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Writer/チカゼ

ノンバイナリーでも改名は可能! すべてのトランスジェンダーが改名を成功させる方法とは?【その3】

ノンバイナリーのトランスジェンダーであるぼくの改名奮闘記第3弾、ついに最終回である。今回は面談後半の様子と、申請許可の審判通達を受け取るまで、それから改名における手続きを振り返って思ったことなどを語っていく。

ノンバイナリーのトランスジェンダーであるぼくが受けた改名申立の面談④

いよいよ改名申立の後半、本題に入っていく。ここに記載したものは、他のマイノリティ属性を持つ/持たないに関わらず訊かれる可能性がある、普遍的な質問だと思う。だから【その2】で書いたものよりも、もっと多くの人の参考になるんじゃないか。

改名後に使用したいトイレや公衆浴場は、男女どちらか

学歴・職歴&国籍についての質問が一通り終わってぐったりしたあと、最初のほうに訊かれたのがたぶんこれだった気がする。疲れすぎて脳みそヘトヘトだったし、あんまし記憶は定かじゃないけど。

「改名後、男性と女性どちらに見られたいですか?」の問いに面食らってるのを、どうやら「考えあぐねている」と解釈されたらしい。絶句しているところに「具体的には、たとえば改名後使用したいトイレや公衆浴場は、どっちですか?」と畳み掛けられたので、魂が一瞬うっかり宇宙の果てまで出かけてしまった。

出かけっぱなしじゃまずいのでどうにかこうにか家裁の面談室に還ったものの、もちろん適切な答えなど持ち合わせているはずもない。だって「男女のトイレ・公衆浴場」がそもそも性別二元論に基づいて作られたものだから、ぼくらのためのトイレや公衆浴場なんて最初っから想定されていなかったわけで、つまり積極的に使用したい「トイレや公衆浴場」などこの世に存在していなくて・・・・・・。

なんてことを説明する勇気も気力も体力もなかったぼくは、「特に女性の方で問題はないので・・・・・・性犯罪の危険性がないのであれば男子トイレでもなんでも・・・・・・」と、わけのわからない返答をしてしまった。

正直この返しは適切とは言い難いので、かなり悔やんでいる。男性全員が性犯罪予備軍みたいな言い方だし、女子トイレにだって性犯罪の危険性は潜んでいるってのは、もはや自明だ。動揺しすぎて意味不明なことを口走ってししまったこと自体、とても恥ずかしい。でも職員さんは、「それは私だって同じですよ!」と謎に納得していた。

ノンバイナリーやXジェンダーの方々は、このあたりを事前に練っておいた方がいいかもしれない。ぼくは自分の言った言葉にかなりモヤモヤを抱えてしまったから、己の気持ちのためにも考えておくことをおすすめする。

ノンバイナリーのトランスジェンダーであるぼくが、シスジェンダーではないと気がついた時期について

改名申立の面談では絶対と言っていいほど訊かれると言われているこの質問には、あらかじめ答えを用意していた。

ぼくの場合、使用実績の書類で「チカゼ」というペンネームが職員さんにも裁判官の方にも一発でバレる。すなわちここNOISEの文章も、noteも、TwitterもInstagramも、ぜんぶ知られてしまう。そこでの齟齬を生まないためにも、正直に「幼少期からスカートやピンクが苦手で、仮面ライダーが好きで、でも男の人になりたいと思ったことは一度もありません」と答えた。

ノンバイナリーのトランスジェンダーであるぼくが受けた改名申立の面談⑤

「ノンバイナリーのトランスジェンダーっぽい」名前の意味

ちょっと意外だったのは、改名予定の通称名の意味を訊かれたこと。【その1】でも話した通り、その漢字を選んだ理由や名前の由来について、思いのほか掘り下げられた。難読だったから余計に「わざわざその漢字を選んだワケ」を知りたかったのかなあ、とぼく個人は推測している。

珍しい漢字を選ぶ人なんかは特に、名前の意味をすんなり答えられるように準備しておくべきかもしれない。「難読だと改名の申請が通りにくい」という話も聞くので、一応。

ノンバイナリーのトランスジェンダーであるぼくが、女性名で生活することのデメリット

現在すでに日常で通称名を使用しているのに、戸籍名も「ノンバイナリーのトランスジェンダーっぽい」名前に変更しなくてはならない理由についても、やはり問われた。ぼくが現在の戸籍名をこのままにしておくデメリットとして挙げたのは、以下の2点だ。

(1)ノンバイナリー・Xジェンダーその他すべてのトランスジェンダーは、保険証表面に通称名の記載可能という事実が、医療現場に浸透していなさすぎること。

(2)銀行口座の名義を変更できなかったこと。

⑴ については、コロナのワクチン接種会場でまごつかれた際に非常に強いストレスを受けた体験を話した。「本名と性別は裏面です」と一言添えてから保険証を差し出したのにも関わらず、受付の方は困惑顔で何度もそれをひっくり返して名前を確認して予診票(戸籍名表記)と照らし合わせてってやってたので、もう一度同じ言葉を繰り返した。

