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MTFは一つの個性。上手く利用して武器にしていけたらいい。【前編】

18歳の時から20年近くホルモン治療を継続している津田愛梨さん。長年ホルモン治療を続けてきた津田さんの知識や経験を頼りに相談に来る人は大勢おり、現在LGBT講師として活動の幅を広げている。「ホルモン剤は魔法の薬ではない」と、ネガティブな情報も伝えるのは、多くの人にリアルな実情を知ってもらいたいから。

2019/02/24/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Mayuko Sunagawa
津田 愛梨 / Mari Tsuda

1981年、山口県生まれ。福岡工業短期大学を卒業後、一般企業やショーパブ、飲食店などに勤務。現在、LGBT講師として大学での講演やLGBTコミュニティでのイベント参加、当事者の相談などを行っている。2018年7月に性別適合手術を受け、戸籍変更を済ませている。

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INDEX
01 LGBT講師の活動
02 MTFのホルモン治療
03 幼少期の想い出
04 周りとどこか違う自分
05 中学・高校時代
==================(後編)========================
06 MTF、ホルモン治療との出会い
07 性別移行期から女性として
08 MTFである自分も認めてほしい
09 トランスジェンダーにやさしい社会に
10 トランスジェンダーは一つの個性

01 LGBT講師の活動

トランスジェンダーについてもっと知ってほしい

LGBT講師として、講演会やイベントで話をする機会がよくある。

「きっかけは、3年前にある大学から講演会のオファーを受けたことでした」

「大学の先生から『あなたは珍しい人。当事者でここまでトランスジェンダーの医学的知識を持っている人はいないから、みんなに披露することが大事』と言われたんです」

講演活動は月に数回程度。年間数十回以上になる。

「大学のイベントなどで、学生さんにLGBTの現状について伝える講演会をしています」

広くみんなに伝えたいことは、LGBTの人は身近な存在であること。
トランスジェンダーの生活や問題について知ってもらうことだ。

「『LGBTとは何か』ということから始まり、『トランスジェンダーは、こういうふうに生活しているんですよ』と実情を伝えています」

「そして、『性別移行中はどちらの性別で過ごすのか』『どちらの性別で就職活動をするのか』など、トランスジェンダーが関わるさまざまな問題についてお話しします」

「トランスジェンダーは、性別を変えてから本当の人生が始まります」

「ただ、性別を変えたことですべて円満というわけではなく、メリットもあればデメリットもあります」

講演会などを通して、それを多くの人に知ってもらいたい。

知識や経験を多くの人へ伝えたい

トランスジェンダーの治療について、正しい知識を持っている人は少ない。

どうすれば正しい知識にたどり着けるのか、わからないという人もいる。

「私は18歳の時からホルモン剤を内服しはじめ、ホルモン治療を20年近く続けています」

「こんなに長い間、ホルモン治療を続けている人はあまりいないでしょう」

「だから、自分の経験や経験から得た知識を多くの人に伝えたいと思っています」

最近は、LGBTのコミュニティに参加し、「ホルモン治療をするとどうなるのか」「性別適合手術はどのくらい費用がかかるのか」といったテーマで自分の知識や体験を話している。

