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夢は次世代のLGBTに残せる居場所を作ること【前編】

笑顔が爽やかで親しみやすい雰囲気の森秀人さん。学生時代はさぞかし目立つ存在だったのではと思いきや、意外にも子どもの頃は引っ込み思案で一人遊びが好きな性格だったという。サッカーと出会ったことで、コミュニケーションや礼儀を徹底的に学んだ。誰に対してもフランクで平等に接したいと真摯に語る。信条は「みんなで楽しく」。

2020/02/12/Wed
Photo : Ikuko Ishida Text : Henshubu
森 秀人 / Shuto Mori

1993年、福岡県生まれ。高校進学のため見学に行ったサッカー部でFTMの知識を得る。性に対する違和感が解消され、男性として生きることを強く願うようになった。20歳の頃、自身の夢と新しい生活への希望を抱いて上京。現在は、地元・福岡でBAR立ち上げを目標に、バーテンダーの仕事と酒屋のバイトを掛け持ちしながら日々奮闘している。

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INDEX
01 サッカーが大好き
02 区別をしたくない
03 男らしさに憧れて
04 身体の変化と反抗期
05 FTMって何?
==================(後編)========================
06 夢中になった恋愛
07 男性になりたい
08 初めて見た母の涙
09 東京へ
10 次世代に居場所を