しかし、全然伝わらず「これってどういうことなのでしょう?」と眉をひそめられたので、だいぶイラッときてしまった。ぼく以外にも保険証が通称名表記の人はもちろん死ぬほどいるんだから、ガイドラインかなんかにきちんと記載して共有しておいてほしい。

⑵ は、直近で銀行に行った際に「通称名に変更したい」と申し出たところ、非常にデリカシーに欠ける対応を取られた挙句、変更不可だったことを伝えた。

⑴ ⑵ ともに、家裁の職員さんも「それは不便ですね」と同調してくれていた。実生活におけるデメリットを具体的な体験談とともに語るのは、相手も想像がしやすくて有効なのかもしれない。

ノンバイナリーのトランスジェンダーであるぼくが受けた改名申立の面談⑥

胸オペはなぜ国内ではダメなのか

【その1】で書いた通り、「来年2月にタイで胸オペを予定しており、パスポート作成のために戸籍名の変更に緊急性を要する」と申立書に記載した。だからこの質問は想定内だったので、比較的すんなり答えることができた気がする。

ぼくはタイの技術の高さと価格の低さを、理由として挙げた。このへんはまた別の記事でおいおい書くつもりだけど、日本とタイでは胸オペの手術費にだいぶ差がある。この価格差に職員の方も驚かれていたから、説得力の強化に繋がったようだ。

「トランスジェンダーの人って、普通、下半身に違和感があるのでは?」

胸オペの話から発展して、「どうして子宮や卵巣は取らないのか」「普通、胸より月経がある方が辛いのでは」という、なかなかびっくりな質問も投げかけられた。いや、「なかなか」とかじゃないな。率直に言って、不快だった。

もちろん子宮や卵巣がこの体内に存在していることには違和感を覚えるし、月経のたびに辛い気持ちにはなるけれど、「見た目で “女性” だとわかってしまう乳房」のほうがぼくにとっては明確な異物なのだ。

なぜ下半身より上半身の違和感の方が強いのか、と問われてもそれは感覚的なものだから説明できないし、「普通」なんて表現で容易に括るべきじゃないだろう。性別違和の在り方は、それこそセクシュアリティそのものと同じく個々人で異なるのだから。

「月経もしんどいけど、見た目が女性らしいことの方がぼく自身にとってはきついんです」と説明はしたものの、職員さんにはこの辺りが引っかかったらしく、なお食い下がられて辛かった。身体のことって、性別違和のない人にだってあまり深く突っ込まれたくはない事柄だろう。面談の場であるということを鑑みても、あまりにもデリカシーに欠ける質問だった。

たぶんこれって、同性カップルへ「どうやってセックスすんの?」的な質問を気軽に投げかけてしまうあの現象に似ている気がする。だってシスヘテロの人に対して「自分の性器の形状や色は気に入っていますか?」などとは、絶対に訊かないはずだ。

「ノンバイナリーを理解したい」という気持ちからくるものだったんだろうけど、セクシュアルハラスメントのように感じてしまった。そもそも論、性別違和の強度がトランスジェンダーである証拠のように解釈されていること自体、間違っている。

ぼくがノンバイナリーのトランスジェンダーであることに対するパートナーの理解度

ぼくは現在シス男性と法律婚をしているため、パートナーの理解度は訊かれるだろうと予想していた。だからこの質問には、さほどまごつかずに済んだ気がする。

とにかく正直に、「交際時からノンバイナリーであることは伝えていたこと」「ぼくが“女性” ではないことを承知の上で婚姻届を提出したこと」「彼も改名や胸オペを応援してくれていること」を丁寧に伝えた。

「改名に対する家族の肯定の有無を訊ねられる」というのはインターネットでも情報を得ていたけれど、ぶっちゃけ「家族の肯定」が、なぜ本人の改名意思の妥当性の証明としてみなされているのか、ぼくには理解できない。

この質問自体、改名のためにどうしても必要だとは思えない。ジェンダーと「イエ」はつくづく固く結びついているんだな、とこんなところでも改めて実感させられてしまった。村上春樹的に言えば「やれやれ」って感じである。

改名申立をしたノンバイナリーのトランスジェンダーとして望むこと

通称名の使用実績は8ヶ月。10月28日に家裁へ申立を行い、その1週間後の11月4日に書記官の方から面談日打診の電話を受ける。そして11月16日に面談、11月24日に申請許可の審判通達を無事に受け取ることができた。最後に、改名手続きを振り返って思うことを書いておきたい。

ノンバイナリー/Xジェンダーその他すべてのトランスジェンダーの改名の妥当性を「他人からの認識」で測られる理不尽さ

使用実績を作っているうちにふつふつと胸の底で沸き立ったのは、やはり理不尽さだ。なぜ自分の名前を決めるのに、自分らしく生きるのに、だれかの許可が必要なんだろう。社会に浸透していることが、必須条件なんだろう。

