物心つくころにはもう、自分が “女の子” じゃないことは知っていた。けれども、“女の子” の役割を押し付けられるのが嫌で「 “女の子” じゃない」と思い込んでいるのか、はたまたこの心が真の意味で “女の子” ではない在り方をしているのか、自分でも長いあいだ判別が付かなかった気がする。
父の家系に巣食うミソジニー
ぼくがノンバイナリーであること、“女の子” でないことに長らく確信を持てなかったのは、父の家系に巣食う呪いのようなミソジニー(女性蔑視)による。大人になってから振り返ってみると、ミソジニーというものはすべての人間を食い潰す思想だと改めて思う。
「在日韓国人社会」特有のミソジニーの根深さ
ぼくの家系は日本と韓国とロシアにルーツがあるんだけど、本家筋の国籍は韓国にある人が多い。だからなのか、肌感としてはクラスメイトの日本人の家庭よりも、うちの家のミソジニーの色合いの濃さは際立っていた。韓国は今でこそ『82年生まれ、キム・ジヨン』が話題になるなど、フェミニズムに対する意識が高まっているけれど、儒教の考えが根強い韓国社会においてミソジニーはもっと酷い様相だった気がする。もっとも、それは本国から取り残されたいわゆる「在日韓国人社会の家庭」だからこそ起こり得た現象だったのかもしれないけれど。
父の実家では、毎年正月・盆に「チェサ」と呼ばれる韓国式の法事を執り行う。家の奥の間で行われるそれは、男性が先祖に「礼」──この形容の仕方が正しいのかどうか自信がないが──をしているあいだ、女性は中に入れない仕来りとなっていた。女性の「礼」は、男性たちの「礼」が終わり彼らが完全に部屋を出てから、入れ替わりで行われる。これはぼくの家庭での特殊な事例なのか、はたまた在日社会一般のことなのかはちょっとわからない。当事者ながら在日韓国人社会にあまり明るくないので、なんとも言えない。
ただ覚えているのは、ふだん一緒に遊ぶ従兄弟たちが先に「礼」をしているとき、ぼくだけ部屋に入るのを止められて激しい憤りを感じたことだ。ぼくの代では “女の子” はぼくしか生まれなかったから、その不公平さはぼくのみにのし掛かってきた。その差別は少なからず、幼かったぼくの自尊心を削った。
“女性” である限り、ぼくは男性の従属物にしかなれないのか
親戚たちの中でもとりわけ男尊女卑思想が根深かったのは、祖母だった。ぼくに初潮がやってきたことを知った年、風呂の順番をいちばん最後にしなさいと命じられたときは衝撃を受けた。「経血が湯船を汚すから」というのが祖母の言い分だが、生理のあるぼくの体はまるで汚物だと言われた気分になった。
祖母のミソジニーには、大人になって結婚して顔を合わせなくなるまでのあいだ、ずいぶん傷つけられた。自分の息子や男孫を溺愛する一方で、嫁である母や伯母、それから “女の子” であるぼくをあからさまに粗雑に扱う人だったから、端的に言って嫌いだった。今でもぼくは、祖母のことを好きになれない。きっと祖母が危篤になっても、駆けつけたいとは思わないだろう。
小学校5年生くらいだったろうか、ある年の正月、親戚一同で温泉旅館に宿泊した。広間で夕食を食べていると、唐突に年長の従兄のひとりがぼくに「お酌をして」と強請ってきた。なんでそんなことをぼくに頼むのか、自分で注げばいいじゃないか。それは明らかに、ぼくが “女の子” であるからこそされたお願いだと理解したから、ぼくは断固拒否した。あからさまに嫌悪感を示すぼくを、祖母が「 “女の子” はお酒を注がなきゃいけないの!」ときつい口調で叱責したのだが、このときの屈辱は生涯忘れられない。
ぼくは “女の子” である限り、一生男性の従属物でしかいられないのか。生涯、意思を持った主体になることは叶わないというのか。じゃあ、ぼくが生まれてきた意味って、一体なんなんだろう。
性役割の隠れ蓑なのか、本当にノンバイナリーなのか
そういう思想にまみれた幼少期だったから、ずっと自分の心の性について確信が持てずにいた。ぼくがぼくを “女の子” ではないと感じるのは、“女性” の役割から逃げたいだけなのだろうか。そうだったらぼくこそが、 “女性” に対して差別的な感情を抱いているということになる。
ずいぶん長い間、自分の元来の心の在り方がわからなかった。“女性” を嫌悪しているから、その役割を祖母や親戚たちに背負わされるが嫌だから、この心が “女の子” であることを拒否しているのか。
