貼ったもの。
「もう、頭から血の気が引きました、サーッと。普通、そんなことします?!」
学校で読んだので、泣きはなかったが、切り貼りした文字を見た瞬間は時間が止まったように感じた。
何が何だかわからなかった。
「本当に傷ついた時って、言葉が出ないんですよ・・・・・・」
考えれば考えるほど、やるせない気持ちになる。
同級生で仲が良かったのに、当然学校でも気まずい雰囲気になった。
「ショックでショックで、死にたくなりました」
この出来事だけでも十分に傷ついたのに、仲が良い友人が自分のせいでイジメにあう。
生きている価値がない
告白した女の子は、バスケットボール部のキャプテンで、一番仲が良かった友だちもバス部だった。
「自分と仲が良いというだけでその子は許せないらしく、部員にシカトするよう言ったらしいんです」
シカトされた友だちは、女の子が好きだとカミングアウトしても、離れることなく友だちでいてくれた人。
「自分ばかりでなく、仲が良い友だちまでイジメるなんて、本当に許せなくて」
多感な時期は、ちょっとしたことが原因でイジメのターゲットになってしまう。特に噂話が好きで、グループをつくる女の子の世界では起こりやすいのかもしれない。
「今だから明るく話せますけど、女って嫌ですよね(笑)」
自分のせいで、シカトされることになった友だちには申し訳ない気持ちしかなかった。
他人に迷惑をかけてしまう自分は、生きる資格がないと考えてしまった。
「自分は生きとったらアカンのかな、存在したらいけないのか・・・・・・って、そんなことをした人に対するする怒りより、ショックや悲しみしかなかったです」
友だちには「自分のせいでこんなことになってしまって、本当にごめんな」と謝った。
「そうしたら『そんなん気にせんでいい』って言ってくれたんです。『アホみたいな事をしている彼女らが悪い。シゲとおるわさ!』って」
死ぬことまで考えてたので、友だちの言葉は本当に嬉しく、救われた。
03ヤケになっていた15才の夏
初体験は不良グループリーダーと
失恋後、気持ちをわかってくれる友人たちに話したり、家で泣きながいろいろ考えた。
「テレビやマンガには男女が恋愛する話ばかりだし、男の子じゃなくて、女の子を好きになる自分はおかしい。少し恋愛感情を抑えた方がいいと思い始めたんです」
それからは、同性愛かもしれないと悩むようになる。
当時は性同一性障害やFTMという言葉を知らなかった。
「もうわけがわからなくなり、中3の夏休みにグレました(笑)」
ちょうど母親が体調をくずして入院、家族の目が母親に集まっている間に、地元の不良グループとつるむようになったのだ。
「誰にもしばられたくない!という感じで、バイクのケツに乗って走り回ったり、タバコや酒をすすめられたり・・・・・・あっ、警察にはお世話になってないですよ(苦笑)」
その時に、不良グループの男性リーダーと関係をもつ。
「リーダーには彼女がいたんですけど、ちょっといいやないか!みたいな感じで」
もしかして男の子とおつき合いができるかと思ったが、結果は無理、だった。
「イヤだーーっ、て感じではないですけど、なんか違うやん!って思ったんです」
夏休みが終わると、不良グループとつるむことは自然になくなったが、心のどこかにムシャクシャした気持ちを抱えたままの中学校生活が続く。
男の子として女の子が好き
夏休みが終わりしばらくして、はじめて彼女ができた。
「その時に、自分は同性愛者ではなく、男の心を持って女の子とお付き合いしていると実感したんです。ただ、そうは思っても自分は何なんだというイライラを常に抱えていました」
進学先を決める時期になる。
勉強はしなかったので成績は悪いが、推薦で入れそうな高校があった。電車1本で通学できる工業高校。
「女の子が少ないとか全く考えずに、とにかく行けるところがあるならそこでいいや、と決めました」
入学した工業高校はほとんどが男子で、クラスに自分の他にもう一人女子がいるだけ。
でも、男子が多いことに違和感は感じなかった。
「男子とはギャグを言ったり、楽しくできたんですけど、クラスにいたもう一人の女子がどちらが男子にモテるか、ライバル視してくるんですよ」
「自分は全く男子に興味ないのに、いい迷惑ですよ(笑)」
もう一人の女子は地元が一緒で、自分が女の子を好きということも知っていた。それなのに、同性に対する敵意をむき出しにしてきた。
「本当に、女子って嫌ですよね(笑)」
04何も知らぬまま他界した両親
母親にそれとなく伝えたら
同級生の男子と付き合うことになった。
男子とのお付き合いは、中学生の時に不良グループのリーダーとつき合って以来。
「告白された時、もう一回チャンジしてみようと思ったんです。もしかして、違う男子となら付き合えるのかもしれないと」
しかし、結果は変わらなかった。
学校から一緒に帰ったり遊ぶのは良いが、恋人のような雰囲気になった途端に嫌になってしまう。
手をつなぐことすらできなかった。