ぼくはその「証明」が、比較的やり易いほうだったんだと思う。だって、繰り返しになるけどこうしてセクシュアル・マイノリティであることを逆手に取って仕事をしているから。翻って会社勤めをしている人だったら、かなり難しいんじゃないか。必然的にカムアウトになってしまうわけだし、精神的苦痛を伴う場合だってあるだろう。

他の被差別マイノリティに属している「改名希望のノンバイナリー及びその他トランスジェンダー」への配慮を

ぼくのように「他のマイノリティにも属している改名希望のノンバイナリー及びその他トランスジェンダー」は、確実にいる。マイノリティ中のマイノリティとかじゃないし、普通にたくさんいる。あえて曖昧な表現をするけど、あなたの隣の家の家族のうちのだれかひとりくらいは確実にそうだ。己のマイノリティ性、それが被差別の属性である場合、他者に触れられること自体が相当な負担なのだ。

このことも踏まえて、家庭裁判所の職員さん及び裁判官さん、すべてのトランスジェンダーの改名の裁量権を持っている人たちへ、言わせてほしい。

自身のセクシュアリティを語ることそのものがきついって、知っていてほしい

ぼくたちがあなた方に手渡した書類は、しっかりと事前に読み込んでほしい。すべてが無理ならば、せめて改名の申立書や戸籍謄本だけでもかまわない。ただでさえセンシティヴでデリケートな、本来であれば知らない人には絶対に話したくないことまで話さなきゃならない、そんなストレスフルな状況なのだ。

あなたたちは職務で訊いているだけなのは百も承知だし、それで申立人が少なからず損なわれるのは現状仕方のないことなのかもしれないけれど。だったらせめて、「職務」は全うしてくれ。担当する申立人の、死ぬ気で書いた申立書とその背景を示す戸籍謄本、そして必死で集めた使用実績は、目を皿にして確認して、そして臨んでほしい。

「トランスジェンダーのうちの1人」じゃない。ぼくたちは「個人」だ

ノンバイナリーのトランスジェンダーとして無事改名できた喜びと、その不公平さ

改名申立から約1ヶ月、申請許可の審判通達を受け取った日、ぼくは夫と抱き合って喜んだ。そのテンションのまんまTwitterで「改名できました!」と書き込んだのだけれど。その5分後には、ツイートを削除するか悩み始めた。

なぜなら、ほとんど同じ条件だったにも関わらず、改名が叶わなかったフォロワーさん数名の顔を、喜びを爆発させたあとに思い浮かべてしまったから。いわゆる受験期の「受かりました」ツイートくらい無神経なものだったかな、とちょっぴり反省した。でも、情報提供という意味でも、消さずに残しておくことに決めた。

ぼくの改名の申立がわりにすんなり通った理由としては、第一に「仕事先からの協力の得られやすさ」、そして第二に、繰り返しになるけれど職員・裁判官ガチャが「当たり」だったことが挙げられる。一個人の人生を左右することに、なんで当たり外れが存在するんだよ。どう考えたっておかしいだろ、こんなの。

あなたたちにとってはたくさんいるトランスジェンダーのひとりかもしれないけれど

職員・裁判官ガチャが発生してしまっているこの現状についても。こんな言葉がセクマイ界隈の中で生まれてるってこと自体を、携わっている人々はもっと危惧するべきなんじゃないか。

あなたたちにとっては、ぼくは「改名希望のトランスジェンダーのうちの1人」に過ぎないなのかもしれない。日々膨大な業務に追われるあなたたちにとっては、ぼくの申立はその一部でしかないのかもしれない。でも、そこにはぼくら個々人の人生がかかっている。

ぼくらが自分らしく生きるための、その決定権を、その手の中に握っていること。それについてきちんと自覚的であってほしい。

書類をきちんと確認していただけていなかったことに【その2】からずっと疑問を呈し続けてきたが、そもそもぼくの面談担当の職員さんはセクシュアルマイノリティ、及びSOGIについての知識不足・その偏りが否めなかった。これはトランスジェンダーの改名に携わる人間として、いかがなものか。

ぼくの面談30分前に、せめてその手の内にあるスマートフォンで「ノンバイナリー」「トランスジェンダー」「性同一性障害」について検索し、付け焼き刃でも知識を入れておくことくらいできたはずだ。

まずはセクシュアルマイノリティに関する正しい知識を持ち、理解を深めること。そこまでが司法に携わるあなたたちの、果たすべき責任なのではないですか。そこまでがあなたたちの、「職務」なのではないですか。

ぼくの改名が成功しても、なんの解決にもなっていない

ぼくの改名が成功したからって、本当はなんの解決にもなっていない。ぼくがぼくらしい名前で生きることに、なぜお国の許可が必要なのか。こんな七面倒くさい手続きを踏まえずとも、だれもが「自分の名前」で、自分らしい人生を歩めるような、そんな社会をぼくは望む。この3回に渡る改名奮闘記を、その一石として投ずる。

 

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