それともシンプルに “女性” ではないのか。ミソジニーの毒素が蔓延した環境で育ったせいで、ぼくはそのどちらなのか成長するまで確信が持てず、己がミソジニストであるかもしれない可能性に怯え続けていた。ミソジニーは女性たちの心を損なうだけでなく、身体女性のトランスジェンダーをも蝕んでいく。混乱を来たし、自分を見失う、まさに悪しき呪いなのだ。
「ジャニーズJr.にいそう」でノンバイナリーだと確信した
“女の子” の回避なのか、本当にノンバイナリーなのか、生育環境で当たり前とされていたミソジニーのせいでずっとわからずにいたけれど、明確な答えが出たのはたぶん高校生になったあたりだ。無論その当時は「ノンバイナリー」なんていう単語は知らなかったけれど、この心が真の意味で “女の子” じゃないと確信を持てたのは、同級生たちがぼくを “女の子” として扱わなかったからだと思う。
「ジャニーズJr.にいそうだよね」と言われて無性に嬉しかった
通っていた中高一貫校には指定の制服がなかったので、ぼくは基本的にデニムやTシャツ、スウェットなどといったいわゆるボーイッシュな服装で通学していた。するとある日唐突に、「チカゼって、ジャニーズJr.にいそうだよね」と同級生の女の子に言われたのだ。その子は生粋のジャニーズ・オタクで、あるグループの熱心なファンだった。そのグループのバックについている男の子たちの1人にいそう、と言われて、ものすごく嬉しかったのを今でもよく覚えている。
ぼくがなりたかったのは、そして今もなりたいと切望しているのは、萩尾望都や竹宮惠子が描くような「少年」だから。現実の男の子や成人男性ではなく、キラキラした「少年」にずっと憧れを抱いている。そのため彼女が何気なく発したその言葉に、ぼくは舞い上がった。
そして同時に、「キラキラした男の子たちみたいだね」と言われて嬉しいと感じるってことは、つまり本当にぼくは “女の子” ではないのかもしれないと思うようになった。“女性” 性の回避ではなく、積極的な意味で “女の子” ではない在り方を自分が望んでいることを知れたのだ。これはぼくにとって、大きな意味のある出来事だった。
ノンバイナリーのぼくの「異性」と「同性」
ぼくの性的指向はバイセクシュアルと自認しているけど、ぼくの主観から述べるのなら、ぼくはぼく自身を「異性愛者」だと思っている。女性の中にも男性の中にも「異性」だと感じる人と「同性」だと感じる人がいて、恋をするのは前者に限られるからだ。
加えていうのなら、「異性」だからといって全員が恋愛対象とは限らない。魅力的な人もいれば友達になりたいと思う人もいるし、気に食わねえやつもいる。「同性」にも同じように友達になりたい人も嫌いなやつもいるけれど、彼ら/彼女らに対して性的魅力を感じることは絶対にない。
だからノンバイナリーのぼくは「同性」の “男の子” たちと、たとえば回し飲みをしたりすることに関して、微塵も抵抗を覚えなかった(もちろん衛生観念もそこには影響するとは思うけれど、今はとりあえずそのことは置いておく)。そういう彼らへの接し方に、時折シスヘテロの女の子たちにギョッとされることがあった。「 “男の子” なのに平気なの?」とよく聞かれたけれど、その感覚をうまく言語化できなくてとても困った気がする。
“女の子” 扱いされない環境に居心地の良さを覚えた
「異性」の “男の子” 、つまり「好きな “男の子” 」ないし「好きではないけれど性的魅力を感じる “男の子” 」とは、ぼくはとてもじゃないけれど回し飲みなんてできなかった。というか、目を合わせて話すことすらままならなかった覚えがある。それと同じように、 “女の子” の多くは “男の子” と回し飲みすることをどうやら気恥ずかしく思うらしい。周囲をよくよく観察するうちに、ぼくはそのことに気がついた。
保健体育の授業では「思春期になると(身体的)異性に興味が湧いたり、接することを照れ臭く思うようになる」と習ったけれど、ぼくにはすべての “男の子” に対してその現象は起こらなかった。
最初はぼくが周囲と比べてあまりに幼いのかと焦ったけれど、ぼくにとっての「同性」の “男の子” たちもまた、ぼくに対してそのような素振りはちらとも見せなかった。そして、その「同性」の “男の子” に恋をしていた “女の子” たちの誰からも、ぼくは嫉妬されたり恨まれたりすることはなかったのだ。