01サッカーが大好き

訪れた運命の転機

友だちが少なくて一人遊びが好き。引っ込み思案で内気な子どもだった。

「動かないでじっとしているような子どもだったらしいです」

しかし、運命の転機が訪れた。

「4歳になった頃、幼稚園でサッカーの試合を見たんです。『あれやりたい! やってみたい!」って、一生懸命両親に伝えました』

「それまで、自分で何かをやりたいと口に出すことがなかったから、親は嬉しかったようで」

普段、自己主張をしない自分がはっきりと意思表示をしたのは、これが生まれて初めてのことだったかもしれない。

驚いた両親は、すんなりと賛成してくれた。

「主に、男の子がやるスポーツだとも思わずに、「あの中に入りたい!」「絶対やる!」って決めてました」

「サッカーは本当に楽しかったです。いまだにやりたいって思う時があります」

人とのコミュニケーション、礼儀作法、サッカー多くのことを教えてくれた。

内気だった性格は明るくなり、仲間が増えていくのが嬉しかった。
チームは皆が仲間。

人と話すことも好きになっていった。
世界がどんどん広がっていく。

男子も女子も一緒になってボールを追いかける。男女の区別はなく、とにかく楽しかった。

「僕自身も、周りの人を男と女とか分けて見ていなかったですね」

「周りのみんなは、女の子だと理解しているけど、男勝りな女の子だと思っていたんじゃないかな」

限りないサッカーの魅力

小さかった身体は、サッカーの効果で健康を取り戻し、身長もどんどん伸びていった。

任されたポジションはフォワード、ボランチ、センターバック。

身長が高くなった頃は、キーパーも担当した。いろいろなポジションで活躍したが、一番面白かったのはキーパーだ。

「キーパーって試合の全部が見えるんですよ。点を決める時よりも、ゴールを守った時のほうが『やったぞ!』って思いました」

ゴールを守る達成感、点を獲る楽しみ、チームワークの大切さ。かけがえのないものをサッカーから教えてもらった。

サッカー仲間たちとは、地元を離れた今でも仲が良い。
帰省した時は必ず飲みに行っている。

くだらない話も真剣な話も、皆と一緒ならなんだって楽しい。

「友だちは陽気で楽しい人が多いかな。でも真剣なときには真剣な話ができるというか。オンオフがはっきりしてますね」

大人になった今でも、サッカーに熱中したあの頃の想い出はかけがえのない宝物だ。

02区別をしたくない

母の教え

サッカーによって性格は明るく変化したものの、男勝りには拍車がかかる。

女の子とは全く遊びが合わなかったので、男の子と遊ぶことが多かった。

スカートを履くのが嫌で、姉のおさがりの洋服を「着ない!」と断固拒否。小学4年生の頃からはスカートを履いた記憶がない。

「小さい頃から自分が女とか相手が男だとか、考えたことがなかったんです。みんな一緒だ、って思ってました」

男女の区別なく、皆で一緒に仲良くしたいと強く考えるようになったのは、母の教育による影響が大きい。

母は、差別や曲がったことが大嫌いな一本筋の通った人だった。しつけに厳しく、怒らせると鉄拳が飛んでくるとても怖い存在。

「どんな人にも差別をしないで、仲良くしなさいと教えられてきました」

外見で決めつけることをせず、どんな人にも平等に。そう強く教えられてきた。

『みんなで楽しく』を信条にしてきた自分だったが、女の子とは全く遊びが合わず、遊ぶのは男の子がほとんど。

「男子に対しては、同性の友だちと一緒にいるような感覚だったかなぁ」

スカートを断固拒否

当時は、自分の性別に対して、違和感を感じることはみじんもなかった。

『みんな一緒に仲良く』『区別がない』。それが自然であり、当前のことだったのだ。

だからなのか、女子しか履かないスカートをどうしても身につけることができない。
姉のおさがりを断固拒否し、ボーイッシュな服装を好んで選んだ。

履いていたズボンがボロボロになるほど活発だったが、そんなことは全然気にはならなかった。

「小学4年生の頃からスカートを履いた記憶がないです(笑)」
「自分の洋服は、自分を飛び越えて弟に下げられてましたね」

姉を見ても、服装の真似をしたいと一度も思わなかった。

『あの人はあの人』
『自分は自分』

自分とは違う生き物。そう思っていたような気がする。

「自分が女子だって意識することはなかったですね」

なんで男子と女子で分けたりするんだろう? 皆一緒でいいじゃないか。
そう思っていた。

一緒の方が楽しいし、それが良い。

その頃はそう信じて疑わなかった。
しかし、成長するにつれ気持ちも徐々に変化していく。

03男らしさに憧れて

自然体に過ごした少女時代

男勝りな女子として活発に過ごした小学生時代。
クラスメートたちに「変わっている」といじめられたことはなかった。

「女だけど男みたいだよな、という扱いでしたね(笑)」

「もし女扱いされていたら、嫌に思ったりとか、別の感情が芽生えてたかもしれないですけどね」

他の女子と自分は違うとも、自分が特別な存在だとも思わない。
『自分は自分』『他人は他人』。楽しければ良いと自然体に過ごしてきた。

クラスメイトたちは『友だち』であり『仲間』。性別を意識することなく遊んでいた。

高学年に進級してからも、変わらず男子と遊ぶ割合が多かった。

家族には姉がいるので、女子に対して苦手意識を感じることはなかったが
だからといって、女の子らしい女子のグループに合わせることもできない。

大人しそうな女子を見つけては、友だちになった。

憧れの存在

のびのびと自由に過ごした小学校生活も後半にさしかかり、将来の夢や希望を思い描く機会が増える。

一時はサッカー選手になりたいと本気で考えたこともあった。
しかし、それよりも大工や消防士になりたいと強く願うようになる。

小学校の卒業文集には『大工になりたい』と書いた。

クラスメートに「大工になりたい」と話をしたら「森ならやれそう!」と、みんな好意的で、否定する人は誰もいなかった。

「お父さんが建築系の仕事をしていたので、その姿を見て、かっこいい! って憧れてました」

「思い返すと、もうその時から気持ちは男性よりだったのかな」

父は寡黙で穏やかな人だ。とても優しい性格で怒られたことは一度もない。
声を荒げる姿を目にしたこともなかった。

自分が持つ理想の『男らしさ』の原点は、父かもしれない。
想像した自分の未来の姿が、父の働く姿と重なって見える。

「隣で母が自分のことを怒っていても全然のらないんです(笑)。見守ってくれていたのかな? とっても優しい人です。」

余計なことは言わず、黙々と仕事をこなす父。

父の背中を見ていつからか、父のようなかっこいい人間になりたい、そう思うようになっていった。

04身体の変化と反抗期

付き合うってなんだろう?