コミュニティには、自分と同じように性同一性障害、トランスジェンダーで悩んでいる人もいれば、ゲイやレズビアンもいる。

また、個別で相談を受けることもある。

「ホルモン剤を始めたいのですが、どこでできますか?」
「性別適合手術はどうやってやればいいんですか?」

といった内容だ。

「病院を紹介してあげても大丈夫な人だったら、ホルモン治療をできる病院を10件くらい教えてあげます」

「最終的には、きちんと調べて治療先を自分で決めてもらうようにしています」

「自分の体のことですから、自分で決めることがなにより大切です」

02 MTFのホルモン治療

安易に始めてほしくないホルモン治療

ホルモン治療を始めたいと相談に来る人は多いが、治療方法や治療できる病院について誰にでも教えるということはしていない。

「自分がトランスジェンダーであるときちんと認識できていない人、ある程度のホルモン治療の知識がない人には絶対に教えません」

「ホルモン治療は一度始めたら後戻りはできませんから」

「なぜホルモン治療の知識が必要かというと、ホルモン剤の内服は自分で管理していかないといけないからです」

ホルモン剤は、必ずしも医師の診断や処方がなければ手に入らない薬ではない。

自分で購入し、自己判断で内服することができてしまう。

「ホルモン剤を内服して体調が悪くなった時には、どうすればいいのか自分で判断して対処しなければいけません」

体調が悪くなった時には、血液検査をしてホルモン値を確認する必要があるし、自分なりの対処法で体調を改善していかなければいけない。

「自己管理ができないなら、自己判断で内服するのはやめたほうがいいですね」

「ホルモン剤は、風邪薬のように気軽に飲めるものではないし、薬が合わないから別の薬にしようと簡単に変えられるものでもないんです」

ホルモン療法は、軽く考えてはいけないのだ。

だから、自分のもとに相談に来た人とはじっくり話をする。

MTFが陥りやすい過剰摂取

「ホルモン剤は “魔法の薬” 」ともてはやされた時代があった。

「飲めば飲むほど女の子らしく可愛くなれる “魔法の薬” だって、サプリ的な感覚で気軽に飲んでいた人もけっこういました」

自分自身も昔、大量にホルモン剤を摂取し、危険な目に遭ったことがある。

ホルモン剤は、18歳から飲み始めた。

「MTFの人が1日にどのくらいの量を飲めばいいとか、なんのデータもありませんから」

内服はすべて自己判断。

飲み始めてしばらくは、体つきや声などが女性らしく変わっていくのを日に日に感じるようになり、うれしかった。

初めは、1日1錠。

すぐに朝夕で2錠ずつ1日4錠を飲んだが、飲み始めて8ヶ月ほど経った頃、体の変化をあまり感じないようになってしまった。

ダイエットの停滞期のようなものかもしれないが、「このまま(体の変化が)とまってしまったらどうしよう」と焦るようになった。

そんな焦りから、徐々に服薬量を増やしていった。
体に問題がなければいくら飲んでも平気だと思ってしまった。

「飲めば飲むほど女の子の体に変わっていくのだから、量は増やしていったほうがいいと思って」

次第に、めまいや立ちくらみ、物にぶつかるといった症状が出るようになった。

最大28錠を一度に内服したこともある。

そのまま続けていたある時、倒れてしまった。

嘔吐や下痢が続いて、これは命が危ないなと思った。

そんな実体験もあり、ホルモン剤は利益もあるがリスクもある薬だと実感するようになった。

「これからホルモン治療を始める人には、ぜひホルモン剤のリスクや悪い症状が出てしまった時の対処法を知ってほしい」

「自分できちんと管理できるようになってほしいと思っています」

03幼少期の思い出

家族との思い出

生まれは山口県。

2つ下の弟、6つ下の妹がいる3人兄弟だ。
両親は2人とも学校の先生だった。

家の敷地内に祖母の家があったので、よく祖母のところに遊びに行っていた。

家族の思い出は、年に一度の旅行。

父母と兄弟3人、祖母の6人で、どこに行くにも必ず車で移動した。
車好きの父親がいつも運転する。

家族仲は良かったと思う。

父はパチンコと車が大好きな人。

「休みの日はパチンコを昼過ぎまでやって、夕方からはドライブによく連れていかれました」

「何事も一人でやるのが好きじゃない人なので、どこに行くにもよく付き合わされましたね(笑)」

「『宿題は学校でやってこい』と、父親によく言われたのを覚えています」

「家に帰る前に宿題が終わっていたら、他にいろんなことができる。宿題に時間を取られず、いろんな経験をしろ、ということだったんだと思います」

母親は教育熱心で「将来は公務員になりなさい」ともよく言われた。

塾や水泳などいろんな習い事をさせられた。

「小学校の時は、母と料理を作るのが好きでした」

「最初に作ったのは餃子。きちんと皮から作ることもあったんです」

「料理は自分から進んで楽しくてやっていました」

将来は料理の仕事をしたいと思っていた。

しかし、弟が小学校を卒業した数日後、事故に遭った。
その後も後遺症で長く療養するようになる。

母親は、弟の看病で忙しく家にいる時間はすごく少ない。

母に代わり、自分が毎日台所に立つようになった。

いつかは女の子と同じ体に

4、5歳の時。

母親に「おちんちんはいつなくなるの?」と聞いて、怒られたのを覚えている。

「乳歯が抜けるのと一緒の感覚で、歯が抜けるならならおちんちんもとれるだろうと思っていました(笑)」

お風呂は母親と入った記憶がなく、祖母や父と入ることが多かった。

「女性の体を見たことがなかったんですが、幼稚園のお泊り会でみんなでお風呂に入った時に、女の子の体を初めて見たんです」

「『おちんちんがない子がいるんだ!』って、初めて知りました」

また、自分好みの服を買ってくると母親に怒られることがあった。

「ピンク色の服や可愛いデザインの服を選ぶと、母はいい顔をしませんでした」

母は自分に服を選ばせず、母が買ってきたものを着せられるようになった。

04周りとどこか違う自分

男女分けはおかしい