今思うと、これはちょっと不思議だ。だってその類いの恋愛のトラブルは、ぼくの周囲ではわりにしょっちゅう起きていたから。もしかしたら彼ら/彼女らも、ぼくの振る舞いを見て本能的に察していたのかもしれない。現に卒業してからずいぶん経ったあと、当時からの友人に己のセクシュアリティをカミングアウトした際にも、「なんとなくそんな気はしていたよ」と特段驚かれはしなかった。いずれにせよぼくは、同級生たちから “女の子” 扱いを受けない環境を、とても居心地良く思っていたのだ。
家庭と違って学校では、ぼくは “ぼく” でいられる。 “女の子” ではない、純粋な “ぼく” として存在することができる。そういう場所で思春期を過ごすうちに、やっぱりぼくの心はもとより “女の子” ではないんだなあと、自然に納得していった。
ミソジニーが損なうのはシス女性に限らない
ぼくは殊更に周囲の同級生に対して “女の子” ではないとアピールしたつもりも、“女の子” として扱わないでほしいと主張した記憶もない。ぼくの言動や振る舞いから、みんな無意識のうちに自然とそのように接してくれていたのだと思う。そしてそういう環境で10代を生きることができたのは、ぼくにとってものすごくラッキーなことだった。
「ミソジニストだからノンバイナリーになった」のではなくてほっとした
家庭内においては身体の性で徹底的に “女の子” として扱われてしまったこと、そしてそれゆえに不当に差別されたことによって、ぼくは自分の性自認に対して長らく懐疑的だった。
もしも通っていた学校にスカートの指定制服があり、同級生からも “女の子” として扱われていたら、きっとこのモヤモヤが晴れるのはもっと遅くなっていたと思う。ノンバイナリーという単語を発見しても、「これだ!」となるまでにはかなり時間を要したんじゃないか。
自分の心の在り方を把握できないという状態は、文字通り死ぬほど不安だ。「性役割から逃げたいだけなのでは」「いやでもやっぱりシンプルに自分は “女の子” じゃない気がする」のあいだを行ったり来たりして、悩んでいること自体がとても苦しかった。
あんなに憎んでいた祖母や親族と同じような醜い思想を、母や伯母や自らを損なった歪んだ感情を、自分自身もまた有しているのではないか。だから “女の子” じゃないと思い込もうとしているのではないか。そう自分に問い続けていた時間は、なかなかにきつかった。その悩みを10代の段階で断ち切ることができて、ぼくは幸運だったと思う。
だってもし自分がミソジニストだったりしたら、きっと耐えられない。ぼくはぼくの愛する人、これまで恋をしてきた “女性” や、大切な友人である “女性” を、どこかで踏みにじり続けていたということになってしまうから。そうじゃないと知ることができて、本当によかった。
ミソジニーは醜悪な呪いでしかない
ぼくは現在、ミソジニーを、その思想を持つ祖母や親族やその他のすべての人を、心から軽蔑している。あってはならない不当な差別であり、憎むべき醜悪な呪いだ。このおぞましい感情に歪められてしまった人は、シス女性以外にもきっと大勢いる。
ぼくみたいな男女どちらにも当てはまらない性別の人や、FTMの人の中で、「自分の性別違和は “女性” 性を嫌悪しているゆえの勘違いなのではないか」と悩んだ経験を持つ人はきっと少なくないだろう。そして実際に「 “女性” の性役割から逃げたいだけでしょ」なんていう心ない言葉をぶつけられたこともぼくはあるし、身の回りでもそういう話はわりによく聞く。
ミソジニーの被害を被るのは、シス女性だけではない。ミソジニーは “女性” の尊厳を切り刻み、身体女性のトランスジェンダーに計り知れない不安と混乱をもたらす。“女性” に関わる人すべての心を損なうのがこの悪しき呪いであり、翻ってミソジニーと無関係な人などこの世に存在し得ないのだ。
ぼくはぼくの立場から、この問題に取り組んでいきたい。絶対に目を逸らすつもりはない。ノンバイナリーを自称することが性役割の回避だなんて勝手に断じたりされるたび、そしてぼくの身の回りの “女性” たちが傷つけられるたび、ぼくはぼくとして正しく憤っていきたい。