楽しくのびのびと過ごした小学校生活を終え、中学校へ進学。

中学校は制服を着なければならない。
考えるだけで気が重かった。

しかし、学生のうちは仕方ない、卒業したら好きな服が着れるんだから、と考えるようになっていく。

「制服のスカートは入学するまではすごく嫌だったんですけど、中にジャージを履けばいいや、って気持ちを切り替えました(笑)」

制服以外、男女の区別が明確になっても、気持ちが重くなることはもうなかった。

相変わらず男子と遊び、『男子みたいな女子』というポジションを、引き続きキープ。

そんな自分に変化が訪れる。

「同い年の男友だちと付き合うことになったんです」

「なんか、わけも分からず付き合いましたね。『付き合おう』って言われたから『いいよ』って」

「友だちの延長みたいな感じで・・・・・・。でも付き合うってなんだろう? って」

「手をつないだときに、なんだこれ? ちょっと気持ち悪い、と思ってしまったんです。それからだんだんと違和感がつのって」

心の変化にとまどいを覚えた頃、身体にも変化が現れる。
胸が徐々に膨らんできた。

「胸が出てきたときは、なんじゃこりゃ! とは思ったけど、特別嫌ではありませんでした」

「自分は胸が出てくる人なんだな、って冷静に受け止めましたね」

訪れた反抗期

心と身体に変化が見え始めた頃、自分の時間を大切にしたいと考えるようになった。

家にいても、部屋はきょうだいと一緒。
一人の空間が欲しかった。

家にいるのがだんだん苦痛になり、とうとうプチ家出を決行。
部活の先輩の家に泊めてもらうことが増えた。

「先輩たちとは公園でサッカーや追いかけっこをしたり、ブレイクダンスをやったり。花火も楽しかったなぁ」

「ヤンチャな先輩たちだったんですけど、可愛がってもらっていました」

しつけに厳しい母も、しめつけると余計に悪くなると心配したのか、門限は設定されなかった。

「門限はないけど遅く帰ると家の鍵が締まってるんです(笑)。しめ出しですよね」

外泊はどんどんエスカレート。仲間たちと学校をサボって、遊びに行くこともあった。

「『今日休みます』って自分で学校に電話して、遊びに行きましたね(笑)」

「『お母さんが今忙しいから電話がかけられないので、自分でかけました』とか言ったりして」

「夕方ぐらいに先生から『今日は休んでましたけど、大丈夫でしたか?』と電話がかかってきて。当然、母にバレてめちゃくちゃ怒られました(苦笑)」

05 FTMって何?

FTMを知る

中学3年生に進級し、進路を考える時期がやってきた。

志望校はサッカーの強い女子高。なんとしてもスポーツ推薦の枠に入りたい。

練習と見学を兼ね、女子高を訪問した。

「高校のサッカー部に、FTMの人がいたんです」

「話しているうちに、『君、もしかしたらそうなんじゃない? FTMって言葉は知ってる?』って聞かれました」

その人とは練習で会うたびに話をして、連絡を取り合うほど仲良くなる。

はじめは、何のことを話しているのか意味が分からなかった。
でも、拒絶する気持ちは起きなかった。

「あー、そういうのがあるんだ。なんか、自分に似ているなぁって思いました」

テレビドラマでトランスジェンダーが取り上げられていたから、なんとなくイメージがついたのだ。

高校に進学する頃には、その道でいこうと決意。

「変われるんだ! 憧れていた男の先輩に近づけるんだ! って思って、明るい未来しか見えなかったです」

不安よりも楽しみが大きかった。

自分がトランスジェンダーFTMであると理解してから、セクシュアリティに対してあふれるように興味が湧いてくる。

希望で胸が高鳴った。
目の前の道が、広く開かれていくような気がした。

女子に興味を

性的な興味は中3の終わり頃から芽生えた。
対象者は女子だった。

「あの子がいいな」「可愛いな」と好みが出てきたのは、高校に進学した頃だ。

それまでは恋愛することに対してあまり興味がなく「みんな仲良しならそれでいいじゃん」と思っていた。

気になる男の先輩はいた。

でも、それは恋愛感情ではなく「ああいう人になりたいな。かっこよくなりたい」という、憧れだったと思う。

自分の理想の姿。

「男の人を見ると、ああいう外見になりたい、もっと筋肉をつけたい、って気持ちが強くなってきて」

男性になりたい気持ちが強くなっていく一方で、女子と恋愛をしたいという想いも
一層強くなっていく。

インターネットで知識を得ていくうちに、出会い系サイトに辿り着いた。

「初めての彼女は出会い系サイトで知り合いました。遠距離恋愛だったのですぐに終わってしまいましたけど(苦笑)」

その後も何人かの女性と付き合った。

「リアルでは、高校の友だちの友だちとか、後輩と付き合いました」

「付き合っていることを言いたがらない人が多かったから、秘密にしてました。知っている人はごく一部でしたね」

 

<<<後編 2020/02/15/Sat>>>
INDEX

06 夢中になった恋愛
07 男性になりたい
08 初めて見た母の涙
09 東京へ
10 次世代に居場所を

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