今の時代、テレビを観ればトランスジェンダーの芸能人がたくさん出ている。

インターネットでセクシュアルマイノリティについて調べることもできる。

しかし、自分が小学生、中学生だった25年ほど前には、そんな情報はどこにもなかった。

セクシュアルマイノリティの存在は、まったく知られていなかったのだ。

「存在自体を知らないので、セクシュアリティの違和感は起こりえないんです」

知らないのだから、セクシュアリティについて悩みようがない。

だから、「自分はなんで女性じゃないんだろう?」なんて、思うこともなかった。

ただ、学校で男子と女子を分けるのはおかしいと思っていた。

「全校集会や運動会でクラスごとに整列する時に、男女で分けられるじゃないですか、それがあまり好きではありませんでした」

「嫌だなと思ったけれど、それは変わらないものだからしょうがない」
とも思っていた。

小学校6年になると、声変わりが始まった。

「周りは早く声変わりしたいと言っていたのに、自分は声変わりが嫌だったんです」

「音楽の授業で合唱のパート分けでは、以前はソプラノやアルトだったのに、テナーに分けられてしまって」

「音楽の授業が嫌いになりました」

しかし、嫌だと言っても仕方のないこと。

「まあしょうがないな」と受け入れるしかなかった。

女子を好きになる気持ちがわからない

中学生になると、周りは恋愛話に夢中になった。

「だれが好きとか可愛いとか、周りの男子は好きな女子の話をよくしていました」

「なかには付き合っている人もいましたね」

みんなが「○○が好き」「付き合いたい」という恋愛話に夢中になっているなか、異性を好きになる気持ちや付き合いたいという気持ちが、自分にはまったくなかった。

みんなは異性を好きになるのに、何で自分にはその気持ちがないんだろう。
恋愛の話はつまらない。

自分には関係ないと思うようになった。

しだいに恋愛の話題になると逃げるようになる。

「教科書にも『男の子は女の子を好きになる』と書いてあったんです」

でも自分はそうじゃない。

女の子を好きにならない自分は、おかしい? と悩むようになった。

他の男の子と違う自分はいったい何者なんだろう。

女性を好きという気持ちがわからない自分にモヤモヤし、自分が何者なのか知りたいと切に願うようになった。

「自分が何者で、今後どうしていけばいいのかを知るには、知識を得るしかないと思っていました」

「だから、その頃の自分は、ちゃんと本を読んで、知識を増やしていこうって思いました」

中学生時代の悩みは、セクシュアリティのことというより、自分は何者なんだろうという、アイデンティティに関するものであったように思う。

05中学・高校時代

いじめられた中学時代

小学生まではクラスの落ちこぼれ。
クラスで人気のある目立つ男子について回る金魚のフン。

人気者集団に入りたいけど、入れないような子だった。

中学になるといじめられるようになる。

「最初は、小学生の感覚のまま女の子としゃべっていたら『女たらし』と言われて」

「徐々に『小指が立ってるからオカマだ』とか言われるようになりました」

変わり者だと周囲に思われていたようで、クラス中から無視され仲間に入れてもらえなかった。

「当時は学校の何もかもが嫌でした」

「制服は学ランだし、クラスには友だちもいないし」

初めはいじめられても黙って耐えていた。

しかし、だんだん登校する回数が減り、中学2年の時はほとんど学校へ行かなくなった。

中学の一番嫌な想い出は、中学3年の時の熊本・長崎の修学旅行だ。

「班行動をする時のグループ分けでは、どのグループにも所属していなかったので、自分は独りぼっち」

「無理やり先生に一番仲良くなかったグループに入れさせられました」

修学旅行に行くつもりはなかった。

しかし、修学旅行の日の朝に、クラス担任から家に「必ず登校させてください」と連絡が入る。

クラス担任と教師である父親が知り合いだったので、行かざるを得なかった。

「旅行中は同じグループのいじめっ子に荷物持ちをさせられて、本当に嫌でした」

「両親も不登校は知っていましたが、その理由は勉強が嫌だからだと思っていたようです」

中学3年の時から弟がずっと入院していて、家庭内が大変な時期だった。

「問題児になるわけには行かなかったので、中学3年は頑張って登校していました」

本当は学校に行きたくなかった。
でも、両親にこれ以上心配や迷惑はかけられないと思った。

ほとんど学校に行かなかった中学3年間。

学校の勉強についていけず、成績が悪かった。
中学3年時のテスト平均は20点。

自分の学力で行ける高校は数少なかったが、なんとか進学することができた。

高校生クイズ出場

高校に入ると何人か友だちができた。

「学校でしゃべる相手ができたので、それはよかったです」

高校3年の時には、クラスの男子2人を誘って高校生クイズの予選に出場した。

「もともと高校生クイズが好きで、テレビでよく観ていたんです」

「アナウンサーの福澤朗さんを、生で見たかったという気持ちもあって(笑)」

「予選で落ちてしまったけれど、高校生しかできないことをやってみようと思って実現できたので、満足しています」

「青春の1ページですね(笑)」

自分が高校に入る頃には、病気の弟が治療を受けるために病院を転々とするようになった。

母親は仕事と弟の世話で忙しくなり、自分もよく病院に通い付き添って寝泊まりしたこともあった。

「看病や家のことを、家族全員がやらないとしょうがなかったんです・・・・・・」

「弟はずっと闘病を続けてきましたが、私が短大1年生の秋に亡くなりました」


<<<後編 2019/02/26/Tue>>>
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06 MTF、ホルモン治療との出会い
07 性別移行期から女性として
08 MTFである自分も認めてほしい
09 トランスジェンダーにやさしい社会に
10 トランスジェンダーは一つの個性

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