「自分は女子が好きだということを、正直に手紙に書いて伝えました。ごめんなさいと。特に何か言われることもなく、終わりました」
周りが男子ばかりだったこともあり、それからは恋愛感情を抱くこともなく高校生活を終える。
卒業後は、大手調理器具メーカーの工場に就職した。
「社会人になってから、お母さんに実は女の人が好きだと、さわりだけ話したことがあるんです。でも『何バカなこと言ってるの』と返され、あーそんな感じかとそのままでした」
母親に続いて、父親が他界
工場は地元にあったので、実家から通勤できた。
社会人になり5年が過ぎた週末の朝のこと。
「おはようと、お母さんに声をかけても返事がないんです」
「おかしいなとよく見たら、お母さんが部屋で死んでいたんです。本当にびっくりして、生まれて初めて腰を抜かしました」
母親は咽頭がんを患い、手術をしていた。手術は成功し、喉頭を摘出したので呼吸の出入り口となる永久気管孔をつくっていた。
「気管孔を自分で掃除する必要があるんですが、掃除の時にむせて、嘔吐した物が詰まり窒息したみたいです」
62才という若さ。
仕事にも慣れ、これから親孝行をしようと思っていた矢先だっただけに、突然の死を受け入れるのは辛かった。
「自分も悲しかったですが、お父さんの方が酷かったんです」
父親は6人兄弟の末っ子で、結婚するまで実家暮らし。結婚後は、食事や洗濯など全ての面倒を母親がみていたので、自分では何もすることはできない。
母親が他界した打撃を一番受けたのが父親だった。
「お父さんは寂しかったんでしょうね。近所のフィリピンパブによく通っていました」
母親に先立たれた寂しさと、不規則になった生活のせいか、母親が他界した5年後に父親も他界する。
「お父さんにも癌が見つかって。その時はもう末期のステージ4で、医者から余命半年と言われました」
母親、そして父親を失い思ったのは「人間はあっけなく死んでしまう」ということ。
セクシュアリティについて、何も伝えられないまま見送ることになった。
“自分らしく生きよう、やりたいことは全部やろう!” 他界してしまった両親から、そんなメッセージを受け取った気がした。
05 社会から上手いこと埋没して生きる
女性社員として働き、女性とつき合う
女性として採用され、女性用のピンクの作業服を着て働くことは嫌ではなかった。
「この身体を変えることはできないと思っていたので、女性のままで働くけれど女性が好き、という生き方をすればいいと、折り合いをつけていました」
LGBTについて詳しく調べようとも思わなかった。
性自認で悩むこともあまりなかった。胸は嫌だったが、運動が好きだったので鍛えればなんとかなるとも思っていた。
就職してしばらくすると、同じ職場で彼女ができた。
つき合っていることはごく数人しか知らなかった。
職場ではカミングアウトしていなかったので、はたから見れば仲の良い女性2人と思われていたのだ。
「お相手はストレートだったので、自分を男性としてつき合ってくれました」
男性として付き合っていても、身体は女性のまま。生理もある。
「生理用品が部屋にあるのを見た時は、さすがに嫌だったみたいです」
しかしホルモン注射や手術など身体的治療をして、男性になって欲しいとまでは言われなかった。
これまでお付き合いをしたほとんどの女性が「今のままでいいよ」と、変わらずにいることを望んだ。
男性になりないと思わないと言えば嘘になるが、身体は女性で心は男性のまま生活し続けた。
東京とは違う地元の環境
地元、三重県いなべ市でLGBTの人に会うことはまずない。
「いるのかもしれないですけど、明らかにそうと分かる人はいないですね」
彼女と恋人同士のようにすることは東京ならできるかもしれないが、地元のクローズな環境ではいつ誰に見られているかわからない。
「自分は彼女とカップルのようにしたいけど、彼女が嫌と思えば我慢しちゃいます」
明るくオープンな性格だが、彼女とのつき合いになると職場や地元の目を気にして行動をセーブする。
「仕方ないですよね。その頃は、自分の中で折り合いを付けていくしかないんだと思っていたので」
自分の人生で結婚なんてありえないと思っていた。
会社でカミングアウトすることもなく、まさにひっそりと過ごしていた。
「下手なことをしたらまずいというのがあったんです。そんなことをしたら社会からはじかれるんじゃないかって」
だから、波風を立てることなく普通に生きていこうと覚悟を決めていた。
東京に行ったら自由になれるかもと、憧れることはあった。
「会社を辞める勇気がなかったんです」
幼い頃から慣れ親しんだ地元を捨ててまで、飛び出す勇気がなかった。
感情をコントロールして、秘めたお付き合いができるだけで充分だった。
<<<後編 2017/06/19/Sat>>>
INDEX
06 信じていた彼女の裏切り
07 人生を変える出会い
08 結婚に向けた道
09 「置かれた場所で咲きなさい」
10 情報に惑わされず、自分らしく生きる